Blue Stars

元「田舎移住者の星日記」です。 東京から美しい星空を求めて田舎へ移住した筆者が、星や自然、動物、田舎暮らしなどについて綴っています。

認知症の母を岐阜の施設に引き取るまで①

認知症の母を、東京から岐阜へ引き取ったことは何度か書きました。
でも、その詳しい経緯については書いてきませんでした。
同じような境遇で悩んでいる方も多いかと思いますので、どのような経緯で東京生まれ、東京育ちの母を岐阜の施設に入居させたかについて、今回は書いてみようと思います。

母は、父が肺癌で亡くなってからずっと一人暮らしでした。
しっかりしてはいましたが、私は母に、とにかく転んで骨折しないようにということだけはうるさいほど言い続けてきました。
骨折し寝たきりになってしまうと、それまで元気だった人でも一気に認知症が進行してしまう事例を知っていたからです。
なので、母が重量物を持ち上げようとして背骨を骨折したということを聞いたときには、来るべきものが来たと思いました。

とにかく、まずは骨折の治療をしなければなりません。
入院することなく在宅で治療することになり、骨折部位の固定と投薬が始まりました。
もちろん母は寝たきりで動けません。
神奈川県在住の妹がよく面倒をみてくれて、骨折の方は徐々に回復に向かいましたが、年齢が年齢ですから、完全に治癒することは期待できず、動けるようになってからも、母は不自由な体になってしまいました。

同時に、心配していた症状が出始めました。
まずは料理を自分でしなくなりました。
取り寄せの弁当を食べて夕食は終わりです。

私たちが訪ねても、気遣いをしなくなりました。
それまでは、心づくしの料理を作ったり、あれこれと心を砕いてくれたものでしたが、何もせずに座っているだけのことが多くなりました。

物忘れがひどくなり、1分前のことも覚えていないようになりました。
それでも、世間体や体面を気にする母のことですから、近所の人が訪ねてきたりした場合には、物忘れを気づかれないように無難な対応をします。
後から知ったのですが、これも認知症の主要な症状なのだそうです。

妹と私、カミさんが交代で東京へ行き、世話をするようになりました。
我が家は岐阜県からということで遠く、交通費もかかって大変でしたが、妹も神奈川で近いとは言うものの、その分、あれこれと母から呼び出され、かなり辛い毎日となりました。
妹と私の間に、感情的な軋轢も生まれました。
妹からすれば、長男なのだから私がもっと面倒をみるべきだというのですが、何しろ東京と岐阜は遠隔の地、仕事もしている身ですから、さほど頻繁に行き来はできません。

結局、これ以上の一人暮らしは本人も周囲も無理であり、施設に入ってもらうしかないという結論に達したわけですが、母に納得してもらうのがまた大変でした。
懇々と話をし、そのときは納得してくれるのですが、5分も経たないうちに忘れてしまい、誰かが陰謀を巡らせて自分を東京の家から追い出そうとしていると言い出すのです。

何度も何度も繰り返し説明をし、時には喧嘩もし、ようやく母も納得してくれたようでしたので、施設探しを始めました。
とはいえ、東京近郊では料金が高すぎて、とても入居できません。
妹と相談の結果、岐阜の施設を探すことになりました。

…と、ここまで書いたところで、だいぶ長くなってきましたから、続きは後日に。
あまり楽しい話ではありませんが、誰もが経験する可能性の高いことがらですから、我慢して読んでやってくださいね。(つづく)

改訂再販が望まれる書籍『日本の天文台』

いま、手元に『日本の天文台』という本があります。
昭和46年に誠文堂新光社から発行されました。
書名の通り、日本各地にある天文台を、国立、公立、私立問わず取材して、写真を主体にまとめた本で、取材は藤井 旭さん、全134か所の天文台が紹介されています。
藤井さんは、全国にある天文台の総数は、アマチュアの個人天文台を含めれば400程度はあるだろうと書いており、昭和46年時点でも、我が国には相当数の天文台(観測所)が存在したことがわかります。
広瀬秀雄先生が、「日本の天文台小史」と題して、我が国の天文台黎明期から現在に至るまでの略史を書かれており、また村山定男先生が「天文台あれこれ」と題して、系統だってはいないものの、やはり我が国の天文台の歴史や将来展望について書かれています。

20170218日本の天文台

表紙は、岡山天体物理観測所の188cm望遠鏡を納めたドーム、ページを開いてみると、東京天文台(当時)から始まって、研究機関から公立天文台、学校天文台、私立天文台までこと細かに取材し、モノクロながら写真でそれぞれの施設の概要がわかるように編集されています。

藤井さんは、自分の知っている施設と知人からの情報をもとに、当初は60か所程度を取材する予定だったそうですが、次第に数が増え、最終的には当初の倍以上の天文台を訪問されたとのことで、そのバイタリティに驚かされます。
選考の基準はまちまちで、研究機関や大型施設と、個人天文台が同じページに掲載されていたりしますが、そもそも「天文台」というモノが何であるかということが曖昧ですので、これは仕方のないことだと思います。

20170218日本の天文台本文

大型の天体望遠鏡を備えた公立天文台が全国に林立する現代ですが、この本に掲載されている天文台を見ると、研究機関はともかく、公立施設でも15cm~25cm屈折望遠鏡か、40cm以下の反射望遠鏡を備えた天文台がほとんどです。
設備も、コンピューターやCCDカメラが普及している現代とは異なり、手動導入、銀塩のアストロカメラを長焦点屈折望遠鏡に同架した懐かしいものが多く、時代を感じさせます。

それにしても、小さな個人天文台をも含めているとはいえ、昭和40年代にこれほど多くの天文台が我が国に存在したことは驚くべきことでした。
この本を購入した当時、何度も何度もページをめくり、銀色に輝くドームと、スマートな望遠鏡に憧れたことを思い出します。

現在、全国のプラネタリウムを紹介した書籍は何冊か出版されていますが、考えてみれば公開天文台についてまとめた本は、私の知る限り出版されていないようです。
全国を取材するのは大変だろうと思いますが、日本公開天文台協会なり出版社なりで、この本の現代版を出版していただければ、星空に親しみたい一般の方に大いに参考になるでしょうし、公開天文台を訪れる方が増加し、天文普及にもつながるかと思います。
ぜひ現代版『日本の天文台』を出版したいものです。
私も及ばずながら、実現に向けて少し動いてみようかと思っています。

この本、現在ではあまり残っておらず、入手するのは困難かもしれませんが、ぜひ一度、手に取ってご覧になることをお勧めします。
当時の状況は勉強になると思いますし、巻末にある広瀬、村山、藤井さんの文章も、天文ファンであれば一般知識として頭に入れておきたいものです。
図書館よりも、歴史の古い公開天文施設の書庫に行った方が閲覧できる機会が多そうです。
岐阜県内では恐らく、岐阜天文台の書庫で見つけることができると思います。

それにしても、銀色に輝くドームは、いつの時代でも天文ファンの憧れですね。

久しぶりの国際宇宙ステーション

「今夜は国際宇宙ステーションが見えるんだって?」
職場で訊ねられました。
相手は天文屋さんではありません。
校長先生を退職されて、ふじはし星の家を利用する子どもたちの体験活動に携わっている方です。
自然科学が好きで、よく星や宇宙の話をしています。

その話をしていた時間帯は、あまり天候が優れず、ISSが見える時間帯に晴れるとは思えなかったのですが、仕事が終わる頃になって急速に晴れてきました。
街に下っての仕事が一件残っていたので、天文台周辺では星空を見上げる時間がなく、とりあえず下界へ降りて仕事を済ませ、視界の開けた場所へ移動しました。
街とは言っても、山沿いの小さな町です。
空は暗く、星空は綺麗です。

思えば、この冬は雪の日が続いて、あまり星空を仰いでいません。
ISSが見えるのは18時30分頃です。
まだ薄明中で星の数は少ないですが、透明度は良好。
西の空には金星が驚くほどの光輝を放ち、その上には火星、南東の空には冬の星座が瞬き始めています。
冷たい風に吹かれながらカメラをセッティングし、ISSが通過するのはこの辺りかなと星空を見上げてシミュレート、パスの時間を待ちます。

北西の低空に見慣れない星がひとつ。
あれだなと思う間にも、その星は高度を上げてゆきます。

20170215ISS02

北西の山の端から高度をあげてくるISS。
次第に明るくなってゆきます。

20170215ISS01

最大光輝の頃は、-2.5等程度だったでしょうか。
金星よりは暗かったものの、なかなかきれいです。

20170215ISS03

最後は、南東の山に沈むように暗くなってゆきました。
あの光の中に人が乗っているのだと思うと、本当に不思議です。

カメラを片付けました。
暗くなってきた南東の空には、冬の星座がまばゆい輝きを放ち始めています。
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