2006年05月29日

観劇感想・劇団花鳥風月 番外公演Vol5 「賽〜ダイス〜 Ver.2006」(2006/05/27) 

2006/07/27 19:00〜 池袋・シアターグリーン小ホール

劇団花鳥風月 番外公演Vol5

「賽〜ダイス〜 Ver.2006」 

 

★始めに

サイコパス : ネットでちょっと検索してみたけど、きちんとした定義を発見できず。。。日本語では「精神病質」と言うらしい。「異常だが病気ではない精神の病」という表現もあり。他には「反社会性人格障害」という表現もあり。物語の中核をなしていたキーワード。現在の精神科系で研究されているかはこれまた未確認・・・。

 

物語が始まってからすぐにもうぐっと引き寄せられてました(汗 いやな緊張感・・・、でも目が離せない・・・。途中、笑いのシーンも多数あったのにラストは一応ハッピーエンドに近い終わり方だったのに、未だに心に残るこの重みはしばらく消えなさそうです。。。

舞台はある精神科の研究室も兼ねた病院。精神科の女医が昔担当した患者のビデオを見ているシーンから始まります。患者は若い男、彼は女性を絞殺し罪に問われていました。女医との関係は精神鑑定を「行うモノ」と「行われるモノ」。事件についての質問にはまともに答えず、異常な、でもどこか真理ではないか?と聞いてるこちらを不安に貶める言葉を彼は吐き出し続けます。。。

ビデオの再生が終わり女医の下へ男がやってきます。男は弁護士。ビデオに出ていた男の裁判を担当した弁護士です。彼は女医に精神鑑定の依頼を持ってきていました。彼曰、上記の若い男にそっくりな犯人の精神鑑定を行って欲しい。戸惑う女医。それはこの若い男は精神鑑定の結果、責任を取れる精神状態にあると診断され首を括り自殺していたからです。

物語は女医が殺人犯の男の精神鑑定を行う過程で過去のトラウマ(精神鑑定の結果で若い男が自殺してしまった結果)を乗り越える事。サイコパスと定義される人々の存在とそれに対する政府の行動(精神鑑定でなくあるマニュアルを使用してサイコパス判定をしようとしている)、を軸に進んでいきました。ダイスというタイトルは最終的に殺人犯をサイコパスではなく多重人格症と診断された犯人を象徴してたと考えます。

「人が人を裁く」という行為は様々な危険を孕みながらも今、この瞬間にも様々な犯罪において適用されています。そこに裁かれる側の精神についてという新たな要因が入る事はより深みを増す。というよりも底無しの様相を呈すると思ってしまうのは私だけでしょうか・・・。この作品はお芝居としてエンターテイメントも抑えつつ暗くならないラストを迎え、更には裁判と裁かれる側の精神という問題についての問題提起をうまく行っていました。。。

昨今、ニュースで報道されている凶悪犯罪について私たちはどれほど「ほんとう」の事を認識できているのでしょうか・・・。社会においてルールを破ったものは罰せられねばなりません。状況によっては酌量の余地もあるのでしょうが、そのさじ加減というのは非常にデリケートな問題を内包しています。。。

被害者・加害者・傍観者

この3者はいつでもその関係性をすっと入れ替える事が可能な状態にあります。ゆえに人はその人生において常に綱渡りをしているのではないかと私はたまに考えます。

一般人と犯罪者

被害者と加害者

正気と狂気

相反する二つの事柄その間にこそ、目に見えない「ほんとう」が隠れている気がしています。そして舞台で展開された事件の、多重人格症の更に奥に存在していた悲しい真実。現実の事件において1つでも多くの「ほんとう」が救い上げられる事を願わずにはいられません。。。

 


mera_m777 at 18:34│Comments(0)TrackBack(0)

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