東大和天文同好会という会がある。1973年に、現在、愛知県東栄町の「スターフォーレスト御園」で天文担当として活躍しているS氏と私が創立した天文同好会だ。
 80年代、東大和天文同好会では流星の観測が盛んであった。年間30夜以上の観測を5年間継続して、日本流星研究会から表彰状をいただいたほどであるから我ながらがんばっていたものだと思う。
 当時の流星観測は、肉眼で流星の数を数え、星図にプロットする眼視観測が中心だった。私たちも、若さにまかせてがむしゃらに観測を行っていたのであるが、観測を続けるうちに眼視観測に関していくつも疑問が湧いてきた。
 眼視観測では、観測時の最微等級、透明度、雲量などの条件によって、観測可能な流星数に大きな差異が出る。観測した流星数そのままでは統計処理の対象になり得ない。
 そのため、ナマの流星数にいくつかの係数をかけて、雲や障害物がなく6.5等星まで見える理想的な夜空のもとで観測したであろう流星数に補正して同一条件で互いの観測を比較できるようにする。
 また、流星群の場合は、輻射点高度が高くなるにつれて観測可能な流星数が増加するはずであるから、異なる時間帯の観測を比較するために輻射点高度の補正も行う。

650R1

 補正に使用する係数については、昔から多くの学者が研究を重ねてきた。どれも完璧とはいえないが、いずれにしてもナマのデータでは比較にならないため、正しい流星数と最も近似の数値が得られると考えられていた係数を採用していたのである。
 私たち東大和天文同好会のメンバーが疑問を感じ始めたのは、この係数についてだった。
 常々、例会などで話し合ってきた係数に関する疑問を1983年、私たちは会誌の『ほしぞら』に座談会という形でまとめた。座談会でわかりやすく疑問を提示した上で、当時計算課長だったY氏が数式とグラフで理論的裏付けを示した。
『流星の眼視観測に未来はあるか』という、いささか挑発的な座談会のタイトルがいけなかったのだろう、「天文ガイド」誌にその論考が紹介され、編集部で会誌を読んだ東京天文台(当時)の富田弘一郎先生から面談したいという要望が舞い込んだ。
 富田先生といえば、アマチュア出身ながら観測派天文学者の旗手としてバリバリ業績を上げ、アマチュア向けの著書も多い超有名人である。
 そんな富田先生のお誘いに私たちは勇躍した。(今から思えば恐れ多いことではあるが)かくなる上は富田先生を何としても論破し、そろそろ沈滞ムードが漂いつつあった流星観測を根本から変革してやろうと大いに意気込んで、5月のある日、東京天文台を訪れたのであった。

 いささか緊張しながら受付で来意を告げる。
 私たちと対面した富田先生の第一声は「いやー、キミたち、バイクで来たの?若いねー」だった。
 そう、当時は現在のように一般公開などされておらず象牙の塔であった天文台に、こともあろうに私たちはバイクを連ねて押しかけたのであった。
 今でこそ天文台内の建物は改築され、近代的な外観となっているが、当時はどの建物も年月を経て黒ずみ、うっそうと茂った樹木に覆われて、よく言えばレトロチックな、悪く言えば魔術的な雰囲気を漂わせていた。
 そんな建物の一室に私たちは誘われた。磨きこまれた古めかしい調度品と古色蒼然とした書籍に囲まれた小さな部屋だった。
 先生は私たちをソファに座らせると、自らは事務椅子に腰を下ろした。
「いやあ、ボクも若い頃はずいぶん流星を観測したもんだヨ」
 ニコニコ笑って言う。黒縁眼鏡にライオンの如き蓬髪。
 書棚から一冊の本を取り出す。
 いきなり来た。小槇孝二郎著の「流星の研究」。山本一清先生が序文を書かれている幻の稀覯書である。
 本をめくりながら富田先生は、日本の流星観測史を語り出す。
 肝心の理論にはなかなか進まない。
「その頃の日本は欧米の天文学を取り入れるのに必死でね。流星も先端分野だったんダ。こうして先達が身を削る苦労を重ねたからこそ、世界に誇れる現代日本天文学があるわけだナ」
 延々と天文学史の講義が続いた後で、
「で、キミたちの研究なんだけどね」
 ようやく本題に入ったときには、優に1時間は経過していただろう。
 一隅にかけられた小さな黒板に図を示しながら、富田先生は丁寧に私たちが問題にしている係数のおさらいをする。それに対して、私たちも黒板に図示しながら反駁する。
 いや、理論的に反駁していたのは、正確に言えば計算課長のY氏だけだった。私を含めたあとの4人は、ちゃちゃを入れていただけだったかもしれない。

 若いY氏の理論は精妙で攻撃的だった。富田先生も何度か腕を組んで考えこんだ。
 いつしか、小さな窓から差しこむ日ざしが薄くなりはじめていた。私たちの頭の中は流星一色に染まっていた。ふだんは使用していない脳の奥深い部分が懸命に働いているのがわかった。ひとつの理論を追いこむ知的快感に、いつのまにか私たちは酔っていた。
 富田先生の飾り気のない言葉が、心の奥底にしみこんでくる。正確で理論的で、それでいて文学的香味に溢れた言葉。
 長い講義が終わったとき、5月の長い日は暮れかけていた。
「キミたちの言うことはよくわかった。すばらしい。感動したヨ」
 先生は、ゆったりとした口調でそう言うと立ち上がった。
「流星の研究」を丁寧に書棚に戻す。
「ボクはね、キミたちのような気鋭のアマチュアと話すのがすごく楽しいんだ。ボク自身も勉強になるしね」
 ふたたび椅子にかけた先生は続ける。
「キミたちのようなアマチュアこそが21世紀のこの国の天文学を担うのだとボクは思っています。山本一清先生や小槇さんが創り上げた日本の流星天文学を、これからも受け継いで発展させて下さい。そのために係数をはじめ、観測方法の一層の研究が必要です。ただ、若い人は往々にして理論に溺れてしまいがちだ。学問とは日々、真の値に向かってデータを近似させていくことです。理論にかまけて観測を忘れないで下さい。観測をしながら正しい理論を探る努力を続けて下さい。キミたちには未来がある。どうか精進して下さい。今日は楽しかった。ありがとう」
 部屋を出るとあたりは夕暮れだった。むせるような新緑の匂いだけが薄暗い天文台の構内を満たしている。
 私たちの誰もが言葉少なだった。先生がなぜあれほど長い時間を先達の歴史に費やしたのか、今となってはわかりすぎて切ないほどだった。
『キミたちのいうことはよくわかる。補正係数については議論の余地がまだまだあるしどんどん研究してほしいと思う。ただ、正確を期すあまり、いたずらに悲観的な学説や理論をふりかざして、ただでさえ減少しつつある観測者を減らすだけの結果をもたらすことは避けてほしいのだ。前向きに観測をして研究をして、明治以降、営々と観測を続けてきた先人の業績を引き継いでほしいのだ』
 半日間の集中講義を通して先生が言いたかったことはこれだった。アマチュア出身だからこそ先生の言葉は私たちの心に沁みた。
 バイクのエンジンをかけ、私たちは走り始めた。どこまで走っても新緑の匂いが追いかけてくる夕暮れだった。

写真:東京天文台(現国立天文台)の65cm屈折望遠鏡