歯技同人誌「鱓」第11号(平成6年2月発行)林均「オオカミなんかこわくない」より。著者は恐らく、開業歯科技工士(記載なし)。

『技工の技術は近年非常な進歩を遂げた、と一般には見られている。
これは見る立場にもよるのだが、私はこの十数年を見るかぎり、ほとんど変わっていないと思っている。
戦後の大きな技術変化は、アクリルレジン床、鋳造冠、金属床、メタルボンド、硬質レジン、以上。
その他さまざまな技術、テクニックが出てきたが、普及、定着したとは思わない。
私が歯科技工士になろうと考え始めた頃、今から十五年前、すでにこれらの技術は一般化されていた。その後、個々に改良されてきたが、基本的に全く変わっていない』


確かに、医科と比べれば新規技術は出ていないかも。

『これらの技術が一般化したのはなぜか。一般の患者や歯科医のニーズに合ったから。だれでもそう思うだろう。確かに、一つの理由ではある。しかし、もっと重要なことがある。乱暴な言い方をすれば、それに比べれば先の理由などたいしたことではない。
それは、技工士がこれらの技術を積極的に受け入れた、という事実である。この場合の技工士とは、ごく一般の平均的なレベル(大部分)の人という意味であり、受け入れたということは、それが可能でありメリットもあったということだ。
逆にいえば、技工士の側にも何らかのうまみがなかったら、どんなにすばらしい技術でも、それが高度な仕事だと思っている。一部の新しがりやの人達に取り入れられる程度で、決して一般には普及しないだろう』

『メーカーは、発想をもっと技工士の側におかなければ、商品の普及はない。技工技術において、技工士は主役であり、決して脇役ではない』


1982年、大分県歯科医師会が会ぐるみで、Ni-Cr合金を使用して金銀パラジウム合金で保険請求するという組織的な不正請求事件があった。
このNi-Cr合金、歯科技工士には、

「とにかく硬い。研磨作業も工程が増えるし、研削バーの粉塵とニッケルの粉塵で泣きたくなるくらい汚れるし、時間がかかる。例えば、生活歯などにかぶせて根菅治療の必要性が出た際は穴を開けるだけで大変だったし、撤去なんかも撤去用バーが簡単に折れたりする」

「金属の性質として硬いのだが延びが少ない。これはブリッジなどの破折につながりやすいともいえる」

と評判が悪く、さらに院内歯科技工士を抱えていた歯科医師も「研磨に時間がかかってとても採算が取れないから、ウチはやらなかった」という。Ni-Cr合金は安いけれども、技工の手間を考えれば高くつくというのが、歯科医療従事者の一般的意見なのである。大分県歯科医師会がそんな不採算材料をなぜ使ったかはわからないが、それがバレたのは、Ni-Cr合金を扱わされていた院内歯科技工士の内部告発からではないか。やってられない、と当時の大分県の院内歯科技工士も思ったはずだ。仕事は最悪だし、自分も払っている社会保険料を不正に使われるのである。大分県歯科医師会は、歯科技工士を「脇役」だと思っていたのだろうが、ナメすぎだ。

『話は変わるが、なぜ技工士は学問にこだわるのか』

『なぜ職人ではいけないのか、職人のどこが悪いのか』

業としての可能性が狭まるから。

『近代は科学万能主義であり、アカデミックへの憧れと、コンプレックスを持っている。この傾向は、社会のあらゆるところで見られる。身近なところでは、看護婦にもある。かの世界では、看護学なる科学にこだわっている。そして、各県に大学を、と頑張っている。すでに大学はおろか、大学院まであり、看護学は古い歴史を持ち、技工学よりよほど確立されている。
しかし、看護婦問題は、根本的に何も解決されていない。長年の懸案である準看問題ですら放置されている』


看護師の問題は、科学で解決できるものではないだろう。医療は科学に立脚しているものの、非科学的な問題がたくさん詰め込まれているから。例えば、財源問題だ。
また、看護師が――特に日本看護協会が看護学にこだわるのは、かつては医者の女中であったという自覚からだろう。女中の身分ではいい人材(GHQいうところの「良家の子女」)が入ってこないので、業としての発展はない。また、医師に従属するのではなく医師と連携するのであれば、学問的にも社会的にも自立した職業にならなければならない。

『アカデミックへの憧れは、それによって社会に高く認知される、という風潮から来ている。
確かに社会に果たした役割は大きいが、みんなが思うほどありがたいものでも、スーパーマンでもない。
星の数ほどの学会をつくり、企業から金が流れ、権威と、利権がうずまき、あまり価値のない論文の山』


日本人はそれほど、アカデミズムや科学を「ありがたいもの」とは思っていない。小保方春子氏の件でも、一介の科学者に対してやれメイクがどうの、服装がどうの……あまりの程度の低さに、心底ガックリきた。大体、日本に「星の数ほどの学会」があること自体クソであり、社会の科学に対する興味のなさを示しているのである。
また、社会に科学的価値を理解する能力がなければ、すべての論文が「価値のない論文の山」である。インクレチン作用は製剤化されて脚光を浴びたが、発見当時は何ら注目されず、「われわれのブースは学会でもすみっこに置かれていた」というのは発見者の弁。地味にコツコツ続けてきた研究が日の目を見るまで30年――つまり、30年間はこの画期的な発見も「価値のない論文」だったのだ、社会的には。一般人すべてが科学的価値を理解することは今後も不可能だろうが、少なくとも科学に対する畏敬の念、謙虚さは持つべきじゃないのか日本人、特にマスコミよ。それを、やれメイクがどうの、服装がどうの(以下略)

『だからアカデミックをめざすことは無意味だ、と言っているのではない。それに過度に期待することに疑問を持つ。そればかりか職人気質を否定して、必要以上に自分達を卑下しているのが納得できない。我々は堂々と、胸を張って、一つの製作にこだわる職人(技術者)として自負を持つべきだと思う』


「職人気質を否定して、必要以上に自分達を卑下している」のか? 歯科技工士は。
職人世界に憧れて上場企業を辞め、歯科技工士になった人もいるので(30代)、職人気質が一般的でなくなった世代――20〜40代には、職人=珍しい、カッコいい、という感覚じゃないだろうか。

『技工士は、機械化、それにともなうラボの大型化ということに恐怖感を持っている。
ほとんどの人は一人、二人というところで働いているため、仕事を脅かされる、という不安感からきていると思う。しかし、本当に脅威なのか。
機械化を実現するのは、ラボの大型化と同時に、生産工程の規格化が絶対条件である。ラボ内(工場)での規格化は可能だと思う。しかし、多くの人が見落としているが、技工物の場合、チェアーワークと、デスクワークをあわせたものが、生産工程なのだ。この点が、医療産業で言えば、検査とか薬剤との違いである。
歯科医院でのさまざまな品質ブレ(これは広範多岐にわたり、個性と言い換えてもいい)の規格化が可能かどうか、私は不可能だと思う。それは、歯科診療所の寡占化(大病院)が起こらないからである。この点、歯科は医科と違って理髪に近い。個性がセールスポイントなのである』


「歯科は医科と違って理髪に近い」とは、つまり歯科は医療じゃないということか。確かに、規格化できない=再現性がないものは、科学ではない。歯科医師の飯塚哲夫氏も補綴は医療ではない、だから削るまで歯科技工士にやらせてもいいとも言っていたが、歯科界はそれを科学的に検証することはいまだにしない。
「個性がセールスポイント」は、どうだろう。その個性を比較検討できるほど、患者側に情報はない。

『この様な生産環境の中で、機械化はおのずと限界がある。旧ソ連やアメリカの宇宙開発の様に、やろうと思えば今の人間の技術ですぐにでも可能だと思う。しかし、問題は経済性なのだ。今のままなら、ラボの大型化のメリットはあまりない。もしあるなら、すでにラボの寡占化は進んでいるはずである』


厚生労働省としては「ラボの大型化」――歯科技工の大型企業化はメリットがあるだろう。そのほうがあらゆる点で管理がしやすい。CAD/CAMの保険収載は、大型ラボ優遇政策の一環だと思う。