惡の華の最終巻が発売されました。
11巻完結。アニメ化という謎の黒歴史をもろともせずに、押見修造は実にぶれない物語を描ききってくれました。

tkqPmbOzvTmNNxTC_300x300

前巻、仲村さんに会いに行くため、常盤さんと海辺町にいった春日。中学の夏祭りで櫓の上から突き落とした理由を聞きに行く。

理由は「忘れた」とはぐらかされてしまうが、仲村のこのセリフが結局のところを物語っているのかな。

写真 2014-06-10 21 17 19

「よかったね そうやってみんなが行く道を選んだんだね」
「クソムシ」と、かつての町から逃れようとしていた2人だったけれども、仲村だけはいまだに「クソムシ」から抜け出せない。春日は常盤さんと出会うことで得た「普通」=「みんなが行く道」だったけれども、仲村だけは、あの「クソムシ」から、あの華から逃れられない。

「・・・じゃあ 仲村さんは?」
と聞かれたときの表情は、幾度もこの『惡の華』の象徴として登場した、あの華と同じだったよね。あのころの泥のような思春期は、仲村さんそのものだったのかな。逃れられるわけがなかったんだよね。

写真 2014-06-10 21 17 20写真 2014-06-10 21 17 23

けどそれが仲村さんの思春期だったんだよね。誰もが経験して、誰もが苛まれて、誰もが終わりを迎える思春期だったんだろうね。それこそが「惡の華」で、この時点までその華は目を見開いていたんだな。

仲村がいくら離れていっても、消えないでいることへの嬉しさを表現する春日。
まあクサいといえば野暮な表現だけれども、このぐちゃぐちゃ感は、この『惡の華』だと、幾分か特別に感じるんだよな。

写真 2014-06-10 21 17 24

例えば『R-中学生』のような、思春期青春漫画は、主人公たちが起こすことって言うのは、各話ごとに完結するし、学校の中で集束する。感情の爆発は、青春の煌めきとして重宝される。
けどやっぱり、実際の思春期って、そう簡単にはいかないじゃん?

もちろん『R-中学生』は名作だし、僕は大好き。
だけれども、普通の思春期ってのは、どちらかっていうと『惡の華』なのかなって思う。

海の中でもみくちゃになる。裸の肌を爪で引きちぎる。納豆ご飯食ってからチューする。
銀杏BOYZの「リビドー」をバラード風に聞いてるようです。


なぜジョニー大蔵大臣・・・

大学生になった春日は、自分や常盤、仲村、佐伯の未来を想う。それぞれが、仲村の言うような「みんなが行く道」を歩いていく、そんな未来。

結局、思春期っていうのは必ず終わるんだよね。
どんなに泥のような期間であっても、必ず終わりを迎えるものなんだよね。それが普通の思春期なんだよな。

写真 2014-06-10 21 17 25

押見修造は、多分普通の人なんだと思う。
ていうか、普通の感覚じゃないと描けない話であると思うんだよね。
僕にとっての『惡の華』は、そんな普通の思春期の物語だった。



最終話。
1話を仲村目線で描く。最後のページは、自転車で帰る春日に初めて声をかけるシーン。

「何してんの?」


このシーンもずっと読み続けていた読者からはグッとくるものがあるよね。
というのも結局、仲村さんは最初から最後まで右側にいたわけで。あの「クソムシが」という表紙から、この最後のページまで。
この最終巻の表紙カバーをめくったところの仲村のフキダシ、「クソムシが」じゃなくて、じつは「何してんの?」が入るんだね。

写真 2014-06-10 21 17 25 (2)

もはや中学生の推薦図書でもいいと思うよ。
本当に面白かった。僕の思春期もこの中に閉じ込められたようだった。