東京から岐阜県に移住して25年になります。
当初、移り住んだのは揖斐川の上流にある旧藤橋村でした。
旧、とつけたのは、現在は町村合併によって揖斐川町になっているからですが、当時の藤橋村は名古屋市と同じ面積に人口僅か450人、人口密度は日本一低いという超のつく過疎地でした。
実際、人が住んでいるのは私が移住した横山地区だけで、それ以外の広大な地域は全て山林、商店は村に何でも屋さんが一軒だけという超一級の田舎でした。
加えて特別豪雪地帯に指定されており、冬には時として2m近い積雪を見ます。
公共交通は30kmほど離れた鉄道駅へ、バスが一日4往復のみ。
これ以上の田舎は日本中を探してもなかなかないと言えるような僻地なのです。

自分でいうのもなんですが、私はあまり物欲がありません。
美味しいものを食べたいとも思いません。
自然に囲まれて、毎晩、美しい星空を見ていられればそれで満足でしたから、こうした旧藤橋村の暮らしにもすぐに馴染みました。
プラネタリウムと公開天文台で仕事をしながら、休みの日は山を散策したり川遊びをしたりと、楽しい10年間をこの山深い村で過ごしたのです。

私はずっと旧藤橋村に住みたかったのですが、娘が生長するにつれて色々と問題が起こってきました。
最大の問題は娘の高校通学です。
旧藤橋村エリアからバスで通うことができるのは、I高校だけしかありません。
I高校でも特段に問題はなかったのですが、やはり娘の将来を考えると選択肢は多いほどいい…。

というわけで、娘の中学進学を機に、住み慣れた旧藤橋村を離れて、平野部の大野町へ転居することになりました。
大野町は人口25,000人ほど、山もありますが、ほとんどは農村地帯です。
そのまま、現在も大野町に住んでいるわけですが、大野町周辺は私の移住後、次第に発展、若い人たちが家を建てて次々に転入してくるとともに、我が家から徒歩圏内に大型スーパーをはじめ、大きな商業地が作られました。
田舎では車がないと生活できないのが普通なのですが、我が家の場合は、商業集積地に近かったこともあって、もし車がなかったとしても生活するのに不便はありませんでした。
と言って我が家に車がなかったわけではなく、当時から2台の車を所有してはいましたが…。

その後、我が家から車で15分ほどの本巣市に、岐阜県一の規模を誇る大型ショッピングモールが開店しました。
映画館や大きなゲームセンター、家電量販店などを併設した大型店舗であり、都会とほぼ変わらないスタイルでの生活ができるようになりました。
もちろん、私は都会と同じような生活がしたいわけではありませんが、家内や娘にとっては、緑あふれる田舎の環境を満喫しながら、大抵のものは都会同様に入手でき、映画鑑賞など文化的な生活を営むことのできる現在の暮らしは、悪いものではありません。

緑に囲まれ、まだ天の川を見ることのできる星空環境に恵まれた田舎暮らしを楽しみつつ、本当の都会にはもちろんかなわないものの、文化的にも物質的にも不便のない暮らしをすることができているのは、ありがたいことです。
特に、若い娘にとっては、旧藤橋村での生活は耐えられなかったでしょうから、大野町へ転居して良かったと思っています。

私もあと数年で定年となります。
その後も大野町に住み続けるのか、それとも東京へ帰るのか、まだ決まっていませんが、少なくとも現在の暮らしは、かなり恵まれていると思っています。