2005年10月

2005年10月28日

テレビのコマーシャル

テレビのコマーシャル
テレビのコマーシャルがうるさいと思う方は私だけではないだろう。サッカーのときは、コマ-シャルが45分間抜けるから本当に気分が良い。コマーシャルのために民放が無料なのだから、まあ仕方ないのだが、なかなか面白いコマーシャルにはお目にかかれない。

面白くないだけなら我慢もできるが、内容が意味不明なコマーシャルが多過ぎて困る。放映時間が15秒か長くても30秒間の短い時間内に色々なメッセージを押し込むから、制作するほうも苦労が多いであろうが、意味不明のメッーセジには本当にいやになり、逆に絶対に買わないぞと思うことすらある。シンプルでも良いから、メッーセジの意味が分かればまだ救われるが、半数くらいは内容が凝り過ぎているからか、意味が分からないコマーシャルである。

ひとつの理由は画面が余りにも早く切り替わることがあろう。前後のストリーに関係なく突然出てくる商品だから、その商品が何かを理解するのに最初の5秒間くらいはかかってしまうが、その間に画面が2-3枚は変わってしまう。理解出来ないまま次々と画面が展開するものだから、理解しようとする意欲すらなくなる。
コマーシャルだから、理解できなくても問題はないが、TV コマ-シャルの放映代は非常に高いのだから、もっと理解された方がスポンサーにも実利があると思うのだが。
手っ取り早い工夫は画像の枚数を半分にすることだ。広告の効果はずいぶん上がると思うのだが。

TOBで騒がれている楽天のTBS買収計画の解説に出ていたが、楽天社員の平均年収は600万円なのに、TBSは1450万円だという。もの凄く高額な年収である。そのコストに見合う為に、放映代も高くなる。スポンサーは短いコマーシャルにありったけの情報を無理やり詰め込もうとするから、なんだか理解できないまま落第生の授業が次々と進んで行くのと同じ現象だと思った。






mh3944 at 16:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2005年10月24日

原油価格の高騰

原油価格が高騰している。イラク戦争時は$/30/B前後であったものが急騰し始めて、直近の先物価格は$80/Bにも達した。 2.5倍である 日本では1年前まで80円であったガソリンが今や130円になってしまった. 今後10数億の人口をもつ中国のモータリゼションが進めば、近い将来には$100/Bを超えるとの見方が定説化している その時には日本のガソリン価格は250円になるのではないだろうか? 米国においても100円になるだろうといわれている。
日本は多くの面において省エネルギー化が進んでおり、その打撃は小さいといわれてはいるが、石油はあらゆる経済活動の基礎であり、大きな影響を与えるであろう。怖い世のなかになったものだ。しかし私は、むしろ喜ぶべきことではないかと内心思っている。

前々から化石燃料の石油の寿命は長くて50年は、短ければ30年とも言われている。その超貴重な石油を熱効率10%程度のクルマの燃料として燃やしてしまうのは誠に勿体無い。最新の発電所でも熱効率は30%程度らしい。あらゆる場所において、この超貴重な石油が本当に無駄に消費され続けているのである。

全く卑近な例で恐縮だが、私のご近所は、家庭ゴミを近くのゴミ集積所へ棄てに行くのにクルマを使っている。手に提げで2-3回往復すれば済むものをクルマなら1回で済むためらしい。数年前まで大手都市銀行の役員であったインテリさんのお宅だ。 何たるばかばかしさ! しかし私にはこのばかばかしい行為を止めさせることは出来ない。 例え小泉さんでも止めさせることは困難であろう。 まして米国などでは、この数千倍、数万倍の規模で、ガソリンが浪費されている。

このような浪費を止めて、貴重な石油をこれから数百年―あるいは千年も持続して使うためには、価格を異常に高騰させる以外に有効な手段はない。そのためには、日本の如く通勤には自転車で停留所まで行き、そこから電車やバスでラッシュにもまれる以外に解決策はないのである。 人間はもっともっと優しく自然を大切にしなければならない。 欧米でPark and Rideとか格好良いことばが流行っているらしいが、日本は大昔からやっていることである。

この意味から、思いがけない原油価格の急騰は、人類の生き残りにとって千載一遇のチャンスであると思うが、皆さん 如何でしょうか?


mh3944 at 13:35|PermalinkComments(0)TrackBack(1) ビジネス 

2005年10月18日

再び靖国参拝について

昨日小泉首相が靖国神社に参拝された。中国や韓国は当然に反発しているが、首相ご当人は安心されたであろう。

理由は簡単! 4年間頑張り続けて来たものを最後の1年だけ中止する訳には行かないし、また一端参拝してしまったら、もう取り消しは出来ないのだから。
中国、韓国は、貴重な切り札を失って本当に残念なことであろうが、日本にとっは、こんな幼稚な無理難題を受け入れて、彼らの有効な切り札にされたのでは、国際的にも恥ずかしい限りである。 更に将来何を言い出される分かったものではない。

確かに両国の国民がデモっているのはテレビで見た。しかしそれは彼らの政府自らの長年に渡る演技育成の結果であって、国民の自由意思で大昔の戦犯に対する憤りから出たものでは絶対にないであろう。既に第二次大戦が終わって60年が経過した今日、1国の首相が自国の神社に参拝するのを他国の国民が仕事を放り出して大騒ぎするのはどう考えても怪しく納得できない。 正しく政治的な煽動の結果以外に何ものでもないだろう。 不安定期間の長かった中国韓国が愛国心高揚のためにコストゼロで創出した最高の切り札なのである。

問題は、小泉さんの後継首相である。中国は来年以降も靖国反対を叫び続けるであろうが、それに応じて後継首相が参拝を中止でもしたら元の木阿弥である。中国は再び切り札復活を狙って反対運動に力を入れるであろうし、韓国もこの貴重な無形国家資産の維持に努めるのは確実である。

となると、後継首相は参拝継続を主張する安陪さん以外には居ないのではないだろうか? 切り札の効力は既に大幅に減額され始めているので、後継首相が参拝を続けても危険の度合いは小さい。 誰が後継首相になるにせよ、小泉首相が一徹に貫き通したこの意思を守り続けて、限りなく効力ゼロに近づけて欲しいものである。

  



mh3944 at 15:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2005年10月14日

サラリーマンと出世

サラリマーンにとって最大の喜びは出世である。同僚よりも数ケ月でも早く昇格できると大きな喜びとなる。 他社に就職した友人の出世はそれほど気掛かりではなが、自社の同僚との出世競争は非常に不安で心配である。

私も大学を卒業したときは青雲の気概に燃えていたが、結果的には大きな出世は達成できなかった。点数で言えば合格点すれすれの60点だろうか。企業の本社で競争し続けることは、本当に苦しくて窮屈でたまらなかった。

結局、自分が企画した米国企業との医薬関係の合弁会社に、自分が社長となって飛び出してしまった。そしてゼロから会社を立ち上げ12年間担当した。
60才になった時には社員数60名、年商17億円であった。当然、自分は社長を続ける気持ちであったが、米国会長から、君はUntouchable(独断的)で米国パートナーを経営に参加させなかったからクビだ、と宣告されてしまった。
たいへん驚き、その夜は眠れなかった。しかし内心は重い責任からやっと開放されてホットした気分も確かにあった。 そして退職後、今度は自分で小さな会社を立ち上げ5年経過して、やっと軌道に乗ったところである。
従って本社での順調な出世を望むサラリーマンとしては、不合格であろう。

しかし、医薬合弁会社の12年間は本当に充実した経験であった。
何しろ、医薬(正確には診断薬)分野は全く初めてであり、全て目新しいものばかりで大きな勉強の連続であった。更に毎年数回(従って合計では数十回)にも及ぶ米国出張や、ビバリーヒルズの高級ホテルでのパーティー、ヨーロッパ旅行、更には毎年恒例の世界的保養地での長いバケーション旅行などは本当に有意義であり、思い出深いものばかりであった。
例えば、IrelandのAshford城での10日間、Spain領Canary Islandでのバケーションなどは、さすがに日本人には全く出会わず、見るもの聞くもの全てが驚愕の連続で、勉強になる貴重な体験の連続であった。噂にしか知らなかった仮面パティーにもイタリアで初めて参加し、Spain原語でカラオケ(Besame Mucho)を披露して大喝采を受けたこともあった。

このような貴重な経験は、東京本社で、同僚との出生競争に精を使い果たしていたのでは絶対に得られない貴重な人生の体験で贈り物であり、何日写真を見ても懐かしく思い出され、時間の経つのを忘れる日々であった。
いま退職したあと、自分の40年間近いサラリーマン生活を総括してみると、90点をやっても良いのではないかと思う今日このころである。

大企業の社長を夢みる青年諸君! 社長になるには努力だけでは不可能で、幸運に恵まれることが必須条件なのですよ。君達が社長になる確率は事実上1%以下でしょう。それよりも思い切って新分野、新大陸に踏み出してみませんか?
そして悔いのない人生を送ろうではありませんか。 サラリーマン人生も終わってみると、本当に短くて夢のようですよ。 







mh3944 at 11:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2005年10月13日

余暇人生の過ごし方

私は67才である。高齢者の境を60才にするか、65才にするかで議論はあるが、何れにしても私は完全な高齢者である。

幸か不幸か、私は、定年退職後に設立した精密機器のメンテナンス事業が軌道に乗り始めたので、毎日朝早く家を出て、夕方は早めに帰宅する日がつづいている。会社を始めた理由は、元気な限り社会へ貢献したいと格好良く言えなくもないが、実はインターネットに習熟し、携帯を自由に使い、社会と直接関係し続けたいという、つまらない理由もなかったとも言えない。

従って、正月休み、春の連休、お盆休暇などで、連休が1週間も続くと、もう耐えられなくなってしまう。早く会社に出勤したくて、連休が終わるのが待ちどうしい。 にも拘らず毎週の週末は、また結構待ち遠しい。

会社から1時間の私の住宅街は、ほぼ同年代ばかりで、高齢者社会である。
同輩は余り家の外に出ないので何をしているか分からないが、私の連休の過ごし方から推察すると、多分夜は遅くまでTVドラマを見て、朝は遅く起き、新聞を読み、散歩に1-2時間ほど出掛け、昼過ぎには、軽い昼食をとって、テレビでも見ながら、日が暮れるのを待つ毎日ではないだろうか? そして時折、絵画教室とか料理教室、奥さんのショッピングに付き合うこともあろう。或いは図書館で椅子の取り合いに時間を潰しているかも知れない。

飽きもしないで毎日が過ごせるものと感心するが、他にすることが無ければ、致し方ないだろう。しかし人生80年時代は長い余生があり、苦労しながら過ごすには余りにも長過ぎる年月である。自分が現役時代に蓄積したKnow-Howを生かすべきではないだろうか?

私なら、きっと何か新しいことを始めるであろう。土地があれば百姓、倉庫があれば修理業、店があればサービス業、部屋があれば育児相談所、若者への人生相談所、仲間がいれば郷土研究会、水があれば釣りとか、ヨット(今やっている)等々。

機会があれば、定年退職者の人生観とその変化について話を聞いてみたいと思っている。残された長い人生をどう乗り切ろうとしているのか?
どうせ死ぬのなら、その時の到来を待つのではなく、何かをやり遂げて思い出多い人生にしては如何だろうか。大きなリスクを冒さないで何かを始める知恵とお金は、皆さんきっと持っておられる筈だから。




mh3944 at 11:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2005年10月12日

体育大会に参加して


久し振りに、先日10/10体育の日に、市内の体育大会にボランティアとして参加した。担当は、スピードボールとかいう、中心の支柱に1.5メ-トル程度の紐をつけ、その先についたやわらかいゴムボールを、中型のラケットで打ちあうゲームであったが、雨模様とあって、参加者は少なく、逆に当方もスポーツ要員として参加させられた。

見ていると簡単そうにみえるが、実際にやってみると、なかなかタイミングが間に合わず、格好も悪く、散々であった。しかし若い人達は直ぐに慣れて、連続して打ち続け始めた。 年齢が40-50才程度も違う若者と競争する気持ちは最初からさらさら無かったのだが、流石に気持ちも滅入ってしまい、早々に練習を止めてしまった。
若い人は動作スタイルも良く、ゲームをしても非常にしなやかに動くのだが、当方は何をしても不恰好で、タイミングが遅れ、思うようにはプレイ出来ない。

私は若い頃からスポーツ万能にはほど遠く、辛うじて過疎地の中学校のテニスの選手ではあったが、県大会には出るチャンスなどは少なかった。社会人になってからのゴルフもなかなかGross 100を切ることが難かしく、面白くないので最近は殆どやっていない。今やっているDingy-Classヨットは、通常は運動能力には余り関係せず、スタートの位置取りとタイミングが非常に重要であり、従って結構いい線を行くので楽しんでいるが、今回の体育大会は、自分の運動能力のなさと衰えを痛感した1日であった。

そういえば、先般の孫達の小学校運動会でも同様で、どうしてもっとうまく内側を走り、バトンタッチしないのかと歯軋りしたのだが、60年前の自分の運動会を振り返ると、全く同様か、更にはそれ以下ではなかったかと思い出して、思わず涙が出そうになった。

幸い、自分は悪賢い人間社会の1員に生まれているからこそ、何とかごまかしているが、遺伝子の配列が数%ほど狂って、実力本位の野生ザルの仲間になっていたら、ボス猿になって家族を持つことはとても敵わず、一生独身で、周辺を彷徨っているハグレ猿として、生涯を終えたのではないだろうか。 人間に生まれて、条件が複雑な社会の一員として本当に良かったと、しみじみ思った体育の日であった。




mh3944 at 11:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2005年10月06日

リュックサックお父さん


当方は流行に疎いので正確な名は知らないが、いわゆるリュックサックを背中又は肩に掛けた人が最近目立つ。 しかも結構な年配者が大きなリュックを肩にかけて毎日電車通勤している。本人は流行の先端(?)の気分で、手ぶらで歩けるのも楽しいようだ。
余りケチをつけるつもりはないが、満員電車のなかでこれをやられると周囲は本当に困ってしまう。丁度2人分のスペースを占めるからジャマで仕方が無い。特に電車の通路にこれで立たれると、場所の移動も自由にならず困って、思わず2人分の運賃を払っているのかと問いたくなる。しかもリュッククサックが他人の背中に触れていても、当人には分からないから平気である。

毎日運ぶのなら、勤務先に置いて置けば良いと思うのだが、そうは行かないらしく、毎日セッセ セッセと同じに荷物を運んでいる。何が余程大切なものが入っているのだろうと、前々から疑問に思っていた。

たまたま、あるリュックサックお父さんと親しくなって中身を聞いたところ、当人は魔法瓶の弁当を入れていると言った。魔法瓶を使うと昼食が温かくて美味しく、他人への迷惑には換えられないらしい。魔法瓶の人ばかりではないかも知れないが、多分似たり寄ったりのものを入れているのではないのだろうか?

若者ならいざ知らず、年配者にはもう少し他人への配慮もあるべきだと思うのだが、皆さんは如何でしょうか?






mh3944 at 14:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感