2007年07月
2007年07月27日
市長選挙
先週 埼玉県のある市長(人口13万人)の選挙があった。 私の昔の部下T君が立候補したが見事落選してしまった。T君は同市に長らく住み、まだ46才の若さだが、相手は何しろ2期目を目指す現職市長で、勝ち目は少ないと最初からわかっていた。 政治に素人のT君が再選を目指す現職に挑戦する図は、ややドンキホーテ的にみえるが、私はその勇気にまず感服した次第。
当人は某私立大学経済学部出身だが、行動力があり、私の部下時代には、機器システム部を担当して、医療器械のコンピュターソフトを改修する程度は難なくできるようにまでなっていた。また今日の若者には珍しい律儀さと謙虚さを兼ね備えており、多くの競合メーカーからの誘惑や誘いも断って、私が退職するまで20年近くの長い間、機器システム部門の責任者として働いてくれた。
しかしそのT君が、地元の現職市長一族の横暴に耐えかねて勝負を挑んだのだそうだ。立候補者は、現職市長(自公推薦)、対抗は同市元助役(共産党推薦)、それにT君を加えた3名の争いだった。
T君は政治にはズブ素だが、市内を通る私鉄3駅の前で早朝の辻説法を2ケ月間繰りかえしたらしい。 最初は見向きもしない冷淡な通勤客も、段々とT君の話に共鳴するようになって来たが、やはり現職を推す自公明、対抗馬を推す共産党の組織力は強力で、市長が28,000票、元助役は20,000票、T君は、11,000票に終わってしまった。
事後の話として聞いたところ、現職側の妨害工作は凄ましかったという。右翼やヤクザまで使って選挙妨害されたようだ。もう2度と立候補する気にはならないほど、その陰湿な妨害工作は激烈を極めたらしい。やはり大都市圏といえども、その近郊の政治はまだまだ旧態依然で、民主化にはほど遠い現状だと知って私は暗い気持ちになった。
当人は某私立大学経済学部出身だが、行動力があり、私の部下時代には、機器システム部を担当して、医療器械のコンピュターソフトを改修する程度は難なくできるようにまでなっていた。また今日の若者には珍しい律儀さと謙虚さを兼ね備えており、多くの競合メーカーからの誘惑や誘いも断って、私が退職するまで20年近くの長い間、機器システム部門の責任者として働いてくれた。
しかしそのT君が、地元の現職市長一族の横暴に耐えかねて勝負を挑んだのだそうだ。立候補者は、現職市長(自公推薦)、対抗は同市元助役(共産党推薦)、それにT君を加えた3名の争いだった。
T君は政治にはズブ素だが、市内を通る私鉄3駅の前で早朝の辻説法を2ケ月間繰りかえしたらしい。 最初は見向きもしない冷淡な通勤客も、段々とT君の話に共鳴するようになって来たが、やはり現職を推す自公明、対抗馬を推す共産党の組織力は強力で、市長が28,000票、元助役は20,000票、T君は、11,000票に終わってしまった。
事後の話として聞いたところ、現職側の妨害工作は凄ましかったという。右翼やヤクザまで使って選挙妨害されたようだ。もう2度と立候補する気にはならないほど、その陰湿な妨害工作は激烈を極めたらしい。やはり大都市圏といえども、その近郊の政治はまだまだ旧態依然で、民主化にはほど遠い現状だと知って私は暗い気持ちになった。
中越沖大地震
3年前の新潟大地震に引き続いて、同じく柏崎で再び大地震が起きた。日本は地震の巣窟だから驚いてはいけないが、兎に角怖い話だ。テレビで見ると老人の住んでいた古い木造家屋が無残にも全倒壊している。
不思議なのは、今日でも日本では、多数の木造家屋が再生産され続けていることだ。新築家屋の2/3は木造だという。勿論材料も改良され、工法も進んでいるとは思うが、木造は30-40年も経過すれば必ず劣化するに決まっているのに、相変らず新築家屋の大部分が木造だ。木造家屋には香りがあり優しいさもあるが、何より工事費が安くつくのが魅力なのだろう。
少し奮発すれば、耐震性能が抜群に優れる軽量鉄骨かコンクリートの家ができるのだが、日本人は懲り性もなく木造家屋を造り続けている。まったく教育効果の少ない民族だと思う。
もうひとつ問題は、小学校の体育館に避難している人達の対応だ。 一瞬にして家を失い、途方に暮れるのは判るが、いつまで避難所で嘆いていても始まらないだろう。気をとり直して自ら進んで復旧に努力すべきではないか。特にまだ元気で働けそうな人たちは早く嘆きをやめて、外にでて復旧活動に参加すべきだ。
勿論、老人たちにはその気力も体力もないのは理解できるが、朝から晩まで体育館でメシを待っていても仕方ないだろう。毎日毎日数千人への3食の手配は自治体にとっては大変な仕事だ。こういう緊急事態のときは1日2食で我慢する程度の協力は、いくら老人でもできるだろう。
その結果救援隊の仕事も大幅に減るので、大いに余力ができる筈だ。自治体関係者は、他の仕事が山ほどあるが、3食出さないとマスコミに非難されるのが怖くて発言できず、無理をしているのだろう。テレビで尤もらしい議論をする人たちの一人ぐらいは勇気ある発言をしてほしいものだ。
不思議なのは、今日でも日本では、多数の木造家屋が再生産され続けていることだ。新築家屋の2/3は木造だという。勿論材料も改良され、工法も進んでいるとは思うが、木造は30-40年も経過すれば必ず劣化するに決まっているのに、相変らず新築家屋の大部分が木造だ。木造家屋には香りがあり優しいさもあるが、何より工事費が安くつくのが魅力なのだろう。
少し奮発すれば、耐震性能が抜群に優れる軽量鉄骨かコンクリートの家ができるのだが、日本人は懲り性もなく木造家屋を造り続けている。まったく教育効果の少ない民族だと思う。
もうひとつ問題は、小学校の体育館に避難している人達の対応だ。 一瞬にして家を失い、途方に暮れるのは判るが、いつまで避難所で嘆いていても始まらないだろう。気をとり直して自ら進んで復旧に努力すべきではないか。特にまだ元気で働けそうな人たちは早く嘆きをやめて、外にでて復旧活動に参加すべきだ。
勿論、老人たちにはその気力も体力もないのは理解できるが、朝から晩まで体育館でメシを待っていても仕方ないだろう。毎日毎日数千人への3食の手配は自治体にとっては大変な仕事だ。こういう緊急事態のときは1日2食で我慢する程度の協力は、いくら老人でもできるだろう。
その結果救援隊の仕事も大幅に減るので、大いに余力ができる筈だ。自治体関係者は、他の仕事が山ほどあるが、3食出さないとマスコミに非難されるのが怖くて発言できず、無理をしているのだろう。テレビで尤もらしい議論をする人たちの一人ぐらいは勇気ある発言をしてほしいものだ。
2007年07月20日
老いるということ
最近 家内の親友のお母さんが90才で亡くなったとの手紙を見た。
亡くなる前、孫と一緒に写った痩せ衰えて骨と皮になったベッド姿と一緒に、何故か若い時の美しい写真が同封されてあったが、その落差に愕然とした。 ひとは誰でもいつかは年老いて死ぬのだから、何の不可思議もない筈だが、暗澹とした気分になった。
数年前に、天使のように美しかったオードリヘップバーンが、年をとってお婆さんになった写真を何かで見たことを思い出した。確かに、若さに溢れている時代は誰を見ても一様に美しくて素敵である。
90才ちかくなった私の義理の母もまだ元気だが、さすが往年の溢れるように力強い陸上選手の姿はもう想像できない。お気に入りのテレビ番組は熱心に見ていた彼女も、最近はテレビに向かって目をつぶっている時間が多くなった。悲しいことだが、段々と人生の終焉に近づいていることを実感させられる。
私も今は元気で毎日出社し雑事に追われているが、もう直ぐに70才となる。70といえばいつ死んでも誰も惜しまない年齢である。仮に更に長生きして10-20年も経てば、私も痩せて老いぼれた醜い姿になるだろう。
確かに、自分の体力の衰えは明確に自覚し始めている。朝の通勤列車ではできれば座りたい。常磐線から山の手線への乗り換えの階段を駆け上がる時、私がどんなに急いでも、他の人は2段飛びで次々と駆け上がり20人には追い抜かれてしまう。いつも頑張る邪魔なじいさんだと思われているに違いない。
しかし、妙なことだが、まだまだ元気だという自負もある。 自分の痩せ衰えるであろうことは理解はできるが、具体的な想像ができない。多分、もう5-6年も経てば、更に明確に自分の老いてゆく姿を想像でき始めるであろう。 悲しいことだが、人間はその瞬間が到来しなければ、誰も自分の老いた姿をなかなか実感できない。しかし逆に人生に終末が無ければ、人の一生は、多分退屈極まりないものになりそうである。
老化とは、元気な時は生意気で傲慢な人間を、懲らしめる為に、神様が作った節理なのであろう。人が誕生して、競争し、恋愛し、生殖し、喜び、悲しみを経験して、人生にさよならを言うのに、人生80年は丁度良い長さなのであろうか。
亡くなる前、孫と一緒に写った痩せ衰えて骨と皮になったベッド姿と一緒に、何故か若い時の美しい写真が同封されてあったが、その落差に愕然とした。 ひとは誰でもいつかは年老いて死ぬのだから、何の不可思議もない筈だが、暗澹とした気分になった。
数年前に、天使のように美しかったオードリヘップバーンが、年をとってお婆さんになった写真を何かで見たことを思い出した。確かに、若さに溢れている時代は誰を見ても一様に美しくて素敵である。
90才ちかくなった私の義理の母もまだ元気だが、さすが往年の溢れるように力強い陸上選手の姿はもう想像できない。お気に入りのテレビ番組は熱心に見ていた彼女も、最近はテレビに向かって目をつぶっている時間が多くなった。悲しいことだが、段々と人生の終焉に近づいていることを実感させられる。
私も今は元気で毎日出社し雑事に追われているが、もう直ぐに70才となる。70といえばいつ死んでも誰も惜しまない年齢である。仮に更に長生きして10-20年も経てば、私も痩せて老いぼれた醜い姿になるだろう。
確かに、自分の体力の衰えは明確に自覚し始めている。朝の通勤列車ではできれば座りたい。常磐線から山の手線への乗り換えの階段を駆け上がる時、私がどんなに急いでも、他の人は2段飛びで次々と駆け上がり20人には追い抜かれてしまう。いつも頑張る邪魔なじいさんだと思われているに違いない。
しかし、妙なことだが、まだまだ元気だという自負もある。 自分の痩せ衰えるであろうことは理解はできるが、具体的な想像ができない。多分、もう5-6年も経てば、更に明確に自分の老いてゆく姿を想像でき始めるであろう。 悲しいことだが、人間はその瞬間が到来しなければ、誰も自分の老いた姿をなかなか実感できない。しかし逆に人生に終末が無ければ、人の一生は、多分退屈極まりないものになりそうである。
老化とは、元気な時は生意気で傲慢な人間を、懲らしめる為に、神様が作った節理なのであろう。人が誕生して、競争し、恋愛し、生殖し、喜び、悲しみを経験して、人生にさよならを言うのに、人生80年は丁度良い長さなのであろうか。
2007年07月18日
市長選立候補
私の友人にT君がいる。正確には15年前まで私の部下であり、私より25才も若い人物だ。私がDICに所属していたとき、DICの大ユ-ザ-のT社から引き抜きを試み、大騒ぎになった人物だ。3流の私立大学卒だが、よく勉強し、抜群の実行力をもち、人柄はとても謙虚なので、人間は学歴には依らないとの私の考えを確信に変えてくれた人物だ。
その後、私は定年になり、当人は外資系某社に転職していたが、2ケ月前に同社を退職したことを知った。これからどうするのだろうと思っていたところ、この3連休のテレビで、彼が在住する北関東の人口13万人の地方都市の市長選挙に立候補していることを知り、仰天してしまった。
相手は2期目を目指す現職市長で、当人には看板も金庫も血縁もなく、地元に長く住んでいるだけで、普通ならまず当選はありえない状況であろうが、追い風の民主党と市内PTAの推薦も受けているといい、或いは起こり得ないことが起こる可能性がありえる。
この日曜日に投票即開票なので、読者がこのブログをお読み頂くころには既に結果は判明している筈だが、兎に角、彼の実行力を再確認させられた次第である。
退職後の再就職先を考えながら官庁に就職する進学塾育ちの東大生よりも、自分の実行力を信じて行動する子供を育てるべきと意を強くした次第である。昔と違って変化の激しい今日においては、社会状況を的確に判断して行動し、柔軟性に変身できる個性を育てたいものだと痛感する出来事である。 彼の本願成就を切に望んでいる。
その後、私は定年になり、当人は外資系某社に転職していたが、2ケ月前に同社を退職したことを知った。これからどうするのだろうと思っていたところ、この3連休のテレビで、彼が在住する北関東の人口13万人の地方都市の市長選挙に立候補していることを知り、仰天してしまった。
相手は2期目を目指す現職市長で、当人には看板も金庫も血縁もなく、地元に長く住んでいるだけで、普通ならまず当選はありえない状況であろうが、追い風の民主党と市内PTAの推薦も受けているといい、或いは起こり得ないことが起こる可能性がありえる。
この日曜日に投票即開票なので、読者がこのブログをお読み頂くころには既に結果は判明している筈だが、兎に角、彼の実行力を再確認させられた次第である。
退職後の再就職先を考えながら官庁に就職する進学塾育ちの東大生よりも、自分の実行力を信じて行動する子供を育てるべきと意を強くした次第である。昔と違って変化の激しい今日においては、社会状況を的確に判断して行動し、柔軟性に変身できる個性を育てたいものだと痛感する出来事である。 彼の本願成就を切に望んでいる。
2007年07月13日
グルフ嫌い
私はゴルフが嫌いだ。 最近はやらないが、現役時代は合計すると30-40回程度はコースを回っただろうが、どうしても好きになれなかった。 理由はいろいろある。 最大の理由はその高すぎる費用だ。昔の3万円―5万円の狂気の時代が過ぎ去った今日でも、費用を合計するとやはり1万円近くはなるだろう。アメリカやスコットランドでもプレイしたが本当に安かった。
ロスではpm4:00ころ、仕事を終えた友人とゴルフ場に出かける、遠くても片道30分で到着、直ちに18ホ-ルを回る。食事もとらない。用具を全部借りても5―6千円で済んだ。自分の用具を使えば更に安くなる。
バブル前の4万円時代に米国の友人から繰り返し嘲笑された、何故日本人はそのような大金をゴルフなどに使うのかと? 私も内心は全く同感であった。しかし仲間はずれにされるのが嫌で、ゴルフ幹事からの勧誘は2回に1回は応じざるを得なかった。年間では3回程度プレイした。今の中学生のイジメと全く変わらない心境だ。大金を費やし、いつも同僚の好スコアを褒めたたえて1日を終え、また片道2時間かけて疲れ果てて帰宅するのだった。
それでも女性の混じったコンペはさすが情緒もあり優雅さもあるが、殆どは男ばかりの日本では、もう異様なムードで、イスラム社会と何ら変わるところがない。 好スコアを狙うのではなく、ゴルフはもっと楽しく遊ぶべきだと思うのだが、何故か日本にはその雰囲気が少ない。やはり精神的に貧しいから、見栄だけでも豊かくみせたい思想が残っているのだろうと私は邪推する。
流石バブル崩壊のあとの今日では、以前のような気違いじみたコンペは途絶えたが、それでも昔の余韻は残っている。私の周辺のご主人共は殆どがリタイヤー組で、趣味も無く、特別な知恵もなく、毎日自宅でゴロゴロしているが、月1回程度のゴルフは奥さんから許してもらえるらしく、朝早くからクルマにバッグを積み込んでいる。雨降りでも出掛ける。 奥さんも毎日狭い家に一緒では息も詰まるので、仕方なく認めているのだろうが、それでも1万円はまだ高い。
確かに気候のよい時のゴルフ場は、気分も爽快になるが、それでも1万円はまだまだ価値ある金額であり、更に半値程度には下がるべきだと思う。
元来運動神経の悪い私は練習回数も少なく、内心は憎らしく思っているから、上達する筈がないのだ。 従って必要最低限しかプレイしないのでスコアーも悪く、100を切ったことは思い出しても1-2回しかない。
その私が厚木国際CCではHome in Oneをやらかしてしまった。まっすぐに入ったのならまだしも、土手に跳ねて転がって入ってしまったのだ。ゴルフ保険などかけている筈もなく、自前で私は大枚15万円をはたいて大勢の参加仲間に振舞うことになってしまった。もう泣き面にハチとはこのことをいうのだと思った。
日本の男性諸君、脳のないゴルフばかりに熱中しないで、もっと視野を広めて、余暇を過ごそうではありませんか?
2007年07月04日
雨夜の品定め
源氏物語に雨夜の品定めという言葉がある。不勉強な私には受験勉強で少しかじった程度で、女性をいろいろ値踏みする程度と理解している。 即ち、平安時代の公家の娘はハナが高く風流ぶるが、本当に風情が分かり、素晴らしい和歌を読める謙虚な女性は、なかなか居ないという意味らしい。
実は私が社交ダンスを始めて2年半近くになり、当初は苦労したが、最近はかなり慣れて、ワルツ、タンゴ、ルンバを一応踊れるようになった。更に踊りながら、雨夜の品定めなる言葉が脳裏に浮かぶ余裕もでてきた。すなわちパートナーの品定めである。
ダンスのパートナーは否応なしに必ず異性である。従って普段では体験できない、いろいろな相手とペアーで練習することになる。我々の場合、多くは中年女性が相手だが、いろいろな性格の女性がおり、結論から先に言えば、今日でも平安時代と余り変わらず、いろいろな女性がいるということだ。
一般に日本では、ダンスをする女性は少々異なった意識の持ち主であろう。彼女達の多くはかなり勝手で自己中心的な考えの持ち主だと分かり始めた。実力以上に自分自身を高く評価する高慢ちきな女性がかなり多いと思われる。
例えば、男性パートナーにいろいろと注文をつける。なかには当方がミスして謝っても返事もしない女性もいる。彼女にも多分ご主人がいるのだろうが、一生涯をこんな女性に捕まった亭主族は本当に哀れなものだと思う。 一般にレッスンは不公平のないように、順番に相手を交代しながら練習するので、この種のパートナーとも必ず相手をする羽目になるが、1曲2分30秒が終わるとホットする気持ちになる。
ややプライバシーになるが、女性のスタイルも重要である。天賦の条件なので、ある程度は致し方ないだろうが、やはり適度にスマートであってほしい。背が低くて肥満だと、こちらも食欲(?)が生じず、重たくてスピンするにも大変だ。中年の彼女達にはダイエットという言葉は無意味なのかも知れないが、その上、文句でも言われるともう開いた口がふさがない。ダンスを練習する前にまずダイエットをしてほしいと思うのである。
しかし、少数だが謙虚で優雅でダンスが上手な女性も確実に居る。当方がミスしても、いいえ私も悪かったので、、と言ってくれると本当に心が休まる。踊って楽しいパートナーだ。 我々のサークルは女性が約20余名だが、この種の素敵な女性はほぼ1/3程度だろうか。割合からすると少なくない。従って男性クラブ員もなかなか辞めない。日本の中年女性も決して捨てたものではないと思う。
数は極く少ないが若くて謙虚な女性もいる。若いから身のこなしも柔軟で、当方も実力以上に軽やかに踊ることができる。彼女とワルツなどを踊るときは本当にダンスの醍醐味を味わう時間でもある。ダンスは必ずペアーで踊るのだから、素直で謙虚な性格は何よりも有りがたい。
しかし、何の目的でダンスに来ているのか判らない人もいる。例えば本当に不器用な女性とか、超高齢のおばあさんだ。ご自分の意思で不器用になったり高齢になったのではないのは分かるが、彼女達とペアで踊るのはやはり苦痛だ。ある時、超高齢の女性にダンスを始めた訳を聞いてみたところ、老後を楽しみたいからとの返事であった。頭脳も退化し始めているのだろうか、楽しくない相手の気持ちも、分かってもらいたいものだ。
勿論これは男性側の言い分で、女性側にも同様に言い分があるだろう。例えば、もっと上手にリードしてほしいとか、もっと上品に踊ってほしいとかいうことだろう。
主婦達は概して自由時間があり、ダンス歴10年選手のベテランが多い。また気まぐれでいろいろなダンスサークルを渡り歩くので、始めて2年程度の男性陣は幼稚に見えることもあるだろう。しかし我がサークルでは女性陣がなかなか辞めず、逆に増え過ぎていつも定員一杯の状態だから、案外、我々も捨てたものではないかと内心嬉しくなる。
紫式部の平安時代や、与謝野鉄幹の明治時代と同様に、才長けて見目麗しく情けある女性は、いつの時代にも、多くはないことを実感しながら、休日にはレッスンに励んでいるこの頃である。
実は私が社交ダンスを始めて2年半近くになり、当初は苦労したが、最近はかなり慣れて、ワルツ、タンゴ、ルンバを一応踊れるようになった。更に踊りながら、雨夜の品定めなる言葉が脳裏に浮かぶ余裕もでてきた。すなわちパートナーの品定めである。
ダンスのパートナーは否応なしに必ず異性である。従って普段では体験できない、いろいろな相手とペアーで練習することになる。我々の場合、多くは中年女性が相手だが、いろいろな性格の女性がおり、結論から先に言えば、今日でも平安時代と余り変わらず、いろいろな女性がいるということだ。
一般に日本では、ダンスをする女性は少々異なった意識の持ち主であろう。彼女達の多くはかなり勝手で自己中心的な考えの持ち主だと分かり始めた。実力以上に自分自身を高く評価する高慢ちきな女性がかなり多いと思われる。
例えば、男性パートナーにいろいろと注文をつける。なかには当方がミスして謝っても返事もしない女性もいる。彼女にも多分ご主人がいるのだろうが、一生涯をこんな女性に捕まった亭主族は本当に哀れなものだと思う。 一般にレッスンは不公平のないように、順番に相手を交代しながら練習するので、この種のパートナーとも必ず相手をする羽目になるが、1曲2分30秒が終わるとホットする気持ちになる。
ややプライバシーになるが、女性のスタイルも重要である。天賦の条件なので、ある程度は致し方ないだろうが、やはり適度にスマートであってほしい。背が低くて肥満だと、こちらも食欲(?)が生じず、重たくてスピンするにも大変だ。中年の彼女達にはダイエットという言葉は無意味なのかも知れないが、その上、文句でも言われるともう開いた口がふさがない。ダンスを練習する前にまずダイエットをしてほしいと思うのである。
しかし、少数だが謙虚で優雅でダンスが上手な女性も確実に居る。当方がミスしても、いいえ私も悪かったので、、と言ってくれると本当に心が休まる。踊って楽しいパートナーだ。 我々のサークルは女性が約20余名だが、この種の素敵な女性はほぼ1/3程度だろうか。割合からすると少なくない。従って男性クラブ員もなかなか辞めない。日本の中年女性も決して捨てたものではないと思う。
数は極く少ないが若くて謙虚な女性もいる。若いから身のこなしも柔軟で、当方も実力以上に軽やかに踊ることができる。彼女とワルツなどを踊るときは本当にダンスの醍醐味を味わう時間でもある。ダンスは必ずペアーで踊るのだから、素直で謙虚な性格は何よりも有りがたい。
しかし、何の目的でダンスに来ているのか判らない人もいる。例えば本当に不器用な女性とか、超高齢のおばあさんだ。ご自分の意思で不器用になったり高齢になったのではないのは分かるが、彼女達とペアで踊るのはやはり苦痛だ。ある時、超高齢の女性にダンスを始めた訳を聞いてみたところ、老後を楽しみたいからとの返事であった。頭脳も退化し始めているのだろうか、楽しくない相手の気持ちも、分かってもらいたいものだ。
勿論これは男性側の言い分で、女性側にも同様に言い分があるだろう。例えば、もっと上手にリードしてほしいとか、もっと上品に踊ってほしいとかいうことだろう。
主婦達は概して自由時間があり、ダンス歴10年選手のベテランが多い。また気まぐれでいろいろなダンスサークルを渡り歩くので、始めて2年程度の男性陣は幼稚に見えることもあるだろう。しかし我がサークルでは女性陣がなかなか辞めず、逆に増え過ぎていつも定員一杯の状態だから、案外、我々も捨てたものではないかと内心嬉しくなる。
紫式部の平安時代や、与謝野鉄幹の明治時代と同様に、才長けて見目麗しく情けある女性は、いつの時代にも、多くはないことを実感しながら、休日にはレッスンに励んでいるこの頃である。