虎にならねば

音楽やってます。学生です。 綴というバンドをやっています。

お世辞、社交辞令と評価の信頼性

自分自身があんまりお世辞とか言わん人間やから、すらっとお世辞がでてくる人はすげーなって思う。

僕らの曲をよいと思ってくれる人は少なからずいるわけだけど、だからこそそこにまだ疑いがのこる。本当に認められたと心から思えるにはどうすればよいのだろう。
もっと大きな枠がほしい。知り合いとかバンドやってる人とか関係なく、納得させたい。

嫉妬

嫉妬心を消す方法には二つある。諦観と向上心。
いっそ離れてしまうか、くらいつくか。
だけど一度諦めてしまえば取り返しがつかないし、見上げて生きていくと踏みつけているものに気がつかない。ぼくはあの人たちのようになりたい。人の心をふるわせたい。でも、あの人たちと比べてわかる幸せが、それによってわかる惨めさを産む。だから人はときどき一人になりたくなる。


相反する理想は、どうやらそれぞれが糸で結ばれた滑車のようなものらしい。
一つをこちら側に引き寄せたらもう片方は上へ上へと離れていく。

この敗北感、劣等感、それに伴う悲しみが熱量に変わる、変えられる時間は残り少ない。


フロントマン


うちには本当にフロントマンがいなくなったなぁと思った
その人が舞台に立つだけで空気も色も温度も変わるみたいな

どのバンドも、時間の支配感がない


まず、うちのフロントマンは自分がフロントマンである事を自覚することから始めないとだめかもしれない

必然的に、ボーカルはフロントマンにならざるを得ないのだから、逃げることはできない

普段の自分と切り離さなあかんと思う

『舞台の上での自分という人になりきる』と言えるかもしれない

そこがぼやけてるから、MCでもチャチャが入るし、くだらないウケをとるし、それを「オッ、カンキャクガアッタカイデスネ~」とかわけのわからんこと言ってたら終わり
終始ブスッとしてても終わり
それで自分が満足すんのか
それでボーカル終えてええのか
それで音楽やめてええんか



さっき、普段と切り離すと言ったけど
切り離すためには普段の生き方も考えていかなだめやと思う、これほんまに最近思うこと


普段の生活はスペースシャトルの燃料みたいなもんで、切り離すために存在してると思ってもいい(あくまでライブの観点においては)
そこにはいろんな感情が詰まってて、嬉しいこといやなこと煮え切らないこと悩んでること、それを燃やしつくして自分が軌道にのるんやと思う

まぁ、そんな例えはおいといて

要は、どう切り離すのかも計算しとかなあかんと思うねんな
いきなり舞台の上で変わろうと思ってもなかなかむつかしい
普段だらしないやつが急にエモいこと言っても寒なるだけやし、逆にそうしたいなら、その気持ちの持っていきかたを普段の生活に照らし合わせて考えるべきやと思うねん
自分がなりたい自分のために



フロントマンは嫌われるくらい、馬鹿にされるくらいの事をやっていかねばならんと思う

動きであったり、MCであったり
出で立ちであったり、歌い方、弾き方、それぞれの際立たせ方は色々あると思うけど

結局は、ほんまに、自分がそのライブで伝えたいことはなんなのか、なわけやし、それはほんまに何気ない生活と密着してると思うねんな


チャラ男が「君しかいない」って歌うのとオッサンが「君は美しい」と歌うのであったらどっちが重みがあるかって話


生活が詰まって生まれたものの説得力は大きい
ライブでも曲でも
それがやっぱ、時間の支配感につながっていくんやと思う

だから、ライブだけ、練習だけじゃなくて、やっぱ広く、普段の生活もつなげて考えていけばいいと思うねんな
音楽なんやしな

言葉とか演奏の重みというものに視線をあてるなら







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