私が勤務していた岐阜県旧藤橋村(現揖斐川町)の西美濃プラネタリウムは、平成元年の竣工です。
私は平成4年から10年以上勤務していました。

人口450人という山間の僻村が作ったプラネタリウムですから、建設当初はそれほどたくさんの観覧者があるとは思わなかったそうです。
でも、蓋を開けてみると年間に5万人以上の入館者があり、当初一人だけ、その後二人体制となった解説者ではとても人手が足らなくなり、急遽、職員を全国公募、私が解説者として加わったわけです。
旧藤橋村は、プラネタリウムの近くに建設された口径60cm反射望遠鏡を備えた西美濃天文台、宿泊施設である「ふじはし星の家」を活用し「星のふる里」として売り出しました。
天文担当の職員も4人に増え、毎夏のイベント「スター・フェスティバル」には5千人から1万人のお客さんが来場、星を活用した村おこしとしては大成功を収めた事例のひとつだと思っています。

231202purane01そんな旧藤橋村のプラネタリウム。
実は、突如として誕生したわけではありません。
30年以上前にそのルーツがあった、というお話を今日は書こうと思います。

西美濃プラネタリウムの近くにある宿泊施設「ふじはし星の家」は、旧杉原小中学校を改装したものです。
今でこそプラネタリウムの近くにはほとんど人家がありませんが、昔は相当数の人家があり学校へ通う子供もいたんですね。231202dome01

その杉原小中学校で教員をしていたY先生は、平成元年に西美濃プラネタリウムが竣工する実に30年前、学校の児童生徒のためにピンホール式のプラネタリウムを自作しました。
直径40cmの投影機内部に特殊な光源を備え、6等星までの星2,000個を、4m径のドームに投影することができました。
夕焼け投影機も備え、美しい音楽に合わせ、生徒が作ったシナリオにより生徒自身が投影を行いました。
布張りの4mドームは、畳んで持ち運ぶこともできました。
当時としては非常に斬新な試みで、新聞にも大きく取り上げられました。
残念ながら、現在では投影機やドームは残っておらず、当時の様子を示す写真があるだけですが、写真を見ても非常に精巧なシステムだったことがよくわかります。

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「星のふる里藤橋村」…。
そのルーツは、西美濃プラネタリウムの竣工に先立つこと30年前にたどれるのですね。
山奥の小さな村が、そんな昔にこうした実践を行っていたことを、旧藤橋村の元天文担当職員として私は誇りに思います。