歯技同人誌「鱓」第10号(平成5年8月発行)田村基央「くたばれ歯科技工士(パート2)」より。パート1(http://blog.livedoor.jp/mensdigest/search?q=%C5%C4%C2%BC%B4%F0%B1%FB)で著者は、歯科技工士の命である技術は現状の歯科医療システムでは正当に評価されないため「社会的にも、経済的にも、学術的にも未来はなく、屈辱的でとても生き甲斐などを持てない仕事」と書いている。で、「技工職の救いがたい欠点を明確にすることは技工士のイメージを低落させるもので非建設的であるとの意見も頂いた」そうだが、「非の認識無くして改革改善はあり得ず、非の指摘こそ建設の第一歩である」という著者の意見は正しいと思う。

『技術が評価されないということは、技工職は技術職になりえない致命的事由である。にもかかわらず、未だに技工職が営まれているのはどうしてだろう』


仕事が楽しいからだろう。労働環境への不満をいう歯科技工士でも、「こんなに面白い仕事はない」「天職」という人ばかり。歯科技工士の不幸とは、仕事自体の面白さに医療システムの不備や社会の矛盾がつけこんでいるがゆえの不幸だと思う。

『技工の技術は診療にぼろが出ない程度の技術でよいということであるから、技工は技術と称されるほど高級な技術ではない。現に、無資格者の技術でも通用してしまうのである。それは、技工士の技術レベルは無資格者の技術レベルと変わらないということになる。つまり、今でも歯科技工職が存在しているのは技術職としてではなく、歯科医の便利屋として営業していたからである』


「歯科医の便利屋」……実際、海外委託なら無資格者でもOK、というのが厚生労働省の見解だ。歯科技工士という資格も、そして患者も、まるで歯科医師のためにあるかのよう。

『マインドコントロールされていたとも考えられる。具体的には、〇科界の閉鎖性、∪鎖析世侶写悄↓6芝された生活等が挙げられる』

『歯科界の閉鎖性はいうまでもなく、経済、学術、価値観に対して部外者は一切立ち入ることができない。当然、批判や制裁を受けないから倫理、論理、理論の良し悪しを判断する基準が自分寄りである。そういう社会で長年飼育されてきた技工士は、価値観を歪められてしまっているのである』


歯科技工の海外委託訴訟で、ジャーナリストの田辺功氏は「歯科技工士自体の問題意識のなさ」を指摘していたが、同感だ。歯科技工士に一番冷たいのは歯科技工士だと、私も思う。

『精神論の啓蒙では、厚生省、技工士会、歯科医師会、マスコミまでもが、安っぽいボランティアイズムを唱えて技工士をコントロールしているのである。ボランティア精神の原則は自分の余力、つまり余っている労力、時間等を不足している人に分け与えることである。その原則からすれば、技工士にその資格などはないのである。むしろボランティアを受けなければならないのは技工士のほうではないだろうか。
ちなみに、一般サラリーマン単位労賃一〇〇ポイントに対して、技工士のそれは五五ポイントしかならないという最近のデーターがある。また、最近十年間の日本男子の平均寿命は七六・四歳に対し、技工士のそれは六五・三歳であるというデーターは、労働環境の劣悪性を証明していよう』

「安っぽいボランティアイズム」は、医療・介護従事者に対しては減ってきた。看護師、研修医、介護師あたりはその過酷な労働環境が報道され、ドラマ化されたこともある。すき家やワタミの閉店続出は、日本の労働環境改善のきざしとして大いに歓迎したい。

『長年の耐乏生活は、技工士から経済的余力も肉体的余力をも奪い、気力さえ萎えさせてしまったのである。転職するには新たに技能を身につけたり、次の就職まで喰いつながなければならないのだが、そのための経済的蓄え、技能を学ぶ時間も体力も気力さえもないのである。技工士は日雇いよろしく、明日の米ではなく、今夜の米のために明け暮れていて、逃れることのできない強迫観念に囚われているのである。現に、技工から足を洗った人は若くて有能な余力に溢れた人か、または、長年の酷使で病に倒れた人ぐらいである。
このように、技工士の内面的環境を把握してみると、技工職を継続することは知らず知らずのうちに社会人として落ちこぼれにされてしまうことがわかる』


歯科技工の海外委託訴訟原告団長の脇本征男氏によると、「考えることが苦手、言われたことはきちっとやる、寝ないでやる」のが歯科技工士だそうだ。

『職務行為の質を問われ、正当に評価されてこそ、研究もし、仕事にも励み、質はさらに向上して、そのひたむきさは人として信頼を得て、経済的基盤、社会的地位、生き甲斐も生まれてくるという説をどの分野に当てはめても異論はないだろう』

『歯科界を沈滞させている現況は質不問の流通システムそのものであり、技工士の不幸もそれに起因していた』

『国民(患者さん)、厚生省、歯科医、及び技工士各々の立場で、質不問の流通システムが及ぼす利害を考えてみる。
国民(患者さん):質の良し悪しを考えないで商品を買わされていることになり、流通システムとしては支離滅裂であり、歯科医が一方的に質と値段を決めている限り、将来的にも国民の被害はさらに拡大する』

『厚生省:(略)保険医療制度は厚生省にとって最大の利権である。其の制度の特徴は質をあるレベル(現状は最低限)に統一することによって、施行の簡便を図らなければならない。なにゆえ、質を最低限に設定するかといえば、限られた原資から国民すべてに満遍なく医療を施さなければならないからである。それゆえ、補綴物の対価、つまり質を低位に統一することは制度の基本理念そのものである。そして、制度を成り立たせるためには歯科技工士というボランティア?(奉仕させられる犠牲者)が是非とも必要であり、其の存在によって比較的良質(?)の歯科医療を安定して国民に供給できる』


現在の医療・介護問題は、カネさえあれば解決できるものがその大半だ。厚労省を最も悩ませているのが財源不足であり、シワ寄せ先を決めるのが彼らの重要な仕事。歯科がそのスケープゴートに選ばれたのは、滅多に患者が死なないこと、医師である技官は補綴を医療と内心認めていないこと、さらに歯科医師会は医師会のように科学的根拠をもって歯向かうこともしなかったことがあるだろう。また、補綴物は「比較的」高額で、一般市民も贅沢品ととらえていた時代も長くあった――月額100万円以上する分子標的薬が保険収載されている今となっては、激安とすら思うが。
だが、委託歯科技工の点数化は中医協の提言もあり、当時の厚生省はかなり本気でやるつもりだったのではないか。日歯の抵抗で雲散霧消したことは、財源的には助かることだったろうが、厚生省官僚は複雑な思いも抱いただろう。カネさえあれば、彼らは現在の半官半民医療ではなく、完全な官立医療をやりたいはずだ。そのほうが彼らの仕事、管理がしやすいのだから。

『歯科医:患者さんは歯科医療の質に対して正当に評価する手段がない。その患者さんを相手にして歯科医は医療を施し、対価を得る。医療の質、及び対価は患者さんが決めるのではなく、歯科医の裁量に負かされている(保険点数で対価が決められていても、その質を決めるのは歯科医の裁量に任されている。つまり、質/対価を歯科医が決めていることになる)。(略)患者さんが質に対して無知であるかぎり歯科医の自由裁量は安泰である』

『技工士:技術職でありながら技術が評価されないことは、歯科技工士は死んでいる職業ということになる』

『それぞれの立場で質不問の流通システムを評価してみた。その結果、厚生省と歯科医にはメリットの原因になり、国民と技工士のデメリットの要因となる』

『質不問流通システムを是正することに、厚生省と歯科医の建前はどうであれ、本音は反対となる。よって、厚生省と歯科医には是正することはできない。また、彼等に委ねてもならないのである。
残るは、国民と技工士である。国民には質を問う権利と義務があるが、それに必要な知識と資料がない。技工士には知識と資料を作成する能力があるが、身分的にみて是正を要求する権利はない。ならば両者が不足分を補い合えば是正の要求が可能になろう』


歯科技工の海外委託訴訟は、歯科の現状を国民に知らせるという意味でも有意義だった。原告団の活動により、海外製補綴に関する意見書を採択した自治体は平成21年9月30日現在で県議会2、市議会17、町村議会20に及んだ(http://sikagikoushi.web.fc2.com/file/21-10-21-ikensho.pdf)。大変な成果である。国民と常識を失っていない歯科関係者はまだ少なくなく、十分に連携可能だということを、同訴訟は示唆している。