Blue Stars

元「田舎移住者の星日記」です。 東京から美しい星空を求めて田舎へ移住した筆者が、星や自然、動物、田舎暮らしなどについて綴っています。

シリウスの伴星を見た思い出

子供の頃には、系統だって天文を教えてくれる指導者はいませんでした。
それでも同じ市内に一人だけ天文の先輩がいて、何度かその人の家にお邪魔してはハイレベルな天文の世界を垣間見させてもらってはいました。
その人・・・Sさんは高校の天文部に所属していました。
近在ではもっとも学力の高い高校に通っていたSさんは、忙しい身でありながら気さくに小学生の相手をして下さいました。
今では名機と呼ばれている西村製作所の20㎝反射経緯台を所有しており、書棚には天文の本がぎっしり、アルバムには自分で撮った天体写真がいっぱい貼られていて、今から思い返してもレベルの高い天文ファンでした。
知的で大人びた風貌と論理的でありながら朴訥な語り口が、いかにも天文ファンであることを感じさせ、Sさんの家を訪ねるたび、憧れと感動に胸が震えたものでした。

siriusu02

Sさんの家を訪ねるのは大抵が昼間でしたが、一度だけ、夕方遅くなった際に20㎝反射で星を見せていただいたことがあります。
1973年ごろだったと思います。
よく晴れた晩でしたので、いろいろな天体を見せていただいたのでしょうが、なぜかあまり覚えていません。
でも、ひとつだけ非常に強烈な印象で覚えているのは「シリウスの伴星」を見せていただいたことです。
シリウスの伴星といえば、主星と大変に近接していること、また主星との光度差があまりに大きいために見ることが困難な対象として知られています。
冬場でシーイングは良くなかったはずですが、シリウスを視野に入れたSさんはしばらくじっとアイピースを覗きこんだ後で、「よく見えるよ」そう言って私を振り返りました。
さほど天文知識がなかったとはいえ、シリウスの伴星が見づらいことは知っていましたから、半信半疑で視野を覗きこんだ私は、思わず小さな声で叫んでしまいました。
見えたのです。
副鏡による回折像の合間に、真っ白くぽつんと輝く小さな伴星が。
あのときの風の冷たさ、そしてキラキラと瞬く冬の星々の美しさは、今でもありありと思い出すことができます。
あれから何度か、シリウスの伴星を見たことはありますが、あのときほど明瞭に見えたことはありません。

Sさんとは、それから自然に会わなくなってしまい、久しぶりに会ったのは私が高校生になった頃でした。
「もう天文はやってないんだよ」
そう言うSさんは、それまで見せたことのない大人の顔をしていました。
やるせなさと寂しさを隠してSさんの家を辞した私は、それでもSさんこそが最初の天文の師だったのだと思い直し、やはりシリウスがキラキラと輝く冬の空を見上げたのでした。

写真:シリウス(西美濃天文台の60㎝反射望遠鏡で撮影)

伝説のクロス流星

ここ半年ほど体調を崩していましたので、あまり星を見ていません。
ふたご座流星群やしぶんぎ座流星群など、主要な流星群も悪天候だったため、流星を見る機会も少なくなっています。
体調が回復したら、がんばって観測しようと思っています。

そんなことを思いつつ古い資料を整理していたら、懐かしく珍しい写真を見つけました。
火球クラスの流星がクロスしているこの写真、天文雑誌にも掲載され、撮影当時はかなり話題になりました。
1980年代に撮影された写真です。
3回爆発しているのが、やぎ座流星群の火球でマイナス5~6等級ほど、もうひとつがペルセウス座流星群でマイナス2等級でした。
やぎ群の火球は爆発の度に地面が青白く照らし出され、独特のエメラルドグリーンの色、そしてゆっくりとした速度もあいまって幻想的な迫力でした。
撮影場所は、東京都青梅市の御岳山長尾平。
1970年代から80年代、東京在住の天文ファンの定番観測地でした。
撮影したのは、私と現在は愛知県に天文台で活躍しているS君が創立した東大和天文同好会。
全国に100名近い会員を擁する、当時、最もアクティブな同好会で、御岳山長尾平はホームグラウンドのひとつでした。
今でこそ流星観測、というより、若い人の間で天文という趣味はマイナーになってしまいましたが、その頃は天文が非常に盛んで、なかでも流星観測は学生にもできる観測分野として、多くの同好会がメインの活動にしていたものです。

交差した流星2

この写真、フィルムは「ハイスピードインフラレッド」です。
デジカメしか知らない若い人には「なんじゃ、それ」と言われそうですが、いわゆる赤外フィルムで、赤外域にある程度の感度があるフィルムでした。
赤外フィルムに赤フィルターを併用すると、光害の影響を受けにくいことと、流星の性質として可視光域よりも赤外域で明るいことから、都会地でも流星の写りやすいフィルムとして私たちは愛用していました。
モノクロの写真自体が今の若い人には珍しいでしょうし、ましてや赤外フィルムなんて聞いたこともないという人が多いでしょう。
写真があんまりきれいじゃないのは現像ムラか定着ムラです。
自分で現像したり印画紙に焼きつけたりなんて、今では大昔の話みたいな気がしてしまいますね。

東大和天文同好会では、全国的な写真流星のネットワークに所属しており、観測情報を交換しながら撮影した流星の軌道を計算していました。
この流星も全国で複数の観測が集まり、軌道が計算されました。
現在でもこうした全国ネットワークは機能しており、多くの流星について軌道が計算されていますが、観測デバイスは銀塩写真ではなくデジカメや動画に替わっています。
私も以前は、動画で流星を観測していましたが、このところ仕事が非常に忙しくなったために撮像機材はしまい込まれたまま。
定年を迎えたら、観測活動を再開したいなあと思っています。

初めて撮った天体写真

古い写真を整理していたら、たぶん生まれて初めて撮ったと思われる天体写真が出てきました。
東京都東大和市(当時は北多摩郡大和町だったかな)の自宅の庭から撮影したもので、カメラは祖父からもらった二眼レフ(・・・って知ってますか?)、フィルムはネオパンSS(ASA100)、近所の写真屋さんで現像・プリントをしたものです。
星像がグニャッとなっているのは、レリーズなしでシャッターを押したためと、三脚を持っていなかったことから庭にあった石や木材で適当に角度をつけてカメラを設置したことが原因でカメラが動いてしまったのでしょう。
そのカメラには、バルブではなくタイム機能がついており、手でシャッターを押せば、ストッパーつきのレリーズがなくてもシャッターは開きっぱなしにできました。

hajimete1

木やら電柱やらが入っていますが、小学生が庭から初めて写したにしては、なかなか良い構図かな、なんて思ってしまいました。
ヒアデス星団の下に写っている明るい星は、たしか木星だったと思います。
あの頃は、東京でもけっこう空が暗くて、冬になるとプレアデス星団が、目の悪い私にはまっ白な雲のように毎晩、見えていたことを思い出します。

思えばあれから幾星霜、私は公開天文台の仕事のために縁もゆかりもなかった岐阜県に家族そろって転居し、あれよあれよという間に40年以上が過ぎてしまいました。
思えば、天文の知識もなく天体観測や天体写真に関する啓蒙書もほとんどなく、ただ毎月天文ガイドを購読して暗記するほど読んでいたあの頃が、最も純粋に星空を眺められたように思います。

有難かったのは、東京の夜空が現在と比べれば格段に暗かったこと。
郊外にあった私の家からは、年に数回、非常によく晴れた晩には、天頂付近の天の川も見ることができました。
現在では、ナローバンドの選択などで光害地でも天体写真を撮ることはできるものの、いくら写真にはきれいに写ったとしても、やはり肉眼で星空を美しく眺められることがいちばんです。
子供の頃には、まだそんな夜空が東京郊外には残っていました。
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