May 04, 2004

これが

ライヴ・イヴェントだったら、お客さんが入っても入らなくても、演奏内容が良くても良くなくても、最後は楽しく打ち上げて終ればよいわけだけれど、今日は疲れただけじゃなく、家に帰ってから、思いも寄らなかった苦い気持ちで一杯になっている。あんなに沢山の人から感謝を表明されたり、賞賛を受けたりしたにもかかわらず。

ひとつにはすでに参議院を通過してしまっている法案に対して、ここから抵抗を試みるには、多くの人がとてつもない力を振り絞らねばならないことが分かっているからで、今日一日が終わってホッとなんてしていられない。やることは増えても、減ることはない。まあ、それはいいや。自分で始めたことなのだから。
でも、たぶん、僕の中にはもうひとつの理由がある。それについて今、ここで書くことは「始めてしまったこと」の間に齟齬を生むかもしれないのだが。
今日、僕は幾つかの知らなかったことを知って、それによって、今までになく視界が開けた気がした。ただし、それらはエンジニアの藤井悟さんが語ったCCCDのリージョン・コードのことを別にすると、シンポジウムの中で知ったのではなく、その後に何人かの人と喋って知ったことで、それらについて帰り道に考えているうちに、今までとは違う場所に辿り着いてしまったのだ。自分でもちょっと困ったことに。
今、優先すべきことは、わずかでも状況を変えることだろう。あっち行ったり、こっち行ったりする自分の考えを口にすることよりは、反対派の最大公約数を召集しうる運動のためにエネルギーを使うべきかもしれない。でも、家に帰ってから思った。それは僕の柄ではないな、と。僕は政治家じゃない。思ったことは思った時に言おう。だから、夜中にまたタイプを打ってしまっている。

一番最初から書いているように、あるいは、今日のシンポジウムでも表明したように、僕は今回の法案提出の起点であるアジア盤の還流防止を含めて、すべての輸入盤の規制には反対だ。でも、音楽ファンの不利益を最小限にとどめる、現時点での賢い政治的判断は、アジア盤の還流防止に限るように、法案の修正を求めたり、法案成立後の運用に歯止めをかけたりすることかもしれない。僕の理想は反対派の最大公約数をまとめる案にはならないだろう。
それは今日を迎える前から分かっていたことだったが、さっき帰り道に、僕が考えていたのは、もうひとつのことだった。僕が今までこの問題について書く時に、あまり触れずにきたこと、再販制度についてだ。というのも、僕は今、こう感じているのだ。やや煽り気味に書くならば、再販制度は維持されるべきではないか、と。

再販制度と輸入権の創設による二重の業界保護には、もちろん、僕は反対する。が、僕にはこんな風にも思えてきたのだ。文化庁やレコード協会はひょっとしたら、再販制度にはすでに見切りをつけているのかもしれない。だからこその輸入権創設ではないか。そして、二重の保護に対する批判が強まったら、切り捨てるのは再販制度であろう、と。
再販制度は基本的には価格の問題だ。再販制度によって、日本のCDは高価格になっているが、しかし、だからこそ世界中の幅広い音楽を日本盤としてリリース出来てきたという側面も確実にある。高価格ではあるが、カタログの充実ぶりは世界一といってもいいのが、日本のレコード業界だったのだ。しかも、僕達はより安価であると同時に、恐ろしくマイナーなところまで網羅した輸入盤文化というものも享受してきた。
20年以上も世界のアチコチでレコード店を巡り巡ってきた経験から断言するが、今の渋谷の街ほど、世界中の様々なレコードが簡単に買い求められる場所はどこにもない。日本の音楽ファンに与えられている「選択肢の自由」は巨大だ。そして、僕にはそれを作り出してきたシーンの一員であるという多少の自負もある。そういう意味では、再販制度には音楽シーンにプラスの面もあったことは否定したくない。レコード会社がそれに甘え過ぎたところや、制度の運用方法などには改めるべき点があるにしても。
それに対して、輸入権の創設は明らかに音楽ファンが選択できる音楽の種類を減らす方向に働くだろう。それは再販制度よりもはるかに悪い。少なくとも僕にとっては、価格が高い安い、よりも、買えるカタログの多い少ない、言い換えれば「内容の選択肢」の方が圧倒的に重要だからだ。

リージョン・コードによる世界市場の分割管理。五大メジャーが制するエンターテインメント産業の進もうとしている道は、彼らの理想は、そこに他ならない。CDの輸入権は、DVDのようにハード面からリージョン・コードを設けられない(藤井さんの話によれば、次世代CCCDでそれも可能になるらしいが)オーディオCDに、法律によってリージョン・コードを設ける方策と言ってもいいだろう。
そして、そこには音楽ファンへのプラスは何もない。障壁を作る人々は経済のことしか考えていないが、音楽は、あるいは音楽を作る人々と音楽を聞く人々の関係性は、国境を越えていくべき文化なのだ。文化障壁が著作権を保護する? 文化を守る? アリエナイ。文化障壁は人民の(アレ、凄いサヨな言葉使っちゃった)幸福に益することなどひとつもないはずだ。
今日のシンポジウムで野田務さんが示唆していたように、今、僕達が直面しているのは、多国籍企業によるグローバリゼーションの問題に他ならないだろう。世界中に同じような「分割された市場」を生み出すのが五大メジャーの理想であるとしたら、彼らは日本独自の再販制度などには、さして興味がないはずだ。
再販制度で守られてきた小さなレコード店などは淘汰されればいい。選択肢を減らしたカタログを薄利多売する大型チェーン店だけが生き残る。再販制度が廃止され、輸入権が創設された音楽マーケットはそうなっていくに違いない。それよりはジャパン・ローカルな再販制度を維持して、グローバルな輸入権の創設を許すな。僕はそう言いたくなってきたのだ。

こんな日の晩に、こんなことを書き綴るのは、現実の政治的判断としては賢くないに決まっている。言っていることは、超保守反動なわけだし。大和魂で再販制度を守れじゃあねえ。それがありえない夢なのも分かり切っている。幾らローカリズムの保存を叫んだところで、グローバリゼーションは怒涛のように押し寄せてくる。その流れの中で、それでも音楽が窒息しないでいられる方法を、僕は音楽の現場で模索していくしかない。僕個人としては、そういう結論でも出して、あらためて、いろんな人と共闘すべき場所に戻るしかないかな。明日は二本もラジオ番組に出演することになってしまったし、当分、運動家として扱われたりするのだろうから。
でも、今日ここに書いたことは、もうちょっと先がある。それはたぶん、ノン・パッケージ・ビジネスとの絡みにおいて。あるいは、これからのハードウェア産業とソフトウェア産業の関係性とかも絡んできそうなのだが、そのへんは今日、知ったことをもう少し追いかけつつ、考える必要がありそうだな。
まあいいや、今日は寝ます。ロフトプラスワンにいたすべての人にありがとう。お休みなさい。

memorylab at 04:03│

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