虎にならねば

音楽やってます。学生です。 綴というバンドをやっています。

白川通りを下る(ゆく年くる年)

空元気で虚勢をはるつもりもなく、かといってふさぎ込むようなドラマもない
嬉しいことは嬉しく、悲しいことは悲しい

この一年得たものもあれば失ったものもあった

何かの選択をしたとき
もしくは大きなできごとがあったとき
それがよかったことなのか、悪かったことなのか、決めるのは今の自分ではなく、その後の生き方なのだと言い聞かせる

だからわかりやすい成功だってきっと危うい
それがよかったことなのかは今の自分にはわからない
誇示せず、慢心せず、過信せず、常に省みる

無駄な努力などはありはしない
努力を無駄にするのはいつだって自分の怠惰さだ

逆にいえば
今つらいこと、悲しいことだってその良し悪しはわからないはず

だからこそ今の気持ちを大切にしようと思う
誰かと対比して幸せを感じたって外から見れば空っぽのまま


好きなことを好きと言えず、好きでないものを好きなふりをする
そのことがどれだけ自分の心を痛めてしまうことなのか
ぼくはよくわかった

ひとりでいることがさも正しいように
小難しい理由を並べてばかりで
ぼくはずいぶん理屈っぽくなってしまった


自分の不幸が人を幸せにするはずないのに
自分のふしあわせのいいわけをだれかのために」なんて情けないよな


ふと腑に落ちる
自分の幸せを大切にしなきゃならない

そのことに気づくのに25年もかかってしまったな


「自分のために生きる」
この言葉の響きはあまりよくないけど
一番正直な気持ちなんだと思う

だれかの幸せを「自分のために」
いつかそう思えたらいいんだろうな

妄想と夢と目標の違い

すこし抽象的な話をしよう。
目標とは何か。それを考えるために夢とは何かを考えてみよう。

例えば、僕が今から2020年の東京オリンピックで金メダルを取りたいと言ったとする。それは果たして夢と言えるだろうか。当てはまる言葉はせいぜい妄想だろう。じゃあ、妄想と夢の違いは何か。

妄想は独りよがりなんだ。可能と思っているのは一人だけなんだ。つまり、妄想を夢にするのは仲間なんだ。

よく夢を叶えた人たちは、「自分を信じてやってきた」と話す。
しかし、自分を信じぬくという事は、決して一人だけではできない。
自分を信じて支えてくれる人、志を同じくする人、切磋琢磨し合う人。
周りの人がいて初めて妄想は夢に変わる。

じゃあ、夢と目標の違いは何だろう。
例えば、3歳の僕がオリンピックに出たいといえば夢という言葉がふさわしいだろうし、高校生の僕が大学に受かりたいといえばそれは目標になるだろう。
目標は具体性を帯びる。具体性とは時期に応じた道筋が見えるということで、つまり、計画が伴うということだ。

じゃあ、計画とは何か。
それは時間を大切にするという事なんだ。

当たり前のことだけど、ある時間に自分ができることは一つだけだ。
時間を大切にするということは、多くの選択肢からその一つを選ぶということ。つまり、自分はどれが、どちらが、何が好きなのかということを考えることに他ならない。
SNSをする、本を読む、スポーツをする、旅行をする、楽器をする、酒をのむ、勉強をする。
いろんな選択肢がある。しかし、年をとればとるほど、これらの選択肢の中に「しなければならないこと」という観点が加わることになる。子供が大きな夢を語ることができるのはこの多くをやらないで済むからだ。
計画を立てるには、夢を目標にするにはタイムリミットがある。


まとめると、僕たちが夢を諦めるのは、タイムリミットが来た時か、周りの仲間がいなくなった時なんだ。
時間を大切にできなかったか、人を大切にできなかったかのどちらかなんだ。


妄想を夢にするには、仲間を見つけること。仲間を見つけるということは、腹を割って話すこと。自分の妄想を話してみること。ただ、自分だけが急いで、相手のペースに合わせなければ、仲間を見失ってしまうだろう。逆に自分が怠慢であれば、人を動かすことは決してできないだろう。最大限の努力をしながら時々立ち止まらなくてはならない。もどかしい思いもするだろう。

夢を見据えたら計画を立てよう。計画とは自分が何が好きかを考えること。
何が好きかどうかはやってみなければわからない。食わず嫌いをして、それに触れる機会、学ぶ機会を遅らせてしまうこと、逃してしまうことは、いざ自分がそれを好きだとわかったときにタイムリミット早めてしまう。若いうちから色んなとこに出るべきで、自分の可能性を広げるべきなんだ。世の中の大抵の面白くないことは、自分の知識が足りないだけであることが多い。

では、目標を達成できるか?
それは誰にもわからない。
夢は自分の努力次第で実現可能な自己の最大値ともいえる。好きという気持ちを貫くことができるかということ。

今、僕がわかるのは
夢が叶うかどうかという不安で足踏みをするより、目標に向かい、ひたむきになるということが僕は好きだということだ。


お世辞、社交辞令と評価の信頼性

自分自身があんまりお世辞とか言わん人間やから、すらっとお世辞がでてくる人はすげーなって思う。

僕らの曲をよいと思ってくれる人は少なからずいるわけだけど、だからこそそこにまだ疑いがのこる。本当に認められたと心から思えるにはどうすればよいのだろう。
もっと大きな枠がほしい。知り合いとかバンドやってる人とか関係なく、納得させたい。
ギャラリー
https://soundcloud.com/aki-yokode
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