2006年03月18日
続編へ
今シーズンに向けて心機一転新しいBlogを立ち上げました。
どうか、今シーズンも応援宜しくお願い申し上げます。
『隠れたサッカー大国での自信』
2005年10月10日
ありがとうございました!
もうすぐ出発です。
短いけれど充実していた北米でのサッカーライフ。blog『サッカー不毛の地での挑戦』は今回で終了です。
今回北米でサッカーをすることで本当に色々な経験を積むことが出来ました。それはサッカー選手として、一人の人間として。この経験はこれからの僕の生活にきっと大きな影響を与えると思います。ここで得たモノをまた次の場所で活かしていけたら、、。
皆さん、今まで色々とありがとうございました。皆さんの支えがあり、何とかこのシーズンを乗り越えてくることが出来ました。
試合会場まで足を運んで下さったMTL在住日本人の皆さん、それから日本から沢山の応援メールを送って下さったファンの皆さん、あるいはカナダまで試合を観に来て下さった方たちもいらっしゃいましたね。重野さん、しょうぞうさん、NYの中村さん、新潟のNさん、Tさん、Kさん、山形のKさん、Fさん、栢野さん、田中さん、アルビレックス関係者の皆さん、元同僚、横浜・新潟・地元の友人たちと僕の家族にも、、、全ての方たちの応援が僕のチカラになりました。本当にありがとうございました。
またこの拙い文章のblogを今まで読んで下さり感謝しております。今回自分の経験したことや思いが(拙いなりにも)少しでも皆さんに知って頂ければ幸いです。。
今だからバラしますが、このblogは全て(日本から持ち込んだ)携帯で打ち込んでいました。おかげで文字の打ち込みスピードが女子高生並に、、、とまではいきませんが随分と早くなったのは確かです。この携帯が無かったら多分大変なことになっていたと思います。この携帯にも感謝です。
次の挑戦場所が何処になるのかは自分でも分かりませんが、これからも自分の道を進んでいきたいと思います。新しい場所でも皆様の変わらぬご支援を受け賜ることが出来たら、サッカー選手としてこれ以上の喜びはありません。また、次の場所が決まりましたら、何らかのカタチでご報告差し上げたいと思います。
それでは、またそう遠くない未来に再びお会い出来ますように。
10月9日 空港にて
深澤仁博
2005年10月06日
トライアウト
先日IMPACTのシーズン終了の報告会&受賞式のパーティー(http://www.impactmontreal.com/newsEN.asp?no_id=448)があったのだが、そこで新人賞を戴いた。28才でルーキーって言われ方も落ち着かなかったが、素直に嬉しかった(これも応援して下さった皆さんのお陰です、ありがとうございます)。
ここまで結構色々あったなぁ、とカナダに来てからのことを(感傷的に)振り返り、、、トライアウトのことを思い出したので今日はそれを書きたいと思う。全てはそこから始まったので。
昨年新潟との契約が切れ、次の移籍先を探している所にJCSCの重野さんとの出会いがあった。その時重野さんからアメリカという選択肢を教えて頂いたのが始まり。。
その後オープントライアウトの情報をメールで送って頂き、はじめはMLSも含めコロラド、シアトル、コロンバスと3チームを一ヶ月かけて回ろうという予定だったのだ。
当初はIMPACTは含まれていなかったのだが、日本出発2日前に重野さんと最後のミーティングをしている最中「あれ、ここもあるねぇ」と開いたPCで発見。しかし、コロラドの次の日から3日間開催とあり僕は「ちょっと無理かなぁ」と考えていた。
でもまあ、駄目元で「私日本の者ですがコロラドにもトライアウトを受けに行くので、2日間のみ参加は可能でしょうか」という何とも我が儘なメールを辞書を引きながら作成し送信、運良くマネージャーに承諾された。
オープントライアウトということで誰でも参加できる本当に「オープン」なやつ。参加申し込みをし5〜60ドル払えばOKってことで、コロラドには約300人の選手(?)が大集合。おじいちゃんとか野球のスパイク履いている人、「いや、それ違うんじゃないですか」っていう人からメキシコの1部でやっていたシリアスな選手まで。
そんな中、一日でごちゃまぜになって行われたコロラドのトライアウト。僕は途中であっさりと落ち(ガックリ)、では次、ということでその夜ホテルで飛行機・次の宿泊先の手配を済ませ翌朝直ぐさま出発。
そうして、、、ようやくモントリオールに辿りついたのだ。
空港に到達した時はまだ雪が降っていて「こんな中でサッカーやるのか?」と不安になったが、翌日集合場所へ行ってみるとフルコートの室内練習場。さすが雪国だなぁ、と感心した記憶がある。
受付を済ませ、グランドへ入ると40人くらいの選手がウォーミングUPの最中。どうやら1日目で結構な数が振い落とされたようだ。結果的には自分のプレーをしっかり見てもらえたので遅れての参加は正解だったのかも。
運良くテストに合格しチームの練習に合流。まあ、そこからが長かったのだが。チームの練習をこなしていくなかで見極めの期間、契約はそれから、、この期間は本当に落ち着かなかった。始めに「テストに合格しても一ヶ月くらいはずっと練習を続けて、実際に契約する迄はけっこう時間が掛かるよ」と言われていて頭では分かっていたのだが。ある期間を練習し何日に合否発表、というのではない。練習や試合を続けていく中でプレーが良かったらチームに残れる、ダメだったらその日でハイ、サヨウナラ、、という具合。実際途中で選手が帰らされる場面を目の当たりにし、焦る場面も。
そういうこともあって「契約しましょう」というお話を頂いた時は嬉しかったというよりホッとした、のが正直な気持ち。。
実際の契約では殆ど英語が話せなかったが(今でも疑わしい)何とかサインを完了。監督、コーチ、マネージャーと固ーい握手を交わした。
そういう場所から始まり、シーズンを戦い抜いて来た。短かったが充実した時間だったと思う。
思うのはカナダ、アメリカは本当に「オープン」だったなということ。トライアウトのように実力があればどんな人間でも受け入れる、例え日本の人間であっても。競争は厳しいけれどチャンスは誰にでも与えられる、そういう精神の社会だったから僕もプレーするチャンスを掴むことが出来たのだ。
それから、サッカー選手の選択としてこういう方向もあるんですよ、とひとつの可能性を示すことが出来たことを嬉しく思う。それに関して今回北米へのチャンスを教えて下さった重野さんにこの場を借りて御礼申し上げたい、この方との出会いが無ければ僕は今ここにいることは無かっただろう。
僕自身はこれからも自分の道を進むだけだが、もしこの挑戦を知った現役の選手、もしくはプロを目指す少年が後に続くようなことがあれば、、、今回の選択に何らかの意味が生まれるのではないか、と思っている。