売文家

売文家・鈴木陽子の取材記&雑記。医療、中国が守備範囲。 コメントは承認制です。コメント非公開希望の方はその旨を書いていただければ、決して公開いたしません。

歯科技工

第2回歯科技工士の養成・確保に関する検討会(7月5日)

参考人の主な発言(抜粋)。

インターネット等に歯科技工士の、低賃金、長時間労働、離職率といった厳しい労働環境に関する情報が掲載されていること等に起因する、歯科技工士養成施設への進学に対する教員・家族・保護者の反対がみられる。


でしょうねえ。

学校としては定員を確保したいため、学生の目的意識と学力が低くても、入学試験での学生の選抜が難しい。他方、一部の大学等においてはある程度の入学者の選抜ができている。

大卒資格が得られるなら、ある程度つぶしは効く。
なので、他医療従事者資格(あはき師など)も大学化した養成所は定員確保ができている。
技術の進歩や知識の高度化・広範化もあり、技術者養成の大学化は必須では。

目的意識が希薄であり、「入学動機」としては「学校が楽しそうだから入学してきた」が多数。

「学校が楽しそう」→「本当に楽しかった!」、これこそ最高じゃないですか。

歯科技工士という職種を理解しておらず、将来像が描けていないことが多い。


「歯科技工士という職種を理解」した人、「将来像」を描ける人が、まず入学しないという現状なわけで。

近年の傾向としては、基礎学力が低い学生が多く、これまで勉強の習慣がない学生がいる。


むしろ昔が良すぎた。
法曹エリート大学の法学部受かったのに、歯科技工士学校に入学した人とか。
それだけ、稼げる職業だったから。

4年制大学卒業生は歯科技工所に勤務する者が少ないことから、4年制課程を増やすことは直接的には歯科技工士の需給問題の改善につながらない。


そんなことはない。
繰り返すが、大卒資格はつぶしが利くという安心感がある。
学費を出す親の身になれ。
2018-11-30 (2)

待遇の問題点として、歯科技工所に歯科技工士として勤務する際に、4年制大学卒業が評価されないこと。他方、企業・大学・一部の大手歯科技工所等では、4年制大学卒業者として評価される。

この問題はある。
しかし過渡期は必ずあるし、超えられる。
かつての四大卒女子のたどってきた道である。

外国人に対する歯科技工士の在留資格がないため、留学生が日本の歯科技工士養成施設で学び国家試験に合格しても、日本で歯科技工士として勤務できない現状を改善すべき。


これは大至急。
来てもらえるように労働環境も整えないと。

デジタル技工が進む中で歯科技工士の必要数を調査することも必要である。


業務範囲の拡張も必要。
デジタル技術の発達は、「衛生上の危害となるおそれ」の減少とイコールである。

第1回歯科技工士の養成・確保に関する検討会

赤川安正・昭和大学客員教授(座長)
認知度という点で言えば、ちょうど今週の週刊ダイヤモンドに「20年後も医学部・医者で食えるのか?医歯薬看の新序列」という特集が組まれていて、その中に医療職が全部書いてあるのですが、なぜか歯科技工士が書かれていないのです。看護師や臨床検査技師、もちろん歯科衛生士も書かれてあるのに、歯科技工士は書かれていない。こういうことからしても、認知度がまだ十分ではないのかなと、読んでいて思いました。
(第1回歯科技工士の養成・確保に関する検討会、2018年5月15日、厚労省)


歯科技工士は、はたして医療職か?
認知度の問題ではなく、行政でも医療職として扱っていないことは多々ある。

高橋勝美・株式会社オムニコ代表取締役社長(構成員)
歯科技工士というのは、学校を出て最大限3年辛抱したら非常に良い職業だと感じると思うのです。その人の性格がもともと向いていなければそれはどうしようもないですけれども。例えば、それは経済的な形を見ても、3年たった後に同世代の通常の仕事に就いた人と比べたらはるかにそれから上には上がると思うのです。今の技工士の給与というか、所得という形でいけばです。ある程度になった人は、言葉は変なのですけれども、ラボの社長と飲んだときに、「いやーBMもベンツも飽きたから、次は何を買おうか」という話が出ました。半分冗談で半分本気なのです。
そのように、あるところまで行ってしまえば経済的には非常に良いのです。その辺がもう少し理解できればと言っても、それは確かに20代の学生では難しいとは思うのです。その辺を学校なりで、大変だけれども「こういう良い面もあるよ」ということを少しアピールしたらどうかと。


「歯科技工士というのは、学校を出て最大限3年辛抱したら非常に良い職業だと感じる」の根拠をぜひ示して欲しい。
あとBMもベンツも飽きるぐらいの「ラボの社長」の割合。

赤川座長
それは、何かデータみたいなものはあるのですか。例えば、大規模な歯科技工所に勤める歯科技工士の。 給与所得とかの。

高橋構成員
例えば、水準的なものは出せます。給与でこのぐらいの所得があると。

赤川座長 
そういうデータがあったら、高橋構成員の言われていることが見えますよね。一方で、お話の中からは、 3年の間に辞める人がいる、あるいは多い、ということですか。

高橋構成員 
そうだと思います。

赤川座長 
もし辞めたら、もう歯科技工士はやらないのですか。

高橋構成員 
そうです。先ほどどなたかがおっしゃっていましたけれども、親が技工士でも、息子は絶対に継がないと。悪いところだけを見てしまうのです。親がやっていて、更に継いだ人というのは伸びていくと思うのです。

「親がやっていて、更に継いだ人」を複数知っているが、経済的には親以上に苦労している。
全員。
「伸びていく」って、ナニがだろう。

Weekly Bulletinによる“crown-maker”関連文書

GHQ/PHW(公衆衛生福祉局) Weekly Bulletin復刻資料に、“crown-maker”に関する以下の文章があった。なお、Weekly BulletinはGHQ/SCAPの公衆衛生福祉局(PHW)がまとめた府県軍政チームへの連絡文書である。

1946年2月25〜27日に、中国および満州から本国に送還される朝鮮人歯科医師12人のため、ソウル歯科大学で試験が行われた。


「朝鮮人歯科医師12人」の原文は“12 Korean dentists”。 この文書が発行された当時の朝鮮半島は国連軍の占領下で、その国連は大韓民国臨時政府の政府承認を否定している。というわけで“Korean”を「朝鮮」としてみた。

この計画の実行、歯科医師らの登録、以前日本側で免許された“crown-maker”に関する指示が、各地方の衛生管理官に出された。開始される地方歯科医師会の編成を指導している地方衛生官に手紙が送られ、職業に関係する問題が健康福祉局歯科課に提起された。


「各地方の衛生管理官」の原文は“each provincial health officer”。保健所か、警察の衛生管理課か、GHQ/PHWの地方部署か不明。
“problems relating to the profession”を「職業に関係する問題」としてみたが、ここでいう“profession”は専門という意味かも。What is your profession? だと“あなたの専門は何ですか”。ちなみに、professionは医師や弁護士、教師などの専門性の高い職業を一般的に指す。

この1週間で、歯科課主任はソウル歯科医師会と面会し、金の流通に関連した問題が議論された。


歯科課はGHQ/PHWの「Dental Affairs Section」。

流通問題解決のために委員会を選ぶことが提案された。また、歯科医師をその仕事の規模により3区分(A、B、C)に区別することも提案された。例えば、歯科医師個人が購入可能な金の量をその歯科医師が置かれた区分により決定する、というように。水銀と銀の流通に関しても同様に計画が開始される。
以下のプレスリリースが、3月8日につくられた:
朝鮮でクラウン製作を免許されたいわゆる“crown-makers”はすべて、各地方の公衆衛生管理官を通じて、歯科課、公衆衛生局、本部、軍政府、ソウル、朝鮮に登録しなければならない。
登録は1946年の3月15日から4月15日まで。
彼らは軍政府によって新しい免許が与えられ、免許は彼らにクラウンの製作の権限を保証する。軍政府に登録ができなかった“crown-makes”や、1946年5月15日以後に免許なく冠の製作を行った者は逮捕され、思い罰金か禁固、またはその両方の処罰を受ける。
“crown-maker”が登録する際には、所在地の地方公衆衛生管理官に以下を提出すること:
1.以前に発行された“Crown-makers”免許
2.履歴書
3.戸籍謄本
4.写真
5.登録費用50円
歯科免許と登録に関する朝鮮委員は軍政府の支援の下、以前に免許された“crown-makers”のみが軍政府によって新しい免許を与えられると布告した。1946年5月15日以降、無免許の“crown-maker”によるcrown製作は非合法とする。

「戸籍謄本」の原文は“Official family record”。
「歯科免許と登録に関する朝鮮委員」の原文は“The Korean Board of Dental License and Registration”。

さて、この10数行の短文が以上のようにマトモに訳せないのは、当時の事情が把握できていないからである。
特に、
 crown-maker”とはナニか。
◆崢鮮人歯科医師12人」には試験を課しているのに、“crown-maker”は無試験で免許を与えたのはナゼか。
が、大きなナゾである。
以下は憶測だが、

 crown-maker”は歯科衛生士と院内歯科技工士を足したような、いわば臨床歯科技工士だったのではないか。

Professionという単語を用いているところから、“crown-maker”は専門技術職であろう。また、ラボワークのみの歯科技工士であれば、国連軍も問題にしなかったはず。臨床に関わる技術職だったからこそ、米本国(国連軍はほとんど米軍である)には存在しないけれども、彼らの既得権を尊重し、免許したのではないか。
しかし、“crown-maker”が診療歯科技工士なのであれば、なぜdenturistといわないのか、との疑問は残る。
彼ら“crown-maker”は日本人歯科医師がつくった職業で、とすれば歯科衛生士業務もこなしていた可能性があり(当時の日本に歯科衛生士は存在しない)、そこらあたりから米本国におけるdenturistとの混同を避けたのかもしれない。で、実際にcrown製作が“crown-maker”のメインワークだったのではないか、dentureではなく。当時のcrownはサンプラ冠でかなりの技術と時間を要したから、臨床でそれらをこなす専門職がいると都合が良かった――のかもしれない。憶測だが。

次に、なぜ「朝鮮人歯科医師12人」に試験を課したか。

◆崢鮮人歯科医師12人」は、限地開業歯科医だったのではないか。

戦前の限地開業医制度は、特に医師の不足する離島、へき地に限定して開業を許された医師、歯科医師の制度である。沖縄の医介輔も限地開業医の一種である。一方、米本国の医師・歯科医師はへき地云々に関係なく、すべからく限地開業医師・歯科医師である。つまり、免許を得たA州ではなく、B州で医業・歯科医業を行おうとすると、新たにB州の医師試験・歯科医師試験に合格しなければならない制度に米国はなっている。国連軍は、米本国のこの例にならって、「朝鮮人歯科医師12人」に試験を課した――のかも、しれない。
憶測だが。

歯科技工士法違反容疑で歯科技工所社長ら6人が書類送検

大阪府警生活環境課が5月8日、歯科技工士法違反容疑でサンエー株式会社(大阪府吹田市)の長谷川妥社長(50歳)ら役員4人とパート従業員の女性2人(31歳と39歳)を書類送検した。容疑は無資格のパート従業員2人に、歯形の読み取りや詰め物の加工をさせたというもの。

産経新聞
府警によると、同社は受注から3日で納入することを売りにしていた。2013年9月ごろから無資格の従業員が作業し、関西を中心に200以上の歯科医院へ詰め物などを納入。これまでに健康被害の報告はないという。


今すぐ、サンエーの納入先である「200以上の歯科医院」を公表すべき。
ヘタなインレーでスグ取れたとかならまだマシで、スキマが空いていると二次齲蝕になる可能性が高いし、二次齲蝕は進行が早いのと詰め物で発見しづらいのとで高率で歯がイカレる。「これまでに健康被害の報告はない」とか言ってる場合か警察よ。歯科に通院していた周辺の患者は不安がっているはず。不安なヒトは自分の詰め物が大丈夫か、すぐに歯科医師に聞こう。
「わたしの歯の詰め物なんですが、資格のある歯科技工士がつくったものですか?」
なお、憶測だが無資格者が手掛けていたのは保険のインレーやCAD/CAM冠だろう。速さと安さがウリになっているのであれば、自費補綴ではない。

しかし――なんでココなんだ、という感は拭えない。
中小だと、有資格の歯科技工士オンリーの技工所のほうが少ないだろう。10人に1人くらいしか歯科技工士がいないと思われる、大手の大規模工場もある。「受注から3日で納入する」というウリが気に入らなかったライバル技工所によるタレコミか、同社の歯科技工士(有資格)による内部告発か、もしくは行政による見せしめか。

中国解放後の鑲牙師

日中戦争終了後も、中国大陸では鑲牙師(じょうやし、入歯師のこと)が活躍していたようだ。
昭和30年10月の、日本訪中医学代表団(堂森芳夫団長)の報告より。

当初の中国は中華人民共和国として社会主義国に生まれ変わった新時代であった。歯科事情については人口6億人に対し歯科医はわずか千余人で、官公庁や国家病院に勤務していた。一般市民の治療は技工士が行い、技工士は営業権を有し、実質的な社会的存在感を持っていた。歯科医師会は存在せず、医学会に包含されていた。医学全体の流れとしては漢方医学と西洋医学とが合流し、新しい中国医学を築こうとする過渡期といえた。
白川正順.戦後混乱期における日本訪中医学代表団の中国との国交外交の役割.日歯医史会誌26,56-7,2005

日本の医学代表団の訪中は昭和29年、日本赤十字社による中国紅十字会視察団の招聘をきっかけとする。翌30年に中華医学会から堂森芳夫・日本医師会副会長に中国視察の要請が来て、中共医学視察団が編成された。視察団の人選は日本学術会議と日医である。歯科関係者で参画したのは中原実・日本歯科大学学長ただひとりで、日本学術会議の推薦であった。推薦理由は不明。なお、堂森芳夫は当時、日本社会党の衆議院議員である。社会党代議士が日医の副会長をやっていたところが、時代(55年体制)である。
昭和30年――1955年といえば、中国も日本もまだ戦後の混乱期ではあろうが、中国はその後もっと混乱するので(文化大革命)、束の間の平和といえるのかもしれない。
医療行政的には、中国はその後、農村の医師(歯科医師含む)不足対策として農民に3ヶ月〜1年間の医学研修を行って医師とする「赤脚医生」(裸足の医師)をスタートしている。赤脚医生は人民公社の生産隊社員(つまり農民)として農業に従事しつつ、同僚に無料または安価(例えば、定額の年間費のみ)で医療を行っていた。赤脚医生は、戦前日本における医療互助制度「定礼」と似たような制度といえる。文革(1966〜1976年)期に最高の500万人に達した赤脚医生は、しかし、毛沢東の死とそれによる人民公社解体とともに、消えていく。だが、赤脚医生から正規の医師や医学部教授、さらに大臣になるものもあり、人材の流動性をあげるという効果は確かにあった。
さて、鑲牙師のその後は、どうなったのだろうか。「実質的な社会的存在感を持っていた」というから、しぶとく生き残っている可能性もある。

参考:
滿洲帝國に於ける鑲牙師問題
満州国に於ける歯科界の現状
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