2007年04月

2007年04月26日

私が愛したD社

私が長年勤め愛したD社の株価が低迷している。450円前後を上下する典型的な低位株で、寂しい限りである。
私は定年退職前の15年間は米国との合弁会社の社長を務めたので、直接的な責任は少ないが、D社の業績不振の責任の一端は逃れられない気持だ。
40年前の入社時には非常に注目された成長株だったのだが、何故こんなに落ち目になってしまったのか、実感を込めて内部から反省し告発する。

1) D社は社長一族が株式の20%を保持する典型的な同族会社である。 同族会社には良い点があり、例えば学閥間の競合が少なかったのは救われた。 東大、京大、早稲田、慶応など有名大学の卒業生も多く、私の如く地方大学出身者は肩身が狭かったが、一般企業に言われるような学閥間の強烈な足の引っ張り合いは少なく、どの有力閥に属さない私にも働き易い会社であった。

2)問題は、社長をTopとする経営陣の指導力である。経理出身で得意先との人間関係を重視する
2代目社長は非常に人格者で、同じく銀行出身で社長家の婿養子であった3代目社長も人柄が良かった。私自身は両社長から愛され身近に指導頂いたが、問題は技術系S副社長に代表される取り巻き役員連中であり、社長家に取り入ることばかりに熱心で、本来の中長期的な経営戦略とか、技術開発は2番目であったことは紛れも無い事実だ。それは官庁の役人が一般大衆のことより、官庁内の出世競争と自分達の天下り先にばかりに目を奪われるのと全く同じだった。
例えば、研究開発テ-マを討議する全社会議は毎年開催されるが、技術代表のS副社長などは文章の一字一句には煩く口を出すが、その技術的な内容については全く触れなかった。誠に残念な話だ。後を継いだ技術系T社長も、自分の役割は同族企業からの脱皮だと公言し、経営首脳として会社を成長軌道に復旧させることではなかったのには驚いた。その癖、勲一等瑞宝章とかまで貰ってしまったのだから、全くお恥ずかしい話だ。

3)次の問題は人事交流の不足である。十指以上に渡る事業部間の人事交流が殆どなく、売上4000億円の事業規模の割には、総合力を発揮できず、単なる中小企業の集まりであったことは新聞紙上にも何度か報じられた。1000名を超える技術開発陣も、内部的には十数名の小部隊の集まりで、担当技術部の間の情報交流が殆どなく、入社から退職まで、同一技術部門に属し、各部に散在する貴重な情報の総合化が出来なかったのは誠に残念なことである。 人事機能が働かなった理由は、創業家トップの一存で人事が決まるため、人事部は単なる後追い的な機能しか果たせなかったのだ。
どの企業においても人事交流は容易ではなく、特に有能な若手技術者は抱え込む傾向が強いが、トポプ管理職を人事交流することにより、若手の人事交流や情報交換に進ませることが不可欠な時代なのである。

4)更に、同族会社では企業トップが固定されているため、自然に取巻連中、即ち茶坊主グル-プが出来あがり、企業の中長期的な意思決定に大きな影響を及ぼす。社長,会長は誠心誠意、企業の繁栄を望んで諸々の方針を打ち出しても、茶坊主連中はその方針を自分達に都合の良い方向に捻じ曲げて、企業戦略に、大きな悪影響を与え続けた。 この傾向が30年―40年と続くと、それは企業の文化となってしまう。 先般の雪印とか今回の不二家事件など、大事件を起こした事例は正しくその典型例だが、私の愛したD社の企業文化もまさしく類似したものであった。

5)具体的な実例として積水化学の例を挙げよう。30年前にD社のプラスティック事業は積水化学のプラ事業とほぼ拮抗していたが、今日では積水化学1兆円+積水ハウス1兆円の計2兆円企業にまで成長した積水グループに対して、D社はまだ4000億円前後であり、今日では誰も比較しないほどの大きな格差となってしまった。 原因はまさしくD社が住宅産業に乗り遅れたからである。私はその経緯を詳しく知っており、担当すべき建材事業部にはその意思も力も皆無、代わるべき本社企画部の担当O部長は、土地ナシでは住宅産業は成り立ち得ない云々と、最初から逃げ腰で、具体的な検討は全くしなかった。 確かに土地に比重は大きいが積水化学も土地は持っていないのだ。 更にD社の社名は文具用品で、住宅産業には結びつかないとマーケッティング上の欠陥をしばしば喧伝した。確かに一面の理窟ではあるが、では代替案を検討した気配は全くない。要は社長家に説明できれば良かったのだ。 その結果、30年前には競合していた積水化学には、今日では桁違いの格差をつけられてしまった。要は同族企業には、社内に拮抗するライバルグループが育たないため、取り巻き連中が固定し、経営を左右してしまうのだ。

6)私自身が関係した別の例を挙げよう。 40年前のある年頭に社内広報から締切り日10月末の懸賞論文の大募集があった。地方工場に勤務する私にはいろいろ思うところがあり、夏休み返上で、色々なデータを収集し、我が社のビジョンなる論文を起草して、締切ぎりぎりに本社に提出した。内心は社長賞を狙った得心の出来栄えだと思った。
処が本社の茶坊主連中は私の論文を見て驚愕した。そこからおかしくなった。名誉ある第一回の社長賞の栄誉を、たかが地方工場勤務で無名の若造に奪われてはならないと、締め切りを2ケ月延期した。そしてその間に経営企画部の若手有志が集まって、ドラッカーなどの市販の経営本を買い集め、やれ新しい酒は新しい袋に!とか、具体的な経営指針には殆ど役立たないツギハギだらけの美辞麗句の論文を作成し、それを社長賞に仕立てあげ、私の論文は2等となった。当然社内にはブーイングが起こり、市販経営指南書のコピー論文より、私の具体的な創作論文のほうが圧倒的に評価が高かった。 しかし茶坊主達にはそれが許せなかったのだ。

7経営幹部連中だけではなく一般社員の間も、その視線は社長家をむく傾向が強く、視野は短期的で,毎月の予算達成が至上命題となり、中長期的に考慮する余裕は少なかった。
技術グル-プにも、画期的な新製品を開発して、社業の高揚と社会的な名声を狙う野心家研究者も多少はいたが、その発言権は弱く、創業家ばかりに目を向ける幹部職のカベを打破できなかったのは、残念なことである。

8) 社長に群がる茶坊主連中のカベに嫌気をさして、私は社外に出る決心をし、45才時、米国との合弁会社を設立して、遠慮なく働ける道を選んだ。
合弁会社は社員50名程度の中小企業であったが、風通しも良く同じ思いでD社から移動して来た優秀な若手社員達は勇躍として活躍してくれた。
振り返っても思い残すことはないほど自由に活躍できた15年間であった。しかしその間に親会社のD社は徐々に徐々にと衰退の道を転がり落ちて行ったのだった。

9)企業の生命は30年間と言われるように、成長軌道を長年に渡って維持し続けることは至難なのは事実であり、一概に経営幹部のせいにのみするのは酷だが、30-40年前に国内を制覇した縮合系合成樹脂事業はその殆どが汎用品と化し、多くが輸入製品や、ユ-ザ-自身の自家製に移行して、今日では単独では営業し続けることができない弱小事業となり、企業合併や廃業に移行しつつあるのは、誠に寂しい限りである。
GMやフォード等のビッグスリーにも見られるように、巨大企業が、その成長を維持し続けることは至難の技であるが、私が愛したD社の後輩達も、今日では新聞紙上を賑わすことも殆どなく、覇気を失ない、栄光は昔の思い出になっているのは悲しい。 その原因は創業家の経営思想の欠陥と、その取り巻き茶坊主連中の無責任さのせいであり、本当に寂しい限りである。 以上







mh3944 at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2007年04月10日

昼間のバスは老人だらけ


東京都を横に移動する場合、都バスをよく使う。
先日昼間バスに乗ったところ、次々と高齢者ばかりで満員だったので驚いた。しかも殆どの方が無料パスを使っている。(正確には無料に近い極安パス) まさしく日本の将来の縮図を見る気持で、寒々しくなった。
隣に座った老人に声をかけて話し始めると、当人は老人には死ねと言わんばかりの扱いだ!とぶつぶつ怒っていた。

私は、東北地方の姨捨山の話を持ち出して、老人はいつの時代にも大変なんですよ!昔のお婆さんは、年をとると、息子に頼んで山に運んでもらい、静かに死期を待ったと聞くが、中国には爺捨山の話もあり、男は年をとると自分から山に入って、既に山に入っている先輩諸老と一緒になり、忙しい季節は里に下りて農作業を手伝い、食べ物を貰って山に帰り、冬を耐え忍んで、また翌春の農繁期には手伝いに里に下り、何年も頑張ったらしいと話した。私の話は更に隣の老人の気分を害したらしく、返事もしないでバスを降りてしまった。 

動物が年をとると姿を消すのは、体の自由が効かなくなると、襲われるのを避けて死に場所へ移動するのだといわれているが、人間も昔から高齢になると住み難くなるのは避けられない宿命なのだろう。

私も人ごとではなく、来年は70才になるので、どこからみても立派な老人だが、まだまだ仕事が忙しく、とても山に入る気分にはなれない。
しかし、だからと言って、どこかの名誉病院長のように現役の邪魔をしてまで出しゃばって頑張り続ける気持は毛頭ない。若者がやらない仕事を創出してやっているだけだ。
 
世の元気な老人達に告ぐ! 年をとると体力知力ともに衰えて肩身が狭くなるのは万物共通の事実なのです。我々には年金があるからと言って
仕事もしないで不平不満ばかり言うのはやめようではありませんか? 
若者の邪魔をしない方法で、もっともっと社会のために役立つような心使いをしませんか? 複雑な現在社会には若者がしない仕事はいくらでもある。例えば学童の通学路の安全を見守るとか、夜警をするとか、或いは豊富な経験を生かして子供達に人生訓を教えるとか、老人にできる仕事は沢山ありそうだ。  

私がやっている精密機器のメンテナンスは、縁の下の力持ち的な仕事でとても地味だが、電気,メカ,化学などの幅広い知識と経験が不可欠で、専門分野に特化した若者にはとても向かず、経験豊なシルバ―老人には最適な仕事のひとつです。

老人が年金の食い潰しではなく、もっと謙虚に社会のために貢献を続ければ、きっと若者達はお礼に住居や食料を快く提供してくれ、もっともっと老人を温かく扱ってくれる住み易い社会になると思うのですが、如何でしょうか?




mh3944 at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2007年04月05日

時代の趨勢

時代の趨勢

IT革命は留まるところを知らず、半導体製造装置を扱っている私の会社はなかなか忙しい。嬉しい話だ。しかし昨年IBMはパソコンを中国企業に売り渡して小型機からは完全に撤退してしまった。そもそもコンピュターはロケットの弾道計算から出発し、IBMが中心になって大型コンピュターの高性能化を引っ張って来た。他の企業は殆ど手出し出来ず、大型計算機はIBMの独壇場であった。

誰も見向きもしない個人用コンピュターの開発を狙ってビルゲ-ツ氏は当初はガーレジで仕事を始めたらしい。ところが小型パソコンの便利さと機能向上が相まって、遂にWindowsの総資産はIBMの総資産を完全に抜いたと聞く。恐ろしい話だ。このような、中期的な時代の趨勢は当事者にはなかなか分からない。

銀塩写真技術で世界を制覇していたコダックと、その微小ドットは絶対に半導体では実現できないと嘯いていた富士写真フィルも、デジカメには完全に出遅れ、カメラのマイナーメーカーに成り下がってしまった。

私も、その渦中にあった検査診断法の世界でも、簡単で正確無比なラジオアイソトープ診断薬(RI)が、複雑で高価なNon-RI診断薬にあっさりと置き換えられてしまった。私自身もあり得ないと思っていたNon-RIへの転換が見事に起きてしまったのだ。 同様に液晶TVに駆逐されて、ブラウン管TVの息が絶える日は遠くない。

欧米の自動車メーカーの判断はハイブリッド車は中途半端すぎて実用化
される訳がないと見向きもせず、その巨大な開発力を全て水素自動車に投入して来たが、20年経過しても水素自動車の実用化の目処は立たたず、結局10年遅れてハイブリッド車の開発に取り組み始めるざまとなってしまった。あの有能と言われる日産ゴーン社長でさえ、技術陣の猛反対を押し切ってハイブリッド車開発部隊を解散してしまい、現在ではトヨタからハイブリッドエンジンを購入するさまで、取り返しのつかない遅れをとってしまった。それでも責任をとって社長を辞めるとはなかなか言わないらしい。

結局、如何に有能な経営者でも、人知では計り知れない時代の趨勢がある。
企業経営や技術開発の指導者の役割は、現業を叱咤激励することではなく、中長期に渡って、技術がどの方向に変わってゆくか、誰も的確な予想が出来ない場合、技術のともし火を消さないで傾向が明確化し始めたら、即座に対応することではないだろうか?

そのためには、如何に社内の柔軟な体制を維持し、ややもすると安易に流れ易い企業人を柔軟に動かすべきかを考えることだと思うのだが。






mh3944 at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス