◇
  

(あずさ。あずさ)
 え? と思う。
 あれは・・・。あの人の声。
 どうして。生きているの?
 真っ黒にとろけきった首を思い出す。恐怖が私を絡めとっていく。来ないで。もう怖いことはいや!
(あずさ。落ち着け。これは心理攻撃だ。君なら対処できる。心を澄まして私の声を聞き分けるんだ)
 シーリン。シーリンなの? でも、この部屋の中では、思念で会話することはできないんじゃないの?
 ふっと張りつめていたものが緩む。
 笑顔。姿は見えないのに、たしかにシーリンの微笑を私の心は感じている。
(さっきもできたじゃないか。あずさと私は特別なんだ。みんなを救えるのは君しかいない。がんばるんだ)
 みんな…。そうだ。ササキやソウキチやルナはどうしたの?
(残念ながらわからない。私も自分自身を守るのに精一杯だったから。でも、助けてあげられると思う。彼女の思念を感じるんだ。彼女さえここに来てくれたなら)
 彼女? 誰のこと?
 尋ねようとしたとき、不意にシーリンの思念がとぎれた。
 あたりの風景が一変する。
 ここは・・・。

    ◇

 見慣れた家具。キッチンが見通せるダイニング。うす青い光を透かせている広いニューロライトの窓。床から天井まで、星あかりが視界のすみずみを充たしている。
 思わず、ため息をついた。小さな安堵感が、心をじんわりと暖かにする。
 私の部屋だった。17年間住みなれた。
 明かりをつけようと手を伸ばしたとき、ようやく気づいた。
 誰かが座っている。窓辺の椅子に。

seiretsu32

 後ろで結んだ髪。かすかに産毛がまつろう細いうなじ。
 なんだ。純子さんじゃない。戻っていたんだ。長い間、どこに行ってたの?
 声をかけようとしたとき、背を向けていた純子さんが振り向いた。にこっと笑う小さな口もと。
 私は困惑する。
 純子さん、じゃないの?  
 顔のつくりは、たしかに純子さんだった。でも。
「あずさ。久しぶり。元気そうね」
 喉の奥に苦い味のする何かが詰まっていた。呼びかけたいのに声が出ない。
 少女だった。12歳ぐらいだろうか。広い額に細い前髪が揺れている。 

「おねえちゃん!」
 ようやく声が出た。
 今、はっきりと思い出す。いつか見た海辺の光景。麦わら帽子をかぶった少女の姿。
 あなただったの。でもどうして。どうしておねえちゃんだって言ってくれなかったの?いつもいっしょにいたのに。

 少女がはかなげな微笑を浮かべる。
「ごめんなさいね。精神委員会の決定だったの。選ばれたのはあなただけ。私はずっとこの部屋にとどまれって。神のもとへ行かせるには危険すぎるって」
 優しい微笑は、たしかに純子さんのものだった。でもどうして。純子さんは子供になっちゃったの? 
「私はずっとここにいたから。あなたは選ばれてそちら側に行った。だから私は年をとらなかったの」
 何を言っているのかわからなかった。だって純子さんは私より何歳も年上で、私のヘルパーさんでいつも私のそばにいてくれて・・・。
 純子さんが、寂しげに微笑んだ。
「もう私の役割は終わりました。私はずっとこちら側で、あずさが神とともにあるのを見守っています。私のことは忘れてください。神に近づくには私は危険すぎるのです」
 少女の姿が薄れていく。
「待って! 行かないで! おねえちゃん!もう私を一人にしないで!」
 いつか淡い輪郭だけになったその姿を抱きとめようとする。

 腕はむなしく宙を切った。窓の向こうに広がる星空が、ひときわ輝きを強くする。さらに銀河系中心に近づいたのか、窓の半分以上を占めて輝く核恒星系の光がまぶしいほどだ。
 夜空を埋めて輝く星あかりが滲んだ。あふれる涙が、視界のすべてを青くぼやけさせていく。

 窓から注ぐ星あかりに包まれながら、純子さんの座っていた椅子に座りこんで、私は泣き続けた。どうしようもない喪失感と孤独感が部屋を満たし、故郷の惑星からは絶対に見る
ことができない恒星や星間ガスが、ニューロライトの窓をすり抜けて一人きりの部屋に侵入する。
 何もかもが喪われてしまった。シーリン、純子さん、パパ、ママ。その原因は誰でもない、すべて私自身にあるのだ。

 広い窓の向こうから、誰かの声が聞こえてくる。
 ただひたすら神にぬかづきたく我らこの城市を造れり。願わくば常に神とともに在りたくその末席に加えられたし。
 私は立ち上がり両手を広げる。
 受け入れるしかないんだ。そのために私はこちら側にいるんだもの。(つづく)


☆久しぶりに「星冽の渚」をupします。
思えばもう連載32回、ずいぶんお話が進みました。
精神委員会との闘いの最中です。
こうして途切れ途切れに連載していると、ストーリーを追うのが難しいかもしれません。
そんな方は、少し前から連載を読み返してみてくださいね。
不思議なことばかり続きます。
シーリンはどうやら生きているようです。
でも、一転した場面では少女時代の純子さんが現れたりして…。
あずさちゃんの運命は、そしてみんなの運命はどうなってしまうのでしょうか。
もうしばらくすれば、ちょっと混み合っているストーリーも収束してわかりやすくなりますよ。
毎回、イラストを描いてくれているのは娘です。