2006年09月27日

観劇感想(感想) かいとうらんま『にせものもどき』(2006/09/15〜2006/09/17・東京)

感想

 

まだ考えと気持ちの整理がつかないままですが、感想として言葉を綴るという行為でまとまる事を期待しつつ想いを思うまま綴ってみようと思います。。。

 

帰省の為に岐阜公演を見に行く事が出来ず(岐阜公演の日程を知った時には既にチケットを購入してたんですorz)、それでも東京公演前ステージを観劇しました。「5回も!?」なんて思う人もいるでしょうね(笑

でも5回でも足りないくらいでした。それはらんまの本公演は観て楽しむだけのものではないからなんです。役者さんがスタッフが一丸となって表現し伝えようとしているモノを全て感じようとするととてもじゃないけど足りません。それでも公演回数は決まってますから観る私も1回1回が真剣勝負です。


今回の公演のタイトルは『にせものもどき』、不思議なタイトルです。最初に知ったのはらんま所属の役者・浅井さんのMixiのプロフィール欄でした。そこにはこう続いていました。


  ホンモノ ではなく
    ニセモノ でもない
   それでも 私は生きている

すっごく意味深ですよね(笑 もうこれで観る前からハマってまました。私を釣るのはとっても簡単です。こういうような魅力的な言葉か女性をエサにするだけでOK(ぇ

 

前置きはこのくらいにしてそろそろまじめモードにて・・・。

テーマというかメッセージはある意味ストレートでした。それは、

  「自分の道を見つける事・・・」

「選ぶ」ではなく「見つける」

この違いって大きと思うんですよね。。。私は中学の頃に登校拒否をしていました。その時に将来ゲームソフトをつくりたいと思い、学校へ行くという「道」を「選び」ました。高校進学では家の経済力と自分の学力の兼ね合いから普通高校→大学という「道」ではなく、情報処理科がある商業高校へ進学し→就職する「道」を「選び」ました。就職においてはバブル崩壊直後の厳しい状況下で当時の学校に来ていたコンピューター系求人の中で最も良い条件の先生が薦める大手企業と自分で探した中企業とで迷いつつも大手企業を「選び」ました。その後の転社もそれまでと同様に「選ぶ」という行為しかした事がありません・・・。

私は未だ「己の道」を「見つける」という行為をした事がありません。そんな私だから今回の舞台は観ていてきつかった・・・。

私が「選んだ道」は小さなミスはありましたが、現時点における結果(あくまで今においてです・・・)には満足しています。この現状が「正しい」か「正しくない」かのどちらであるか?と問われたなら「正しい」を選ぶでしょう。(また、『選ぶ』という行為をしていまいましたね。)しかし、それは私が望んだ「ほんもの」の『結果』なのか、それとも「にせもの」の『結果』であるのか。。。

今は結論を出す事が出来ません。

 

  ホンモノ ではなく
    ニセモノ でもない
   それでも 私は生きている


これはまさに私を表した言葉でした。。。そして私と同様、「選ぶ」という行為しかしていない多くの人を表している言葉ではないでしょうか。この対極にいるのは、物語のキーとなった相馬美佐子。彼女はスクリーンでこう語りました・・・

  右の道がいいのか、左の道がいいのか、それとも真ん中か。

  人はどうしても道を選ぼうとする。

  選ぶ事は間違いじゃない。

  でも本当に大切なのは、己の道を見つける事。



  私の敵は私。だから戦い続ける。

  人を攻撃するのは容易い事。

  人の心を動かすよりも、自分の心を震わせる事の方が難しい。

  ならば私には苦しみを。

         〜浅井唯香のぼちぼち日記 から引用

                        相馬美智子の言葉〜

相馬美佐子のモデルは先日ブログに記載した樺美智子さん。学生運動に参加し22歳で命を落とした彼女が16歳の時に書き、亡くなった後に墓石に刻まれる事になった「最後に」という詩の「笑えないだろう」、「ただ許されるものなら」という表現に相馬美智子が重なります。

  でも私は いつまでも笑わないだろう
  いつまでも笑えないだろう
  それでいいのだ
  ただ許されるものなら
  最後に 人知れずほほえみたいものだ

「笑えない」「許される」というのは一見、「受動的」に受け取れますが果たして本当にそうなのでしょうか?私が行なってきた「選ぶ」という行為は一見、非常に「能動的」であると考えられますが果たして本当にそうなのでしょうか?

  大切なものは一つ。

  例えば目。右目や左目、右手や左手、右足と左足はひとつづつ。

  二つあるって思うのは、まちがいなんだ。

  大切なモノは一つしかない。

  だから人はその大切なものを失ってしまうと崩れてしまう。

         〜浅井唯香のぼちぼち日記 から引用

                        相馬美智子の言葉〜

劇団芝居屋かいとうらんま『にせものもどき』を観終わった今、私の中のあらゆる事の基準が揺れ動いています。私は『大切なモノ』を失ってしまっているのでしょうか?そんな思いをどうしても拭えません。基準が揺れているのではなく、私は既に崩れているのではないでしょうか?そんな風に心が定まらず不安でなりません。。。

 


・追記

 書いて行くうちに観劇感想、というモノでは無くなってしまいましたね。。。

 物語の中で死神が登場します。死神は過去、学生運動を行なっていた二人に対して「気づき」という言葉を投げ掛けます。『何か』に『気付く』ように仕向けた男は最後まで『何かに気付く事無く』、代わりに『何かに気付いた』女が死神に連れて行かれました。。。

 この事で昔からずっと考えていたある事が少しだけ前に進みました。宗教や学問(科学・哲学何でもOkなのですが)が『追い求める』この世の『真理』というのは実は『追い求める先』にあるのではなく、今この私たちの周りに既に存在しているのではないか?そしてそこに既に存在しているという事に『気付く』事こそが『真理』を手に入れる唯一の方法ではないのか?そしてブッタが入滅の際に残した『ただ、あるがままに・・・』というのは実はとても簡単な事なのではないのか?

なんて事です♪(笑

まったくアホですね(大汗

 ※ブッタが修行の末に涅槃に入る際に言ったと言うような記憶があるのですがちょっと自信が無いのでご注意下さい。ちなみにこの記憶の為、現在の日本における仏教の宗派を問わず仏教そのものを実践して行こうという考えに至らない次第です。なぜか?それは現在の仏教の各宗派はブッタが涅槃に『至る』までに説いた教えを基にしている=最終解に至る過程の教えでしかないという風に理解しているからです。あっ!でも仏教を否定する気はさらさらありませんので(汗汗

実家が日蓮宗ですから信仰はしていなくてもかなり親近感を持ち且つ日常生活に密接に影響を与えている自覚があります☆

あぁ〜また蛇足が・・・orz

 


mera_m777 at 21:45│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
記事検索
プロフィール

米良君