2006年07月06日

観劇感想 IOH公演 『やっとお別れ』(2006/07/01)

桧山佐知子・客演 IOH公演 『きみ去りしのち』の続編である『やっとお別れ』を観てまいりました。これをもってIOHは活動を停止。。。初めて観た公演なのにもう最後、お芝居の内容とどこかリンクしてる活動停止の理由にとても切ない想いを擁きました。

らんま関係ではないのですがRO(ラグナロクオンラインというMMORPG・要はネットゲームですが)で仲良くなった友人のバイト先の先輩である渡辺慎一郎氏が出るとの事で内容も知らないうちからチケット予約をしていたんですが大正解でした。前半だけだったらきっと後悔しただろうと強く思いました。

『きみ去りしのち』から数年(?)後の設定の『やっとお別れ』はコミカルな雰囲気で始まりましたが、前半を観ていた私にはそのコミカルさがとても切なくて堪りませんでした。。。記憶を無くした主人が売りに出されていた家に帰ってきて不動産屋と絡むシーン。部分的に笑いはおきていましたが『きみ去りしのち』の時ほどではなかったのは、やはり前作を見てのリピーターの方が多く、私が感じたような想いを持たれたからではないかと勝手に思っていました。
若年性アルツハイマー、まだ見ていない映画二作品でもこれをテーマにしているようですが、10年近く前にこの脚本で公演されていた事がやはり驚きで、脚本を書かれた方がいかに家族について思いを巡らせていたのかがそんな事からも窺がえました。

「私」が「私」である為に必要な『記憶』、
「私」が「家族」である為に必要な『記憶』。。。

誰かにとっては非日常でしかない誰かの記憶の欠如も、その誰かの家族にとっては日常である。というシチュエーションは今、徐々に増えているのかもしれません。父は既に亡くなり、母だけが田舎にいますがその母の『記憶』が消えていったら・・・私はどういう行動が出来るのかまったく想像すら出来ません。母から『記憶』が無くなり私を認識出来なくなったとしても母は私の母であり続けます。しかしそれはあくまで私の『記憶』がそう認識させているだけ。そんな状況を果たして私は受け入れる事が出来るのか・・・。ふとそんな事まで考えてしまいました。

前半の『きみ去りしのち』を観て、続編である『やっとお別れ』のタイトルが不思議でならなかったのですが、物語の終盤にその意味がやっと理解できました。。。『さよなら』って言葉はきっと”呪文”なんですよね。「別れ」・「決別」という哀しみが伴う辛い出来事を『儀式』として納得させる為の切ない”呪文”。

でも「別れ」があるから「出会い」もまたある訳で。出会ってすぐに別れる事となってしまったIOHに私も『さよなら』という”呪文”を唱えたい思います。また新たにIOHに出会えるようにとの想いを込めて。。。

 


mera_m777 at 18:00│Comments(2)TrackBack(0)観劇感想 

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この記事へのコメント

1. Posted by 毎日修行のもっとE   2006年07月07日 07:12
ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよう

読者承認、ならびに読者申請ありがとうございます。
今後ともどうかよろしくお願いします。
よ(^0^)ろ(^◇^)し(^▽^)く(^ο^)ね(^ー^)
2. Posted by 米良   2006年07月07日 14:11
>毎日修行のもっとE 様
こちらこそ読者登録ありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。

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