Blue Stars

元「田舎移住者の星日記」です。 東京から美しい星空を求めて田舎へ移住した筆者が、星や自然、動物、田舎暮らしなどについて綴っています。

曇ってしまった大野町観望会

昨夜は、大野町町民センターから依頼された出張観望会でした。
参加人数が少ないため、講師は私一人です。

折悪しく台風が次第に接近しており、昼間の天候は曇り。
雨こそ降っていないものの、急速な回復は望めそうにありません。
夕方、大野町町民センターの担当者と電話連絡、大野町も曇天とのことで、星の講話を行う曇雨天時のスケジュールでいくことにしました。
それでも、なんとなく気になったので、天文台から20㎝反射望遠鏡、13㎝反射望遠鏡、6㎝屈折望遠鏡を車に積み込みました。

山間の国道を平野部に向かって下ってゆくと、何としたことでしょう、次第に晴れてきました。
これはひょっとして星空観察ができるかもしれないなあと思いつつ、現地到着。

空を見上げると、雲量は4程度。
南西の空には、アンタレス、火星、土星がきれいに見えています。
西の超低空くには、宵の明星である金星と、そのすぐ横に木星が寄り添うように見えています。

これでは望遠鏡を組み立てないわけにはいかないなと思いつつ、20㎝反射赤道儀と13㎝反射経緯台を組み立てました。

で、これまた運の悪いことに、望遠鏡をセッティングした途端に再び曇りはじめ、あれよあれよという間に全天が雲に覆われてしまいました。

結局、担当の方と相談の上、当初の予定通りプロジェクターで画像を映して星のお話ということになりましたが、組み立てた望遠鏡を放っておくわけにはいきません。
組み立てたばかりの望遠鏡2台を、泣く泣く片付けてから室内に入りました。

画像はUSBに入っていますので、パソコンにセットすれば準備は終わりです。
今回は、私の撮影した画像を主体に、太陽系の姿、そして四季の星空を解説しました。
1時間ほどできるだけ易しくお話をし、質問を受け付け、1時間ほどで終了です。
小さい子どもさんが多かったので、興味を持たせるように話すのに苦労しました。

お話が終わって外に出てみると、やはり曇っています。
ほんの30分ほどの晴天域だったようです。

そのまま帰宅し、夕食を摂り、翌日の防災訓練の準備をしました。
翌日は、職場に朝の7時までに出勤なのです。
今日も疲れた一日でした。
参加者に、土星や火星を見せてあげることができなかったのが何とも残念でした。

『木曽三川流域自治体サミット』が終了しました

ようやく『木曽三川流域自治体サミット』が終了しました。
当初は他の課が担当するはずだった名古屋市が提唱したこのイベントを、開催の2か月前になって急に私の所属する課が担当することになり、「やっべー!時間がねー!」と担当職員全員で毎日叫びつつ必死に準備、この25日・26日に何とか本番を迎えたわけなのです。
もちろん仕事はこのイベントだけではなく、メイン業務であるプラネタリウムと天文台の運営の他、多くの業務を並行して進めながら残業の連続でイベント準備を進めてきたのですが、とにかく大変でした。
大抵の人が遊んでいる夏本番の8月、私たちは来る日も来る日もお仕事です。
夏らしいことを何かしたかといえば、娘と二人で川遊びに出かけたぐらいで、残業の連続のために仕事以外では星も見ていません。
そのような苦労をして、ようやく実現にこぎつけたこのイベント、揖斐川・長良川・木曽川流域に位置する44市町村の首長が一堂に集い、上下間の交流、水環境と山林の保全などについて忌憚なく語り合うことが目的です。
提唱者は、名古屋市の川村たかし市長。
誰もが知っている名物市長さんですが、実際に話してみると、噂にたがわずユニークな人柄でした。

メイン会場は、岐阜県揖斐川町の交流センター「はなもも」。
首長同士が机を囲んでの意見交換会の後、記念写真撮影、講演会、食事をしながらの交流会と続きました。

私の仕事は、もう一人の職員とともに事務局任務です。
事務局といっても、仕事の内容は事前の事務的な段取り、当日は音響の調整や写真撮影、その他いわゆる雑用で、裏方に徹した準備期間2か月間と当日でした。

当日はとにかく走り回ることばかりで、首長が参集することから粗相があってはならず、体力と気をつかった二日間ではありました。

なんとか無事に終了し、これからは少しのんびりでき…れば良いのですが、実はそんなことは全くなく、非常に大変な仕事が、今回のサミットのせいで手付かずのまま残っています。

なぜこれほど苦労ばかりをしなければならないのかと思いますが、まあ仕方がありませんね。
定年までは自分の時間を楽しむことなどできない運命のようです。

明日の夜は出張観望会、明後日は早朝から総合防災訓練、とにかく息もつかせぬ仕事の過密ぶりには恐れ入ってしまいます。
なんとかがんばります。
でも、ゆっくり星を見たり旅に出かけたりしたいなあ。

台風・大雪の日の出勤はクレイジーか

「不急不要の外出はなるべく控えましょう」
台風などの異常気象時にテレビのニュースでよく聞く言葉です。
不急不要の定義はともかくとして、また良いか悪いかわかりませんが、日本人には「台風が来ようが大雪が降ろうが仕事には行く」という特性があります。
外国ではこうした日本人の行動を「クレイジー」と評する向きもあり、国内でも危険なので異常気象時の出勤は控えた方が良いのではないかという議論も出始めてはいるものの、それでも大半のサラリーマンは何があろうと電車やバスが動いている限りは出勤するという行動が身に沁みついてしまっているようです。

私も30年間、民間企業とお役所で仕事をしてきましたが、やはり台風が来ようが大雪が降ろうが、何があっても出勤してきました。
東京在住時は、中央線沿線の会社に勤務していましたので、大雪の日にはすぐに普通になってしまう中央線ではなく、並行して走っている西武新宿線で最寄りの駅まで行き、そこから数十分歩いて出勤したりしたものです。
台風の日は合羽を着て出勤、仮に帰宅時に電車が止まってしまった際には、都内の親せきの家に連絡を取っておいて泊まらせてほしいと頼んでおきました。
電車が止まった日は、バイクで出勤したこともしばしばです。
一度などは、それほど苦労して大雪の日に出勤したところ会社には誰一人おらず、課長に電話したところ「ああごめん。まっちゃんに連絡行ってなかったんだ。今日、休みだよ」と言われて脱力したこともあります。

東京在住時は、まだましでした。
岐阜県に移住し、公務員になってからは、ますます異常気象時の出勤が多くなりました。
というより、公務員の場合、警報が発せられると職場へ赴いて異常時に備えて待機しなければなりません。
異常気象時はお休みなどということは考えられないことなのです。
そのため、台風で猛烈な吹き降りのなかを山奥まで夜中に出勤したことが何度となくありますし、大雪でもふだんより30分~1時間早く家を出て出勤しています。
民間企業に勤めていた頃の方がよほど正常ではありました。

それでも、これまでたとえ異常気象時でも出勤を続けてきたということは、私も一般的で生真面目なサラリーマンの一人なのだなあとしみじみ思います。
学生の頃も然りでした。
よほどの台風や大雪の際は休校になったこともありましたが、台風の日に合羽を着て自転車で高校まで通学した記憶は鮮明です。

幸い、私はこれといった危難に遭うことはありませんでしたが、私の後輩は、台風の朝、自転車で高校へ向かう途中、飛んできた看板に激突、意識を失い、ふと気づいたときには途中にある女子高の医務室に寝かされていたという、思春期真っ只中の高校生としては何とも恥ずかしい経験をしたそうです。
これは辛いよなあ。
目が覚めたら清潔な布団の中にいて、周囲は女子高生ばかりというのは…。

このように、日本人は勤勉というか馬鹿というべきか、とにかく雨が降ろうが槍が降ろうが出勤・通学します。
でも本当は、そんな日に出勤したところで商品や金融市場の動きは鈍く、大して仕事にならないまま、テレビで退勤時まで気象情報を見て過ごすということが多いのですが…。

まあ、美徳、なんでしょうね。
そして勤勉でありながら、労働効率は悪いという日本人の働き方をよく表しているとも思います。

不急不要の外出云々という言葉で思い浮かべるのが、台風の日に「ちょっと田んぼを見に行ってくる」と言って用水路に流されるおじいさん、やはり台風の日にやおら屋根の修理を始めて、強風に煽られて転落死するおじいさん。
高齢者によるこうした事故が後を絶たないということは、現役世代の私たちたちよりもさらに生真面目だった先達の意識がうかがえるような気がします。
話は若干ずれますが、「戦争が起こったらボクは逃げちゃうもん!」などと言っている若者も、おそらく本当にそうした事態になれば、日本人に刷り込まれた生真面目の遺伝子が発動して、最前線で戦うことになるのでしょう。
台風でも大雪でも出勤してしまう勤め人の行動を見れば一目瞭然ですね。

結論。
日本人はクレイジーです。
でも、そのクレイジーさのゆえに災害や国家的災厄をこれまでしぶとく生き延びてきました。
クレイジーで生真面目な日本人。
悪いことではないのかもしれません。

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