鳩山一郎は、昭和18年6月19日に翼賛政治会を脱会する。

現在、世の中に幅をきかしている者は馬鹿か便乗主義者である。
(昭和18年6月19日、清沢洌「暗黒日記」)


この脱会、新聞では埋め草であった。反「馬鹿」、反「便乗主義」、すなわち反東條の扱いである。

昭和18年6月23日
▲昭和18年6月23日付朝日新聞。

鳩山一郎自身の日記がないので、以下は清沢洌の日記から。

翼政会より中野正剛、鳩山一郎、白鳥敏夫等脱会。一時、好まなかった中野、鳩山等も参加せざるを得なかった空気だったのに、今はそれも不思議でなくなった。
不思議なのは「空気」であり「勢い」である。米国にもそうした「勢」があるが、日本のものは特に統一的である。この勢が危険である。あらゆる誤謬がこのために侵されるおそれがある。
(昭和18年6月27日、清沢洌「暗黒日記」)


清沢洌は鳩山一郎と同じく軽井沢に疎開しており、

朝ゴルフ、夕方旧軽井沢に赴く。嶋中君(引用者註:中央公論社社長の嶋中雄作)と2人で。鳩山一郎の別荘の前を通る。すばらしいものなり。邸内に鳥、魚、何でもあり。
(昭和18年8月4日、清沢洌「暗黒日記」)


清沢によれば鳩山一郎は軽井沢でも優雅に暮らしていたようではある。養蜂や養鱒に勤しんだり、

温室のレタス、仏国白菜大黍菜を畑に定植。雪われに手をやる。近衛君と面晤。
(昭和20年6月10日)


近衛文麿と会ったり。
日記では鳩山一郎は散々近衛を批判しているが、現実世界では愛想良くしていたらしい。金持ちケンカせずか。共にポピュリストで軽く明るいお坊ちゃんというところ、両者よく似ている。