岐阜県関ケ原町に玉という地名があります。
ちょっと珍しい地名ですが、かつてここには玉城というお城があり、現在も城跡が山中に残されている他、関ケ原鍾乳洞という観光洞もあって、それなりの観光地となっています。

そんな関ケ原鍾乳洞の入口には、陸軍が第1次世界大戦当時に整備した東洋一の規模を誇る火薬庫跡が現存しています。
鍾乳洞への舗装路を車で走ると、山腹に大きな洞窟が真っ暗な口を開けているのが見え、何だろうといぶかしく思いながら鍾乳洞へ向かった経験のある人も多いことでしょう。

鍾乳洞のある辺りから道路を隔てた向かい側には、かつて関ケ原メナードランドという遊園地があって、やはりそれなりの観光地でしたが、老朽化と時代の流れで閉園となっています。
関ケ原町玉地区は、そんな、ちょっと変わった経歴のある場所なのです。

今回取り上げるのは、先に書いた火薬庫跡です。
旧メナードランドから関ヶ原鍾乳洞に至る一帯に火薬庫の遺構が点在しており、長いこと放置されてきましたが、最近ではようやく見学ツアーも行われるようになり、貴重な軍事遺産の再評価が行われるようになってきました。

火薬庫01

昼夜分かたず兵が詰めていた歩哨所が数ヵ所にあり、なかでも写真に示した道路沿いにあるものは保存状態が良好です。

火薬庫02

山をくりぬいて何箇所も巨大なトンネルが掘られており、内部は分厚いコンクリートで覆われた空間となっています。

火薬庫03

この空間に火薬を保管していたのです。
元は、何重にも鉄の扉が設けられていたのでしょうが、現在は扉は撤去されています。

火薬庫04

最奥部は、広い空間になっています。
ここに火薬を保管していたものと思われます。

火薬庫05

こうした火薬庫は、山中に何箇所も存在しています。
火薬庫群を結んでトンネルで掘りぬかれた道路がつながっており、トンネル内部は大正時代に造られたとは思えない丁寧で美しい仕上げとなっています。

道を隔てた旧メナードランド側にも遺構が存在しますが、あまり文献資料が存在せず、火薬庫全体の構造はわかりませんでした。
聞くところによれば、メナードランドは陸軍の施設をそのまま遊園地施設として転用していたようで、道路からもその痕跡は見ることができます。
ただ、立ち入り禁止となっていますので、詳しいことはわかりません。

関ケ原鍾乳洞は古くから開けた鍾乳洞ということもあって、鍾乳石などはあまり現存していませんが、地下の細道を探索するのは楽しいものです。
鍾乳洞見学と併せて、火薬庫跡をご覧になられてはいかがでしょうか。
最近の歴史ブームで、最近は火薬庫見学のために玉の地を訪れる人が増えているようです。
私が出かけた日も、何人かの方がカメラを持って現地を探索されていました。