2006年10月31日

萩・世田谷幕末維新祭り(200/10/28)

200/10/28、快晴。

「秋だ!」って感じの日に萩・世田谷幕末維新祭りを楽しむ為、出かけて来ました(^^; 実際に行くまでのメインの目的はグワィニャオンの野外劇だったんですが、駅を降りて商店街をふらふらと歩いているうちにお祭り自体もなかなかに楽しめそうという事に気付きました☆

ふらふらと商店街を軽く物色しいよいよ松蔭神社へ。 思ったよりも人が多くなく、というかこれくらいがちょうどいいよ☆ってくらいの人の多さでなんか小さい頃の地元のお祭りを思い出しました♪参道には幕末コーナーから通常の出店がずらっと並んでてすごい懐かしさを覚えました。でもやはり松蔭神社のお祭り。レプリカですが大砲が展示してあったりします(笑

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手洗い場の後ろにあった松陰先生の像と本殿です。まずは本殿に参拝。来る前に多少調べたんですが、今の日本(良い悪いは横に置いておいて)が出来るきっかけのひとつであった松陰先生の死・・・。先達への想いはやはり大事だと思うんですよね。ちなみに紋が『かぎ十字』だったのが気になっているのでちょっと調べてみる予定です。

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本殿の手前にあった神楽殿。こちらで会津キャンペーンガールの方が白虎隊踊りを披露されました。浪曲(?)っぽい唄に併せての踊りはやっぱりちょっと切なかったですね・・・。でも松陰先生が祭られているこの場所で萩・長州と会津の人達が今交流できている事はすばらしい事ですよね・・・。

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神社横では萩観光物産展が開かれていました。人はまばらでしたがやはり興味ある人達が商品を物色されていましたので、テントの前は活気がありました(^^;後ほど私もその一人に加わったんですけどね(汗

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こちら神社のすぐ横にある松下村塾(レプリカ)です。そんなに広くは無い部屋でした。立派でもありませんでした。でもここから偉人達が巣立っていったんですよね。。。藩がつくった学び舎ではなくあくまでも私塾だった松下村塾。

今の教育システムを思う時、一定以上の人材を輩出するのには適しているであろうというのは理解も納得も出来ています。しかし学校というシステムは定義したレベルの人材しか産み出せないものです。なぜなら一定レベル以下も以上も管理によって制限する事で安定した人材を輩出する事が目的だから。一定レベルという規制を取っ払った人材を産み出すのであればやはり松下村塾のようにシステムではない方法でやるしかないのではないか!と再認識した次第です。

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左が松陰先生のお墓へと続く道。その手前に飾られた石灯籠群は下の二枚の掲示板に名を連ねた方々の寄進により建てられたものだそうです。名前を見るだけでも鳥肌ものでした。そんな彼らの想いにまた心打たれつつ・・・。

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松陰先生のお墓です。手前の石灯籠は徳川家寄進の石灯籠だそうです。菊の御紋も入っていたそうですが、風雨により消えてしまったらしいです。

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小学生の絵画展も開催されていましたがその入り口に飾ってあった一枚の絵。。。松陰先生を中心に左が現代の子供達、右があの時代を生きた人々が描かれていました。奇兵隊に新撰組に白虎隊も書かれていました(涙 

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ひとしきり祭りを楽しんだ後にグワィニャオンによる野外劇『きょうの音ずれ』をリハーサル・本番と観劇。涙がねとまりませんでした・・・。

その後に萩博物館特別学芸員・一坂太郎氏の講演会「松陰先生の言葉」を拝聴。ユーモアを交えながらも辛口トークが随所に詰まったお話は非常に刺激的でした。歴史を学ぶものとしての立ち位置は忘れてはいけないなぁ〜と自戒しつつ、それでもやっぱり熱い想いには惹かれるし・・・と複雑な心境になっちゃいましたが、非常に興味深いお話でした。

いくつもの面白エピソードから少しご紹介すると、「戊辰戦争の直前に奇兵隊を組織した高杉晋作の元に少年二人が尋ねて来たそうです。その時に高杉が語った内容が「今こそ関ヶ原の恨みを晴らさなければならない!」だったらしく、長州の人は本当にねちっこい(笑 300年近くも恨みを忘れないんですから」と言うエピソード。ちなみに少年の一人は後の乃木大将だったとの事。

えっとこの乃木大将についてはまだ良く知らないのですが、9月に下関に行った際に乃木神社の近くにある「乃木さん通り」って通りを通ってたんで今後調べてみようと思ってる方だったりします(汗

もう一つご紹介するのは未だに残る風習で「『山口の人間は東枕で寝る』と言うお話で、徳川がいた東に足を向ける為に頭を東に向けていた」というので、これが近年でも3軒ほどで確認されたと言うお話でした(笑

ちょっとでも詳しく調べていくと笑えない歴史が出てくるんですけどね・・・、歴史は歴史として笑い飛ばしつつも先人達の想いや行動をきちんと伝えて行くべきだと強く思ったんです。

 

夕方になってそろそろ新宿に芝居を観に移動しようと思っていると商店街のスピーカーからアナウンスが聞こえて来ました。『〜鳴子踊り・・・』と言ってます。奥を見るとパレードらしき行列がちらちら見えます。よってみるとヨサコイ踊りでした☆

いやぁ〜始めて見ましたがかっこいいですよ、ヨサコイって!♪写真じゃなくて動画で撮りたいですねあれは☆そして行列の一番最後の旗振りがこれまたかっこよかった。狭い商店街で電線やら街灯やらをうまく避けて振り回す事振り回す事!wたなびく旗をつかもうと小さな子達がキャッキャッと盛り上がり、女子高生の3人組が親衛隊のように旗持ちの男の子の後をくっついて歩いてました♪男の私から見てもあれはかっこ良かったですからね☆

あぁ〜うらやましかった(ぇ

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結構書きましたが、感じた興奮を言葉に出来ないもどかしさ(くぅ〜・・・

松陰神社を中心にした商店街の活動はHPを作るほど活発です。今度は祭り出ないときにのんびりと行ってみようと思っています。

 


mera_m777 at 06:35│Comments(0)TrackBack(0)

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