少々古い新聞記事の転載で恐縮です。
2019年11月13日の岐阜新聞朝刊の第一面を紹介させていただきます。

昆虫生息数現象岐阜新聞記事

私はかねてから、さまざまな媒体で、このまま乱開発や農薬散布を続けていた場合、当たり前に見られる昆虫や小動物が絶滅の危機に陥ることに警鐘を鳴らしてきました。
それがいよいよ現実のものになってきたようです。

「虫なんていない方がいい」なんて考えている人もいるかもしれません。
でも、ハチやチョウがいるからこそ植物が受粉でき、畑や田んぼ、果樹園などで作物が収穫できます。
作物などのさいっば異種だけではありません。
山野に自生している樹木や草本類の多くは、昆虫が介在することによって受粉し種を残します。
そうした樹木や草本類は動物の餌となり、地球の生態系を支えています。
また、昆虫を餌としている動物は非常に多く、昆虫が減少すればそうした動物も絶滅の危機を迎えます。
そうなれば、生き残った一部の昆虫が大繁殖してさまざまな分野で大きな被害が発生するでしょうし、動植物を食料として生きている私たち人類も飢餓の縁に立たされます。

地球上の生物は、すべて生態系のバランスを保って生きています。
無駄な生き物など一種類もありません。
ひとつの種が絶滅すれば生態系に破綻が生じ、やがては人類の生存にも影響が出るのは必定です。
森林の伐採、無用な草刈り、アスファルト舗装、農薬散布、河川や用水路のコンクリート化、沼沢地や湿地の埋め立て。
生き物の生息地を奪うこうした営み全てが、やがては人類の首を絞めることにつながってゆくのです。

山野を切り拓いて発電用のソーラーパネルを敷きつめる行為は、防災上からもようやく問題視されるようになりましたが、植物を伐採することは生態系の破壊に直結する行為です。
かつて日本では全ての事物に神が宿ると考え、動植物はおろか、無機物や人が作り出した道具・建築物等に至るまで無碍にすることはありませんでした。
そうした考え方の根底には、今でいうところの持続的発展につながる思想が宿っていたと考えられます。
小さな昆虫にも神が宿っていると考える発想への転換が、今こそ最も大切です。
無用な自然破壊を厳に慎み、土や風とともに生きること。
これこそが人類、ひいては地球を生かす唯一の方策です。
「汚いから」「気持ち悪いから」「経済活動を妨げるから」…。
そんな理由で昆虫をはじめとした小さな生き物を虐げることは、巡り巡って人類の首を絞めることになるということを、皆さん、もう一度心に刻んで下さい。
多くの宗教では無用な殺生を厳に戒めていますが、殺生を禁止することは人類が生き残るためには不可欠であることを偉大な宗教家は理解していたからこそ、こうした戒律を定めたのだろうと私は考えています。

もう一度書きます。
昆虫が絶滅すれば、人類も絶滅します。
「地球に優しく」ではなく「地球と共にある」ために、私たちは日々、自らを戒めながら生きていくべきだと思っています。