2006年11月
2006年11月30日
初めてのダンスパーティー
私はヨットクラブの仲間と一緒に1年前から社交ダンスを習い始めている。最初はなかなかステップを覚えられず、自分の不器用さに悲嘆に暮れ、恐怖感すら覚えた。しかし猛練習をしてステップをマスターすると、
今度は自転車にのるように面白くなってしまった。何故あんなに苦しんだのか分からないほど楽に踊れ始めた。しかしそれからは大変で、どう動けば美しく見えるかという永遠の課題が立ちふさがり、年甲斐もなくフギュアースケーターのご苦労が身にしみて分かる段階に入ってきた。
とことが、思わぬことに我孫子市主催の公式のダンスパーティーで、我がクラブも踊る羽目になった。余程断ろうと思ったが、若干の興味もあり、結局引き受けてしまった。特に見学者は殆ど居ないかも知れないと市担当者が心配していたので、それでは普段のレッスンの延長でやれそうと計算したのだった。
ところが予想に反して、当日はプロも含めた沢山の見学者が山のように集まり、その面前で未熟なダンスを披露する羽目になってしまった。講師の女性は、もう心ここに在らざる心境で青くなり震えていたが、ここでモタモタしては恥の上塗りとばかり、私は度胸を決めざるを得なかった。ここは会長としての私の非常に苦しい立場もあった。
時間が来てCDが鳴り始めても仲間は誰一人踊り始めない、仕方ないので私が仲間の女性の手をとって舞台の真ん中で踊り始めると、やっと仲間達も動き始めた。それからはもう無我夢中で、ワルツ、タンゴ、ルンバ、と踊りに踊った。年を食い鈍感なせいもあるだろうが、踊りながら見学者の顔が良く見えたのには我ながら驚いた。
当日の早朝30分ほど事前練習をしたためか、足がもつれることもなかった。会長だから上手だろうと誤解したのか、見学者のなかからプロ級の女性がお相手を希望したので組んで踊ったが、流石に相手は素敵だった。多分私が余り上手ではないことを感じとったに違いない。予定の1時間はかなり長く感じたが、兎に角、目立った失敗もなく、無事に踊り終えることができた。
最後に、未熟な踊りにお付き合い頂いたお礼を申し上げてお開きにしたが、その日の夜はどっと疲れが出て、早々に眠った。
しかし冷静に考えると、やはり恥ずかしさで今でも顔がほてる。見学者をどう集めるかと、市担当者が心配していたので、引き受けたのだが、プロ級も含めた多数の見学者があると、最初から分かっていたら、とても引き受けられるしろものではなかった。
年賀葉書の一等賞Hawaii旅行と並んで、今年の私の思い出深い大事件のひとつとになった。

今度は自転車にのるように面白くなってしまった。何故あんなに苦しんだのか分からないほど楽に踊れ始めた。しかしそれからは大変で、どう動けば美しく見えるかという永遠の課題が立ちふさがり、年甲斐もなくフギュアースケーターのご苦労が身にしみて分かる段階に入ってきた。
とことが、思わぬことに我孫子市主催の公式のダンスパーティーで、我がクラブも踊る羽目になった。余程断ろうと思ったが、若干の興味もあり、結局引き受けてしまった。特に見学者は殆ど居ないかも知れないと市担当者が心配していたので、それでは普段のレッスンの延長でやれそうと計算したのだった。
ところが予想に反して、当日はプロも含めた沢山の見学者が山のように集まり、その面前で未熟なダンスを披露する羽目になってしまった。講師の女性は、もう心ここに在らざる心境で青くなり震えていたが、ここでモタモタしては恥の上塗りとばかり、私は度胸を決めざるを得なかった。ここは会長としての私の非常に苦しい立場もあった。
時間が来てCDが鳴り始めても仲間は誰一人踊り始めない、仕方ないので私が仲間の女性の手をとって舞台の真ん中で踊り始めると、やっと仲間達も動き始めた。それからはもう無我夢中で、ワルツ、タンゴ、ルンバ、と踊りに踊った。年を食い鈍感なせいもあるだろうが、踊りながら見学者の顔が良く見えたのには我ながら驚いた。
当日の早朝30分ほど事前練習をしたためか、足がもつれることもなかった。会長だから上手だろうと誤解したのか、見学者のなかからプロ級の女性がお相手を希望したので組んで踊ったが、流石に相手は素敵だった。多分私が余り上手ではないことを感じとったに違いない。予定の1時間はかなり長く感じたが、兎に角、目立った失敗もなく、無事に踊り終えることができた。
最後に、未熟な踊りにお付き合い頂いたお礼を申し上げてお開きにしたが、その日の夜はどっと疲れが出て、早々に眠った。
しかし冷静に考えると、やはり恥ずかしさで今でも顔がほてる。見学者をどう集めるかと、市担当者が心配していたので、引き受けたのだが、プロ級も含めた多数の見学者があると、最初から分かっていたら、とても引き受けられるしろものではなかった。
年賀葉書の一等賞Hawaii旅行と並んで、今年の私の思い出深い大事件のひとつとになった。

2006年11月22日
ケイタイは国を滅ぼす?
パソコンが仕事に効率的であることは述べたが、持ち運びは不便だ。
ノ-ト型と言ってもポケットに入る訳ではない。従ってケイタイの出番となる。
若い女性の殆どは通勤途上でケイタイをやっている。電車に乗っても歩いていても、エスカレターでも階段でも、ケイタイから目を離さない。女性ばかりか男性も最近ケイタイが目立つようになった。 何がそんなに面白いのだろう?
私の場合ケイタイは、その言葉の通り携帯する電話であり、メイルのやり取には文章が短い過ぎてケイタイは使わない。パソコンでなければ意向を十分に伝えるとことが難しい。
若い女性は1日100通以上のケイタイをやりとりする豪の者もいるという。
お元気?とか、如何?とか いつか食事しませんかとか、彼とは如何?など、たわいない交信だろう。そして返事が遅れると心配になり、またケイタイを打つ。文章が短いため誤解を招きやすく、返信がないと不安になり、更に不安を増殖して、益々落ち着かなくなる。
先日、JR新木場駅の電車で私の隣に座った若い女性は、JR新松戸駅に到着するまでの40分間のあいだじゅう、2-3分毎にケイタイを出しては打ち、読んでは打っていた。 この短い乗車時間に彼女は多分10回以上ケイタイを打っただろう。もう気違い沙汰だった。自分の小さな頭のなかに閉じこもって、衝動的にメイルし、返事を見ては打つ。とても冷静な思慮などは期待できないと思った。
頭脳の柔軟な若い時代を、このような精神状態で毎日過ごすとどうなることか、日本の若い女性の将来が末恐ろしいと思っていたら、心配が的中した。 国内のある最近の調査によると、日に
30分間以内程度ケイタイを打つ女性の語彙力はまだ平均的なレベルだったが、日に100分間以上ケイタイを打つ女性の語彙力は、中学生程度であったという。全く恐ろしいことだ。
最近の育児トラブルとか、子供虐待などは、このような衝動的な青春時代を過ごした母親が起こすではないだろうか?
確かに会社ではパソコン相手で、個人的なケイタイを見るのは難かしい。従って出勤途上又は帰宅中の電車の内で、たまったストレスを吐き出しながらケイタイを打つのだろう。 危ない階段を降りながら、自転車がくる歩道を歩きながら、プラットホームで電車を待ちながら、殆どの女性がケイタイを見ている。このまま10年―20年と経過すると、果たしてどうなるのだろうか? 取り返しのつかない事態にならなければよいがと、不安が増殖してしまう。
若者よ! ケイタイ大好女と結婚すると、取り返しのつかないことになるぞ。要注意!要注意!
ノ-ト型と言ってもポケットに入る訳ではない。従ってケイタイの出番となる。
若い女性の殆どは通勤途上でケイタイをやっている。電車に乗っても歩いていても、エスカレターでも階段でも、ケイタイから目を離さない。女性ばかりか男性も最近ケイタイが目立つようになった。 何がそんなに面白いのだろう?
私の場合ケイタイは、その言葉の通り携帯する電話であり、メイルのやり取には文章が短い過ぎてケイタイは使わない。パソコンでなければ意向を十分に伝えるとことが難しい。
若い女性は1日100通以上のケイタイをやりとりする豪の者もいるという。
お元気?とか、如何?とか いつか食事しませんかとか、彼とは如何?など、たわいない交信だろう。そして返事が遅れると心配になり、またケイタイを打つ。文章が短いため誤解を招きやすく、返信がないと不安になり、更に不安を増殖して、益々落ち着かなくなる。
先日、JR新木場駅の電車で私の隣に座った若い女性は、JR新松戸駅に到着するまでの40分間のあいだじゅう、2-3分毎にケイタイを出しては打ち、読んでは打っていた。 この短い乗車時間に彼女は多分10回以上ケイタイを打っただろう。もう気違い沙汰だった。自分の小さな頭のなかに閉じこもって、衝動的にメイルし、返事を見ては打つ。とても冷静な思慮などは期待できないと思った。
頭脳の柔軟な若い時代を、このような精神状態で毎日過ごすとどうなることか、日本の若い女性の将来が末恐ろしいと思っていたら、心配が的中した。 国内のある最近の調査によると、日に
30分間以内程度ケイタイを打つ女性の語彙力はまだ平均的なレベルだったが、日に100分間以上ケイタイを打つ女性の語彙力は、中学生程度であったという。全く恐ろしいことだ。
最近の育児トラブルとか、子供虐待などは、このような衝動的な青春時代を過ごした母親が起こすではないだろうか?
確かに会社ではパソコン相手で、個人的なケイタイを見るのは難かしい。従って出勤途上又は帰宅中の電車の内で、たまったストレスを吐き出しながらケイタイを打つのだろう。 危ない階段を降りながら、自転車がくる歩道を歩きながら、プラットホームで電車を待ちながら、殆どの女性がケイタイを見ている。このまま10年―20年と経過すると、果たしてどうなるのだろうか? 取り返しのつかない事態にならなければよいがと、不安が増殖してしまう。
若者よ! ケイタイ大好女と結婚すると、取り返しのつかないことになるぞ。要注意!要注意!
2006年11月17日
たけしが育った家庭
2−3年前のテレビで たけしの生い立ち物語りを見て、非常に驚いたこと記憶している。
ワンマンで飲んだくれで、暴力的な父親の姿が私の子供時代にそっくりだったからだ。
何しろ問答無用ですぐに拳固が飛んでくるのだ。今日では父親は家庭にやさしく、休日は家族
サ-ビスに専念するのが普通だが、50年前は多くの家庭は、殆どが、たけし家と同様に暴力的な
オヤジだったと思う。 私は自分の父親が本当に怖かった。
それでも6人兄弟姉妹の私達は、お互いにかばい合いながら、1年いちねんを過ごして成長したものだ。それに比べると兄弟姉妹の数が少ない今日では、お互いにかばい合う仲間が居ない。
従って、幼い子供達は逃げ場がない、卑劣な家庭内暴力は、容易に悲惨に終わってしまう。
英国での調査らしいが、少幼時に苛められた子供が成長して親になった時、自分の子供を苛める確率は約3割だという。 また普段は苛めなくてもストレスがかかった状態になると、更に3割の親が自分の子供を苛め始めるという。即ち6割の高い確率で、いじめは外的に遺伝するという科学的な結論だったという。 もし父親と母親の存在を計算にいれると、もう苛めは親から子供にそして孫へと、殆ど100%引き継がれることになる。恐ろしいことだ。
私自身、子供時代の苦しみは絶対に繰り返さないように肝に銘じて、我が子2人の育成に当ったが、時折、悪夢を思い出すことが無かったとは言えない。子供を育てることは長い年月の仕事で、本当に苦労の連続である。時には苛めたくなることもあり得る筈だ。しかし子供の成長は早い。 赤ん坊は直ぐに歩き始め、喋り始め、小学校へ入学する。そして中学校へ進み、親離れの時期を迎えてしまう。
最近の少子化の傾向は、若い女性が子育に自信を失っているこも原因のようだ。試行錯誤が連続の子育てだが、終わってみると山のように沢山の想い出を残してくれる。しかも楽しい想い出でいっぱいだ。それは子育てを経験しなかった者には想像も出来ない味わい深いものであり、人生に素晴らしい時期を与えてくれた子供達に、感謝の気持があふれるものである。
恋をしないと人生の味が分からないと言うが、子育てが残す想い出は、何ものにも変えられない価値がある。万葉集の和歌にもある通り子育ては大昔からの最大の宝である。
若い女性諸君、是非子育てに挑戦して下さい。 子育てを経験しないと年とって後悔することになりますよ。是非、取り返しのつかない人生を送って欲しいと心より願うものである。
ワンマンで飲んだくれで、暴力的な父親の姿が私の子供時代にそっくりだったからだ。
何しろ問答無用ですぐに拳固が飛んでくるのだ。今日では父親は家庭にやさしく、休日は家族
サ-ビスに専念するのが普通だが、50年前は多くの家庭は、殆どが、たけし家と同様に暴力的な
オヤジだったと思う。 私は自分の父親が本当に怖かった。
それでも6人兄弟姉妹の私達は、お互いにかばい合いながら、1年いちねんを過ごして成長したものだ。それに比べると兄弟姉妹の数が少ない今日では、お互いにかばい合う仲間が居ない。
従って、幼い子供達は逃げ場がない、卑劣な家庭内暴力は、容易に悲惨に終わってしまう。
英国での調査らしいが、少幼時に苛められた子供が成長して親になった時、自分の子供を苛める確率は約3割だという。 また普段は苛めなくてもストレスがかかった状態になると、更に3割の親が自分の子供を苛め始めるという。即ち6割の高い確率で、いじめは外的に遺伝するという科学的な結論だったという。 もし父親と母親の存在を計算にいれると、もう苛めは親から子供にそして孫へと、殆ど100%引き継がれることになる。恐ろしいことだ。
私自身、子供時代の苦しみは絶対に繰り返さないように肝に銘じて、我が子2人の育成に当ったが、時折、悪夢を思い出すことが無かったとは言えない。子供を育てることは長い年月の仕事で、本当に苦労の連続である。時には苛めたくなることもあり得る筈だ。しかし子供の成長は早い。 赤ん坊は直ぐに歩き始め、喋り始め、小学校へ入学する。そして中学校へ進み、親離れの時期を迎えてしまう。
最近の少子化の傾向は、若い女性が子育に自信を失っているこも原因のようだ。試行錯誤が連続の子育てだが、終わってみると山のように沢山の想い出を残してくれる。しかも楽しい想い出でいっぱいだ。それは子育てを経験しなかった者には想像も出来ない味わい深いものであり、人生に素晴らしい時期を与えてくれた子供達に、感謝の気持があふれるものである。
恋をしないと人生の味が分からないと言うが、子育てが残す想い出は、何ものにも変えられない価値がある。万葉集の和歌にもある通り子育ては大昔からの最大の宝である。
若い女性諸君、是非子育てに挑戦して下さい。 子育てを経験しないと年とって後悔することになりますよ。是非、取り返しのつかない人生を送って欲しいと心より願うものである。
2006年11月09日
パソコンは凄い!
パソコンは凄い!
私が定年退職後、仕事を始めた理由は、まだ気力が充実しており少しでも世の為に役立ちたいからだと、格好良く説明はしているが、実はパソコンとケイタイを使いこなしたいという、かなりお恥ずかしく単純な理由もあった。しかし、お陰さまで、両方を人並みに使いこなしている。パソコンもケイタイもすこぶる便利だ。特にパソコンは百人力である、
当社の仕事は、機器メーカーに代わってそのアフターサービスを代行するものであり、当社が営業マンを使ってはユーザーを探すには、非常に営業効率が悪い職種である。技術サ-ビスは高度な技術を必要だが、縁の下の陰の仕事なのだ。例えば展示会で機器メーカーを訪問して代行をPRしたが、殆どのメーカーから門前払いされてしまった。アフタ-サ-ビスは自社で十分間に合っていますと!
現実には多くの企業は人手不足で困っているが、口が裂けても困っているとは言えない。殆どの場合アフターサビスは十分な体勢ができていますと答える。そう言わないと機器が売れないのだ。人手不足でアフタサービースを外部に委託していますとは公言できずタブーなのである。しかし現実にはアフタ-サ-ビスの非効率とコスト高に困り果てた機器メーカーは、メンテの外注を考え、代行メーカーを探そうとする。しかし我々サービス代行メーカーの姿はなかなか見えない。全て水面下の活動なのだ。従ってインターネットの出番となる。
インターネットでアフターサービス代行業者を検索すると、GoogleとかYahooが世界中のサービス業者の情報を、瞬時に数十万件或いは百万件を、リストアップしてくれる。全く驚愕に値しすばらしく便利だ。 その中から自社の要求とマッチする業者を探し出す作業となる。
問題はひとが読むことが出来る情報は精々数百件までの極く上位にリストアップされる情報であり、残りはとても読むことができないから出ても出なくても同じことで、見捨てられる、従って上位にリストアップされることが必須なのだ。
いわゆる検索エンジン最適化SEO(Search Engine Optimization)の出番となる。多数の検索項目のなかで、如何にして上位にリストアップされるかが決め手となる。GoogleやYahooも、百以上の方程式を組み合わせてList-Upの順番を決めているらしく、その方程式は各企業の大きな秘密で、誰にも分らない。しかし、市中のhome−page-Makerは自社のSEO対応能力を自信あり気にPRする、しかし殆ど当てにならない。やはり自分で推敲せざるを得ない。
当社のHome-Pageは高橋さんが長い間、試行錯誤しながら仕上げた.
その結果、非常に上位にリストアップされる。上位0.1%以内には殆どの場合、出てくる。例えば検索総数50万件とすると上位500件以内だ。
数百件の場合、Topに出てくることもしばしばである。本当に素晴らしい営業効果的がある。高橋さんの業績は多分10人以上の営業マンの働きに相当し、深く感謝している次第である。
また我々の如く、日陰の仕事は、インターネット時代にこそ初めて存在し得る業種ともいえそうだ。
私が定年退職後、仕事を始めた理由は、まだ気力が充実しており少しでも世の為に役立ちたいからだと、格好良く説明はしているが、実はパソコンとケイタイを使いこなしたいという、かなりお恥ずかしく単純な理由もあった。しかし、お陰さまで、両方を人並みに使いこなしている。パソコンもケイタイもすこぶる便利だ。特にパソコンは百人力である、
当社の仕事は、機器メーカーに代わってそのアフターサービスを代行するものであり、当社が営業マンを使ってはユーザーを探すには、非常に営業効率が悪い職種である。技術サ-ビスは高度な技術を必要だが、縁の下の陰の仕事なのだ。例えば展示会で機器メーカーを訪問して代行をPRしたが、殆どのメーカーから門前払いされてしまった。アフタ-サ-ビスは自社で十分間に合っていますと!
現実には多くの企業は人手不足で困っているが、口が裂けても困っているとは言えない。殆どの場合アフターサビスは十分な体勢ができていますと答える。そう言わないと機器が売れないのだ。人手不足でアフタサービースを外部に委託していますとは公言できずタブーなのである。しかし現実にはアフタ-サ-ビスの非効率とコスト高に困り果てた機器メーカーは、メンテの外注を考え、代行メーカーを探そうとする。しかし我々サービス代行メーカーの姿はなかなか見えない。全て水面下の活動なのだ。従ってインターネットの出番となる。
インターネットでアフターサービス代行業者を検索すると、GoogleとかYahooが世界中のサービス業者の情報を、瞬時に数十万件或いは百万件を、リストアップしてくれる。全く驚愕に値しすばらしく便利だ。 その中から自社の要求とマッチする業者を探し出す作業となる。
問題はひとが読むことが出来る情報は精々数百件までの極く上位にリストアップされる情報であり、残りはとても読むことができないから出ても出なくても同じことで、見捨てられる、従って上位にリストアップされることが必須なのだ。
いわゆる検索エンジン最適化SEO(Search Engine Optimization)の出番となる。多数の検索項目のなかで、如何にして上位にリストアップされるかが決め手となる。GoogleやYahooも、百以上の方程式を組み合わせてList-Upの順番を決めているらしく、その方程式は各企業の大きな秘密で、誰にも分らない。しかし、市中のhome−page-Makerは自社のSEO対応能力を自信あり気にPRする、しかし殆ど当てにならない。やはり自分で推敲せざるを得ない。
当社のHome-Pageは高橋さんが長い間、試行錯誤しながら仕上げた.
その結果、非常に上位にリストアップされる。上位0.1%以内には殆どの場合、出てくる。例えば検索総数50万件とすると上位500件以内だ。
数百件の場合、Topに出てくることもしばしばである。本当に素晴らしい営業効果的がある。高橋さんの業績は多分10人以上の営業マンの働きに相当し、深く感謝している次第である。
また我々の如く、日陰の仕事は、インターネット時代にこそ初めて存在し得る業種ともいえそうだ。
2006年11月02日
女性ホルモンの効用
この日曜日に手賀沼エコマラソンがあった。
悪名高い汚染のお陰で、手賀沼周辺は開発が進んでおらず、水と緑に囲まれた絶好の環境で毎年参加者が増加し、今年は8540人が参加したという。
私は15Kmあたりで応援した。流石先頭グル-プは、正月箱根マラソンに出場する中央学院大学の20余名で、兎に角ダントツであった。暫く遅れて一般のマラソンランナー達がやって来た。最初はバラバラと、そのうち密度は高くなり、なかなかの迫力であった。
中には、死にもの狂いの形相で走る年配者もいれば、済ました顔で走っている若い女性もいた。同じ距離を走ってなぜ、このように天と地ほどの形相の差がでるのだろうか。考えざるを得なかった。
何故そこまで苦しんで走るのだろうか? 答えは分からないが、登山者が山があるから登るのと同じ理由で、20Km走った後の達成感が何にも代えられないのだろうか。
確かに男性は、男のメンツに掛けても遅れられないという焦りもあり我慢して走るであろうが、若い女性にも余り楽ではないだろうと思ったが、中には神々しいばかりに美しい顔つき、スタイルで走っている女性も多かった。
私は、これはホルモンの差だと私は思った。典型的な男性ホルモン、テストステロンは、負けてなるものかと男どもを駆り立てて、肉体的に弱った年配者達を死にそうな形相にするのだろう。女性達、特に若い女性はエストロゲンに満ちており、20Km程度では、多分平気なのだろう。
これらホルモンはミクロ単位(1,000,000分の1),又は ナノ単位(1,000,000,000分の1)の濃度だから、ホルモンの力は本当に凄いと思った。これだけの僅かの濃度でも、美しくて惚れ惚れするような顔つきにするのだからホルモンの力は大きい。
以前、環境ホルモン問題で、魚類がオス→メスに転換するのは、水洗トイレの普及が原因で、エストロゲンが排水中に放出されるからだと、まことしやかに報道されたことがあったが、事実はどうも違うらしいと、最近分かり始めた。仮に排水中のホルモンが原因だとすると、更に桁が違ってピコ(1,000,000,000,000分のl)以下の単位となり、それで効く筈ははないだろうと私は思っていた。
いずれにせよ、本当に極く極く僅かなホルモンの差で、これだけの顔つきの差になるとは、自然の摂理の神秘さは改めて感銘したひとときであった。
悪名高い汚染のお陰で、手賀沼周辺は開発が進んでおらず、水と緑に囲まれた絶好の環境で毎年参加者が増加し、今年は8540人が参加したという。
私は15Kmあたりで応援した。流石先頭グル-プは、正月箱根マラソンに出場する中央学院大学の20余名で、兎に角ダントツであった。暫く遅れて一般のマラソンランナー達がやって来た。最初はバラバラと、そのうち密度は高くなり、なかなかの迫力であった。
中には、死にもの狂いの形相で走る年配者もいれば、済ました顔で走っている若い女性もいた。同じ距離を走ってなぜ、このように天と地ほどの形相の差がでるのだろうか。考えざるを得なかった。
何故そこまで苦しんで走るのだろうか? 答えは分からないが、登山者が山があるから登るのと同じ理由で、20Km走った後の達成感が何にも代えられないのだろうか。
確かに男性は、男のメンツに掛けても遅れられないという焦りもあり我慢して走るであろうが、若い女性にも余り楽ではないだろうと思ったが、中には神々しいばかりに美しい顔つき、スタイルで走っている女性も多かった。
私は、これはホルモンの差だと私は思った。典型的な男性ホルモン、テストステロンは、負けてなるものかと男どもを駆り立てて、肉体的に弱った年配者達を死にそうな形相にするのだろう。女性達、特に若い女性はエストロゲンに満ちており、20Km程度では、多分平気なのだろう。
これらホルモンはミクロ単位(1,000,000分の1),又は ナノ単位(1,000,000,000分の1)の濃度だから、ホルモンの力は本当に凄いと思った。これだけの僅かの濃度でも、美しくて惚れ惚れするような顔つきにするのだからホルモンの力は大きい。
以前、環境ホルモン問題で、魚類がオス→メスに転換するのは、水洗トイレの普及が原因で、エストロゲンが排水中に放出されるからだと、まことしやかに報道されたことがあったが、事実はどうも違うらしいと、最近分かり始めた。仮に排水中のホルモンが原因だとすると、更に桁が違ってピコ(1,000,000,000,000分のl)以下の単位となり、それで効く筈ははないだろうと私は思っていた。
いずれにせよ、本当に極く極く僅かなホルモンの差で、これだけの顔つきの差になるとは、自然の摂理の神秘さは改めて感銘したひとときであった。