2006年06月

2006年06月29日

恥ずかしい話

もうひとつ恥ずかしい話を書く。

私はドモリであった。いや現在でも時と場合によってはかなりどもる。
初めは小学生低学年のころからドモり始めた。原因は分からないが、父親が昔かたぎで非常に怒りっぽく、いつも怖く震えていたからかも知れない。
小学生の時はどもりを楽しんでいた記憶もある。しかし本当にドモリの苦痛を味わうようになるのは中学生になってからだ。特に国語の時間に易しい教科書が普通に読めないのは耐えられない屈辱であった。 

順番に立ち上がって教科書を読む順番が段々と近づくと、もう居ても立っても居られなかった。全く平易な文章を同級生の3倍も4倍もかかりながら、ひっかかりもっかかり読むのは、思春期を迎え始めた青年の心には、もう地獄であった。矯正所にも通ったが効果は無かった。高校に入ってから更にひどくなった。しかし英語の授業だけは楽しかった。どもっても当たり前だから逆にうまく読めた。

大学に入ってもドモリは直らなかった。信じられないような本当の話だが大学卒業まで、私は電話をかけたことが一度も無かった。何かの用件で同級生のM君に電話を約束したままかけず、大騒ぎになったことを覚えている。

実社会に入ってからは、流石国語の授業のように何かを順番に読むことは殆ど無くなり、いろいろと表現を変えて話せるので、苦痛は少なくなった。
しかし、労働組合の書記長に選ばれての春闘の経過報告などは、事前に原稿を準備して配付するので、その音読は苦しかった。 しかし原稿無しで、自分が考えながら話す時は、口ごもっても笑われないので平静であった。従って殆どの場合簡単なメモだけを見ながら話すのが、得意な私のスタイルとなってしまった。
私は出しゃばって人前に出ることはまず無い。決して雄弁にはしゃべれないからだ。じっくり考えながらでないと話せないのだ。

ドモリはなかなか直らない、とっくに還暦を過ぎた今でも、私は毎日早朝に10分間ほど音読で舌の回転の訓練をする。声を上げて本を読むのは頭脳を活性化させると聞くが、私の場合、実質上、丸暗記していることを発声するだけなので、どれだけ脳の活性化に役立つかは少々疑問ではあるが、

兎に角,1年365日正月休みもお盆も無く、同じ英語読本を繰り返し繰り返し音読する。研究社のSpoken American Englishだ。もう40余年間、何百回と音読しているのでボロボロになっているが、全24章あるテキストを全て暗記してしまった。その結果、英語の発音が非常によく,すらすらと話せるようになった。

しかしヒアリング力は殆ど向上していないのに気付いたのはかなり後になってからだ。話すことと聞くことは脳の全く別の部分が働いていることを初めて知った。英語が話せるのにヒアリングは出来ないとは普通の人は思わない。従って45才の時に単独でアメリカの医薬品会社に飛び込んで合弁会社の設立の交渉をしたときは、先方の話が余り理解できず本当に苦労の連続であった。

今日でも毎朝英語の音読をやらないとドモるから不思議な話だ。しかしこれをやると普段には殆ど目立たない。多分家族たちも私がどもるとは気付いていない筈だ、雄弁でないことは良く知っているが。

しかし、狭いアパートでの毎朝大声の音読はうるさいのでいつも家族から嫌がられた。従ってまだ若い時に一戸建てを作ろうと決心してしまった。 家が欲しかったというよりも、郊外に自由に音読できる大きな家が欲しかったかのが事実に近い。兎に角、湖畔の静かなところに結構広い家をバブルの前に作ってしまった。 これも塞翁が馬とでも言うのだろうか?



mh3944 at 14:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2006年06月22日

いじわる

いじわる

先日、久し振りに新幹線にのった。時間に余裕があったので、一両目の自由席のど真ん中に陣どった。東京初の始発なので、山側の2人席か、海側3人席のどちらで座れるが、どうせ横浜で満席になるだろうからと、山側2人掛の窓側に座った。

殆どの人が2人掛の椅子の窓側に座るが、直ぐ前の席には年配の女性客は2人掛けの通路側に座っていた。横浜に着くと多数の客がぞっと入って来た。通路側が空いている私の隣にもお客が座った。しかしすぐ前の年配客の窓側席は空いたままで、新しい客はなかなか座らない。座り難いのだ。新横浜を発つと次の名古屋まで、その窓側席には誰も座らなかった。いや座れなかったというほうが正確だろう。名古屋で新しい客が、窓側は空いていますか?と聞くと、年配の女性は黙って自分が窓側の席に移っていった。

そうか、2人席に他人が座るとうるさいので、通路側に腰掛けて、窓側の席は空け、併せて両方の席を独り占めしようという魂胆なのだ。よく使われる手である。誰も文句を言われない、もし何か言われたら、窓側に移ればよいのだ。まったく年増のおばさんが考えそうな手である。
さすが男性客はこのような小手先のいじわるは余りしないが、おばさん達は、数少ない正々堂々と行なえる合法的イジワルなのだ。全くいやな世になかになったものだ。




mh3944 at 14:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2006年06月08日

電車の席取りとサラリーマン

私は、毎朝早く、少なくともふつうより2時間は早く出社する。
従って座席に座れなかったことは殆どない。しかし遅れて乗車した人達は回りを見渡して早く下車しそうな人を探し見定め、その前に立とうとする。幸運にも着席できた人は途端に居眠りに入る。しかし座れない人は、懸命に次に下車しそうな学生やおじさんを探し続けている。毎朝繰り返される光景である。
しかし、座れても座れなくても、そのひとの人生には殆ど大差ないのではないだろうか?それよりも立ち続けて足腰の鍛錬したり、窓の外の移り行く光景を眺めながら 世情の推移を考えたほうが、余程その人のこれからの人生にプラスの影響を与えるのではないだろうか? 

話は少し飛ぶが、私は6年前に某大手企業を退職して、いま資本金1000万円の会社を経営している。小さくとも一応経営者である。サラリーマン時代との大きな差は、煙たい上司やライバル同僚が居ないので、頭上がいつも秋晴れであることだ。本当に気持がいい。 
しかし実は別の大きなプレッシャーがある。ある日突然仕事が全く無くなってしまうのではないだろうかという不安が常にある。これはサラリーマン時代には殆ど味わったことのない潜在的なプレッシャーである。

もうひとつ、サラリ-マン時代は、いつも今月の売り上げとか目先のことばかりに目を奪われ あくせすし過ぎていたことを後悔している。
もっと長い人生のことを考えて行動すべきであったという反省である。 売上予算を抱えると、その達成に目を奪われて、僅かでも同僚より多いボーナスをもらいたいとか、半年でも早く出世したいとか、今頃になって考えると、意味のない事ばかりに目を奪われていた。乗客の席探しに近い報酬の少ない努力であった。 しかし、井のなかの蛙の争いよりも、もっと大きく見聞を広めて世界に羽ばたくべき努力を早くからすべきであったという反省である。

勿論、自分なりにそのような志向はもっていたつもりであり、外部に飛び出して、米国系合弁会社の責任者(社長)を12年間を勤めた経験はいまでも非常に貴重である。
例えばアメリカロッキー山脈、アラスカ、ハワイ、デュッセルドルフ、ロンドン、ダブリン、ジェノア、リスボン、カナリア諸島、、、、などなどで外国人家族とのバケーション生活や、初めて仮面パーティーに参加したことは、普通のサラリーマンには殆ど得がたい経験である。しかしもっと早くからその方向を志すべきであったと、反省している次第である。

若いサラリーマン諸君へアドバイスしたい:目先の業績アップは確かに大切ではあるがそれだけを絶対視するな! 少しの遅れなどを悩む必要はない。必ず挽回できる時代である。激変する時代に対応できる柔軟な人材を企業は求めているのである。 時には目先の利益を犠牲にしても、世界に目を向け、沢山の知人を持ち、他人の話を見聞して、自分の判断力を強め、そして結果的に豊な人生を目指そうではないか?





mh3944 at 13:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2006年06月05日

Hawaii旅行

先週は一週間Hawaiiで遊んで来た。年賀状の一等賞があたったのだ。
一等賞は2回目である。Hawaiiは既に何回か行ったが、全てMaui島で、Oahu島は始めてだったが、Honoluluは予想通り日本人で雑踏した街だった。

昔、私の母親の祖先はHawaiiで働いていたと聞いたことがある。明治時代のことだ。その時代だから多分サトウキビ畑で働く出稼ぎ労働者だったのだろうか? このHawaiiの山々を見ながら汗水ながして働いたであろう遠い祖先のことを思うと少々感傷的になった。 その時代の日本は国際的な地位は極めて低く、多分奴隷と同じような肉体労働に従事したのであろう、軽薄な日本人の若者が闊歩する今日のWaikiki通りとは大違いであったろう。

現地のディナー会場で、前席にいた日本人観光客が舞台に引っ張り出されて、徹底的に笑い者扱いされていたが、今日の日本人の安定した社会的地位があってこそ笑いの対象になりうるのであり、中国人や韓国人には、恐らく耐えられない筈だが、その辺は主催者も十分心得ている。
現地は殆どのメニューは英語と日本語で書かれており、街を歩いても東京と余り変わりなかった、しかし中国語が併記される日も近いのではないだろうか。

Hawaiianとは正式にはPolynesia系を指すと現地で聞いた。成るほど、世界地図でみると、米国大陸とは2000km以上隔れているが、Polynesiaの島々はかなり近い。Polynesia、Melanesia、Micronesiaなどの南西太平洋島々の民族が、何らかの理由で大海原のこぎ出し、漂流して、殆どは飢えと乾きに悶えながら海のもくずと消えたが、その一部が幸運にもHawaii島にたどり着いた。 当ても無くこの広い太平洋にこぎ出すにはきっと何らか大きな圧力があった筈で、それは、多分集落間の争いであり、島から逃げ出さざるを得なかったのであろう。今日のHawaiiの繁栄の陰には、大昔の多数の人達の苦しみと悲鳴が海底に沈殿していると思った。




mh3944 at 16:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)