鳩山一郎はレタスに白菜、大根、人参、サトイモ、ネギ、サツマイモ、トマト、ジャガイモ、インゲンマメ、キャベツなどなどの作物を自作しており、食糧には困らなかった。
一方、都会は飢えていた。百姓生活は、鳩山一郎の健康に良い影響を与えたのかもしれない。
以下、清沢洌の日記から。

午后坂本直道君を訪問し、共に鳩山一郎氏を訪問す。1回しか逢ったことがないので、忘れていたが、名乗るとすぐ思い出した。午后2時半くらいから午后8時頃まで、種々の話を聞く。ことに東条首相就任までの事情が面白かった。僕は重臣会議が、多数決制度になると何人も責任を負わなくなる、これが内大臣が、飽くまで責任を負う組織とせねば駄目だといった。
その話しの内容は別に書くが、東条内閣に対しては重臣がまず失望して動き出したのである。これに対し軍部では、これに反対した。赤松秘書官は、もしこの際、東條をかえる如きことあらば、折角1本になった軍部がまた紛糾する。その責任は、貴方が負わなければならぬといったことを木戸〔幸一〕内府にいった。
鳩山は自から時局収拾の衝に当る抱負を有しているようだ。また事実、従来、便乗連に一切背を向け来たり、翼政会からは脱退して自由の立場を有して来たので、立場がはっきりして居り、重臣――殊に近衛などが目をつけえて協力しているのである。
鳩山が検挙されたという噂は、しばしば聞くところだ。鳩山のいうところでは、かつて塚本(?)という憲兵隊の課長が来て、「自由主義者」といったことについて問答した。その結果、かれはことごとく感心して「自分が職にいる間は断じて指一本でも指させません」といった。爾来、しばしば噂に上ったが、全く安全である。「先生のことを再々投書して来ますよ」と憲兵が言っているという。その塚本という中佐は「鳩山は偉い男だ、他日必ず総理大臣になるよ」と誰の前でもいうという。
(昭和19年8月12日、清沢洌「暗黒日記」)


憲兵隊に総理の器と言わしめる鳩山一郎。鳩山一郎の政治的な功績って戦後の日ソ国交回復ぐらいしか思いつかないんだが、戦前、しかも翼賛政治の真っ最中に島流しに遭っていた政治家がこう言われるというのは、やはりナニモノかがあった、ということなのだろう。それは一体ナニか。
鳩山一郎がこうホメそやされていた当時、同じく翼賛会脱会組であった中野正剛は自殺に追い込まれ、尾崎行雄は不敬罪で逮捕の憂き目に遭っている。その一方で鳩山一郎は軽井沢で悠々自適だったわけで、帝都から逃げ得たということだけでも鳩山には運があったし、タイミングをつかむ才もあった。そしてカネも。
中野正剛は質屋の息子、尾崎行雄は漢方医の息子で、どちらも貧乏庶民だ。鳩山家は戦時でも余裕ある暮しができた、その余裕こそが貧乏庶民(憲兵なんぞは貧乏な木っ端役人である)をして総理の器と言わしめた――のかもしれない。貧乏人の人生に選択肢は少ない。だから余裕のなくなる戦時ともなれば追い詰められ、弱り、真っ先に死んでいくのである。