2007年03月
2007年03月13日
1000円サンパツと エリート養成
最近1,000円サンパツが流行っている。頭髪刈りと首周りのカミソリも入れて1,000円だから安い。従来の3,000円以上と比べて顔のヒゲソリと洗髪が無いだけだ。家に帰れば必ず洗髪するし、顔ヒゲは剃っても翌日には伸びてしまうから、この3,000円と1,000円の差は大きい。
郊外のサンパツ屋は組合が強くて、長い間3,600円が守られて来たが、お客を都心の1,000円サンパツに取られて食えなくなり遂に1,000円サンパツを取り入れ始めた。バブル以降、一般大衆は全く変わって経済合理性に徹するようになり、再び昔に戻ることはあり得ないと思われる。
しかし唯一変わっていないのが、政府官僚どものアタマの構造だ。
私の自宅近くに1,000円ショップが現れたので、先日勇んで行ってみた。
しかし確かに1,000円には違いなかったが、首まわりのヒゲソリはしないとのこと。理髪店ではなく美容院だったのだ。美容院はカミソリを使うことが出来ないと昔の厚生省の細則で決まっていると説明をうけた。もっともらしい話ではあったが、納得はできなかった。何故なら本当に理由は、厚労省の官僚どもが、自分たちの権限保持と再就職先確保のため、なんだかんだと屁理屈をつけて設けた政令であり、納得できる訳がないのだ。
日本のエリート官僚はなぜここまで卑屈なのだろうか? 国民国家のために私利私欲を捨てることがどうしてできないのだろうか? なんだか悲しくなってしまう。中国とかインドネシアであれば、それは納得もできよう。しかし明治維新以来、世界の先進国欧米と肩を並べて来た優秀と言われる日本の官僚どもが、一旦自分たちの権益になると、目の色を変えてガリガリ亡者になるのは本当に情けない次第。
日本のエリートは閨閥よりも、出身校の方が幅を効かすが、貴重な青春時代を受験勉強ばかりに費やしてきた東大出身者たちは、精神修行にまで手が回らなかったからであろう。教育改革はこの当たりを大革命しないと
本当の改革にならないと思われる。
郊外のサンパツ屋は組合が強くて、長い間3,600円が守られて来たが、お客を都心の1,000円サンパツに取られて食えなくなり遂に1,000円サンパツを取り入れ始めた。バブル以降、一般大衆は全く変わって経済合理性に徹するようになり、再び昔に戻ることはあり得ないと思われる。
しかし唯一変わっていないのが、政府官僚どものアタマの構造だ。
私の自宅近くに1,000円ショップが現れたので、先日勇んで行ってみた。
しかし確かに1,000円には違いなかったが、首まわりのヒゲソリはしないとのこと。理髪店ではなく美容院だったのだ。美容院はカミソリを使うことが出来ないと昔の厚生省の細則で決まっていると説明をうけた。もっともらしい話ではあったが、納得はできなかった。何故なら本当に理由は、厚労省の官僚どもが、自分たちの権限保持と再就職先確保のため、なんだかんだと屁理屈をつけて設けた政令であり、納得できる訳がないのだ。
日本のエリート官僚はなぜここまで卑屈なのだろうか? 国民国家のために私利私欲を捨てることがどうしてできないのだろうか? なんだか悲しくなってしまう。中国とかインドネシアであれば、それは納得もできよう。しかし明治維新以来、世界の先進国欧米と肩を並べて来た優秀と言われる日本の官僚どもが、一旦自分たちの権益になると、目の色を変えてガリガリ亡者になるのは本当に情けない次第。
日本のエリートは閨閥よりも、出身校の方が幅を効かすが、貴重な青春時代を受験勉強ばかりに費やしてきた東大出身者たちは、精神修行にまで手が回らなかったからであろう。教育改革はこの当たりを大革命しないと
本当の改革にならないと思われる。
2007年03月05日
少子化
少子化が問題になっている。対策として、子供の医療費を補助するとか、
育児手当を年間20万円出すとか、18才までの教育費用を補助するとか、
東京都23区などの財政豊な街では中学生までの医療費を無料にするとかいろいろ議論され提案されている。しかしそれらの多くは、育児中の女性のデリケートな苦しみを知らずに騒いでいるように感じられる。 育児に固有の問題が解決されない限り、減税とか、医療費補助とか、教育資金の提供などの見栄えの良い提案では、なかなか解決されない厳しい現実があると思う。
私は出生率を向上させる決め手は次ぎの4つが大きな効果をもつと思う。
1) まず、未婚の男女の最大の問題はやはり雇用問題であり、結婚しても本当に生活できるかどうかの不安が最大であろう。私の友人の息子は1級建築士で大手設計事務所に勤めているが、将来が不安でとても結婚する気になれないと嘆いている。女性側も男性に財力がないと結婚に踏み切れず、派遣やパートではなかなか結婚できない。最近の景気上昇による結婚数の増加は、雇用確保が最大のテーマであることを如実に示している。これが効果は最大であろうが、またその実現がなかなか困難なテーマである。
2) 次に最近の新婚さんは殆どが共稼ぎであるが、出産に際して職場が温かく受けとめてくれるか否かの問題がある。少なくとも従来は非常にきびしく、妊娠すると多くは退職であった。 私が社長を務めた社員60名の外資系医療関連会社では若い女性が多く、結婚しても在籍し続けたが、いざ出産となると殆どの女性は退職していった。
しかし臨床検査技師の彼女達が再び職場に復帰できるかとなるとなかなか難しく現実には困難であった。当時の職場には女性の間でも簡単には受け入れない厳しい雰囲気があったし、現在でも大きく改善されたとは思わない。特に育児休暇の問題などは依然として未解決だと思う。
私の例では、薬事申請業務などの特殊な経験をもつ女性は、出産後も
受け入れられたが、一般の臨床検査技師はなかなか復職が困難であった。
これは法整備により、女性が希望する場合、休職前の業務に復帰させる義務を企業に強制しなければ、簡単には解決できない問題であろう。
3) 次に子供の保育施設の問題がある。最近はかなり条件的に充実されたようだが、保育所の場所、延長保育、学童保育など、母親からのきめ細かい条件に合致する施設の提供が必要である。
小学校の教諭をしている私の娘は、長女と長男を別々の保育所に入れるよう要請され、困り果てた経験がある。 また2-3時簡の延長保育は必須不可欠である。 少々遅くなっても責任をもって子供を預かって貰わなければ女性は仕事に専念できず、夕刻になるとそわそわし始めるようでは職場では浮いた存在になってしまう。
特に、子供は度々熱を出すが、その都度、親が仕事を中断して駆けつけなければならない現状では、とても子供を育てられる雰囲気ではない。
やはり、発熱しても半日程度は面倒を見てくれる必要がある。
最近そのようなサービスを提供する民間企業が出てき始めていると
聞くが、もっともなことである。
4) 最後に論点が変わるが、希望に反して妊娠し、外科処置で人口流産するケースが国内で年間25万件あると言われている。可哀想なことである。
いろいろ事情はあるであろうが、倫理上の問題もあり、棄てられる運命の小さな命を救うことが先決である。親子関係の喪失だとか、道徳上問題だとか、当人達が外部に知られるのを極力避けようとするなど、難問はあるが、ヨーロッパでは私生児をもつ親が多数おり、意思に反した妊娠が益々増大するのは時代の趨勢である。折角の命のともし火を何とか救う雰囲気をつくろうではないか?
もしこの25万人が救えるとなると、年間出生数120万人を2割程度も押し上げる大きな力となる筈だ。 熊本市慈恵病院の赤ちゃんポストも新聞で非難されているが、その勇気には敬意を表すべきである。
是非前向きに取り組むべきアイデアだ。子供が欲しくても生まれない夫婦も多数おり、政府は責任を持ってこの乳児の斡旋と保育に力を尽くすべきである。
1.20に低迷している特殊合成出生率が今年は1.30に上がりそうだと
言われているが、この25万人が加われば更に上昇して1.5前後にまでに達するのであろう。
やはり国力は若さの活力にあり、その源泉何も言わない赤ん坊である。
長い目でみると日本にとって人口減少は非常に深刻な問題なのである。
年老いてヒマだが口だけが達者な評論家たちの騒ぎ過ぎは無視すべきである。
多くの夫婦は子供を望んでおり、育児は本当に楽しいものである。これらの強力な人口増加策を是非提供して推進して欲しいものである。
育児手当を年間20万円出すとか、18才までの教育費用を補助するとか、
東京都23区などの財政豊な街では中学生までの医療費を無料にするとかいろいろ議論され提案されている。しかしそれらの多くは、育児中の女性のデリケートな苦しみを知らずに騒いでいるように感じられる。 育児に固有の問題が解決されない限り、減税とか、医療費補助とか、教育資金の提供などの見栄えの良い提案では、なかなか解決されない厳しい現実があると思う。
私は出生率を向上させる決め手は次ぎの4つが大きな効果をもつと思う。
1) まず、未婚の男女の最大の問題はやはり雇用問題であり、結婚しても本当に生活できるかどうかの不安が最大であろう。私の友人の息子は1級建築士で大手設計事務所に勤めているが、将来が不安でとても結婚する気になれないと嘆いている。女性側も男性に財力がないと結婚に踏み切れず、派遣やパートではなかなか結婚できない。最近の景気上昇による結婚数の増加は、雇用確保が最大のテーマであることを如実に示している。これが効果は最大であろうが、またその実現がなかなか困難なテーマである。
2) 次に最近の新婚さんは殆どが共稼ぎであるが、出産に際して職場が温かく受けとめてくれるか否かの問題がある。少なくとも従来は非常にきびしく、妊娠すると多くは退職であった。 私が社長を務めた社員60名の外資系医療関連会社では若い女性が多く、結婚しても在籍し続けたが、いざ出産となると殆どの女性は退職していった。
しかし臨床検査技師の彼女達が再び職場に復帰できるかとなるとなかなか難しく現実には困難であった。当時の職場には女性の間でも簡単には受け入れない厳しい雰囲気があったし、現在でも大きく改善されたとは思わない。特に育児休暇の問題などは依然として未解決だと思う。
私の例では、薬事申請業務などの特殊な経験をもつ女性は、出産後も
受け入れられたが、一般の臨床検査技師はなかなか復職が困難であった。
これは法整備により、女性が希望する場合、休職前の業務に復帰させる義務を企業に強制しなければ、簡単には解決できない問題であろう。
3) 次に子供の保育施設の問題がある。最近はかなり条件的に充実されたようだが、保育所の場所、延長保育、学童保育など、母親からのきめ細かい条件に合致する施設の提供が必要である。
小学校の教諭をしている私の娘は、長女と長男を別々の保育所に入れるよう要請され、困り果てた経験がある。 また2-3時簡の延長保育は必須不可欠である。 少々遅くなっても責任をもって子供を預かって貰わなければ女性は仕事に専念できず、夕刻になるとそわそわし始めるようでは職場では浮いた存在になってしまう。
特に、子供は度々熱を出すが、その都度、親が仕事を中断して駆けつけなければならない現状では、とても子供を育てられる雰囲気ではない。
やはり、発熱しても半日程度は面倒を見てくれる必要がある。
最近そのようなサービスを提供する民間企業が出てき始めていると
聞くが、もっともなことである。
4) 最後に論点が変わるが、希望に反して妊娠し、外科処置で人口流産するケースが国内で年間25万件あると言われている。可哀想なことである。
いろいろ事情はあるであろうが、倫理上の問題もあり、棄てられる運命の小さな命を救うことが先決である。親子関係の喪失だとか、道徳上問題だとか、当人達が外部に知られるのを極力避けようとするなど、難問はあるが、ヨーロッパでは私生児をもつ親が多数おり、意思に反した妊娠が益々増大するのは時代の趨勢である。折角の命のともし火を何とか救う雰囲気をつくろうではないか?
もしこの25万人が救えるとなると、年間出生数120万人を2割程度も押し上げる大きな力となる筈だ。 熊本市慈恵病院の赤ちゃんポストも新聞で非難されているが、その勇気には敬意を表すべきである。
是非前向きに取り組むべきアイデアだ。子供が欲しくても生まれない夫婦も多数おり、政府は責任を持ってこの乳児の斡旋と保育に力を尽くすべきである。
1.20に低迷している特殊合成出生率が今年は1.30に上がりそうだと
言われているが、この25万人が加われば更に上昇して1.5前後にまでに達するのであろう。
やはり国力は若さの活力にあり、その源泉何も言わない赤ん坊である。
長い目でみると日本にとって人口減少は非常に深刻な問題なのである。
年老いてヒマだが口だけが達者な評論家たちの騒ぎ過ぎは無視すべきである。
多くの夫婦は子供を望んでおり、育児は本当に楽しいものである。これらの強力な人口増加策を是非提供して推進して欲しいものである。
2007年03月01日
1000の風になって
1000の風になってという歌がある。年末の紅白で歌われたものだ。
本当に素晴らしい詩歌だと思う。私も家内のお手伝いで、若干の短歌をやっているが、
なんだか日記調から抜け切れず、この詩歌のように心を揺すられた経験は始めてだ。
―千の風になってー
私の墓の前で泣かないで!
私はそこには居ないのだから、
私は眠ってなんかいないのだから
千の風になって空を舞っているのだから、
雪になって、光になって、星になって
いつも貴方を見守っているのだから、
。。。。。。。。。。。。 というような詩歌だ。
これは原文が英語で当初は作者不詳といわれていたが、どうやらアメリカ人のMary Fryeと
いう女性が母親を偲んで歌ったものらしい。
不勉強なので大きなことは言えないが、私は西行を愛している。
例えば、願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ、とかをこころで吟じながら
満開の桜をみながら、感慨に耽る例年であるが、この千の風には大きなショックをうけた。
異次元の趣がある。
ドイツ人サムエルウルマンの、青春の詩もなかなか良く、
→ 青春とは人生のある時期をいうのではなく心のもち方を言うのだ。
人は年を重ねるだけでは老いない、希望を失ったとき初めて老いる、
。。。。。。。。。。。。。。。。 も好きだが、やはり少々理窟っぽい。
しかしこの千の風は、情感いっぱいで、優しさと暖かさがあり、本当に素晴らしい。
この歌には、宗教的な香りもあり、我々日本人にはなかなか思いつくかない発想だが、
私も一度でよいから生きている間にこのような素晴らしいし詩歌を詠んでみたいものだ。
詩歌は第二文学とか言われて、少々低くみられているが、とんでもない。
この千の風で、世界中に人たちが慰められていると聞く。
文学の本当の価値は、人々をどれほど動かす力があるかにあり、経済的な金額では
決してない筈だ。
本当に素晴らしい詩歌だと思う。私も家内のお手伝いで、若干の短歌をやっているが、
なんだか日記調から抜け切れず、この詩歌のように心を揺すられた経験は始めてだ。
―千の風になってー
私の墓の前で泣かないで!
私はそこには居ないのだから、
私は眠ってなんかいないのだから
千の風になって空を舞っているのだから、
雪になって、光になって、星になって
いつも貴方を見守っているのだから、
。。。。。。。。。。。。 というような詩歌だ。
これは原文が英語で当初は作者不詳といわれていたが、どうやらアメリカ人のMary Fryeと
いう女性が母親を偲んで歌ったものらしい。
不勉強なので大きなことは言えないが、私は西行を愛している。
例えば、願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ、とかをこころで吟じながら
満開の桜をみながら、感慨に耽る例年であるが、この千の風には大きなショックをうけた。
異次元の趣がある。
ドイツ人サムエルウルマンの、青春の詩もなかなか良く、
→ 青春とは人生のある時期をいうのではなく心のもち方を言うのだ。
人は年を重ねるだけでは老いない、希望を失ったとき初めて老いる、
。。。。。。。。。。。。。。。。 も好きだが、やはり少々理窟っぽい。
しかしこの千の風は、情感いっぱいで、優しさと暖かさがあり、本当に素晴らしい。
この歌には、宗教的な香りもあり、我々日本人にはなかなか思いつくかない発想だが、
私も一度でよいから生きている間にこのような素晴らしいし詩歌を詠んでみたいものだ。
詩歌は第二文学とか言われて、少々低くみられているが、とんでもない。
この千の風で、世界中に人たちが慰められていると聞く。
文学の本当の価値は、人々をどれほど動かす力があるかにあり、経済的な金額では
決してない筈だ。