2006年12月
2006年12月28日
新年を迎えるに当って
今年もいよいよ年末となった。
いろいろな出来事があったが、過ぎてみれば、なんとか無事にやり過ごすことができた。感謝!というところ。 明日から1週間の正月休みが始まる。姪っ子がガンになったという気掛かりなニュースはあるが、当方は手出しができず、暫く様子見となる。
昔は本当に正月が待ち遠しかった。あの楽しみいっぱいであった子供時代の正月休みはどうなったのだろう。大人になると毎週土曜日曜の休日は骨休めになり嬉しいが、1週間も休みが続くと私には退屈でまだ気分的にも落ち込んでしまう。会社へ出勤する平日の朝はもっと朝寝坊したいが、休日となるとベッドから早く出てしまう。
しかし私以上に仕事中毒であったMさんが完全に仕事が無くなった当初は困惑したらしいが、半年も経つと慣れてしまい、東君!Everyday Sundayというのも悪くはないぞ!と話されたのを聞き、奇異に感じたことがある。 多分、私はEveryday Sundayに慣れてしまうことに恐れていたのかも知れない。
私は、毎朝5時半ころに自宅を出て公園を横切り駅に向かうが、まだ薄暗い公園には仕事のない定年オヤジさんたちが三々五々と集まり、だべり始めている。ホームレスと全く同様である。私はそのようなオヤジたちを内心では忌み嫌っているが、それは、自分もその余りにも平穏過ぎるのを恐れているのかも知れない。平和な時にはその退屈さに飽き飽きして、何か非日常的なことを期待し、逆に苦しい時には、何故このように苦しいのだろうかと自自問自答する。
安倍総理も、平議員のときは総理大臣になろうと努力したであろうが、一端総理になると、今度は大きなプレッシャーに襲われ、苦渋の決断の連続で、何をやっても非難される苦痛を味わい続け、たぶん総理にならなければよかったと後悔しておられるのではないだろうか。
人間とは本当に勝手な生き物で、このようなことを繰り替えしながら1年を終えて、また新年を迎えることになる。
誰か言っていたが、所詮人生はこのように絶えざる苦しみと、一瞬の楽しみの繰り返しであり、そして生涯を終える時に楽しい思い出が多くあればその人生は幸福であったといえるのであろう。
兎に角、この1年の無事に感謝して、新たな年を迎えることとしよう。
いろいろな出来事があったが、過ぎてみれば、なんとか無事にやり過ごすことができた。感謝!というところ。 明日から1週間の正月休みが始まる。姪っ子がガンになったという気掛かりなニュースはあるが、当方は手出しができず、暫く様子見となる。
昔は本当に正月が待ち遠しかった。あの楽しみいっぱいであった子供時代の正月休みはどうなったのだろう。大人になると毎週土曜日曜の休日は骨休めになり嬉しいが、1週間も休みが続くと私には退屈でまだ気分的にも落ち込んでしまう。会社へ出勤する平日の朝はもっと朝寝坊したいが、休日となるとベッドから早く出てしまう。
しかし私以上に仕事中毒であったMさんが完全に仕事が無くなった当初は困惑したらしいが、半年も経つと慣れてしまい、東君!Everyday Sundayというのも悪くはないぞ!と話されたのを聞き、奇異に感じたことがある。 多分、私はEveryday Sundayに慣れてしまうことに恐れていたのかも知れない。
私は、毎朝5時半ころに自宅を出て公園を横切り駅に向かうが、まだ薄暗い公園には仕事のない定年オヤジさんたちが三々五々と集まり、だべり始めている。ホームレスと全く同様である。私はそのようなオヤジたちを内心では忌み嫌っているが、それは、自分もその余りにも平穏過ぎるのを恐れているのかも知れない。平和な時にはその退屈さに飽き飽きして、何か非日常的なことを期待し、逆に苦しい時には、何故このように苦しいのだろうかと自自問自答する。
安倍総理も、平議員のときは総理大臣になろうと努力したであろうが、一端総理になると、今度は大きなプレッシャーに襲われ、苦渋の決断の連続で、何をやっても非難される苦痛を味わい続け、たぶん総理にならなければよかったと後悔しておられるのではないだろうか。
人間とは本当に勝手な生き物で、このようなことを繰り替えしながら1年を終えて、また新年を迎えることになる。
誰か言っていたが、所詮人生はこのように絶えざる苦しみと、一瞬の楽しみの繰り返しであり、そして生涯を終える時に楽しい思い出が多くあればその人生は幸福であったといえるのであろう。
兎に角、この1年の無事に感謝して、新たな年を迎えることとしよう。
2006年12月22日
通勤マナー
毎日電車で通勤する私は、いろいろな不愉快な出来事に出会う。
例えば、大きなリュックを背負って満員電車の乗り込まれるのは本当に迷惑だ。何を入れているのか知らないが、毎日同じものをもち運びするのは止めて欲しい。
また、電車の座席の真ん中に座り、目を閉じている人も多い、左右のどちらか一方に少し詰めると前に立っている人が座ることができるのだが、知らん顔である。たまたま当人が下車し、立っていた人が座ると、また同じように座席の真ん中に座る。たちまち被害者は加害者になってしまう。確かに女性が最初から隣りの人に密着して座るのは難しいだろうが、座席の中間に座って目を閉じていると、後から乗車した人が声をかけて詰めるよう頼むのはなかなか難かしい。やはり周囲の雰囲気を察するようお互いに心がけたいものだ。
立ったまま窓の景色を楽しんでいて、急に窓のブラインドを下げられるのは、厭なものだ。確かに日当たりが強いと着席している人は暑苦しいくて仕方ないかも知れないが、ブラインドを下ろす前にひとこと断って貰えば、気も収まると思うのだが、そのような人には出会ったことがない。
今のような寒い季節は、多くの人が着膨れしている、肥満体の男がダウンジャケットなどを着て座るともうもう大変だ。1.5人分以上の場所を占拠してしまうが、当人が知らぬ存ぜぬ顔でいると、親の顔がみたくなる。
電車で文庫本を読んでいる人は結構多い。若い女性は目のやり場に困らないように読んでいるのだろう。乗り物で本を読む習慣はイギリスで始まったらしく、身分の低い人が、高貴な人に話かけなくて済むように、Bookletを読み始めたのだそうだ。 私は電車内では新聞以外は余り読まないが、文庫本を読んでいる人は、面白いからで読んでいるのか、時間つぶしかは分からない。しかし何であれ、周囲に迷惑をかけず、少しは教養増進にも役立つだろうから悪いことではない。
また通勤客が職場へ急ぐ朝夕のラッシュアワー時には、エスカレーターは左右両側の人が急いで登り降りするが、時々立ち止まるヒマ人がいると、たちまち全体の移動速度が半減してしまいイライラも限界に達する。元気でヒマ人は階段を歩いてもらいたい。エスカレーターは歩くものではないと、ヒマな識者は言うだろうが、やはりサラリ-マンの朝夕は1分1秒が重要なのだから。
また、カートに荷物を積んで混雑するホールを闊歩するのは危険だ。大して重いようには見えない荷物を乗せて、ハンドルを長く伸ばして平気で歩いている人が多い。当人の後方には2-3人分の空間ができるが、当人は全く平気である 急いでその空間に出ようとすると、思わず躓きそうになる。若い女性にも多いが、元気な若者が、重くもないカートを格好だけで引いて歩くのは迷惑千万は話だ。
日本人は個人としては非常に礼儀正しいが、集団となるともう頂けないという話は、残念ながら事実のようである。
例えば、大きなリュックを背負って満員電車の乗り込まれるのは本当に迷惑だ。何を入れているのか知らないが、毎日同じものをもち運びするのは止めて欲しい。
また、電車の座席の真ん中に座り、目を閉じている人も多い、左右のどちらか一方に少し詰めると前に立っている人が座ることができるのだが、知らん顔である。たまたま当人が下車し、立っていた人が座ると、また同じように座席の真ん中に座る。たちまち被害者は加害者になってしまう。確かに女性が最初から隣りの人に密着して座るのは難しいだろうが、座席の中間に座って目を閉じていると、後から乗車した人が声をかけて詰めるよう頼むのはなかなか難かしい。やはり周囲の雰囲気を察するようお互いに心がけたいものだ。
立ったまま窓の景色を楽しんでいて、急に窓のブラインドを下げられるのは、厭なものだ。確かに日当たりが強いと着席している人は暑苦しいくて仕方ないかも知れないが、ブラインドを下ろす前にひとこと断って貰えば、気も収まると思うのだが、そのような人には出会ったことがない。
今のような寒い季節は、多くの人が着膨れしている、肥満体の男がダウンジャケットなどを着て座るともうもう大変だ。1.5人分以上の場所を占拠してしまうが、当人が知らぬ存ぜぬ顔でいると、親の顔がみたくなる。
電車で文庫本を読んでいる人は結構多い。若い女性は目のやり場に困らないように読んでいるのだろう。乗り物で本を読む習慣はイギリスで始まったらしく、身分の低い人が、高貴な人に話かけなくて済むように、Bookletを読み始めたのだそうだ。 私は電車内では新聞以外は余り読まないが、文庫本を読んでいる人は、面白いからで読んでいるのか、時間つぶしかは分からない。しかし何であれ、周囲に迷惑をかけず、少しは教養増進にも役立つだろうから悪いことではない。
また通勤客が職場へ急ぐ朝夕のラッシュアワー時には、エスカレーターは左右両側の人が急いで登り降りするが、時々立ち止まるヒマ人がいると、たちまち全体の移動速度が半減してしまいイライラも限界に達する。元気でヒマ人は階段を歩いてもらいたい。エスカレーターは歩くものではないと、ヒマな識者は言うだろうが、やはりサラリ-マンの朝夕は1分1秒が重要なのだから。
また、カートに荷物を積んで混雑するホールを闊歩するのは危険だ。大して重いようには見えない荷物を乗せて、ハンドルを長く伸ばして平気で歩いている人が多い。当人の後方には2-3人分の空間ができるが、当人は全く平気である 急いでその空間に出ようとすると、思わず躓きそうになる。若い女性にも多いが、元気な若者が、重くもないカートを格好だけで引いて歩くのは迷惑千万は話だ。
日本人は個人としては非常に礼儀正しいが、集団となるともう頂けないという話は、残念ながら事実のようである。
2006年12月15日
死相
私は先日自転車でかなりのスピ-ドで坂道を下る途中、石ころに乗り上げ転倒してしまった。
自転車が転倒してから、地面に叩きつけられるまでの空を飛んでいる僅かな瞬間に、あ!あの防護柵に当りそうだ、頭を打ってはまずい、クビを曲げようと思った。これから起こるであろうことに対し瞬間的に対応を考えた不思議な瞬間を経験した。
幸いにウレタン舗装であったため、衝撃は小さく、大きなダメージは無かった。しかし自動車事故などの場合、対向車線にはみ出して衝突しそうな時、あ!衝突しそうだ! ハンドルだ! 避けられない! ダメだーあ! と瞬間的に思いながら激突して死んでしまうだろう。
私はもうすぐ70才になる。まだまだ元気だが、だれが見ても完全な高齢者だ。いまの仕事も80才までは無理で精々あと6-7年間だろうか。最近親しい友人の訃報を聞くようになり、元気な今は、まだ死ぬという実感はないが、多分その内に痛感することになるだろう。誰も本当に自分が死に直面するまでは、他人事から抜け切れない。
痴呆症で長年苦しんだ後輩のH君の葬儀に出たが、見慣れた気弱な優しい彼とは違って、その死相は凄ましかった。歯を食いしばって恐ろしい形相をしていた。痴呆になることは患者自身にとっては非常に恥ずかしく苦痛に感じるものだと新聞に書いてあったが、長年恥ずかしい思いをしながら死んだのだろう。
以前、私の妹が心筋梗塞で死んだが、数日間人工心臓をつけていたため、本当に寝ているような穏やかな死に顔であった。腎臓や角膜提供を希望する病院側に対し、生きているが如き自分の娘を殺さないでと、老母は暫くの間、抵抗しつづけた。 少ない苦しみで亡くなった方の死相は穏やかだが、ひどく苦しんだ人は、その苦痛が顔全体に現れている。死相は苦しみ方と深い関係がありそうだ。
死は一方通行なので、生き返った人の状況報告はないが、重病の人が臨終に近づいた時も、これから死ぬであろうことは多分自覚するだろう。残される家族や仕事のことを案じながら、段々と意識を失うのではないだろうか? 怖いことだ。
自転車が転倒してから、地面に叩きつけられるまでの空を飛んでいる僅かな瞬間に、あ!あの防護柵に当りそうだ、頭を打ってはまずい、クビを曲げようと思った。これから起こるであろうことに対し瞬間的に対応を考えた不思議な瞬間を経験した。
幸いにウレタン舗装であったため、衝撃は小さく、大きなダメージは無かった。しかし自動車事故などの場合、対向車線にはみ出して衝突しそうな時、あ!衝突しそうだ! ハンドルだ! 避けられない! ダメだーあ! と瞬間的に思いながら激突して死んでしまうだろう。
私はもうすぐ70才になる。まだまだ元気だが、だれが見ても完全な高齢者だ。いまの仕事も80才までは無理で精々あと6-7年間だろうか。最近親しい友人の訃報を聞くようになり、元気な今は、まだ死ぬという実感はないが、多分その内に痛感することになるだろう。誰も本当に自分が死に直面するまでは、他人事から抜け切れない。
痴呆症で長年苦しんだ後輩のH君の葬儀に出たが、見慣れた気弱な優しい彼とは違って、その死相は凄ましかった。歯を食いしばって恐ろしい形相をしていた。痴呆になることは患者自身にとっては非常に恥ずかしく苦痛に感じるものだと新聞に書いてあったが、長年恥ずかしい思いをしながら死んだのだろう。
以前、私の妹が心筋梗塞で死んだが、数日間人工心臓をつけていたため、本当に寝ているような穏やかな死に顔であった。腎臓や角膜提供を希望する病院側に対し、生きているが如き自分の娘を殺さないでと、老母は暫くの間、抵抗しつづけた。 少ない苦しみで亡くなった方の死相は穏やかだが、ひどく苦しんだ人は、その苦痛が顔全体に現れている。死相は苦しみ方と深い関係がありそうだ。
死は一方通行なので、生き返った人の状況報告はないが、重病の人が臨終に近づいた時も、これから死ぬであろうことは多分自覚するだろう。残される家族や仕事のことを案じながら、段々と意識を失うのではないだろうか? 怖いことだ。
2006年12月08日
自殺と殺人
最近 自殺が流行っている。それぞれ深刻な理由があったのだろう。
自分の人生を振り返ってみると、自殺しようと思ったことが一度だけある。
大学入試試験のときだった。初日は何とかうまく出来たのだが、2日目午前の数学が非常に難しかった。最低でも1科目30点取らないと不合格になると事前に聞いていたが、30点に達しないことは明らかだった。前日まで膨らんでいた合格の夢が見事に打ち砕かれ、もう不合格が間違いない、瀬戸内の塩田会社に就職することになるだろう、と思うともう絶望感でいっぱいになり、試験場の福岡高校の窓から飛び降りて死んでしまおうと思った。
しかしこの年は数学が特に難問であり、最低30点のル-ルは適用されなかったと後日聞いた。
その時、もし友人でも数学が難しかったなーと、ひとこと聞けば、ほかの受験者も点がとれていないらしいと安心したに違いないが、その時は本当に飛び降り寸前の心境であった。
逆に、殺人を考えたことも一度ある。会社に入って技術部に配属されたが、その時の上司のK課長は気違いじみたパワーハラスメントの塊で、もう無茶苦茶であった。通常の研究開発についても暴言は日常茶飯事であったが、仕事以外の生活にまで干渉され始めたのだ。
工学部卒の私は経済学にも興味を持ち続けていたので、神戸大学経済学部(夜間)に編入学して勉強を始めていた。課長に話せば絶対に認めないと確信していたから事前に言わなかった。
会社の残業を終えてから通学した。毎日夜遅くなった。しかし初年度終了時に遂に課長に見つかってしまった。 課長は驚いた、そして曰く。技術屋に経済学なんて不要だ。直ぐにやめろ。止めなければ、神戸大学に通えない石川県の美川工場に転勤させると脅迫された。
仕事には殆ど影響させないように万全の注意を払いながら、毎日会社で残業し、徹夜の作業も引き受けながら、通学していたのだが、それでも絶対にダメだといわれた。
課長自身は毎晩友人とマージャンに耽っているにも拘らず、部下が課長の知らないことを勉強することを許さないのだ。本当に悔しかった。雨の日も風に日も、オ-トバイで夜遅くまで、執念で六甲山中腹まで毎晩登ったのを、納得できない理由で中断させられるのは我慢できなかった。
日常の暴言に対する不満も重なって、このやろう! 殺してやろうと思い始めた。 甲子園口から社宅までの夜道で、マージャン帰りを待ち伏せして殺ろうと思いはじめ、実行の機会を狙った。いま考えても恐ろしいことだが、その当時の自分の頭にはそれ以外の解決策は思い浮かばなかったのだ。
もし友人が、バカなことは止めろ! 君の人生は終わりになるぞ!と諭してくれたら、考え直したに違い無いが、そのような環境もなかった。冷静に考えると、この両方の考えは頭が狂っていたのだが、その当時の自分には精一杯の判断であった。
新聞紙上をにぎわす中学生の自殺も、近くに相談する人が居れば、殆どは防げるであろうが、誰もいないのだろう。 相談しにくい親や担当教諭に代わって、擁護の先生とか、誰か気軽に相談できるシルバー人材を置いてはどうだろう。 仕事が無くぼやいている定年退職者がゴロゴロいるから、彼らから適材を選んで、その貴重な人生経験を生かすべく、行政が環境を整備しては如何だろう。 定年退職者には現役時代の不遇を引きずっている皮肉れ者もいるが、素晴らしい人格者も結構おり、彼らは大きな効果を発揮してくれると思うのだが。