■そうじは、スポーツだ!
ヤクザの世界も、最初はそうじ。
「きれいになった」という達成感が大事です。
そうじには、そのような「達成感」と」段取りを考えた行動である「計画性」を身につける得がたい効果があります。
今の学校では、そうじは毎日行われるわけではありません。
学校には、「世間」からさまざまな要求が集まってきます。
しかし時間は有限。そこで、「そうじの時間」が削られているのです。
しかも、10〜15分という時間で、全員が一斉に「そうじの時間」
に入ります。このパターンを「全員清掃」といいます。
週替わりで、放課後にそうじをする「当番清掃」の学校は少数派でしょう。
どちらにしても、担当教師によって、生徒のそうじに対する取り組みや意識は全く違います。
ところが、この「当たり前のこと」が、学校現場でも理解が不十分です。
部活動において、顧問教師の影響力は絶大です。
顧問が変わることによって、弱小部活が強くなったりすることなどザラです。
そうじの指導も、部活と同じなのです。
というよりも、そのように考えて僕は、指導をします。
ほうきや黒板消しの持ち方を、学校の先生から教わったことがありますか?
僕は記憶にありません。
しかし、だからといって「丸腰の知識」で生徒と対応するわけにはいきません。
ほうきや黒板消しも「床や黒板をきれいにする」という目的を持った道具です。
テニスのラケットなら、グリップやスタンス、そしてスイングについてさまざまな
理論があり、解説書があります。「たかがテニス」です。
ところが「たかがそうじ」には、理論書も・解説のビデオもありません。
指導する教員も、真剣に理論や解説を求めることもありません。
これでは、「そうじをなめている」と言っても過言ではありません。
学校現場において、そうじは完璧な空洞部分を形成しているのです。
黒板は教室の鏡である。
これは、僕の、教室環境に関する指導理念です。
授業時間のほとんどは、黒板が生徒の視野に入っているのです。
その黒板が汚れていたり、「作品未提出者一覧」などのネガティブな
イメージを喚起させる掲示物が貼られていたら・・・。
無意識の状態でインプットされる、無秩序・乱雑などの負のイメージが
生徒に与える影響は無視できません。
清潔で、使いやすく整備された黒板は教科担任を「いい気持ち」にさせます。
いい気持ちになった教科担任が始める授業と、不愉快な気持ちになった
教科担任が始める授業。
どちらが生徒に与える影響がよいか、論を待ちません。
黒板は教室の鏡である。
・・・という理念を口にし、周知させることは大切ですが、
それだけでは「たんなる念仏」です。
実際に黒板をきれいにする技を伝達することが必要です。
技の伝達とは、理論と技術の伝達です。
黒板消しで黒板をきれいにすることを、どう教えるか。
黒板消しは2つ用意します。そして、つねにきれいな黒板消しを使います。
黒板は長い長方形ですから、横ではなく縦方向で作業をします。
「まっすぐ」ぶれないで黒板消しを黒板に当てます。
力も使いますよ。
僕は「黒板の表面を1ミリ程度削るつもり」で黒板消しを
使うように言います。
結構な強さの力を均等に黒板消しにかけなれば、黒板はきれいになりません。
そこで大切なのは、黒板消しの持ち方です。
いろいろ試してみましたが、両方の手で黒板消しを包むように持ち、両手の親指で黒板消しが動かないように固定するフォームがいいようです。
僕は「黒板消しはサムアップして持て」と言っています。
もちろん、黒板消しから目を離してはいけません。バットやラケットを振るときに、インパクトに「目を残す」ときと同様です。
Posted by menmaji at 08:22│
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