2007年02月

2007年02月14日

拉致問題はそんなに重要か

北朝鮮の核問題が一応決着したらしいが、北朝鮮はそう簡単には諦めない。半歩前進ではあるが今度はいかにごまかすかの戦いを始めるに違いない。勿論、自ら核危機を演出しておいて重油や食料を供給せよとは、勝手過ぎるのもいい加減にして欲しいものだ。

安倍首相は拉致問題が解決しない限り重油供給はしないと言明した。
しかし核に比べて拉致問題はそんなに重要だろうか? 確かに可哀想であることは間違いない。しかし、拉致された彼女達の多くは苦しいながらも厳寒の北朝鮮で多分生続けているであろう。彼女達の不幸は、人数において数千倍の国内の交通事故者や不治の病で苦しんでいる人達と比べてどれほど違うのであろうか? 交通事故で半身不随になり食うや食わずの人、ガンに侵されて苦闘している人、借金苦で希望を絶たれ、いつ自殺するかさまようている人達と比べて、拉致問題はこれほど大騒ぎすることであろう筈がない。

やはり一番重要なことは日本の全国民が危険に晒される北朝鮮核を封じ込めることなのだ。この分かりきったことが日本の政治家には言えないのだ。衆院450人、参院350人、合計800人近い政治家のなかで、一人や二人は堂々とこのような発言をしても良いのではないかと思うが、如何であろうか? 多くに日本人は内心では拉致連盟の騒ぎ過ぎを苦々しく思っているに違いない。これでは世界に対して余りにも恥ずかしいと。

米国は勿論、韓国も中国もロシアは、日本人は感情的で、戦略的にもの判断することができず、大したことはない国と見くびっているだろう。商業主義ご都合主義のマスコミが言わないのは分かるが、常日頃ご立派を口にする政治家は、日本の大多数の国民の幸せを願って、その発言を惜しんではならないと思う。


mh3944 at 14:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2007年02月02日

神様はおられるのだろうか?

神様は本当のおられるか?

神様を信じるか信じないか、非常に重たいテーマである。私ごときが議論することではなさそうだ。半年前から原稿を書いては消し、消しては書いていたが、どうにも纏まらない。しかし自分なりの結論だけは出しておきたい。

例えば、動物から人間を見れば桁違いの神様のような存在だろう。しかし、同じ人間でも赤ん坊から見れば大人は万能の存在だ。さらにその我々大人から見れば、E=MC2という美しい特殊相対性原理を発見したアインシュタインは、次元が違う聡明な存在である。しかしあのアインシュイタインですら老衰で死んでしまったから、やはり万能の神様とは違うだろう。

近年の科学技術は大いに進み、月旅行も可能になり、なんだか神様の世界に近づいたような気持がする。しかし月旅行と言っても太陽系からみるとほんの片隅の移動であり、言わば隣りの家に行ったようなものである。
人間の存在自体すらも全くの僥倖の結果らしい。太陽系のなかで灼熱の高温にさらされる水星や金星のように太陽に近接した距離ではなく、また木星や土星の如く太陽から遠過ぎて極寒の世界でもなく、たまたま地球が太陽から適当に離れた位置にあったため、水分が存在し続け、タンパク質ができて、生物が発生したという。その何千万年の長い歴史のなかでたまたま発生した人類が運よく生き延びたらしい。
しかし我が大陽系ですら、巨大な銀河系のなかでは、極くローカルな存在だという。更に、この銀河系も35億光年の径をもつ宇宙全体から見れば、無数に存在するほかの多数の小宇宙のほんの片隅のひとつだと雑誌ニュートンには書いてあった。しかもその外に何があるのか、全く判らないという。

このように極めて精緻で重層的に深遠な大宇宙を考えると、人知に限りのある人間が、我々を超える神様は居ないと言えるわけがない。きっと神様は存在すると思う。それは例えばこの大宇宙を司る摂理ではないだろうか? それはキリストや、マホメット、お釈迦様のように人間が考え出した神様とは全く違う存在であり、宇宙全体の運行を司る摂理ではないだろうか。

その意味では、アフリカ土着民の、あらゆる山野に魂が宿っているという考え方、日本古来の山や岩や道端にも魂が宿るという思想、さらには聞くところによるとヒンヅー教も似たところがあるらしいが、これら原始宗教のほうが、なんだか真実の神様に近いのかも知れない。

しかしいくら考えても答えは出そうにない。 大宇宙のなかの人間は、小さな小さな存在であることは間違いない真実である。 やあ!本当に疲れた。 



mh3944 at 14:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感