虎にならねば

音楽やってます。学生です。 綴というバンドをやっています。

春休みに聞いた話

最近聞いた話の中で面白いというか、人によって様々な意見がありそうだな、という話。幸せには二種類あるということ。

自己完結的な幸せと、他人を介した幸せ。

 

自己完結的な幸せは結果を求めない。

例えば、走っているだけで幸せとか、旅行をすると幸せとか、音楽を作ることが幸せとか、

それが何かを生み出すとは限らないけど、その行為自体が幸せであるもので、

時に人からは理解されにくいものであったりする。

 

反対に、他人を介した幸せは結果を求める。人からの評価に基づくもので、分かりやすいゴールがある。

マラソン大会で優勝したとか、曲が売れるとか、テストで良い成績をとるとか、

結果に基づいたもので、時に名声と呼ばれるものでもある。

万人がそれを褒め称えるようなことが多い。

 

どちらかが正しいという話ではなく、これから生きて行くにあたって、「自分と他人との間のどこに幸せを置いていくか」を意識しておくことは重要だなということ。その距離感は人によって違って、SNSとかの投稿を見てたりすると少しうかがえる。


たとえば「美味いものをたべる」という行為に対して幸せを感じる人がいるとしよう。それを自分の中だけで留めておく人と、SNSに写真を載せる人がいる。大げさにいえば、後者はSNSに写真を投稿するまでが「美味しいものを食べる」行為であり、他人に近いところに幸せがあると言える。前者は黙々と食べているが、それは決して人に知られることがない。自分の中だけにあって、無人島の中でもそれは変わらない。

 幸せが自分から離れた場所にある人と、他人から離れた場所にある人がいる。じゃあ自分の幸せはどこにあるだろうか、と振り返ってみるに、

まず、僕は承認欲求のある人間だ。

けれど、大会で優勝するとか、テストで良い点を取るとかによって幸せを感じたことはない(嬉しさはあるけど、幸せとは時間の長さが異なる)

いつまでも自分に自信のないままだし、だからこそもっと自分を追い込まねばならぬと思っていた。


おそらく自分は、承認欲求の強い反面、「人からの評価で幸せを感じにくい人間」なんだろう(この気づきは僕にとって今回の話で一番重要だった)。

 

自分にとって大切なのは(大切にしたほうがようのは)、生活、つまりライフスタイルであって、例えば、今の寮よりは広い家に住みたいとか、片手間に音楽を作りたいとか、多少なりとも人の役に立ちたいとかその程度。


結果にこだわりすぎると、「俺は〜したから幸せなはずなんだ」とか、「〜すれば幸せになるはずなんだ」とか謎理論に陥る(先ほどの例で言えば「SNSに写真をあげたから→美味しいものを食べたのだ」のような)。

こういう考え方はとても危うくて、いわゆる燃え尽き症候群とかはこれが原因なんじゃないかな。

特に医師を志す人たちというのは小さい頃から難関中高に合格するとか、国家試験に合格するとか、結果を目標とする生き方を強いられてきたために、他人からの評価に意固地になりやすい。

「医者になることが夢」といえても、「医者となってどういう生活をしたいか」を言える人は少なかったんじゃないだろうか。

ライフスタイルに理想を持っておくことはこの年になると重要だなと感じてくる。

とくに働いてからだと、資格とか試験とか、分かりやすい目的がなくなってしまうから。

「やりきった」という充足感と「だからどうした?」という虚無感は紙一重であるから危ない。


ここまでなんだか結果にこだわる生き方が悪いような書き方をしてしまったけど、資格や就職のように、結果によって切り開かれるライフスタイルもあるし、なにかの目標に向かって努力することは誰にも否定されてはならないのは当然のこと。



そして、自分しか認識できず、だれからも見えない幸せもすこし寂しいものだと思う。

例えば曲を作ったならばだれかに聞いてもらいたいし、何かで結果を残したならばそれを認めてもいたいのは誰だって同じだろう。幸せを共感してもらえることも一つの幸せなんじゃないか。

 

要はその二つのバランスが重要で、どちらかに傾いてしまうのはちょっと怖いよな、ってこと。自戒の意味も含めて。

隣の芝が青く見える、っていうのは自分に適している幸せの距離がよくわかっていない状態なんじゃないかと思うな。

 

ライフスタイルの理想、つまり自分と他人とのどこに幸せをおいていくか。

その距離はすごくフレキシブルで、そして分野ごとに異なっているものじゃないかなと思う。

なんとなく、そんなキーワードがよく出た春休みだった。

 

 

パレット


パレット

悲しい色が青なら
私の夢を染めよう
隣の君がまぼろしと
目覚めるまえに
私に教えてほしい

華やかな色が赤なら
私の嘘を染めよう
私の嘘がただ一つの
染まらない言葉を
飾るように

「かわりなんてない」
そんなときもあったな 
さみしさですら
たぐり寄せて
すがりついて
離しやしなかったよな 

歪んだ言葉の意味でさえ 
実際は都合がいい
ほどけた僕らをつないでさ 
皮肉なものなんだな

君の声が  
君の夢が
君の歌が
聞こえる前に
耳ふさいで
声からして
君のそばで
叫んでいたなら  

例えば悔やんでばかりで
光らない人生だってさ 
ある程度は この程度は
しあわせだって  
悪くはないって 
生きていけるって 
思う

歪んだ言葉の意味なんてさ
実際は無防備で
ほどけた僕らはにじんでく
皮肉なものなんだな  

歪んだ言葉の意味でさえ  
実際は都合がいい
求めあう僕らを散らしてく
皮肉なものなんだな 

期待はずれなんかな
溶け残る色が
幸せも悲しみも
夢も嘘も
いまさら
いまさら
染めていくんだ

白川通りを下る(ゆく年くる年)

空元気で虚勢をはるつもりもなく、かといってふさぎ込むようなドラマもない
嬉しいことは嬉しく、悲しいことは悲しい

この一年得たものもあれば失ったものもあった

何かの選択をしたとき
もしくは大きなできごとがあったとき
それがよかったことなのか、悪かったことなのか、決めるのは今の自分ではなく、その後の生き方なのだと言い聞かせる

だからわかりやすい成功だってきっと危うい
それがよかったことなのかは今の自分にはわからない
誇示せず、慢心せず、過信せず、常に省みる

無駄な努力などはありはしない
努力を無駄にするのはいつだって自分の怠惰さだ

逆にいえば
今つらいこと、悲しいことだってその良し悪しはわからないはず

だからこそ今の気持ちを大切にしようと思う
誰かと対比して幸せを感じたって外から見れば空っぽのまま


好きなことを好きと言えず、好きでないものを好きなふりをする
そのことがどれだけ自分の心を痛めてしまうことなのか
ぼくはよくわかった

ひとりでいることがさも正しいように
小難しい理由を並べてばかりで
ぼくはずいぶん理屈っぽくなってしまった


自分の不幸が人を幸せにするはずないのに
自分のふしあわせのいいわけを「なにかのために」なんて情けないよな


ふと腑に落ちる
自分の幸せを大切にしなきゃならない

そのことに気づくのに25年もかかってしまったな


「自分のために生きる」
この言葉の響きはあまりよくないけど
一番正直な気持ちなんだと思う

だれかの幸せを「自分のために」
いつかそう思えたらいいんだろうな
ギャラリー
https://soundcloud.com/aki-yokode
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