2007年06月

2007年06月26日

人間も鳥と余り違わない?

私の住む手賀沼は周囲が約20Kmの立派な遊歩道が整備されている。
秋には手賀沼エコマラソンと銘打ったハーフマラソンがなかなかの人気
で、毎年8,000名以上が参加する。私は毎週土曜と日曜は朝早くから自転車で半周している。
某大手住宅メーカーの女子マラソン部員たちの宿舎も近くにあり、青春の真っ只中の若い選手が毎朝から練習に励んでいる。昔と違っていつまでも成績の上がらない者は、企業に居続けることが難しいだろうからか、本当に厳しい顔つきだ。

沼のあし林は、ヨシキリの繁殖期で、あちこちにオス鳥が陣どり、枯れ葦の天辺に止って、声高々と縄張り宣言を続けている。おそらく数百ペアは居そうだがそのやかましいこと、お互いにある程度離れた位置の葦に陣取り、早朝から午前中は鳴き続ける。 電線に止まって鳴いているヨシキリもいるから、多分陣取り争いから弾き飛ばされたオスだと思うが、まさか電線に巣作りできる訳もなく、どうするのだろうかと少し心配だ。

面白いのは、広い葦はやしには多数のヨシキリが競っているが、少し離れた狭い葦はやしには殆ど鳴いていない場所もある。もし私がヨシキリなら恐らくこちらを選ぶと思うのだが。ヨシキリも人間と似て、競争は激しくても仲間がいる場所が安心でき、お好みなのだろう。

彼らは近くに柳などの大木があっても平気なのだ。その大きな柳のなかには、カッコウなどがたく卵を狙って物色中なのに、おかまいなしに、真近で縄張り争いに熱中している。仮に縄張りを確保し、伴侶を得ても、多分カッコウなどに狙われて、自分の卵は沼にけり落とされ、他人の子供を育てる羽目になるのは確実なのだが。 丁度地震に襲われる危険のある大都会の高層ビルに高価な住宅を求める人間と変わらないと思うとなかなか興味深い。

別の場所の草むらには、放たれた食肉用のバリケンが繁殖しており、10数羽が群れを作っている。外見は全く同じでお世辞にも美しいとはいえないバリケンだが、1-2羽はその群れには入れず、つかず離れずの場所でうろついている。 何故か知らないが、これも仲間外れにされた人間と同じで、大した理由もなく、単に好き嫌いで仲間に入れないのだろう。

バリケンは毎年早春にヨットのデッキの中に巣作りをする。いつもヨットシーズンになって10個近い卵を発見する。親鳥は心配そうに周囲を飛び回るがヨットには邪魔なので、居心地のよさそうな別の箱に移して、移動する。毎年のことだ。しかし今年もカラスに発見されてやられてしまった。無事に孵ったためしがない。 カラスは人間で言えば、さしづめ新宿のヤクザといったところだろうか、少々場所を工夫しても、探し出し、群れをつくって食べ尽くしてしまうから本当に怖い存在だ。

こうみると、人間社会も、鳥類の社会とそれほど大きな差異はなく、何だか、鳥と同じことを少し格好つけてやっているだけではないかと思えて仕方ない。クルマは絶対に来ない安全な遊歩道なので、話は予想外に展開する。


mh3944 at 15:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2007年06月20日

眼科の待合室で


先日 眼科に行った。以前に白内障を手術した目が内出血して、いわゆるウサギ目になったので驚いた。痛くも痒くもないのだが用心のため3年前手術をした取手の眼科病院を訪問した。結果は結膜下出血というもので、検査は30秒程度、そのままで1週間以内に治りますと、目薬も貰えず、1,600円とられた、しかし何より大きな安心をもらった。

狭い待合室には、やはり老人がいっぱいだった。自分も1時間程度待った。私も人のことは言えない結構な年齢なのだが、受付が3−4回アナウンスしても、患者は誰も乗り上げない、次の患者に移ろうとしたころに、隣の老人がのそっと立ち上がり名乗り始める。 どうしてもっと早く立ち上がるとか挙手をしないのだろうか? その患者に対して、若い看護士が、目周辺の洗浄方法、目薬の使い方、来週の手術の予定などなど、赤ん坊に話すように、繰り返し繰り返し説明していた。彼らの多くは多分80才近いのだろうが、どうしてもっとテキパキと対応しないのだろうか?

待合室で待つ間に、読んだ新聞に、殆どの動物は生殖期を過ぎると同時に寿命も終えるが、人間とクジラだけは、生殖期間終了後も、かなり長い期間生きき続けると書いてあった。年寄りクジラは懸命に子育ての役目を果たしたあと海底に沈んで死ぬのだそうだ。
翻って人間は、子育てを手伝うでもなく、ボランティア活動に精を出す訳でもなく、支払ったか支払わなかった自分も分からない年金の受け取りだけを声高々と主張する。そしてひまな時は病院通いだ。

いよいよ寿命が来たときには、今度は当人の苦痛とは全く無関係に、周囲が、やれ尊厳死だとか、安楽死とか、騒ぎ立て始める。如何に身近な家族でも、もう見ておられなくなると、当人の苦痛を和らげるため、担当医師になんとかして欲しいと要望する。しかし病院側は、問題化するのを恐れ、患者が苦しみ力を使い果たして絶命するのを待つ。
一番迷惑を蒙るのは患者だ。薄れて行く意識のなかで、早く激痛を除いて欲しい、早く殺して欲しいと願っているに違いないのだが、その意思を伝えることもできず、遂にはもがき苦しんで息絶える。全く矛盾も甚だしい現実だと思った。

何億年の歴史をみると、繁栄を極めた生物も必ず滅亡し、代わって新種の生き物が現れるという。人類も終焉にちかいのではないかだろうかと、不安に思った待合室のひとときであった。









mh3944 at 11:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 健康 

2007年06月15日

理系と文系は どちらが有利か

文系と理系は、どちらが有利か

最近 理系の社長が増えているそうだ。シャープ、リコー、三菱ケミカル、清水建設、など多くが技術系社長になったという。若返りとともに特に成長重視の企業に理系の社長が多くなっているらしい。ひと昔前までは、社長は文系出身者と決まっており、技術系は精々副社長とか専務までだった。
文系社長は話上手で説得力がある。人間的にも面白味があり、交友関係も広い。対する技術系は、一般に話し下手、性格が鋭角、交友関係も狭いなどなど、とても事務系には敵わなかった。

理系の大学生の4年間は本当に遊ぶ暇は無く、毎日の講義が厳しく、受験期間と変わらないほど多忙で、人格形成などの余裕は殆どなく、貴重な青年時代の性格形成では、文系学生に大差をつけられてしまう。
例えば、私達のとき米国の学術論文集ケミアブ(Chemical Abstracts)は1年間でも十冊程度であったが、最近は百冊を超える膨大な情報量となり、大きな本棚の上から下まで全てが1年間だろう、或いはもう印刷はされておらずインターネットでの閲覧だけかも知れない。しかし、いくら検索技術が進んでも、それを読んで内容を理解するのは人間のアタマであり、もう毎日が生き地獄の連続だ。多感な青春時代の4年間の余裕の差は、人間形成に大変な影響をあたえる。
いくら就職に有利でも、理系人気が極端に減少し続けているのは十分理解できる。

文系出身者でも、同じ企業に数十年勤めると、門前の小僧で、自分の会社の製品や技術のことはある程度はわかってくる。関連の技術用語も表面的には使いこなせるようになる。すると暖かい人間性は、同僚社員にも大きな安心感をあたえる。しかし近年、知ったかぶりの文系社長では間に合わなくなったようだ。 一旦技術革新に乗り遅れてしまうと、もう取り返しがつかず、その業界から駆逐される恐怖と実例が沢山あり、技術がわかる社長の出番となったのだろう。
文系でも、就職して営業担当か、管理部門となるとまた違うだろう。常に外部との競争に曝される営業に比べて、会計部門や人事部門は一般的に楽だ。同僚との競争は常につきものだが、それはどこの社会にもある。

営業マンは、ユーザーとの良好な人間関係の構築が大切だが、これは天性も大いに関係し努力だけでは追つかない。若い間は社交性だけで、もてはやされるが、勉強しないまま、年齢を重ねた年寄り営業マンになると、その立場はやはり苦しくなる。 部下をひきつけるには、豊な経験とともにマ-ケティング力という武器も必要となろう。これはかなりの知識と発想の転換が必要だ。

現実問題として、技術部門の会議には文系管理職には理解できず、まず出席することは有り得ない。逆に管理部門の会議では、技術系社員はなかなか発言し難いのが実情だ。それが可能なのはやはりマーケッティング部門の担当者だろうか。

具体的な例としてテレビがある。あの技術重視のソニーは平面テレビVEGAの成功に酔い、薄型テレビの開発が遅れて、液晶でシャープに大きく出遅れた。今度は次世代有機ELテレビの開発に全精力を注いている。 しかし、どちらもハード偏重の技術革新がたよりで、とてもマーケッティング的発想の結果とは言い難い。

米国アップル社の社長が笑っていると新聞に書いてあった。あの優秀なソニーが何故i-Podを開発しなかったのだろうかと。メモリー容量が桁違いに大きくなれば、Walkmanの延長としてi-Podのアイデアが出てくるのは全く自然な筈なのにと。多分ソニーのマケッティングに問題があったのだろう。 分かり易く言えば、ソニー開発部門に会話が不足していたのだ。技術革新的な発想から抜けられなかったのだ。マーケッティングとは理論を積んだ考え方のみではなく、自由奔放な会話からも新製品が生まれるものだと、米国シリコンバレーでは言われている。  

マーケッティング重視のGMやフォードでさえ、ハイブリッド自動車の真価を見誤った。MBA資格者の知ったかぶり社長は次世代は燃料電池車だと判断したのだろうが、トヨタやホンダは、水素エンジンは技術的な障害が多すぎて当面の20年間はハイブリッドエンジンが主流と判断して力を入れたのだろう。日本的な集団会話の発想の勝利だ。

多量のガソリンを食うスタート時に、効率の良いモーターを使うハイブリッド車は本当に静かだ。燃料消費量が半分にまで下がるとは、さすが保守的なMBA資格の社長には思いもよらなかったか。 理系出身の私も、小規模な日本DPCの社長時代に、米国会長からマーケッティングの重要性を繰り返し力説された。但しその会長自身ががどこまで分かってたかは今だもって疑問だが。

何れにせよ、理系にしても文系にしてもサラリーマンにはマーケッティング的発想が重要だ。
年をとって給料が高くなるほど、管理職としてのサラリーマンは立場が厳しくなり、マーケッティング的発想がますます重要性を増してくる。






mh3944 at 11:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2007年06月11日

豪雨の雨上がり


昨日昼過ぎから、関東東部を豪雨が襲った。猛烈だった。テレビでは、千葉県東葛地方に1時間85mmの豪雨だったという。 30mmで豪雨というが、85mmとは本当に凄かった。
我が家の前の道路はみるみるうちに水嵩が増し、ヒザ丈以上になった。急いで車庫からクルマを高台に移動させ、水没は避けられたが、10年来の猛烈な雨だ。地球温暖化による異常気象のひとつだろう。

雨が収まり始めたころ、やっと市役所が駆けつけて、大型ポンプを作動させ、水は急速に引き始めた。休日出勤でご苦労さんだ。不安そうに見守っていた地域住民も飛び出して、流出して行方不明となった玄関踏み段を探したり、流れ出したゴミのあと片付けを始めた。
私も仲間に入りして、平素は付き合いがない、隣近状の若主人とか子供達と、ごく自然に会話が出来たのは、なかなか楽しかった。

我が団地は某大手銀行の関係会社が造成したため、銀行マンの定年退職者が多い。銀行マンOBはこんなときには、決まって出て来ない。いつも自治会活動に不参加だから、驚くことではないが、今回も被害がでているに違いないのに顔を出さない。 隣近所と顔を合わせるのが厭なのだろう。多分心配しながらカーテン越しに様子を窺っている筈だ。いかにも正常ではないなーとつくづく思う。 
特に現役時代に常務とか専務にまでなった銀行マンOBにはこの傾向が強い。 銀行とはこのように精神構造まで変えてしまうほど、いびつで過酷な職場なのだろうか。

人柄もあるだろうが、Mさんだけは銀行OBであるにも拘らず顔をだした。Mさんは銀行で余り偉くならないまま定年となった。社交的なので銀行で偉くなれなかったか、或いは偉くなれなかったから社交性を身につけたのか分からないが、珍しく親しみやすい隣人だ。偉かった銀行マンは現役時代のシッポがなかなか切れないのだろう。高額の退職金を受け取って退職した社会保険庁の長官連中も多分このたぐいだろう。

同じ住民でも奥さん連中は別の意味で面白い。いつも声が大声のYさんは今回も大声で指図を始めている。もう年だから遠慮もないのだろうが、元料理人のご主人が可哀想だ。余り好きになれないが人の奥さんだから文句は言えない。 警官OBのNさんの奥さんも60才近いと思うのだか、こちらは奥ゆかしくて今回も遠慮そうに行方不明となった車庫の踏み段を探している。日本女性の奥ゆかしさはいくつになっても好感がもてる。 年をとっても性格は一生変わらないものだとつくづく思った。


mh3944 at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2007年06月07日

市民ヨット大会で見事優勝した

私は5年前からヨットを始めた。理由は簡単で、家の前に手賀沼があるからだ。
手賀沼というと、皆さんは直ぐに汚染度ナンバーワンの沼と想像されるだろうが、それは過去の話、幅500m 長さ10Kmの広大な沼は、近年大いに浄化され、汚染度も東京湾と同程度のCODが5−6程度にまで改善、昨年は何とトライアスロン大会まで開催されるようになった(少しやり過ぎ!)

昨年夏の話だが、我孫子市民ヨット大会が開催され、こともあろうに私が優勝してしまったのです。友人に話したが誰も本気にしない。そこで証拠写真をここに掲載した次第。

確かに出艇数7隻の小さなローカル大会だが、野球やゴルフとは違って、ヨットは特殊なスポーツで、参加者はセミプロ級の人が多く、ある仲間(目黒氏)は、現在 単独で世界一周航海中という、独特のマニア団体だけに、優勝するというのは、本当に大変なのです。ペアーを組んだ新駿河氏と私の雄姿をとくとご覧下さい!

正直言えばやはり私には出来すぎ! 実はヨットはスタート時期と位置取りが決定的に作用し、そのタイミングが最高であったのですが、人生では運も実力のうちです。

9見事優勝して賞状授与式

mh3944 at 09:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ヨット 

2007年06月04日

外資の社長はきびしーい!


外資の社長は厳しーい!

私は、定年退職までの12年間、日米の合弁会社(50/50)の社長を務めた。社員は50余名で中規模、仕事は臨床検査薬と検査機器の輸入販売である、仕事は充実していたが、厳しいことが多く、その実体験の一端を披露したい。

1)どちら側にスタンスを置くか
まず日米50/50の合弁会社であったので、社長の立場は非常に難しかった。
どちらの親会社も主導権を狙っているため、両株主に受け入れられる方策などは元々あり得ない。 私は日本側の出身であり、米国側は最初から色眼鏡で見ていた。私自身も日本側の立場から抜け切れず、日本の親会社に合併したい願望も根底にあった。
私の魂胆は、米国会社との交渉の過程で自ずと露呈し、先方会長に何度も怒られたが、所詮抜け切ることは出来なかった。 創立以来12年間社長を務め、誠心誠意努力したつもりではあったが、米国の会長には許せない点であり、退職通知をうけた時、その理由として、合弁会社の経営にアンタッチアブル(Untouchable)であったと言われた。要は先方が経営の実権を握れなかったということだろう。

2)販売店か、技術開発か?
一般に外資企業は、日本の子会社は販売にのみ専念させ、技術開発は認めない。私のケースも、日本子会社は、米国製品を販売するだけで十分だと強硬に主張したが、私は単なる類似商品の販売では成功の可能性は小さいことを力説して、技術開発力のある販売会社を目指した。米国側は小さな合弁会社に新製品の開発などできる訳がないと反対し続けた。
この点は長い間日米間で超えがたい戦略の差として、いつも大きな議論となった。結局 私は妥協せず、技術開発陣を組織し、幸運にも画期的な新製品を開発して、その製品の世界市場を制覇し特許も申請して米国側を驚愕させた。即ち→免疫法診断薬から、遺伝子組換法診断薬の開発であった。
しかし、日本子会社が米国市場も含めた世界市場に特許を出願したことを米国親会社に対する挑戦とみなして、今度は私に対する大きな不信感を生じさせた。親企業としてのメンツの問題もあったのだろう。

3)Communicationの問題
一般に日本と異なり、欧米では主義主張は明確に伝えるべきであり、日本の如く暗黙の了解とか腹芸は通用しないといわれる。確かに一面の真理であり、少なくとも日本人の不十分な英語力では、腹芸も何もあったものではない。しかし、米国でも丁寧な表現で穏便に意思を伝えることは重要であり、単刀直入に表現するだけでは通用しないことも知った。

例えばFewとa Fewの違いがある。どちらも少ない意味だが、Fewは否定用語で殆ど無い意味であり、a Fewは少しはあるという肯定である。この微妙な使い分けも難しかく、私はFewを多用したが、先方は無礼や奴だと思ったに違いない。

またヒヤリングの重要性を身にしみて感じた。相手が何を求めているかを正確に聞き分けないと、相手が満足する返事が出来ない。英会話はスピ-キングより、ヒヤリングのほうが難しい。
しかしヒヤリング能力は一朝一夕にはマスターできない。仕事上の会話には不自由なくても、食事中での雑談などは本当に苦痛なものである。

4) Marketingのこと 
私が在任中、先方会長は繰り返しMarketing Managerの必要性を力説した。日本のSales-Managerとは格が違い、社長に次ぐ影響力をもつ重要な役職だ。古手のSales Managerを推薦したのでは一蹴される。彼らは専門教育を受けた若手のエリートを求めている。技術屋の私には、Marketingはやはり大きな問題であり、長年苦しみ続けた。絶対に正しい戦略などは神様以外には誰にも分からないのだが それでもMarketing Managerを求める。

外部からMarketing-Managerをスカウトする努力も行なったが、外資系企業を渡り鳥のように移り歩く、言葉だけ達者なJob-Hopping-Managerばかりで、適当な人材は最後までいなかった。
欧米においても優秀なMarketing Managerを見つけることは至難であり、私が担当した12年間に、親会社のMarketing-Managerは3回交代した。

世界的に超有名な日産自動車のゴーン社長もMarketing出身だ。確かに下請会社を痛めつけて大幅値下げを強制し、短期的には日産の収益を劇的に改善して、高名を馳せた。しかし日産技術陣が心血を注いで開発中であったハイブリッドエンジンを中断させ、ガソリン高騰の到来や、水素エンジンの実現遅れを完全に読み間違え、日産に致命的な打撃を与えて馬脚を現した。 まだ強がりを言い続けているが、日産に大きな打撃を与えたことは誰の目にも隠せなくなっている。

単なる営業戦術だけでなく、時代の趨勢まで読めるMarketingは本当に至難の業で、神様以外には無理な仕事かも知れない。それでも欧米企業は Marketing-Managerの夢を追い求める習性がある。MBA教育の結果であろうか。

5) 時代には逆えない!
私が担当した診断薬業界にも時代の大波が押し寄せ、安価で正確なラジオアイソトープ法から、巨額の機器投資を必要とする非アイソトープ法へと転換し始めた。ブラウン管TVから薄型TV時代への転換と同様に、如何ともし難い時代の流れであった。我々中堅メーカーにはその巨額投資が耐えられず、結局大手数社が業界を牛耳ることになり、心血を注いで育てた合弁会社は,後半には赤字基調に陥り遂に大手(三菱化学)に買収される運命となった。

時代の趨勢を読むのは大変難しい。例えば銀塩フィルムから→デジカメへの転換について、親友の富士フィルム技術部長は長い間、銀塩フィルムの微細さはデジタル記録容量では決して実現できないと絶対の自信をもっていたが、デジカメにあっさりと息の根を止められてしまった。
このように、旧製品が衰退すると、何れ担当者がその責任を問われることになる。 いたずらに抵抗せず早目に方針転換を図ったほうが安全である。

問題はその時代傾向の読みであり、長年担当した旧製品には愛着もあり、冷静な判断は難しい。最近は時代の転換が早いので、第三者の複数の意見も聞いて自分の方針の確認や、早期に転換の道を探るべきであろう。

6)社交ダンスのこと
毎年、世界各国の関係会社数十社の経営陣を集めた合同会議や、業務報告会が米国やヨ-ッパの保養地で開催された。大規模な合同会議のあとには、夕食会があり、その後は必ずダンスパーティーがつきものだが、その素養のない私には大変な苦痛であった。

首脳陣との意思疎通は十分出来るが、女性の中間層とか若手とは話しあう機会が少なく、パーティーは格好の場であり、何度も誘われたが、断る以外になかった。毎回ダンスが終わるまでの長時間は本当に屈辱であった。 
彼らが踊っていたのは、マンボとか、ジルバなどの極くシンプルな踊りで、数日間の練習でも覚えられるものだ。グローバル時代には必須科目である。後輩諸兄は恥ずかしがらず是非マスターしておいて欲しい。

私はいまダンスを踊れるが、マンボ、ジルバ、ブル-スなどの初心者ダンスは面白味がなく、殆ど踊らない。やはりダンスの醍醐味はワルツ、タンゴそしてルンバにある。 日本とイスラム圏を除くと、中国人を含めて世界中の人々は殆どダンスが踊れる。欧米から見ると、日本はイスラム社会と同様に、異様な男性社会に見えるだろう。 ぜひダンスをトライしませんか?







mh3944 at 12:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス