2011年06月22日

複雑な気持ち

2年ぶりの投下です。ブロは生きてます

やほおのニュースを夜勤中に見ていて、なんだか複雑な心境になってしまった。
市役所の金庫から義援金の5万円を盗んで、警備員が逮捕されたというニュース。
やほおのコメント欄は上から下まで警備員への非難でほぼ埋められてた。
まあ当然といえば当然なのだが、なんとなく複雑ーな気持ちになってしまった。

なんとなく、明日は我が身かな・・・のような心境になってしまい・・・

3月11日の震災と原発事故の後、しばらくしてから少しずつ感じ始めたある種の疎外感、あれから100日を経過した今、特にここ最近の国会の様子を見るにつけ、いっそう深く感じられるようになってきている。

今回逮捕された警備員も、今回の直接の被災者でない私自身も、今現在、国からはほったらかしにされている人間であることに変わりはない。いや、被災者の方々に言わせれば、自分たちは被災しているにもかかわらず実際にはほったらかしにされている、と言いたいだろうと思う。

遅々として進まない復興の最中、政治家や官僚、いわゆる国策の実施者からほったらかしにされてしまっているのは、その他の大多数の国民全体なのかもしれない。ほったらかしにされつつも、日本国民は失われた東北の分まで必死になって働き、GDPの低下を防ぎ、経済を支え、為政者の体たらくを懸命にフォローしている。

あれだけの災害に逢っても国が傾かないのは、ひとえに頑張り屋さんである日本国民一人一人の努力の賜物である。

体たらくな為政者は、それでもひとまずは他の決め事よりも東北の復興を優先して執り行う。その完成はいつのことになるのか先は全く見えないが、いずれは復興が成し遂げられる日が訪れる。そして・・・・
復興が成された後になってようやく、既に手遅れになっているかもしれない案件も含め、議論がされ始める。

果たして今、震災と原発、、政局と自身の身の振り方以外のことに視線を少しでも傾けている政治家はいるのだろうか?

私が暗に感じているある種の疎外感は全てそこから来ている。

果たして復興が成された後の、10年後、20年後に自分自身がどのような姿でその光景を見ているか、というものがあまり想像できないでいる。そして間もなく節電という形で、復興への国民総負担の第一波がやってくる。

震災と原発事故以来100日、被災者も被災者でない者も、何らかの形で皆その身を削ってきた。

財有る者はその財を投じ、力有るものはその力を注ぎ、知恵あるものはその知恵を振り絞ってきた。

国民総動員で100日間、少なからず無理をしてきた中での今の復興の度合いを鑑みるに、果たしてその頑張りがいつまで持つのか、今後、生活のあらゆる面において更なる無理を要求されることになる事は間違いなく、踏ん張りきれない人たちが生み出されてしまうことも想像に難くない。

この警備員の事を、明日は我が身かもと思った背景には、自分自身がその中の一人にならないという保障など何一つ無く、復興が成し遂げられ、笑顔で毎日を過ごす東北の人たちの姿を、図らずとも斜に構えて見ている自分自身がいないとも限らない、といった想像に起因する。

今回の警備員のニュース、決して非難の気持ちだけで読み流すことの出来ない自分がいる。

mewnyann at 02:17│Comments(0)TrackBack(0)

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