日本自由メソヂスト教団 宣教開始120周年

私達の教団は、「貧しい者への福音」を掲げて1897年河辺貞吉師による淡路島福良での伝道からスタート致しました。私たちを取り巻く「いのち、人権、平和」をつぶそうとする動きに抵抗して、「地の塩、世の光」としてのはたらきを続け愛のある環境を築いてゆきたいと願います。共に歩みましょう。



           言葉の露       中嶋嗣美

サン=テグジュペリ遺作”the little prince 星の王子さま”の童話を読んだ50年前、読み落とした言葉に出会う機会がありました。自分の星から飛び出して他のめずらしい星を巡り回っていた星の王子さまが前々から望んでいた地球の星に着いた所がアフリカの砂漠でした。そこで最初に出会ったのがヘビでした。

『星の王子・・「人間たちはどこにいるの、砂漠ってさびしいね・・・」
ヘビ・・「人間たちのところにいたってやっぱりさびしいさ・・・(It’s also lonely with people.)     王子さまは長いことヘビをながめていました。』

若い時、通りすぎたこのヘビの言葉が老年になってしみじみ味わえるのです。孤独感です。
人は孤独から逃れようと多くの体験に挑戦しますがやはり帰ってくるのは孤独です。
2017年7月1日野里教会はプレ70年を迎えました。小さな教会の歴史はただ神の愛に
守られそれに答える兄弟姉妹の信仰によって育まれてきた。今、ルカ14章にあるイエスが招く宴会に貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、眼の見えない人(耳の聞こえない人)が揃いました。一人一人さみしさを背負いながら共にイエス様のとりなしの祈りに支えられ御跡に続きたいと願います。

『憲法9条を守ろう』

わたくしたちのキリスト教団は「日本自由メソヂスト教団」と言います。インターネットをなさる方は検索してくださるとどんな歴史があるのか、主張をしている団体かが分かると思います。非常に社会問題に対して関心の高いグループなのです。
 先月の第三日曜日の午後、芦屋の市民会館で教団の研修会が開かれ、所属教会からの教会員が集まりました。主題は「憲法9条を守るために」。この主題のもと6名の発題者が現代のもっとも差し迫った課題としての憲法問題をそれぞれの立場から意見を発表いたしました。
 このわたしは一九二七年(昭和二年)生まれで生粋に戦争の時代を生き、太平洋戦争開戦から敗戦までを生きてきた証人としての意見を発表させていただきました。
なぜ今回の主題に「憲法9条を守るために」が選ばれたかというと、安倍内閣が高い支持率を背景に、いよいよ憲法9条改正を二〇二〇年に施行すると、具体的に日程を明言したからなのです。 ではなぜ9条なのかといいますと、9条といえば、まず第一は国際平和を守るためには武力による戦争の放棄を宣言し、二つ目はそのためには陸海空軍などの戦力を持たない、という大胆な発言です。平和憲法と言われる憲法の核心はこの9条にあるのです。以前から法曹界からは日本の自衛隊は、9条で武器などの戦力を持たない、といっていることに反しているから違憲である、と言ってきました。内閣は今まで専守防衛に徹する自衛のための実力は違反ではないと主張してきました。しかし言い訳せずに堂々と自衛隊を9条の中の三項に組み入れたいというのが今回の憲法改正の目的なのです。
わたしは日本の軍備は世界の主要国と比較して、専守防衛に徹する自衛のための実力程度なのかを調べてみました。するとどうでしょう。世界の中でもひけを取らない軍備を持っているのです。ただ今まで9条があるから戦争をしてこなかったのです。
わたしは藤沢海軍航空隊で敗戦を知りました。しかし家にはすぐに帰ることができず、厚木飛行場でマッカーサー元帥の到着を迎えるため滑走路の整備をさせられて、九月一日の到着と同時に除隊になりました。家は空襲で跡形もなくその後戦災者住宅で暮らしました。敗戦後二年目に現在の日本国憲法が発布されました。戦前の大日本帝国憲法と違って主権在民の暮らしやすい国になりました。もう戦争にはコリゴリしています。そのような国民の中から生まれたのが戦争放棄の9条だったのです。
五月三日は何の日と聞かれて「なんの日だったかな、建国記念日?」という人たちが大多数を占める時代になりました。あの空襲の下を逃げ惑うような日が来ないよう国民の皆さまがこの国を戦争のできる国にしないよう、子どもたちのためにも、国民投票の一票を大切にしていただきたいと願うものです。

二〇一七年 七月            大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

 火災を乗り越えて今年も『心のふれあいコンサート』開催

東南教会は1984年3月に礼拝堂が火災で全焼して、教会の再建に労苦されていた折にコンサートをしましょう、との呼びかけがあり、励まされながら数年後の1987年第一回目コンサートが実現したとのことです。その呼びかけをされたのがソフィアアンサンブルのリーダー松田真理子さん(ピアノ)です。
 今年もバッハやモーツアルトのクラッシックを聴き、賛美歌「ちいさなかごに」や「おぼろ月夜」「翼をください」などを皆で合唱、心いやされるひと時でした。ご準備してくださった大阪東南教会の皆様にお礼を申し上げます。 報告 教団書記 安藤眞一熱唱するソフィアアンサンブル

   『発達障害について』

この頃「発達障害」という言葉が紙面によく載るようになりました。子どもだけでなく大人にもこの病気があるようです。正確には病気ではなく性格だと言われる方もあります。片付けが苦手であり、気が散って集中できず、予定を立てていても忘れてしまうというような症状です。まるでわたしのことを言われているようです。机の上も聖書以外に書き上げた書類、事務用品、読みかけの書物、教会に持っていく書類等々で山のようになっています。もうすぐ九十歳になろうとしている老人が発達障害と言われると、まだ発達できるのかと嬉しい気持になります。 
 予定を立てても頭の中ではまったく予定が記憶されず、手帳の中の予定表をたえず見ては確かめています。見てもその時だけのことで記憶には残らないないのです。 電話で相手の方と予定を立ててもすぐに記録しないと忘れてしまうのです。
わたしが発達障害だとしても、調べてみたら同じ病気を持った人が古今東西にたくさんおられることが分かりました。たとえば、発明家トーマス・エジソン、相対性理論のアルベルト・アインシュタイン、黒柳徹子、山下清、さかなクン、アップル・コンピュータの創始者スティーブ・ジョブズ、マイクロソフト社の社長でウインドウズの開発者であるビル・ゲイツ、ディズニーランドを造ったウオルト・ ディズニー、等々まだまだいくらでもあげることができます。
アルベルト・アインシュタインには名言・格言・逸話が山ほどありますのでその  一部を紹介してみましょう。
「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。」
「宗教のない科学は不完全、科学のない宗教は盲目」と例え、理性における成功を強く体験した者は誰しも万物にあらわれている合理性に畏敬の念を持っているとし、科学など様々な活動を動機付けているのは、崇高さの神秘に対する驚きだとしています。
アメリカに滞在中の湯川秀樹のもとをアインシュタインが訪ね、「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と激しく泣き出し、深々とお辞儀を繰り返したという逸話もあるのです。 発達障害の表れとして小学生のように、スペルを間違えることがままあったと言います。また、Rの大文字を生涯鏡字で書き続けましたし、簡単な数字や記号を記憶することが苦手だったとされ、ある新聞社のインタビューの中で、光速度の数値を答えられず、記者から揶揄されると「本やノートに書いてあることをどうして憶えておかなければならないのかね」とやりかえしたと言います。たまたまここでわたしが手帳に記した予定をすぐ忘れることも、偉大な彼と同じだということを誇りに思っているとしてお許しください。

  二〇一七年 六月   大阪東南キリスト教会 牧師 古川富也


              言葉の露
ヨブ記を学ぶ聖書懇談会後、インドネシアの山奥にある小学校を訪ねた時の話になりました。小さな子供がみんな白い布を頭に被って勉強している姿を見て、この暑い夏だけでも外せばどんなに涼しいかと同情の眼で見ましたが、彼らはそんな素振りを少しも見せません。子供たちから見れば、布が頭にない私たちを不思議がっているかもと、文化の違いがこんなことからも地球を彩っているのだと気づかされました。
 ISテロから世界はイスラム教そのものに「悪」と烙印を押してしまったようです。ワシントンに拠点を置く調査機関「ビュー・リサーチセンター」によるとイスラム教は2070年までにキリスト教と肩を並べ、来世紀には、キリスト教を上回ると見ていますが何故そんな力があるのでしょうか。
 イスラム法によって厳しい法律があるにも関わらず、宗教・教育・政治・経済・法律が格差なく国民を支配しているからという見方もあります。私達と同じルーツだからと弁護するわけではありませんがイスラム教は決して悪い宗教ではありません。イスラム信徒からもISテロにはその名のゆえに、迷惑を蒙っているはずです。どの宗教でもこのような事態と闘っています。こんな話をお茶を飲みながら話しているだけでも”共謀罪”になるのか、先が見えないまま憲法改正に向かうこの気運は恐ろしい。合わせて宗教の政治化、政治の宗教化の日本会議に眼を反らしてはならない時が来ています。

 『名前について思うこと』


 街を歩くとさつきが満開です。桜はその座を譲って来年のために命を蓄えています。
ひとりの教会員が教会への車を待っている間、ふと見つけた道端の花を抜いて持ってきてくださいました。小判草という名の花で、名のない草はないといわれるように、雑草と片づけてしまうには申し訳ないように、道端で与えられた命を生きています。その草を早速鉢に植えましたが、調べると一〇から三〇センチになるそうです。
 生命保険会社が毎年、前の年に生まれた子どもの名前上位ランキングを調べて発表しています。今年の男の子は「大翔」読み方はソラ、おうが・・・、この子は生涯名前を正しく呼んでもらえず困るでしょう。女の子は「葵」こちらは問題なくあおいと呼んでもらえます。親は子どもの名前を付けるとき、子どもの将来の幸せを願い、心を込めて文字を選ぶものですが、先ほどの「大翔」などは将来大きく羽ばたくような人間になってほしいと考えたのでしょう。小池恵子(こいけけいこ)、東風万智子(こちまちこ)、越智道雄(おちみちお)、大和真也(やまとまや)など上から呼んでも下から呼んでも同じという面白いのもあります。
 わたしが生まれた昭和二年には圧倒的に「昭二」「和夫」、女性では「和子」「昭子」が上位です。それなのにどうしてわたしに「富也」と付けたのでしょう。昭和二年と言えば世界大恐慌の嵐が吹き荒れている最中で、両親がやっていた財布などの袋物の店は資金繰りが悪くなって店仕舞いとなってしまいました。そんな状態の中で生まれてきたわたしには、お金に苦労しないようにとの願いで「富」の字が選ばれたのでしょう。問題は「也」をどうしてつけたのかといいますと、わたしは五番目の男で「もうこれ以上子供はいらない。だから「これでお終い、の也をつけておこう」となった次第です。「金何円也」というときの也が付けられたのです。
おかげで生まれてから今日までお金に苦労したことがないのです。サラリーマンとして月末に給料をもらって帰ってくると、妻に袋のまま渡して、あとは家計が苦しかろうとただ毎日会社へ行くだけで、妻はふたりの子どもを育てるために足りないところは夜遅くまで洋裁をしてやりくりしながら苦労してやっと夫は定年退職しました。するとわたしが、これからの人生は、今までできなかった生甲斐ある人生を歩みたい、と学校へ通い牧師になりました。ずいぶん自分勝手な夫だと思われることでしょう。でも妻はひとことも文句を言わず反対もしなかったのです。
先日もふたりきりの時、今までの生活を思い起こしながら、神さまに守られてきたことを感謝していると、妻がひとことポツリと「これが信仰というものなのねぇ」とひとり言。妻の名は「知恵子」、知恵とは神の性格を意味する言葉なのです。

      二〇一七年 五月   大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

『苦難は希望を生み出す』

 三月は大相撲大阪場所では日本人新横綱稀勢の里の優勝が決まり、第八十九回選抜高校野球はたまたま大阪の二校による優勝決定戦が行われて大阪桐蔭が優勝しました。 選抜高校野球が第八十九回ということは、わたしの齢が八十九歳ですからわたしが生まれる一年前から高校野球が始まったことになります。
現在での相撲は二ヶ月ごとに開催されていますが、一九二七年(昭和二年)までは関東と関西で二回ずつ行われ、年四場所でした。「一年を十日で暮らすいい男」という言葉がありますから、年に一場所で一場所十日だったのでしょう。現在の大相撲は収益を上げるため、年六場所があり、その合間に巡業を各地で行っています。だから怪我をした力士もゆっくり治療する時間もないのでしょう。巡業を休んで治療を優先すればいいのかも知れませんが、相撲協会のためにも無理して出場するので、怪我がなかなか治らず、お客もいい相撲を見られないという悪循環が起こっているのです。 照の富士なども怪我さえ治れば横綱の力を持っているのですから惜しいことです。
 高校野球も大相撲もどちらもわたしが生まれたころから始められていることに不思議な気がしますが、それでわたしはこんなに好きなのかもしれません。そんなわけで毎日テレビの前で釘付けになってしまいます。
 相撲にしても入門してから毎日々々兄弟子に仕えて猛練習を続けるのです。業界の中で何人が幕内に昇れるか、激しい競争が行われてついにその中から数名の者が横綱になれるのです。中学校卒業したての幼い顔をした者が親方に見出されて入門するのですが、就職難の時代だから力士になって食えるようになればよい、などという気持ちで入門するものはいないでしょう。やはり大関・横綱を目指し希望を持って入門してくるのです。だから苦難に耐えることが出るのです。
 高校野球にしても中学のころから野球の有名校を目指して訓練を続け、ついに有名校に入学するのですが、入学してくる大勢の中から力量を見いだされて野球部員になれるのは一部で、またその中から各地区の代表となれるのはまたその一部ということでしょう。そしてその中からスカウトされてプロ選手になって活躍できるのは何万人に一人でしょう。激しい練習にも耐えられるのは希望という目標があるからなのです。
クリスチャンでも同じことが言えます。洗礼を受けたら信仰生活は終わりではないのです。それが始まりで生涯かかって目標を目指して、神さまがお与えになる賞を目指してひたすら走るのです。誘惑に負けず、苦難に耐えるのです。賞とは死んでも終わらない命のことです。聖書の言葉に「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」とあり、人生も高校野球や相撲と同じことが言えるのですね。

      二〇一七年 四月   大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

世界祈祷日 記念講演の様子

2017年世界祈祷日礼拝が今年も母の家ベテル(神戸)で開催されました。
 
 日本自由メソヂスト教団はNCC女性委員会の呼びかけに応えて、教団女性委員会を中心に、3月5日神戸市東灘区にある「母の家ベテル」で午前11時から「2017年世界祈祷日礼拝」を開催。合同礼拝、愛餐会、フィリピンのスライド上映、パイプオルガン演奏、記念講演が行われました。この日、記念講演をしてくださったのは日本キリスト教団神戸イエス団教会の上内鏡子牧師で、上内先生はフィリピンでの体験を通じて学んだ貴重なお話しをしてくださいました。講演要旨は以下の通りです。
『フィリピンという国はパイナップル・バナナ・石油の輸出で知られているが、
もうひとつ大きな輸出は労働力である。それはマルコス大統領の政策であった。
1960年代〜労働者としての女性が増えてきた。差別・暴力を受ける帰国後、社会復帰はむずかしい。人身売買的に安く使われる
私はフィリピンのバティス女性センターでソーシャルワーカーとして働くようになった。女性センターに来る人は貧しい人が多く、収入源の確保の為に、裁縫・ろうそく作りを習ったが、即、お金になるものはなかったように思う。
バティスの意味は湧き出る泉、希望が湧き出るように水がこんこんと出て、希望を途絶えさせたくない思いで活動した。フィリピンでの活動で、フィリピンの方と結婚した。
今回の世界祈祷日のテーマは「わたしはあなたに不当なことをしているか」ということだが、神様の恵みと思えないことがあるが、神様の恵みと変えていくように努力したい。』(文責は編集事務局)

『言葉の露』

2011年3月11日、東日本天災・人災の被害から6年が過ぎました。
津波から逃れて救われた生命の輝きがやっと見え始めた今、2500人余の行方不明者がまだおられ、その魂が救われることを遠く離れた地から私の神に祈るばかりです。冷たくなった死者との対面がない場合、いつまでも故人がどこかで生きている錯覚にとらわれるのは人間の弱さか、それとも強さか、心病んで曖昧な答えしか出来ません。ただ在りし日を偲ぶ暖かさがご遺族の救いとなることに応援したいと願っています。それに反して原発人災は情報自体の信憑性を見極めることが非常に難しい壁にぶつかり、しかたなく土地を離れざるを得ない人への理解が乏しいことは国民全体の責任であります。転校生に向かって悪口を放ったことは、政治家がよく使う”遺憾”という意味で片づけられる問題ではありません。毎年迎える日本列島に桜が開花するこの時期、悲惨な体験を背負わされていることは負の遺産を持っていることになります。
”今の時を見分けることを知らないのか”(ルカ・12-56)との2000年前のイエスの声が耳障りにならないように聴く耳をもちたいと日々葛藤しています。複雑すぎて答えられない。”今の時とは”何を指すのでしょうか。

『 赤帽さん 』

三月は年度の終わりで進学、就職、転勤など鉄道で移動する方も多いことでしょう。今日わたしがここでお話しする「赤帽」というものをご存知の方は多くはないと思います。赤帽と聞いてすぐ軽トラックの赤帽を連想する方のほうが多いのではないかと思いますが、けれどここでわたしがお話しする「赤帽」とは違います。最近では宅配便が発達したことでこれを利用される方が多くなりました。それで鉄道などの移動でも手荷物は最小限にするのが当たり前になってきました。わたしが子供のころ、すなわち八〇年も昔のころ、国鉄の主要な駅には「赤帽」といわれる赤い帽子をかぶった人がいて、「赤帽」さんと呼べば革の旅行用カバンをサッと担いで客車まで運んでくれたものです。また指定席であればその客車まで迎えに行きました。だから二等車のお客様がお得意さまで赤帽は二等車のそばにいつも立っていました。費用は当時の値段で二銭とされていました。 赤帽の歴史は古く、私鉄の山陽鉄道が一八九六年(明治二九年)に岡山、姫路などの主要駅に荷運夫(にはこびふ)を置いたとあります。その後国鉄にも広がりましたが戦時中は不要なものとして廃止され、戦後復活したもののいつしかすたれて消えてしまいました。ところが現在でも赤帽のいる駅があったのです。奇しくも赤帽が日本で最初に始まった広島駅で頑張っているのです。 では現在赤帽の必要はないのかと言えば、高齢者、障がいを持っている人たちなど、需要はますます必要となっているのです。このわたしなど杖をついて歩いている者にとっては、電車などに乗りたくても、休み休みしながら歩くのがやっとで荷物までは持って行けないのです。こんなとき赤帽さんがいればどんなに助かるでしょう。
そんな時、イエス様の声が聞こえます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」イエス様がわたしの重荷を代わりに背負ってくださるといわれるのです。高齢になり障がいを持つようになって、「ありがとうございます」と心から感謝するのです。
        二〇一七年 三月 大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

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