2007年11月

2007年11月23日

風邪が流行りだしています。3

9b3e672d.jpgお店にお出でになるお客様でも、かぜ薬をお求めになる方が増えているようです。新聞によりますと、例年より1ヶ月ほど早い動きだそうです。皆様、この三連休は、日頃のお疲れをケアする絶好の機会かもしれません。体調に気をつけて、温かくして過ごしください。

mfkytk9029 at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!季節の話題 | 健康

2007年11月21日

冬本番! 雪が降っています。4

b9632552.jpg今。2007年、11月21日。午後3時10分です。
外は大きなボタン雪が降りしきっています。
さっき車のタイヤの交換をお願いしてきたばかりです。
写真を撮りました。見てください。

2007年11月15日

【蕎麦の歴史】江戸時代2 蕎麦には山葵4

日本で蕎麦が栽培され出したのが弥生時代と言いますから、とても古いお話で、お米が凶作になった場合の救荒作物だったと言います。蕎麦は美味しいだけでなく、本当に偉い食べ物。まったく、本当に! だってそう思いません。親はなくても子は育つと言いますけど、お米がなくても蕎麦があれば、腹は何とか膨れますから。こりゃあんまり喩えがよくありませんでしたかね(^^;

ところで、蕎麦があんな風に麺仕立てで食べられるようになったのが、元禄のころと言いますから、これもまた古い話でして、それまでは蕎麦粉を熱湯で練って、団子のように千切り、卸大根なんかで食べていたそうですが、これがいわゆる蕎麦掻っていうやつでして、あれは歯にくっついて、どうも粋なもんじゃないと思っていますけど、それが、二八と言って、小麦二・蕎麦粉八の割合で捏ねてつなぐと、あら不思議、細く切っても切れずにつながっている。それを茹でて、麺つゆにちょいとつけ、ずるずるすすれば、これがかっこいいってんで、江戸っ子が飛びついたと言う寸法で。そこで、時そばとか、そば清なんていう落語なんかも生まれまして、今に至ったわけでして。
さて、薬味にネギとワサビがつきものですが、江戸の町は意外に水が悪くてね、下手をすると、食中毒なんかしょっちゅう。ネギもワサビも殺菌作用があって、これを防いでいたんじゃないかと、もちろん、薬味で旨さも倍増と言う、一石二鳥のうまい話でして、でも、ワサビはつゆに溶かしちゃいけません。せっかくのつんつんした辛味が台無しになっちまいますから。ワサビは麺のほうにちょいとつけ、そばの足をほんの少しつゆに浸して、そのままずるずると行ってくださいな。これが、通っていうもの。なんてね、粋がっても、しょせんはお好きなように、いかように食べていただいてもけっこう。だって、傍(そば)で、ごちゃごちゃ能書き垂れることほど野暮はありませんから。


2007年11月13日

【山葵の歴史】江戸時代1(1607年)頃 葵のご紋とわさび3

家康様が、天下を掌中におさめ、自分は隠居して権現を名乗り、駿府(現:静岡市)から天下の情勢を見極め、二代将軍秀忠を手足にして政治を動かし始めのころです。安部川上流の有東木(うとうぎ)と言う所に、生育がよいワサビが自生していました。たまたま、そのワサビが家康様に献上されました。家康様は、珍しい辛味と香りが気に入ってしまい、さらに葉の形が葵の家紋に似ていたところから、ワサビを有東木から持ち出し禁止の御法度品としたほどでした。このことが、山葵という漢字の当て字に直接かかわりがあるかどうかは分かりませんが、なんとなく頷けてしまいますね。

2007年11月09日

【山葵の歴史】戦国時代 越後の虎の「勝ち鬨(どき)膳」とは4

上杉謙信こと長尾景虎は、敵に塩を送ったと言うエピソードが有名です。つまり、義に厚い人物として、後世の語り草となっています。
謙信公の日頃の食事は、他の戦国武将と変わらず、一汁一菜の質素なものでありました。しかし、一旦、戦ともなれば、大量の炊き出しを行い、重臣は言うにおよばず、馬周りや足軽にまで、山海の幸をおおいに振る舞ったそうです。
謙信公が、勝ち鬨を挙げることを願って、味方の人心を掌握するために用意した「勝ち鬨膳」とは、どんなものだったのでしょう。

◆一例を挙げてみます。 戦国時代の刺身
「白身魚・くらげ」 ずんだ酢・煎(い)り酒/辛み(山葵・生姜)
醤油は戦国時代にはまだ発明されていませんでした。醤油の醸造が始まったのは江戸時代以降です。戦国時代、魚を生で食べることはやはり稀であったでしょう。ところが、このころから刺身が膳に乗るようになったと言います。
醤油の代わりに、梅干を入れて酒を煮切った「煎り酒」や、枝豆を摺って酢を加えた「ずんだ酢」につけて、刺身を食べていたと言うではありませんか。
当然、薬味に、「わさび」も添えられました。他に生姜や南蛮味噌などをつけて、食していたようです。
一度、試してみたいなと思いました。なんだか美味しそうではありませんか。

参考文献
 『厨事類記』(鎌倉後記)
 『山内料理書』(1497年)
 『四条流包丁書』(1498年)


2007年11月05日

【山葵の歴史】 鎌倉・室町時代3

いずれにしろ、わさびは、当時、庶民の口に入ることは稀であったろうことは想像できます。では、いったいどのような人たちが食していたのでしょう。おそらく公家や僧侶に限られていたのではないかと思われます。例として、公家の御膳について詳細に記した書【厨事類記(ちゅうじるいき)】には、冷汁にわさびを添えると言うような記述があるそうです。また、禅宗の精進料理になどにも取り入れられるようになり、胡麻豆腐などのあしらいに使われていたようです。
いわば、わさびは身分ある人たちの、嗜好をさらに高める、特別な香りと味と意味を持っていたのでしょう。


プロフィール
まゆみ先生
こんにちは!薬剤師の斎藤まゆみです。
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加齢、運動不足、日ごとに衰えていく気力と体力。
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