山葵(わさび)

2008年02月04日

【東根大富産ワサビの話題】 第二回

第二回「栽培期間を露地物の半分に」

山形県東根市は、奥羽山脈と出羽山地に挟まれた村山盆地のど真ん中。大富地区は、東側には山形空港。直ぐ西側は、最上川の本流が流れています。近くには、その最上川の支流小見川が、清らかに蛇行していて、古き良き東北の田園風景と、近代的な空港の光景が、混然一体なっている、ある意味、ちょっと不思議な感覚がある土地柄です。
さらに、この小見川は、環境省の「名水百選」にも選定されるほど、水の良さを誇っているのです。
この水に眼をつけられたのが、農業生産法人「大富農産」の佐藤佳夫さんです。
佐藤さんは、もともと、「日本地下水開発(本社:山形市)」に勤務されていて、20年前から地下水の有効活用に関心を持ち、同社の平野部での地下水有効活用技術を応用して、ワサビ栽培の実証試験を積み重ねてこられたそうです。
大富農産は、約1ヘクタールの敷地に、12棟のビニールハウスが立ち並んでいます。ハウス内には、約50センチの高さに盛られた軽石の畝がしつらえられ、約8万6000本のワサビが作付けされているそうです。畝と畝のあいだに張り巡らされたエンビパイプから、ポンプで汲み上げられた地下水が流れ出すシステムを採用しています。
地下水の温度は1年間を通してワサビ栽培に適した13度前後だそうです。室温も9−12度を維持するようにして、露地物では2〜3年掛かるところを、約半分の栽培期間に短縮することに成功して、今回、初出荷を迎えることができたそうです。
佐藤さんの、並々ならぬ努力が、ようやく結実したということでしょうか。
次回は、そのワサビの味のお話です。お楽しみに!

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【東根大富産ワサビの話題】 第三回

第三回「ワサビの味」

ワサビは本来「辛味」というイメージが強くあります。ところが、今回、佐藤さんが作られた、本ワサビを食べさせていただきまして、「辛味」だけではないことに、ホントに驚かされました。ツンと鼻に抜ける刺激的な香りとともに、舌の先に、まず甘味が広がり、その後から辛味が、お刺身の脂分と混ざって、実に美味しい。こんな体験は初めてでした。
刺身は、近所のスパーで買ってきた、マグロの赤身です。いつもは、チュウブの生ワサビでいただくのですが、その味とは、格段に違う味になっていました。
ちなみに大富農産で栽培している品種は、香りが高いと評判の「真妻(まづま)系」だそうです。ワサビにも品種があるんですね。
オロシ器も、やはり大根をおろすいつも使っているものではなくて、ちゃんと準備しました。刺身を買った同じスーパーで売っていましたので、値段は1,000円以下だったと思います。
ワサビの辛味成分である『シニグリン』には殺菌や食欲増進の効果があるそうですし、他に、ビタミンB2が含まれていて、細胞の活性化の働きを高め若さを保つ効能があります。
また、ビタミンC、カリウムも豊富で、免疫力を向上させることが期待され、また、高血圧など生活習慣病の予防に役立つそうです。
本ワサビは、いまでも、なかなか一般では入手が難しい面もあって、値段も御高いですから、普通に利用するのは無理かもしれませんが、もし、どこかで本ワサビを見かけるような機会がございましたら、ちょっと贅沢をして試して見ては如何でしょう。
東根大富産_本ワサビ

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2008年01月24日

山形県東根市産のワサビ3

第一回「山形県東根市産のワサビ」
先日、あるお客様から、本物の本わさびを頂きました。話を伺って見ますと、「南館のJAの野菜の直販所で売っていた。どうも、東根でワサビを作っていて、それらしい。珍しいから、つい、買ってしまった」とのこと。
では、と言うことで、早速、ネットで検索してみましたら、山形新聞の2008年1月13日(日)の記事がありました。
見出し「栽培期間を露地物の半分に 東根の大富農産がワサビ出荷」
これは、ちょっと凄いんじゃない、と思いました。
普通、ワサビ栽培というと、静岡や長野の山間部のキレイな沢水を利用して、石垣を組んだワサビ田でというイメージを持っていました。
それで、ワサビの産地についてちょっと調べて見ましたら、北海道から九州までほとんど全国で栽培されているんですね。
そして、山形の東根でも栽培されていると言うことが分かって、何だか訳もなく嬉しくなってきてしまいました。次回は、「栽培期間を露地物の半分に」の秘密について、書いて見たいと思います。
東根大富産_本ワサビ

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2007年12月05日

「ワサビと酢とネタと2」 握り寿司誕生秘話4

db82c6c4.jpg◆繁盛 →→→ 屋台めし
江戸時代に大繁盛したのが屋台だそうです。最近めっきり見かけなくなりましたけど、寒い夜なんか遠くからチャルメラの音が聞こえてきたりしますと、なんとなく風情ってなものをね、皆さまもきっと覚えがおありになるでしょう。そうなんですね。「夜鳴きそば」や「鮨」の他に、「うなぎ」、「天婦羅」、「おでん」なども、始まりは屋台からだったようです。
話は鮨屋の始まり。江戸も後半。文政7年(1824年)に、両国、尾上町回向院前に「華屋与兵衛」が開業したと言います。酢飯を握り、ネタをトッピングして一口で食べる。この手軽さがウケて大繁盛したそうです。当時のネタは生の刺身は少なく、例えば酢締め、昆布締め、醤油漬けにしたり、何かと手を加えていたようです。なにせ、当時は電気冷蔵庫なんてありませんでしたから、ネタが日持ちしなかった。握りとネタの間にアワビを塗ったのも、味にアクセントをつけるだけではなくて、ワサビの抗菌作用によって、中毒を予防していたんですね。


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2007年12月02日

「ワサビと酢とネタと1」 握り寿司誕生秘話4

江戸っ子とファーストフード

なぜ、現代にファーストフードが流行るのか? みんな忙しいから、手軽に空腹を満たし、次の行動エネルギーを素早く補給するってことでしょうか。でもそれは、今に始まったことではなさそうです。我が日本の江戸時代、東京がまだ本当の江戸だったコロ、江戸っ子たちに人気をはくしたのが各種の屋台飲食でした。江戸って町はとにかく火事が多かった。だがら、火を使う飲食業は、屋外でと幕府も奨励していたみたいなんですね。
あともう一つ、江戸っ子はとにかく気が短かったから、ファーストフードのような手軽さを求めていたフシがあるんですね。それに、江戸という町は、現代に劣らぬ忙しい町だったようですから、食べ物だけでなく時間も切り売りしていたのかもしれません。

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2007年11月15日

【蕎麦の歴史】江戸時代2 蕎麦には山葵4

日本で蕎麦が栽培され出したのが弥生時代と言いますから、とても古いお話で、お米が凶作になった場合の救荒作物だったと言います。蕎麦は美味しいだけでなく、本当に偉い食べ物。まったく、本当に! だってそう思いません。親はなくても子は育つと言いますけど、お米がなくても蕎麦があれば、腹は何とか膨れますから。こりゃあんまり喩えがよくありませんでしたかね(^^;

ところで、蕎麦があんな風に麺仕立てで食べられるようになったのが、元禄のころと言いますから、これもまた古い話でして、それまでは蕎麦粉を熱湯で練って、団子のように千切り、卸大根なんかで食べていたそうですが、これがいわゆる蕎麦掻っていうやつでして、あれは歯にくっついて、どうも粋なもんじゃないと思っていますけど、それが、二八と言って、小麦二・蕎麦粉八の割合で捏ねてつなぐと、あら不思議、細く切っても切れずにつながっている。それを茹でて、麺つゆにちょいとつけ、ずるずるすすれば、これがかっこいいってんで、江戸っ子が飛びついたと言う寸法で。そこで、時そばとか、そば清なんていう落語なんかも生まれまして、今に至ったわけでして。
さて、薬味にネギとワサビがつきものですが、江戸の町は意外に水が悪くてね、下手をすると、食中毒なんかしょっちゅう。ネギもワサビも殺菌作用があって、これを防いでいたんじゃないかと、もちろん、薬味で旨さも倍増と言う、一石二鳥のうまい話でして、でも、ワサビはつゆに溶かしちゃいけません。せっかくのつんつんした辛味が台無しになっちまいますから。ワサビは麺のほうにちょいとつけ、そばの足をほんの少しつゆに浸して、そのままずるずると行ってくださいな。これが、通っていうもの。なんてね、粋がっても、しょせんはお好きなように、いかように食べていただいてもけっこう。だって、傍(そば)で、ごちゃごちゃ能書き垂れることほど野暮はありませんから。


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2007年11月13日

【山葵の歴史】江戸時代1(1607年)頃 葵のご紋とわさび3

家康様が、天下を掌中におさめ、自分は隠居して権現を名乗り、駿府(現:静岡市)から天下の情勢を見極め、二代将軍秀忠を手足にして政治を動かし始めのころです。安部川上流の有東木(うとうぎ)と言う所に、生育がよいワサビが自生していました。たまたま、そのワサビが家康様に献上されました。家康様は、珍しい辛味と香りが気に入ってしまい、さらに葉の形が葵の家紋に似ていたところから、ワサビを有東木から持ち出し禁止の御法度品としたほどでした。このことが、山葵という漢字の当て字に直接かかわりがあるかどうかは分かりませんが、なんとなく頷けてしまいますね。

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2007年11月09日

【山葵の歴史】戦国時代 越後の虎の「勝ち鬨(どき)膳」とは4

上杉謙信こと長尾景虎は、敵に塩を送ったと言うエピソードが有名です。つまり、義に厚い人物として、後世の語り草となっています。
謙信公の日頃の食事は、他の戦国武将と変わらず、一汁一菜の質素なものでありました。しかし、一旦、戦ともなれば、大量の炊き出しを行い、重臣は言うにおよばず、馬周りや足軽にまで、山海の幸をおおいに振る舞ったそうです。
謙信公が、勝ち鬨を挙げることを願って、味方の人心を掌握するために用意した「勝ち鬨膳」とは、どんなものだったのでしょう。

◆一例を挙げてみます。 戦国時代の刺身
「白身魚・くらげ」 ずんだ酢・煎(い)り酒/辛み(山葵・生姜)
醤油は戦国時代にはまだ発明されていませんでした。醤油の醸造が始まったのは江戸時代以降です。戦国時代、魚を生で食べることはやはり稀であったでしょう。ところが、このころから刺身が膳に乗るようになったと言います。
醤油の代わりに、梅干を入れて酒を煮切った「煎り酒」や、枝豆を摺って酢を加えた「ずんだ酢」につけて、刺身を食べていたと言うではありませんか。
当然、薬味に、「わさび」も添えられました。他に生姜や南蛮味噌などをつけて、食していたようです。
一度、試してみたいなと思いました。なんだか美味しそうではありませんか。

参考文献
 『厨事類記』(鎌倉後記)
 『山内料理書』(1497年)
 『四条流包丁書』(1498年)


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2007年11月05日

【山葵の歴史】 鎌倉・室町時代3

いずれにしろ、わさびは、当時、庶民の口に入ることは稀であったろうことは想像できます。では、いったいどのような人たちが食していたのでしょう。おそらく公家や僧侶に限られていたのではないかと思われます。例として、公家の御膳について詳細に記した書【厨事類記(ちゅうじるいき)】には、冷汁にわさびを添えると言うような記述があるそうです。また、禅宗の精進料理になどにも取り入れられるようになり、胡麻豆腐などのあしらいに使われていたようです。
いわば、わさびは身分ある人たちの、嗜好をさらに高める、特別な香りと味と意味を持っていたのでしょう。


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2007年10月25日

【わさびに関する最古の記述】3

飛鳥時代
 
有名な聖徳太子が活躍していたころの話です。
「奈良県立橿原考古学研究所」は、飛鳥京遺跡(奈良県明日香村の苑地(えんち)遺構で出土した木簡(もっかん):を調査したそうです.
その木簡には、驚くべきことに、わさびや薬草とみられる植物名や、庭園を管理する役所名などがかかれていました。それは、庭園で野菜や薬草が栽培されていた可能性を示す発見で、庭園が単なる遊興の場でなく、薬草園の性格を持っていた可能性もあったのではないかと言う見方が有力になってきました。
その木簡には「委佐俾三升(わさびさんしょう)」と書かれており、わさびと記されたわが国最古の木簡であることが判明しました。木簡の上下に切れ込みがあり、わさびを保管した容器にくくりつけた札ではなかったかとみられています。

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【わさびの歴史】3

09f356ff.jpg今、私たちは「わさび」を、薬草として使うことはほとんど稀である。しかし、古代、飛鳥や奈良のころから、薬として使われ出したと言う記録があるらしい。私たちは、1,200年以上、「わさび」の恩恵を受けてきたと言うことになりそうです。これからしばらく、この「わさび」が育んできた、日本人の医薬・食文化について書きます。

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2007年10月10日

【わさびの語源】「わさび」と「さび」3

山葵(ワサビ)の語源についていろいろ調べてみました。「大言海(だいげんかい)」という辞書によれば、「悪障疼(わるさはひびく)」を略してワサビと言うようになったとありました。しかしどうも難しくてよく判りません・
では少し視点を変えて見ましょう。わさびの「さび」と言う言葉に注目してみます。さび(錆)とは、金属が腐食して表面に酸化物が浮き出てくる現象のことです。中国の古代文明は長く青銅器時代を過ごしました。日本に初めて入ってきた金属もやはり青銅です。青銅のさびは、緑青と言って、日本画の絵の具として利用されたりします。その緑青がちょうどわさびをすりおろしたときの雰囲気に極似しているように見えます。あの淡い緑色の固まり具合のことです。つまり、これは私の個人的な見方なのですが、緑青は青銅のさびであり、わさびをすりおろしたときの雰囲気が似ているので「さび」に日本さす「和」を加えて「わさび」というようになったのでは、なんて思ったりしています。
言葉を作った古代の人々のイマジネーションの豊かさに感服です。


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2007年10月04日

【山葵(わさび)の分類・学名】3

【わさびの分類・学名】
科:アブラナ科 Brassicaceae
属:ユートレマ(ワサビ)属 Eutrema
種:ワサビjaponicum
学名:Eutrema japonicum
英名:Wasabi

【原産国】
日本

独特の刺激性の強い香りと辛味を持つ。
日本が誇る日本原産の香辛料として、広く世界に普及し、利用されているみたいです。

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2007年10月03日

【脇役と主役】5

491b3586.jpg夕べ、新鮮なお刺身を頂きました。庄内浜で上がったばかりの夏烏賊です。烏賊そうめんに造り、ガラスの器に盛り付け食卓に。半透明な烏賊の身が涼しげで、食欲をそそります。早速、下地(お醤油)にわさびを溶かし、ちょいとつけて口に運びます。わさびのツンとした辛味が真っ先に鼻から抜け、それから身を二三度噛みしめますと、烏賊の甘みが舌の上にパッとともり、やがて深みのあるお醤油の旨味と渾然一体となり口全体に広がります。それが、この上のない幸せな味わいとなって生きていてよかったとしみじみした気分がわいてくるのです。今日もこんなに美味しいものを頂くことができたことに、心からの感謝の気持ちも……
そうなんです、刺身に何もつけずに、そのまま食べても、これほどの感動は味わえません。わさびとお醤油、脇役ではありますが、脇役がいなければ、どんなに新鮮で高価な主役のお刺身も、間の抜けた味になってしまいます。名脇役があって初めて全体の味わいが深みを増すと言うことですね。
でもです。この組み合わせ、わさびと醤油とお刺身、単純なだけに初めてこの配役に気づいた人は、いったいどんな考えから思いつかれたのでしょう。
そう言えば、おでんには芥子をつけます。ラーメンには胡椒をふります。これまで習慣として、何も考えることなくそうやって食してきたもが沢山あります。
よくよく考えてみれば不思議なことです。
このブログでは、さまざまな食べ物の主役と脇役の組み合わせの不思議を発見して、謎をひもとき、健康を考えて行くヒントにしていけたらと思っています。


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プロフィール
まゆみ先生
こんにちは!薬剤師の斎藤まゆみです。
あなた自身の生き方をもっと大切に! 
加齢、運動不足、日ごとに衰えていく気力と体力。
こんなはずではないと思っているあなたが、イキイキと元気に生きていくために、健康と美と笑顔を応援する、かかりつけ薬局、それが「漢タロウ薬局」です!

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