Blue Stars

東京から美しい星空を求めて田舎へ移住した筆者が、星や自然、動物、田舎暮らしなどについて綴っています。元プラネタリウム解説者・公開天文台学芸員。

本当に正しいか?「一人一票」

2015年6月から、それまで20歳だった選挙権を18歳から引き下げる改正が行われました。
世界的に見ても選挙権を行使できる年齢が20歳からという国は少数で、多くの国では16歳~18歳になると選挙権が与えられていますから、18歳選挙権は妥当だと思います。

それどころか、私は以前から、16歳以上は大人として扱うべきだと考えてきました。
その年齢になれば体格・体力はもちろん、精神的にも大人としての判断力や社会性を有しているはずだと思うからです。
「20歳以下の若者に大人としての能力を期待してはいけない。彼らはまだ子どもであって、判断能力にも責任能力にも欠けている」
そう主張される方は少なくないとは思うのですが、現代の日本は何事においても過保護であり、十分に体力・知力を有する若者をいたずらに過小評価していると私は考えています。
自分や社会、国を動かし、変えてゆく能力を持つ大人であると若者が自覚するように社会の方が変わってゆけば、彼らは十分に力を発揮し、立派なオピニオンを持つ自立した人間として生き、行動するようになるはずだと思うのです。
それゆえ、私は18歳選挙権に賛成ですし、もっと引き下げても良いと考えています。

いつの時代でも、社会を、国を造ってきたのは若者でした。
体も思考も硬直化した高齢者では、残念ながら改革・変革の力にはなり得ません。
翻って考えるに、少子高齢化が進行した我が国においては選挙権を有する人口構成がどんどん高齢者にシフトしています。
これから就職し、結婚し、子どもをつくる若者こそ国の宝であるにもかかわらず、選挙において数的優位にある高齢者の利益が優先されてしまっているのです。
18歳から選挙権を公使できるようになれば、それだけ若者の声が政治に反映できるようになるはずですし、政治や社会に関心がないと言われる若者たちの自覚を促すことにもつながります。

…と、ここまでは常識的なことを述べてきました。
これより先は、かなり常識外れの意見です。
「そんなバカな」とか「くだらない」なんて思わず、どうか読むだけ読んでくださいね。

私が主張する常識外れの意見とは
「年齢によって一人が行使できる票数を変えても良いのではないか」
ということです。
若年層が少なく高齢者が多い現代の日本において若者の声を政治に反映させるためには、選挙権年齢の引き下げではまだ足りません。
そこで、

・20代は一回の選挙で一人3票まで行使できる
・30代は2票まで
・40代以上は従来通り1票

こんな提案をしたいのです。

「そんなの無理に決まってるだろ」
「若者はどうせ投票になんか行かないんだから無意味」
「高齢者に対する差別だ」
即座にそんな反論が返ってきそうです。
でも、このまま少子高齢化が進行すればするほど若年層の政治参加機会は失われ、高齢者の既得権益が優先される傾向が強まります。
圧倒的に多い高齢者の意見に国政が左右され、若者の政治参加意欲も減退してゆくことでしょう。
それを防止したいがための提言です。

私もこれから高齢者の仲間入りをすることになるのですが、だからといって若者から搾取した金でのうのうと生きようとは思っていません。
健全な社会を維持するためには、子どもと若者を何よりも優先し、高齢者は自ら身を引く覚悟が必要だと考えています。

こんなことを書いたら、老人パワーの猛攻撃を食らうかもしれませんね。
でも、私一人を養う金で子どもや若者2人を養えるのであれば、私は甘んじて名誉ののたれ死にをしようと思うのです。

※本稿は、2015年2月にこのブログに投稿した記事を一部修正して再投稿したものです。 



どんな乗り物が好き?

今年も早いものでもう11月。
残念ながら今年は仕事と体調不良のために、趣味活動をあまり楽しむことができませんでした。

特に今年、まったく楽しめなかったのが旅です。
星見や読書は、ほんの僅かながら楽しむ時間もあったのですが、旅にはとんと無縁の一年でした。

思えばこれまで、ずいぶんあちこちに、さまざまな手段で旅をしてきました。
今回はそうした旅の手段のうちで、どれがいちばん旅を楽しむことができるのかを考察してみたいと思います。

旅の手段といえば乗り物が思い浮かびます。
でも、これまで経験した旅のなかでもっとも楽しく滋味深かったのは「徒歩」でした。
あれは20代の頃だったでしょうか、新宿から山梨県の韮崎まで歩いたことがあります。
一度に歩き通すのはさすがに難しいので、何度かに分けて歩きました。
主に中央本線に沿って歩きましたが、東京~山梨間だけは険阻な柳沢峠を一晩かけて踏破しました。
徒歩ですから移動速度はまことに遅々たるものです。
でも、その分、景色や風の匂い、その土地の風土が肌に接する感覚で楽しむことができました。
人とのふれあいを感じ、ときには見知らぬ人の人情に触れながら歩いた徒歩旅は忘れることができません。
ということで、旅の手段のうちで最良のものは徒歩ということに私的には決定させていただきます。

二番目は(恐らく)自転車でしょう。
でも、まともな自転車でまともな旅をしたことがありませんので、これはあくまで番外です。
ママチャリで自宅近くを10数キロ走ったことは何度もあり、徒歩に近い肌感覚と、徒歩では不可能なスピードを両立することができる自転車の旅は、本格的に取り組めば誠に楽しそうだなあと思ったものです。
動力の付いた乗り物と違って、エンジン音や走行音がしないのも魅力です。

三番目、というか実質上の二番目は船です。
といっても短い内国航路の他は、本格的な船旅はあまり経験したことがありません。
2009年の皆既日食では、豪華客船で鳥島付近までクルーズしたのですが、海に囲まれているという開放感、時間やスケジュールを忘れさせてくれるゆったり感、そして供される食事の豪華さなど、のんびり旅を楽しみたい向きには最高の乗り物です。
多くの接客設備やサービスが充実しており、他の乗り物に比べてダントツに広いスペースで余裕たっぷりな旅ができるのは船ならではです。

ふじ丸父島

ふじまる

次にオススメなのは列車です。
混雑さえしなければ、自分で運転する煩わしさなしにのんびりと車窓を眺めたり駅弁を食べたり、うたた寝をしたりと、ゆったりした時間を過ごせます。
移り変わる車窓は映画のスクリーンのようですし、レールを刻む車輪の音は人の体のリズムに寄り添うようで、列車の旅が私は大好きです。
寝台列車がほぼ全廃されてしまったのが、汽車旅好きには悲しいです。

次はオートバイ、と言っておきましょうか。
趣味を同じくしない方にとってはよくわからないかもしれませんが、クルマと同等の速度・動力性能を持ちながら、風の匂い、光の彩りを感じられる乗り物です。
生身をさらして走る分、危険も大きいですが、鉄の箱に閉じ込められた自動車よりはよほど旅情を感じることができます。

で、最後は…自動車(四輪車)です。
クルマ好きな方は憤慨されるかもしれませんが、外気から隔絶されて快適なシートに身を委ね、音楽を聴きながら移動ができる自動車は、快適すぎるゆえに家庭やオフィスの延長という感覚が強く、目新しい風物に触れるとか、見知らぬ土地での風の匂いに触れるといった旅ならではの楽しみを感じることがどちらかといえば困難です。
旅の楽しみの一つに見知らぬ人との触れあいがありますが、クルマの場合、同乗者以外とのふれあいが少ないこともマイナス面です。
利便性という点ではいちばんですが、旅情という点で考えるならば、私は自動車が最も楽しくない旅の手段と思っています。

飛行機が出てこないじゃないかと思われた方、ごめんなさい。
飛行機も私は好きです。
でも、語るほどたくさん乗ったことがないので、今回はオミットさせていただきました。

どんな手段、乗り物が旅に最適かは人それぞれだと思います。
この文章では私の個人的な好みを述べさせていただきました。


写真:日食クルーズで乗船した「ふじ丸」(父島に停泊中)と、同船最上甲板で日食観察中の光景

「眼」と「脳」で観る星空を大切にしたい

昨夜は、岐阜県大野町で天体観望会でした。
私の所属する天文同好会『スターライト・パーティー岐阜』から、私を含めて3名が天体望遠鏡を持参して対応しましたが、その準備中に天体機材のオーソリティとして知られるSさんと話すうち、これからの後半生、どのように天文という趣味と接していくのかという話題になりました。
Sさんは「基本、これからも眼視メインでやっていこうと思っています。眼が駄目になったら、SeeStarでも買って遊びます」とのこと。
そのココロは?と尋ねると「眼がちゃんと見えるうちは、自分の眼と脳をデバイスとして星を楽しんでゆきたいから」とのこと。
私は、写真も撮りますが、以前から「星は眼視で楽しむのが基本」だと思ってきましたので、Sさんの話を非常に興味深く聞きました。
Sさんは50代後半、私は60代前半です。
それなりの歳となり、これから先、眼をはじめ、体のあちこちが次第に衰えるでしょうし、最悪の場合は、自分の眼で星空を楽しむことができなくなる時が来るかもしれません。
若い頃はあらゆる天文のジャンルに手を出していた私が、ここ10年ほどは眼視をメインとしてきたのも、Sさんとまったく同じ理由でした。
せっかく自分の体に健康な「眼」と、眼で得られた情報を処理する「脳」が備わっているのだから、それを活用しない手はない。
自分の眼で見る「生の」星の輝きは、そのときどきの気温や湿度、風などといった生きた記憶として心にいつまでも残り続ける。
カメラや撮像素子など及びもつかない精巧な「眼」と、その情報を処理する「脳」という最高のデバイスを活用することこそ、星空を見上げる究極の楽しみである。
星は単なる「画像」じゃない。
星は「心で観る至福の心象風景であり、己の精神を照らし出す天の光だ」。
歳を取ったこともあるのでしょうが、最近はそのように考えており、そうした考え方がSさんと見事に一致したのです。
といって、もちろん天体写真を否定するものではありません。
心に映す星空の記憶を補完するものとして写真は素敵な手段であり、私も今後とも大いに活用してゆくつもりです。
でもメインは眼視。
画像ファイルではなく心のアルバムにできるだけたくさんの「星空の風景」を残し、見返してゆきたい。
そう考えています。

大野町星見会

昨夜は、結局雨降りとなってしまい、急遽、持参した天体望遠鏡を室内に組み立てて、機材の説明がてら天文夜話をしただけに終わってしまいましたが、お客さんは皆さん、とても喜んでくれました。
Sさんも私も、長い歳月にわたって星空を見つめ続けてきたからこそ、人を喜ばせる話ができるようになったのだと思います。
「心で観る星空」をこれからも大切にしてゆきたい。
改めてそう思わせられた昨夜の観望会でした。


楽天市場
記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ブログランキングへ
プロフィール

松本幸久

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ