Blue Stars

元「田舎移住者の星日記」です。 東京から美しい星空を求めて田舎へ移住した筆者が、星や自然、動物、田舎暮らしなどについて綴っています。

3月24日は「月と金星の大接近」

3月24日(金)の夕方、西の空で三日月と金星が大接近する現象が全国で見られます。
薄明の空の中、地球照を抱いた細い月と明るい金星が並んでいる光景は、多くの人の目を引くことでしょう。
月も金星も明るいので、街中でも十分に見ることができます。
天体望遠鏡や双眼鏡がなくても肉眼だけで観察が可能です。
暮れなずむ西の空での現象となりますので、西の空が開けた場所でご覧下さい。
下の画像は、2010年5月10日に撮影したものです。
今回も、概ねこのような雰囲気で見えるものと思います。

月と金星02

上の画像は、一眼レフカメラに望遠レンズを使用して撮影したものですが、これほど大きくは写らないものの、スマホのカメラでも十分に撮影が可能です。
地上風景を画面に取り入れて、雰囲気のある写真づくりを心がければ、思いの外美しい写真を撮影することができます。
焦点距離の短い天体望遠鏡をお持ちの方は、直焦点撮影で撮影すると、迫力のある写真が撮れます。
スマホしか持っていない方も、天体望遠鏡をお持ちの方も、ぜひそれぞれの機材で撮影してみて下さいね。

なお、九州南部と沖縄地方などでは、金星が月に隠される「金星食」を見ることができます。
第一接触の時刻は20時56分です。
月が沈む直前ですので、地平線まで見渡せる場所で観察しましょう。
当日の晴天を祈りたいですね。

これまで使用してきたコメットシーカー

これまで何度か、彗星捜索について書いてきました。
以前は花形の観測分野だった彗星捜索も、今ではプロの大望遠鏡によるサーベイによって彗星はほとんど発見しつくされてしまうために、今や最も効率が悪く人気の低い観測分野となってしまっています。
それでも私は、眼視発見の夢を諦めきれていません。
今日は、これまで使用してきたコメットシーカー(彗星捜索用望遠鏡)について書いてみようと思います。

彗星捜索をはじめたのは、古い日誌によると小学6年生の頃のようです。
日野金属(現ミザール)製の口径6cm屈折経緯台で、ただ闇雲に夜空を眺めていただけですから、この段階ではまだ捜索の真似事をしていただけでした。

中学生になってからも、6cm屈折による真似事が続きます。
東京の空ですから、暗い星雲・星団は捉えることができません。
それでも、飽きることなく捜索を続けていたのですから、何とか彗星を見つけたいという夢は強かったのでしょう。

高校に入ると、アルバイトをして10cm反射を購入しました。
この望遠鏡で大学を卒業する頃まで捜索を続けました。
自宅からでは空が明るくて発見など不可能なことはわかっていましたので、原付の免許を取得し、三脚や架台は荷台にくくりつけ、鏡筒はザックに背負って奥多摩へ通いました。
バイクですから、冬の寒さは猛烈です。
観測地に着いてバイクを停めると、手足の感覚がなくなっていることもしばしばでした。
冬の明け方など、気温が0度前後のところを風を切って走れば体感温度は零下10度以下になります。
当時はヘルメット着用義務もなく、原付でも80km/h以上のスピードが出ました。
真冬の明け方、涙と鼻水を寒風に吹き散らせながら重たい望遠鏡を背負い、原付バイクでビービー走っている姿は哀愁を通り越して壮絶ささえ覚えます。
10cm反射では、10等の星雲状天体までとらえることができました。
主要なメシエ、NGC天体はひととおり捉えられるようになり、この頃になって初めて、まともな彗星捜索ができるようになったわけです。
原付バイクはやがて、250ccへとステップアップしましたが、冬の辛さは変わりませんでした。
それでも、若かった当時は寒さをものともせず、というより他に選択肢がなかったためにバイクでの奥多摩通いが続きました。

やがて10cm反射も、長年の酷使に耐えかねて、かなりボロになってきましたので、就職してから数年間は6cmの短焦点屈折(ファミスコ60s)を主な捜索鏡にしていました。
バイクでの移動観測には、やはり軽便な小口径が楽だったのと、おもちゃと揶揄する人もあったファミスコで発見をしたらすごいことだゾという一種の反骨心から、あえて小口径の望遠鏡を使用したのです。
空の暗い場所であれば、ファミスコでも9等の星雲・星団をとらえることができました。

その後しばらくは、8cmED屈折を使用しました。
この頃は小淵沢に建設した観測所での捜索が主になったため、8cmという小口径でも10等までの天体はとらえられました。
会社が中央線沿線にあったので、平日でも良く晴れた日は観測に出かけました。
一晩観測して、そのまま始発電車で出勤するのです。

観測所通いが続くうち、ひょんなことから岐阜県藤橋村にある天文台への転職が決まりました。
東京生まれ、東京育ちの私にとっては一大決心を要する移住でしたが、家族の理解もあって、意外なほどすんなり田舎暮らしが始まりました。
藤橋村では、空はとても暗いものの山に囲まれて視界が悪いことから、捜索場所の選定には苦労しました。
捜索する空の方向が開けている場所へジプシー観測を余儀なくされることから、やはり、あまり大きな機材は使えませんでした。

しばらく8cm屈折を使用していましたが、同じ天文台の上司から10cm屈折(Borg100ED)を借りることができ3年間ほど使用しました。
空が暗い藤橋村ですから、10cm屈折にマスヤマ25mmアイピースの組み合わせは非常な威力を発揮しました。
11等までの星雲・星団ならば捉えることができるようになり、捜索中に彗星が現れればまず確実に発見できるだろうという自信がつきました。

ところが、藤橋村へ移住してしばらくした頃から、捜索界には大きな暗雲が立ちこめるようになりました。
それは、プロの天文台による自動捜天の開始です。
あれよあれよという間に、アマチュアによる発見は激減していきました。
この状況をみて、いち早く彗星捜索に見切りをつけたコメットハンターも多かったようですが、私は諦めきれませんでした。
もっと強力なコメットシーカーを使用して、自動捜天に対抗しなければと思うようになったのです。
当初は40cm以上のドブソニアンも考えましたが、移動観測の利便性や視野周辺像の悪化を懸念して、簡便に持ち運びができ、視野周辺像も収差の出にくい屈折系を選ぶことにしました。
その頃、勤務していた天文台でフジノンの15cm双眼鏡(ED対空)を使っていて、像も使い勝手も大変に良かったことから、フジノンを第一候補に双眼鏡を選択することにしました。
ミヤウチの10cmフローライト対空式も検討しましたが、彗星発見の実績などを考慮して、やはりフジノンに落ち着きました。
あとは対空式か直視式かの選択になります。
対空式は職場でも使用していて非常に魅力的でしたが、予算的に折り合わず直視タイプにしました。
初めての観測まで、実はとても不安でした。
職場で使用していたのはEDレンズでしたが、注文したのはアクロマートです。
像がボケボケだったらどうしよう…ドキドキしながら、接眼レンズに目を当てたことを思い出します。
…結果は上々でした。
月や惑星は色がつくものの、星はEDとまったく変わらないシャープさで、これならいけると思ったものです。
以来、捜索は15cm双眼鏡一本です。
唯一の欠点は、やはり高い空が見づらいこと。
それ以外は100点満点です。
こんなに良く出来た望遠鏡は他にないだろうと思います。

冬の星座とフジノン15cm

これまで使ってきたコメットシーカーについて長々と書いてきました。
これからも15cm双眼鏡は使い続けていくでしょうが、30cmクラスのドブソニアンにも食指が動いています。
最近のドブソニアンは、安価で可搬性も良いことから、時間があるときにゆっくりと暗い彗星を探すのに使えないかなと思っています。

眼視による彗星捜索は、まことに非効率的な観測方法ではありますが、あとしばらくはこだわっていきたいと考えています。

初めての駅前天体観望会

観望会、天体観察会など呼び名は色々ですが、一般の方を対象にした「星を見る会」が、最近は全国各地でたくさん開催されています。
主催者は、公開天文施設であったり、天文同好会であったり、自治体であったり、あるいはボランティアの個人であったりとさまざま。
規模も、全国から人が集まる「○○星祭り」から近所の数家族を対象にしたものなど、これまたさまざまです。

こうした天体の観察会がたくさん開催されるのはもちろん良いことで、多くの人が肉眼で、望遠鏡で、実際の星空を見上げ、天体の姿を見つめることは、すばらしい体験になるでしょうし、科学する心を養える一助になっていると思います。

ところが、今のように全国あちこちで天体の観察会が開催されるようになったのは、それほど昔からではありません。
多分、ここ30年ほど前からだと思います。
私が天文を始めた頃は、天文ファン人口そのものは現在よりも遥かに多かったと思われますが、一人で、あるいは同行の士を募って天文同好会を作り、いずれにせよ小さな仲間内だけで天体観察を楽しんでいただけでした。
天体観察という趣味は夜中にひっそりと行うもので、時にはお巡りさんの尋問を受け、時には暴走族にびくつきながらの、マイナーといえばその通り、個人的といえばその通りのものだったのです。
今でこそ、仕事で、あるいは趣味で、こうした天体観察会を主宰したり手伝ったりする機会の多い私ですが、私が天文を始めた頃は一般向けの天体観察会は全国的にも、ほとんど開催されていませんでした。

私が、初めて一般向けの天体観察会を開催したのは中学生の頃でした。
なんと大胆にも、当時住んでいた東京郊外の街の玄関駅で、帰宅する通勤通学客を相手にして、今で言うところの駅前観望会を行ったのです。
メンバーは、同じ東大和天文同好会の仲間数人。
口径6cmから10cm程度の望遠鏡を駅前に並べ、電車から降りてくる通勤通学客に月や惑星を見せたのでした。
事前予告はしませんでした。
突発観望会というヤツです。
良く晴れた晩で、半月が中天高くかかっていました。
惑星も見たはずですが、何を見たのか記憶が定かでありません。
とにかく、少しでも興味がありそうな人を片端からつかまえて「星を見てみませんか」と誘ったのです。

無視する人もいましたが、けっこう多くの人が望遠鏡を覗いてくれました。
とても感激する人、ふーん、と言って立ち去る人、質問をしてくる人などさまざまでしたが、向こうも驚いたことでしょう。
改札口を出たら望遠鏡が並んでいて、月を見ないかと誘いかけてくるのですから。
しかも望遠鏡を操作しているのは、どう見ても子どもです。

夕方から21時頃まで観察会を行い、最終的には数百人の人が望遠鏡を覗いたと思います。
中には「キミたち、子どもなのにエライねえ」とお金を置いていく人もいました。
なんだか新手の物乞いみたいですが、お金はありがたく頂戴し、同好会の会費に入れました。

なぜ駅前観望会を開催しようと思ったのか覚えていませんが、当時としては斬新極まる試みであったことは確かです。
私たちにとって、一般向けの天体観察会はこれが初回でした。
初回の大成功に味をしめた私たちは、それから何度もそうした観察会を主宰することになりました。
50年近く前の話ですから、一般向けの天体観察会がほとんど行われていなかった当時としては、私たちの取り組みは非常に先進的だったと思います。

今も、一般向けの天体観察会に携わるたび、初めての駅前観望会のことを懐かしく思い出します。
全国初の、とは言いませんが、当時はほとんど行われていなかった企画を中学生当時に行った私たち、けっこうスゴかったのかも…。
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