エターナル・ウーム・デリラム #1 -1
エターナル・ウーム・デリラム #1
2019年11月20日発売
SUPER FUJI DISCS/FJSP378
2,500円+税
タワレコOnLineで700point使用で2,050円で購入




レココレ誌すら図書館(今は休館ね・・・)で借りてきてだいぶ後になって読んでるので新譜情報に疎い今日この頃、またまたとてつもない音源が発掘された! のを今頃知った!!
DUのレーベル、SUPER FUJI DISCSから昨年リリースされたCD”エターナル・ウーム・デリラム #1”がそれ。
DU日本のロック・インディーズ館のメルマガも購読してるので、情報は出てたはずだが、ろくに読んでない証拠だね。

ロック史にまた新事実!
裸のラリーズとロスト・アラーフのミッシング・リンク、"エターナル・ウーム・デリラム"大発見!!!!

エターナル・ウーム・デリラムというその名が遠い遠いかすかな記憶の先から蘇ってくる・・・

実はこのエターナル・ウーム・デリラムというバンド、十代の頃二度ほど目撃しているのだ。

エターナル・ウーム・デリラムは、1974年1月、ロスト・アラーフ解散後、そのメンバー2人を中心に結成された。
のちに裸のラリーズのメンバーとなる高橋廣行がヒロシ(だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ)や頭脳警察のトシ、さらに水谷孝や多くの異彩を放つアーティスト達とセッションしていた。
その1年弱の数少ないライブ活動で残された6ミリテープ数点が今回発見され、CD化されたのがこの”エターナル・ウーム・デリラム #1”だという。
収録トラックは3曲。

1.母胎内に回帰されたその目覚めと幻想
1974年9月16日 六本木俳優座劇場
2.やっぱり
1975年11月 渋谷アダンスタジオ
3.雲の柱
1975年12月 新宿開拓地

私の記憶の根源、1974年9月15日の六本木俳優座まですっ飛んでみよう。
当時の私は頭脳警察を追っかけ彼等のライヴに日比谷野音だ大学祭だと日参していた。特に前年の末にベーシストとして新加入したヒロシ(頭脳在籍時の表記は、悲露詩)の異彩を放つ個性は頭脳の新たな魅了の一つとなっていた。
1974年9月15~17日の3日間、六本木俳優座で行われた”エターナル・ウーム・デリラム”と題されたライヴの初日ゲストにアナウンスされていた頭脳警察には、その夏ワンステップ・フェスですっぽかされたものの、その前週の野音でのTWO STEP CONCERT(対バン、山口冨士夫のZOON)での熱いライヴの余韻も冷めやらぬまま激しく期待していた。
この日のチラシとチケット半券がコレ↓

エターナル・ウーム・デリラム/コンサート・チラシ-1

エターナル・ウーム・デリラム/コンサート・チケット半券



各日昼夜二部公演で頭脳は初日15日の昼出演、なのでまだ緩い夏の日差しが残る昼下がりに六本木交差点近くの地下鉄出口に同級生の友人と初めて降り立った覚えがある。

ところがである会場待ちの時に話しかけてきた顔なじみの頭脳ファンの男からなんと悲露詩が頭脳を抜けてしまったと知らされた!
ライヴが始まるまではとにかく信じられなかったが前座のバンド、リトル・ウイングスに続きステージにノロノロ現れたのはあのいつもサボを履いた長身の悲露詩ではなく新しいベーシスト、さらにギタリストまでいる、すぐにわかったが彼らは今ステージを終えたばかりのリトル・ウイングスのメンバーだったということ。

悲露詩とパンタとトシの3人体制の頭脳とは相当の違和感を感じたままこの日の頭脳のステージはあっけなく終了、その後本編のエターナル・ウーム・デリラムが登場した。

エターナル・ウーム・デリラム/コンサート・チラシ-2

エターナル・ウーム・デリラム/コンサート・チラシ-3





チラシでは2日目以降のゲストが空白になっている。一体誰が出たのだろう。

実は、この日の一週間前に神田共立講堂にも、頭脳のライヴを見るために行っていた。結局その日が悲露詩、パンタ、トシの3人頭脳の最後になってしまったのだが、確かにその日は悲露詩もパンタも精彩がなかった記憶がある。
その日のチラシがコレ↓

EWD STAR SHIP/コンサート・チラシ-1

当時の私の日記から少し引用しながら、この日の模様を出演順に紹介しておこう。

最初に登場したのはなんと頭脳警察。
パンタ「こんばんは、頭脳警察、第一回目のステージです。」(笑)
この日の最大のお目当てがいきなり出てきてしまって面喰らった。まだ土曜日の午後1時半頃、だからノルにのれないもどかしさ。
続いて、葡萄畑。
さらに金沢から来たスーパー・ゼネレーションというバンド。
加橋かつみはアコギ一本の弾き語り、「花の首飾り」を歌ってくれた。
休憩を挟んで、はちみつぱい登場。
ギターの本多信介(だったと思う)が真ん前で彼のギタープレイを堪能した。
ちなみに私と友人達三人はステージ上手の真ん前の最前列に陣取った。
当時のこの手のコンサートは当日券でこんな感じ、この日も当日券。
私の好きな「塀の上で」をやってくれなかったのが残念。
次は小坂忠、バックは葡萄畑。
そしてクリエイション、飯島義昭(g)とのツイン・リード体制だが、ヴォーカルが抜けてしまい竹田が歌うクリエイションを見たのがこの日最初だったと思う。
そして最後にこの日の主役、エターナル・ウーム・デリラムとなるわけだが。
”このグループの前身はおしめバンド、そしてロスト・アラーフ、セッティングにやたら時間かけ、あのドラム二人、ジューサーの髪の毛の長い奴が出てきてまたあの音を出している・・・・”と私の日記には書かれている。
友人ら三人はまだ聴きたい言ったが私が押し切って9時半頃会場を後にした。
“ジューサー”というのは不明だけれど、”おしめバンド”というのは、この年の4月20日、明治学院大学 100番教室での”学徒動員”というライヴで、紅とかげ(後のリザード)、おしめバンド、南正人という顔ぶれで見ているのでメンバーの顔を覚えていたのかもしれない。高橋廣行の通称が「おしめ」だったらしいのでこの時のおしめバンドがエターナル・ウーム・デリラムの前身なのではないだろうか。当時はこういった日本のバンドの離合集散やメンバーチェンジ情報はミュージック・マガジン誌のコラムでよく見てたのでその辺からの情報ではないだろうか。

ところで、このコンサートのチラシにはこんなことが書かれていた。↓
EWD STAR SHIP/コンサート・チラシ-2

実は8月17日野音で開催予定だったが台風で中止延期され9月7日神田共立講堂で開催されたのが、EWD STAR SHIPというコンサートだったという事実。
この辺のことは、CDの解説に高橋廣行氏本人による貴重な談話が掲載されてるが延期になったことなど少し記憶違いはあるようだ。
また、頭脳警察のオフィシャルサイトのプロフィールでも9月7日と15日がごっちゃになってるようで、メンバーチェンジの時期に誤りがあるようだ。

俳優座のエターナル・ウーム・デリラムの記憶に戻るが、実は恥ずかしい話ほとんど覚えていないのだ。
神田共立講堂で見たので早々に引き上げてしまった可能性はある。
でも、CDの1曲目、”母胎内に回帰されたその目覚めと幻想” を聴くとその前半ぐらいの音は覚えている、確かにあの日あの場所で聴いたものだ。
後半になって坂本龍一(居たのも知らなかった)らしきピアノの音が出てきてからは記憶にないので、やはり途中で帰ったな。
帰るとき客席の後ろの方ににヒロシが居たのを目撃したのはよく覚えている。
そのヒロシがセッションに参加した音源が、CDのT-2とT-3、両方ともあのヒロシのヴォーカルが聴ける。
T-3の”雲の柱”は長尺でヒロシがキーボードも弾いてるようだ、彼がいた頃の”だててんりゅう”はこんな感じだったのだろうか。

エターナル・ウーム・デリラム #1 -2

↑#CDブックレット中面

パンタやトシは白髪や坊主になった今も叫び続けてるけれど。
あの日一緒に神田共立講堂、俳優座に行った友人達、そして悲露詩は、今頃どうしているだろう。
このCDを聴いていると夏の終わりの緩い真昼間の六本木の空気を思い出す。