日本自由メソヂスト教団 宣教開始121周年

私達の教団は、「貧しい者への福音」を掲げて1897年河辺貞吉師による淡路島福良での伝道からスタート致しました。私たちを取り巻く「いのち、人権、平和」をつぶそうとする動きに抵抗して、「地の塩、世の光」としてのはたらきを続け愛のある環境を築いてゆきたいと願います。共に歩みましょう。

古川富也の命のメッセージ

 『新しい新居に住む』

三〇年間住み馴れた家から引っ越しして介護付き有料老人ホーム「そんほの家我孫子東」に入ることになりました。どうしてそんな気になったのかといいますと、最近老人の孤独死が問題になりましたように、年老いた老人が連れ合いに先立たれ、御近所とも付き合いをせず、新聞受けに新聞がたまっているのを見て、老人が死んでいるのが発見されたという話を聞くようになりました。特に男性にその傾向が多いようです。 このわたしも寝る前に「明日の朝もこのベッドの上で目覚めますように」と祈るようになりました。そんなわけで思い立ったように家内が入所していた施設に申し込みました。すると家内が入っていた部屋がそのまま空いていて、思い出の詰まった部屋で生活するようになりました。職員も今までわたしが毎日のようにお茶の時間になると出入りしていたのですっかり顔見知りの人ばかりで、コミュニケーションもばっちりです。衣食住についての心配も全くなくなりました。
入所前から覚悟していたことがあります。と言いますのはわたしは鶏肉が生来の苦手で口にしたことがありません。でも大勢の中に入るのに好き嫌いなど言ってはらないと覚悟を決めていたのです。すると何日かした日のこと、皮付きの鶏肉の煮物が出ました。わたしは平然と口に入れました。九十年目に味わったその味は、これからの人生の始まりを象徴するものでありました。(天から家内の声がしました。「大袈裟だねぇ」)
二人の嫁が新幹線に乗って何日も整理や段ボールの箱詰めをしてくれ三月七日の午後引越センターの業者が6個の箱を苦も無く運んでくれました。嫁たちは透明なブラケースなどには衣類などを仕分けして遅くまで働いて帰りました。
博多節ではありまんが
    後に残るのはぁぁぁー 六個の段ボール
来る日も来る日も箱を開けてそれぞれの場所に仕分けするのですが何しろ今までの広さに比べれば三叩瀟鮫辰良屋に納めるのが無理と言うもの。頭の中と同様散らかしっばなし。早く整理整頓して用意してある美しいカップでユッタリとコーヒーを飲みたいものです。九〇歳からの新しい希望の生活が始まります。

    二〇一八年 四月   大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

中嶋嗣美の言葉の露

『 あなたは、どこにいますか 』

春分後最初の満月から数えて決められた受難週は今年3月25日から一週間の期間となります。主イエスの御復活の喜びを、兄弟姉妹と分かち合う前に十字架にかけられたイエスの激しい御苦しみを重く魂に響かせる時をキリスト者は一生のうち何回ももつことになります。あらゆる情報過多に毒されている私達はこの受難の時をデビット・ゾペティ氏が指摘したように“慣れ”と“錯覚”と“理屈”で動かされていないか。語り伝える者も聴く者も問われています。桜咲く浮かれ時、受難週だけでも世の楽しみを遠ざけ、キリスト者は静かに迎えようと呼びかけ人の一人となっています。やたらにペンダント、イヤリングで十字架をぶらさげている人に嫌悪感をもっていたことは、イエスの像がない形だけの十字だとけりをつけました。
教会の塔上と会堂の中に掲げられている十字架には像がありません。それはそこに集まる人がそれぞれ自分の信仰で、イエスを想像出来ることがあるからです。偶像化していませんが、ロシアのおみやげにもらった高価なペンダントには両手を拡げたイエス像がみごとに刻まれており、儀式の時だけ胸につけます。手垢のついた聖書とガリラヤ湖で拾ってきた小石とこの十字架ペンダントは私の小さな宝物です。十字架上のイエスを見ることが出来なかった弟子達はどこへ逃げたのでしょうか。ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた大勢の婦人たちは遠くから見守っていたのであります(マタイ27-55)
“あなたもそこにいたのか”のアフリカ系アメリカ人の霊歌(讃美歌21-306)が胸に迫ります。

                      姫路野里教会 牧師 中嶋嗣美

90歳の古川富也 命のメッセージ

『なんで急ぐの ゆっくり人生 たのしもうよ』

 厳しい寒さの中シンビジウムの蕾が春を待っています。齢を取って手入れもできなくなったのに植物は自分自身の存在を主張しています。頭の下がる思いです。
机の上に小さな箱があります。その中には金張りの懐中時計が入っています。いつ貰ったのか忘れてしまいましたが亡くなった兄がくれたものです。時計と言えばほかに旅行用の目覚まし時計も兄からもらったものがあります。金の鎖と時計は当時高かったものでしょう。でも現在わたしが使っている腕時計は一万円ほどで電池も使わず時間を合わせる必要もなく日にちと曜日まで知らせてくれるのです。電波時計ですから一分一秒も狂わないのです。時代の流れ、技術の進歩は絶えず進んでいるのです。
大阪から東京までは新幹線で三時間で行けるようになりましたが、リニア中央新幹線ができたら時速500キロですから一時間程度で行けるようになります。平成三十九年開業の計画ですからあと九年、わたしは九十九歳になります。現在の社会人は乗れるようになるでしょうが、わたしには無理でしょう。ホームページを見ると「移動時間の短縮は、人、モノ、情報の活発な交流を生み出し、快適な生活圏の創造とバランスのとれた国土づくりが可能となることでしょう。」と利点だけをうたっています。でも利便性の恩恵を受けるのは東京・名古屋・大阪の三都市だけで、その他の都市はますます過疎化が進んで若者は大都市に集中して、老人だけが残された都市、村々となるのではないでしょうか。移動時間の短縮はかえって仕事が増えて忙しさの中で快適な生活どころか家庭さえも破壊されかねません。
 「なんで急ぐの ゆっくり人生 たのしもうよ」
人生、よく生きて百年。日本人の平均寿命は四捨五入して女性八七歳・男性八一歳、あなたあと何年生きられますか。自分では決められません。神さまが「もういいよ」と言われる日まで寿命はおまかせして、どうせ為すべきことを全部為しとげることはできないのですから。仕事はそこそこにして空いた時間は自分の為すべきことに使いましょう。

二〇一八年 二月      大阪東南キリスト教会 名誉牧師 古川富也

言葉の露 中嶋嗣美の告白

            『新年最大の満月に思う』

2018年1月2日、今年最大の満月が現れたそうです。月と地球の距離が35万キロ〜40万キロの間で変化しているということから、近いと大きく明るく遠いと小さく見えるようですが、雨天が気になります。主の再来を待ち望んでいる聖書箇所はその時、月も太陽も光が消え失せるとあります。沈む夕日の美しさ、夜空に輝く月に心奪われている者にとって、天体が消失せることは想像出来ません。創造主なる神になんと祈ったらよいのでしょうか。

2018年も古川富也はエッセーを贈ります

『 正月の看板白地何を描く  (伊丹三樹彦) 』

教会の掲示板には日曜日の礼拝説教の題名を毛筆で書いています。いつごろから書きはじめたのか定かではありませんがたぶん現在の教会堂が建った時から書いたものと思います。牧師がわたし一人だったころ説教題を書くのは心配ありませんが、現在のよう牧師が三人になるとほかの牧師にメールで確かめて書くようになりました。 掲示板に貼り出すということは教会前を通り過ぎる方々にお知らせして、興味を引いてもらって礼拝に出席していただきたいとの願いがあるからです。白地の紙に向かって筆を下ろす時の緊張は、文字を忘れてしまい、改めて辞書で確かめるのです。
さて、教会によって元旦は日本の行事だからキリスト教に関係ないと、礼拝をしない所もあるようですが、わたしたちの教会は初詣という日本の習慣を大切にして元旦礼拝を続けています。普段は教会に毎週来られない家族・親族の方なども元旦には初詣に来てくださいます。教会の元旦礼拝に娘さんが振り袖姿で出席される方は見たことがありませんが、TVで初詣の風景を見ていますと娘さんなどの和服姿が目立ちます。最近は和服を着ることが少なくなりましたから、多分着付けをしてもらっているのでしょうが、初詣だけでなくTVなどに出てくる着物姿全体にわたしにとって気になることがあります。襟を抜くことです。襟を抜くという言葉を知らない方が多くなったと思うので少し解説してみましょう。絵で見ていただいたら簡単なのですが、女性の場合正式に着る場合は襟を合わせて、襟の上は襟足の肌に少し触れるぐらいにします。ところが最近は花街で働く人でもないのに背中が見えるくらい襟を後ろに下げている人がいるのです。着付けの先生に正しい知識がないからでしょうか。よくお茶席に出る方ではないかと思うような、地味ですが正しい和服姿を見ることがあります。これは普段から着なれているからできることで、和服が身についているのです。 今年の元旦礼拝に、わたしも卒寿を機会に着物を着て出席してみようと思っていますが、着なれないので身につかないかもしれません。今年もこの『信仰通信』をお読みくださるようお願いいたします。  敬具

      二〇一八年 一月      大阪東南キリスト教会 牧師 古川富也

言葉の露 中嶋嗣美の告白

 『 ルターの残した子供の讃美歌 』

2017は世界史に現れたキリスト教会にとって宗教改革500年記念の年でありました。16世紀ドイツからヨーロッパ全土に大なる影響を与えた改革者マルチン・ルターがクリスマス、子供のために作詞・作曲した歌があります。激しい性格の持ち主からは想像もつかぬ優しいこの歌は、縦書き讃美歌時代に子供だった人にとってなつかしい歌です。過剰なるイルミネイションで迎えた幼子はその明るさに泣き止まぬでしょう。聖書に記された藁と糞の匂う飼い葉桶に眠るイエスをひれ伏し拝んだ占星術学者と貧しい羊飼いを想い、馬小屋の笑みをルターは読み取り子供たちに伝えたのです。飼い葉桶にはクリスマスの輝きがあります。
“あなたのために救い主がお生まれになった”
           ルカ・2-11

一かみの御子の イエスさまは
  ねむりたもう おとなしく
 飼い葉桶の  なかにても
  うたぬ藁の うえにても

二うまがないて 目がさめて
  笑い給う  イエスさまよ
 あしたの朝  おきるまで
  床のそばに 居りたまへ     


宗教改革500年と私たちの課題を考える

『 今年も教団大会を開催 宗教改革500年を覚えて 』

去る10月22日に教団大会を開催し、「宗教改革500年 私たちの課題」をテーマに神田健次牧師(前関西学院大学教授 日本基督教団聖峰教会)の説教と講演を受けて、エキュメニカルと和解の大切さを学びました。また去る6月18日に教団研修会を行い「憲法を破壊し、国のかたちを変える憲法改悪に抗議する」との教団声明を発しました。講演される神田先生教団大会のビラ

言葉の露   中嶋嗣美の告白

『 枯れ葉に死生観を思う 』

葉脈も薄れ、枯葉となって落ちるこの季節、改めて死生観に浸る機会であるかと80歳の老人は裏道にある寺の落ち葉を拾ってみました。
この世から姿が見えなくなった近隣の人・机を並べて学んだ同級生・いつもの礼拝席に座っていたあの人達・コロッケを新聞紙に包んで売っていた老夫妻・遠く離れた電話の声の人・父母・兄弟・夫と名をあげればきりがない多くの人は自分にとって皆かけがえのない出会人でありました。死んだ人は死んだ時点でその不在が無になるのではありません。死後も依然として生きている者の心の中に生き続くのであります。キリストが生きている者と死んだ者の主である限り生者と死者の交わりは再臨の時まで続くのです。
召天記念礼拝で遺族と教会の兄弟姉妹が共に故人を偲び神の懐にて今日も眠れる人の平安を感謝の祈りとして捧げましょう。
                          姫路野里教会 牧師

90歳牧師 古川富也のエッセー

  『 大阪カジノ構想に思う 』

IRと言う言葉を最近よく耳にするようになりました。モナコ国にあるような大型の統合型リゾート施設と説明されていますが、もともと大阪万博を意図して大阪の湾岸地帯に舞洲が造られました。そこにカジノを造ろうという計画が膨らんできました。ヨーロッパでは格式の高いカジノがあり、ネクタイ着用でなければ入れないという服装まで定められて場合が多いそうです。アメリカでは州によって異なり、合法とされるところもあればカジノに限らず一切のギャンブルを禁止しているところもあります。ラスベガスでは一九三一年にネバダ州がギャンブルを解禁してからカジノの街として急速に発展して犯罪組織による組織間の抗争まで行われたそうです。 カジノといえば体裁がいいけれど言い方を変えれば賭博、大ばくちです。それも公認のばくちです。浪曲の広沢虎造が得意とした清水の次郎長もばくち打ちで、ほかの親分と何度か血闘しています。 大阪南港地域は静かな団地ですが、カジノを誘致するため鉄道の建設も計画され世界中からカジノを楽しむために大勢やって来るでしょう。静かな街が騒がしく犯罪を防ぐためのパトカーや救急車のサイレンが鳴り響く街に変わってしまうでしょう。
 パチンコも今までからギャンブル依存症が問題となっていました。パチンコにのめりこんで家庭まで破壊してしまうという悲劇です。それに加えてカジノができれば依存症患者がますます増えてくるでしょう。政府はカジノ実施をにらみギャンブル依存症対策のために患者に対する医療体制整備や社会復帰支援などの基本計画を計画しています。十二月一日にギャンブル依存症対策の法案が可決されました。
お金のためには国民が犠牲になってもいいというのでしょうか。南米の貧しく小さな国ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカの言葉を聞きましょう。「貧乏な人とは、  少ししか持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」経済大国わが日本は、彼の言葉によれば貧しいのです。聖書の中にも蛭(ヒル)のたとえが出て来ます。蛭は人間の血を吸って体が破裂しそうになっても吸い続けるのです。
 日本の政治家にウルグアイ大統領ホセ・ムヒカの言葉を理解してほしいものです。

   二〇一七年一二月     大阪東南キリスト教会 牧師 古川富

2017年度の国際協力の日(10月15日)イベントで諸外国の人々と

952c26eb.jpg『外国人が暮らしやすい社会は日本人も暮らしやすい』

 去る10月15日(日)あいにくの小雨の中、今年も国際協力の日のイベントが大阪玉造のマリア大聖堂の大駐車場で開かれました。会場には各国料理の屋台が並び、大勢の(約3000名)皆さんが舞台でのパフォーマンスや屋台の料理を味わいながら国際交流の時を過ごしました。この行事を主催したのは「外国人との共生を目指す関西代表者会議」で、このグループにわが日本自由メソヂスト教団も加盟。約30年間の運動を担ってきました。
この日のイベントには教団から「沖縄三線」が参加。素晴らしい演奏と歌を披露してくれました。沖縄三線のリーダー長浜さん(姫路野里教会)は来年もぜひ参加したいと感想を語ってくれました姫路の沖縄三線
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