初心者の域を過ぎ、一通りの天文活動を経験した天文ファンが陥りがちな病気について、今回はお話しします。
ただ、以下の文章を読むと、非常に厭な気持ちになったり、怒髪天に達したり、あるいは私と絶交したくなったりする方もいると思いますので、平常心でいたい方は読まない方が良いと思います。
まずはその病気の病名を書いておきましょう。
それは「観望会病」と言います。
天文初心者は罹患しません。
写真派の方も大丈夫です。
バリバリの観測派の方もかかりません。
罹患しやすいのは、観望派、それもベテランの天文ファンです。
症状としては、とにかく観望会に参加したくなる、あるいは自ら計画したくなる、一人では星を見に行きたくなくなる、さらに症状が進むと「先生」や「講師」と呼ばれることに無上の喜びを見いだすようになります。
天文を知らない一般の方に天文の説明をすることが楽しくて堪らなくなるという症状も現れます。
もちろん観望派の天文ファン全員が罹患するわけではなく、熱心で前向きな方の罹患率が高くなっています。
あちこちで開催される、あるいは自ら開催する観望会では、水を得た魚のように一般の方、天文初心者にさまざまな天体を見せ、滔々と解説を行います。
一般の方や天文初心者は、それに対していちいち驚き感心し、尊敬の眼差しで罹患者を見つめます。
その熱い眼差しは、この病気をさらに悪化させてゆきます。
私が何を言わんとしているのか、ここまでやや戸惑い、ムカつきながら読んでいただいた読者諸兄の多くは、すでに気づかれたことでしょう。
どうでしょうか。
あなたは最近、観望会以外で望遠鏡を組み立てたことがありますか?
かつてのように、一人で、あるいは気の会う星仲間と山や高原へ星空を楽しみに遠征したことがありますか?
天文はある意味で残酷な趣味です。
楽しむためには、望遠鏡やカメラの操作に熟達し、天体導入ができるようにならないと、どこかで壁にぶち当たってしまいます。
さらに年齢を重ねると、夜中に外出したり遠征することが億劫になり、結果としてあれほど憧れた星の世界から遠ざからざるを得なくなります。
そんな壁にぶつかった天文ファンが唯一の活路を見いだせるのが、一般の方対象の観望会です。
何しろ相手は天体について何も知りません。
何を見せても感動し、何を話しても尊敬してくれます。
そうなれば、壁にぶつかっていた天文ファンにとっては、大きな生き甲斐を見いだせます。
充実感、達成感も味わえます。
こうして多くの半ベテラン天文ファンが、観望会病に罹患します。
そこには「天文普及」という名のお墨付きまでついてきます。
そんな美味しい楽しみを知ってしまったら、夏は蚊に悩まされ、冬は厳寒の下で凍えながら、一人じっと視野を覗きこむなどというトロくさい観望にはもどれなくなってしまいます。
観望会で一般の方相手にヒーローになっている方が絶対に気持ちがいいからです。
もちろん、天文の楽しみ方は人それぞれで自由です。
でも、宇宙の神秘を自らの熱意と努力によって体感し、自分の心と向かい合う気持ちをなくしてしまって、観望会の「先生」になって悦に入っているのは、私からは醜いように思えます。
時には観望会もいいでしょう。
でも、初めて星を好きになった頃の純粋な憧れを忘れてしまい、単なる「普及屋」になってしまうのは、天文ファンとしては堕落であり哀れな末路であると私は断じます。
厭なことばかり書きました。
私を嫌う人はどうぞ嫌ってください。
星は一人で見るもの、そして心で見るもの。
私はそう思います。
多くの有能で意欲ある天文ファンが、普及屋、観望会屋になってゆく現状を私は憂えます。