2007年12月
2007年12月27日
実録 Shall We Dance?
私が3年前にダンスを始めたことは先般紹介した。具体的には我孫子市内の会員25名のダンスクラブの会長を務めている。当初はダンスが上手だから会長なのではなく、単に雑用担当の会長役であった。
この年齢でいつまでも雑用係りでは気が済まないので、猛烈に練習を始めた。しかし高齢になるともの覚えが悪い。グル-プレッスンは毎週1回土曜日午前で、1回1,000円と安く、月4回のレッスンを20余名の男女の仲間たちと団体で一緒に練習する。
しかし習ったばかりのステップも、練習ホールから出ると直ぐに忘れてしまう、翌日になると全く記憶に残っていないから、もう挫折感と恐怖感の繰り返しであった。 やはり復習が非常に重要だと判り始めた。
平日私は会社勤務でなかなか練習する機会がない。しかし幸い、私の事務所は東京湾近郊で、歩いて10分のところに臨海公園があり、そこで朝早く、青空練習をする方法を編み出した。特に早朝の散歩者が少ない時間を狙って毎日30分程度、ステップの練習を続けた。それでも定年退職者や、犬の散歩に歩く人がチラチラ見ながら通り過ぎるのは、なかなか気恥ずかしい。年甲斐もないおじさんがダンスの練習をやっていらっしゃるとか!
多分、対岸の高層マンションから望遠鏡でも見られているだろうが、もう人目には構っては居られない気持ちで、3年間練習を積み重ねた。するとどうだ!段々と踊れるようになったではないか!
終に私は、ワルツ、タンゴ、ルンバ、ジルバの各曲2分30秒のステップを殆ど覚えてしまった。体が覚えてしまえばもう楽なものだ。何故あのように苦しんだが、自分でも不思議な感じがするようになってしまったのだ。
しかし、次の課題は如何に優雅に踊るかである。これは難しい! 何しろこちとらは70才で、文句のつけようのない高齢である。この年齢でひと様から美しく見えるダンスをマスターするのは至難の技である。荒川静香のイナバウアーの難しさを身に浸みて感じ、私もビデオを見ながら訓練を重ね続けた。変な癖が身につくと、その矯正は至難だから、当初は出来るだけオーソドックスなダンスを覚えるよう努めた。
そして年月が経ち私は、週1回のグループレッスンでも滑らかに踊れ始めたと自分でも自覚でき始めた。女性群からも感嘆の声が聞こえるようにもなった。ここまで来るともうシメタものだ。 かくして、私はワルツ、タンゴ、ルンバという代表的な社交ダンスを一応人様の前で踊れるようになってしまったのだ。
勿論ダンスは奥深く、いろいろなバリエーションもあり、習得したのはまだまだ部分的であるが、兎に角、1曲2分30秒でホールを2周するステップは立派に踊れるようになったのだ。このような苦しみと試行錯誤を経ながら3年間が経過し、今年のクリスマスイブに3周年記念の大パーティーを行うことになった。
我孫子市営の大ホールを6時間借り切って、チケット100枚を作ったが、何と150名が来場し、ホールは超満員となった、私は主催者側の会長としての挨拶、途中ではフォーメションダンス、最後は来客の送迎という、サラリ-マン人生では考えられない異次元の世界の超多忙なパーティーであった。 なかなかの充実感もあった
そして終に私は、気分的にも何だか本物のダンス会長のような感覚で忙しい1日を終えたのであった。
この年齢でいつまでも雑用係りでは気が済まないので、猛烈に練習を始めた。しかし高齢になるともの覚えが悪い。グル-プレッスンは毎週1回土曜日午前で、1回1,000円と安く、月4回のレッスンを20余名の男女の仲間たちと団体で一緒に練習する。
しかし習ったばかりのステップも、練習ホールから出ると直ぐに忘れてしまう、翌日になると全く記憶に残っていないから、もう挫折感と恐怖感の繰り返しであった。 やはり復習が非常に重要だと判り始めた。
平日私は会社勤務でなかなか練習する機会がない。しかし幸い、私の事務所は東京湾近郊で、歩いて10分のところに臨海公園があり、そこで朝早く、青空練習をする方法を編み出した。特に早朝の散歩者が少ない時間を狙って毎日30分程度、ステップの練習を続けた。それでも定年退職者や、犬の散歩に歩く人がチラチラ見ながら通り過ぎるのは、なかなか気恥ずかしい。年甲斐もないおじさんがダンスの練習をやっていらっしゃるとか!
多分、対岸の高層マンションから望遠鏡でも見られているだろうが、もう人目には構っては居られない気持ちで、3年間練習を積み重ねた。するとどうだ!段々と踊れるようになったではないか!
終に私は、ワルツ、タンゴ、ルンバ、ジルバの各曲2分30秒のステップを殆ど覚えてしまった。体が覚えてしまえばもう楽なものだ。何故あのように苦しんだが、自分でも不思議な感じがするようになってしまったのだ。
しかし、次の課題は如何に優雅に踊るかである。これは難しい! 何しろこちとらは70才で、文句のつけようのない高齢である。この年齢でひと様から美しく見えるダンスをマスターするのは至難の技である。荒川静香のイナバウアーの難しさを身に浸みて感じ、私もビデオを見ながら訓練を重ね続けた。変な癖が身につくと、その矯正は至難だから、当初は出来るだけオーソドックスなダンスを覚えるよう努めた。
そして年月が経ち私は、週1回のグループレッスンでも滑らかに踊れ始めたと自分でも自覚でき始めた。女性群からも感嘆の声が聞こえるようにもなった。ここまで来るともうシメタものだ。 かくして、私はワルツ、タンゴ、ルンバという代表的な社交ダンスを一応人様の前で踊れるようになってしまったのだ。
勿論ダンスは奥深く、いろいろなバリエーションもあり、習得したのはまだまだ部分的であるが、兎に角、1曲2分30秒でホールを2周するステップは立派に踊れるようになったのだ。このような苦しみと試行錯誤を経ながら3年間が経過し、今年のクリスマスイブに3周年記念の大パーティーを行うことになった。
我孫子市営の大ホールを6時間借り切って、チケット100枚を作ったが、何と150名が来場し、ホールは超満員となった、私は主催者側の会長としての挨拶、途中ではフォーメションダンス、最後は来客の送迎という、サラリ-マン人生では考えられない異次元の世界の超多忙なパーティーであった。 なかなかの充実感もあった
そして終に私は、気分的にも何だか本物のダンス会長のような感覚で忙しい1日を終えたのであった。
2007年12月20日
季節の終わり
もうすぐ年末になり正月を迎える。
周りの紅葉も一段と進み、一晩で落ち葉が路上に降り注ぐ。みんな美しく色づいて自然に散らばっている。真夏の台風のあとの落葉は千切れて痛々しく乱雑に散らばるが、秋の落葉は本当に静かで、散乱模様もごく自然だ。春から精一杯働いて役目を果たした葉っぱは、何も思い残すこともなく、全ての機能を停止して、静かに落ちていく。
虫に食われたり穴が開いた落ち葉もあるが、その傷はきれいに治癒し、紅葉の色模様も黄色から赤色へと段々グラデーションに変化して、全く自然な色調になっている。肌さわりも柔らかく、まるで生きているような暖かい感触だ。これら落ち葉は次の世代の栄養になるため、段々と形を崩して腐葉土となってゆく。ちょうど子供を育て終えた親が、天寿を全うして静かにこの世を去ってゆく姿に似ている。
昔のおばあさんの姨捨山話も現実にあり得たことで、自分が役に立たなくなったと自覚したら、長男に頼んで、山に捨ててもらったのであろう。食うや食わず息子達は、無駄な食い扶持を少しでも減らす意味もあり、おばあさんが言い出したら、素直に応じて山に担いで行ったのだろう。残酷そうに思えるけど、本人が納得した上での行為なら、極寒の山で徐々に意識を失い、眠るように凍死するのも案外、自然な旅立ちであったかも知れない。
しかし今日では、1日でも命を永らえさせようと、外科手術とか、人工呼吸器装着、強心剤注射、などなど自然の摂理に逆らって、無理やり延命処置を施す。 結果的に当人を苦しめ、周囲も醜い姿に閉口するだけに終ってしまうのだが、倫理とか道徳とか尊厳死とかいろいろ難しい論理が入り込み、自然な死を下手に手助けしようものなら、直ぐに犯罪になってしまう、おそろしい時代になったものだ。
周りの紅葉も一段と進み、一晩で落ち葉が路上に降り注ぐ。みんな美しく色づいて自然に散らばっている。真夏の台風のあとの落葉は千切れて痛々しく乱雑に散らばるが、秋の落葉は本当に静かで、散乱模様もごく自然だ。春から精一杯働いて役目を果たした葉っぱは、何も思い残すこともなく、全ての機能を停止して、静かに落ちていく。
虫に食われたり穴が開いた落ち葉もあるが、その傷はきれいに治癒し、紅葉の色模様も黄色から赤色へと段々グラデーションに変化して、全く自然な色調になっている。肌さわりも柔らかく、まるで生きているような暖かい感触だ。これら落ち葉は次の世代の栄養になるため、段々と形を崩して腐葉土となってゆく。ちょうど子供を育て終えた親が、天寿を全うして静かにこの世を去ってゆく姿に似ている。
昔のおばあさんの姨捨山話も現実にあり得たことで、自分が役に立たなくなったと自覚したら、長男に頼んで、山に捨ててもらったのであろう。食うや食わず息子達は、無駄な食い扶持を少しでも減らす意味もあり、おばあさんが言い出したら、素直に応じて山に担いで行ったのだろう。残酷そうに思えるけど、本人が納得した上での行為なら、極寒の山で徐々に意識を失い、眠るように凍死するのも案外、自然な旅立ちであったかも知れない。
しかし今日では、1日でも命を永らえさせようと、外科手術とか、人工呼吸器装着、強心剤注射、などなど自然の摂理に逆らって、無理やり延命処置を施す。 結果的に当人を苦しめ、周囲も醜い姿に閉口するだけに終ってしまうのだが、倫理とか道徳とか尊厳死とかいろいろ難しい論理が入り込み、自然な死を下手に手助けしようものなら、直ぐに犯罪になってしまう、おそろしい時代になったものだ。
2007年12月19日
スポーツクラブでの惨事
1週前、佐世保のスポーツクラブで惨事があり、若い男性と女性が銃殺されてしまった。犯人は顔見知りの若者とわかったが、殺人の理由は闇に隠れたままである。最近このように原因が不可解な事件が度々起こるが、飽食に満ち足りた若者たちが、生きる目標を失っているのではないだろうか?
本論とは少し離れるが、年商360億円のこのスポーツクラブの社長のSさんは、30年前に私がインキ会社海外事業部企画課長のときの部下である。当時Sさんは、担当の海外企画業務は全く興味を示さず、テニスクラブを立ち上げることに執着し始めていた。上司の私には誠に扱いに困った社員であった。
企画の本来業務はインキ関連事業の海外展開であったが、彼は全く関心無く、将来レジャー時代の到来を予想してか来る日も来る日も、スポーツクラブ構想に熱中し続けていた。 インキ会社にはスポーツクラブ構想は無縁であり、通常の上司なら一喝してその計画を粉砕したであろうが、私はそこまでの確信はなく、ある時は彼の計画提案書を推敲した記憶もある。 結果としてその構想が成長して、今日の業界3位の大事業に至ったのは立派といえるであろう。
インキの海外展開として、私は韓国の樹脂合弁会社1社、マレーシアの樹脂合弁会社1社、フランスの結束バンド合弁会社1社を立ち上げ、前2社は順調に拡大している。その後、私はインキから離れて別会社に移動して、米国との遺伝子組換え臨床検査薬の合弁企業を立ち上げて年商20億円近くにまで成長させて定年退職を迎えた。
私より10才若いSさんは、スポーツクラブ計画を継続して、まず千葉幕張の国道沿いに廃ボーリング場を借り受けて最初のテニスクラブを立ち上げ、その後次々と買収を続けて今日の年商360億円に成長したのである。
しかし考えてみれば、当時私も含めて殆どの幹部は、インキ会社がレジャー産業に進出するのは余りにも無節操に思われ、素直に受け入れることは出来ないシロモノだと思っていた。地味な性格の私は、なお更、企業の本筋は技術開発にある筈だと信じていた。
しかし、私の技術志向は彼には無駄に見え、いつも焦点はサービス産業に定めていた。この差異は私とSさんの人生観、更には個人的な性格にも関係し、どちらが正解であるとは言えないだろうが、30年その意思を貫き通したSさんは、大レジャー産業会社にまで成長したのである。人生の目標に悩む昨今の若者たちには、少しは参考になるかとも思う。
悲嘆にくれるスポーツセンターの子供たちの涙を見ながらも、私は企業の先見性や企画戦略、更には担当者の信念など、つくづく長期戦略の難しさを思ったが、同時に不確かな信念をもとに、彼の大構想を潰さなかったことに、若干の満足も覚える私であった。
2007年12月13日
株で儲ける方法
株で如何に儲けるか?
また面白い記事を新聞でみた。絶対に儲かる株式投資だ。
最近はネットで株式の売買が盛んになっており、手数料が極めて安いからネット取引は株売買の主流だという。株は値上がりしたら売り、値下がりすれば買うのが常道であるが、統計的なデータから言えば、この方法では99%が赤字だと書いてあった。99%というから、儲かるのは極めて例外的だということだろう。
ではどうすれば儲かるのかというと、答えは極く簡単、長い年月に渡って株を持ち続けることだそうだ。
具体的な例で言えば、仮に15年前のバブル絶頂期に株を購入しても、現在まで持ち続けていれば、15%ほど利益が出ている計算になるそうだ。 勿論、日経平均株価39,000円の当時と 16,000前後の現在では、明らかに大赤字なのだが、実は株式分割とか、株主優遇策とか、いろいろな特典を計算に入れると、銀行預金以上の利益が出ているというから驚きだ。
そう言えば、毎日のテレビや新聞で言う株価変動の理由は全く陳腐な説明で、如何様にも解釈できそうなことの繰り返しばかりで、納得できる変動理由は殆ど聞かない。
私も、40年ほどの大昔、小西六の株式を120余円で購入し145円で売って、100万円ほど儲けた経験がある。当時の100万円は給料の数ケ月分に相当するから狂喜した。 株はこんなに簡単に大金を手中にできるのかと誤解し、儲けた100万円を使って更に大々的な株式売買を始めたが、途端に投資した金額を殆ど失ってしまった苦い思い出がある。
サラリ-マンが株式を始めると、株価の動きが心配になって気持ちが動揺し、仕事に没頭することが出来なくなる。 増して大事件の発生を帰宅して夜のテレビで知るようではお話にならず、株取引から手を引いてしまったが、 仮に証券会社の店頭に張り付いて売買しても99%は失敗するのだそうだ。
そういえば、私の友人の株屋は、ネット取引は1回の手数料は安いが、回数を繰り返すから、格好の利益源だと言っていた。 株取引は本当に恐ろしい。
また面白い記事を新聞でみた。絶対に儲かる株式投資だ。
最近はネットで株式の売買が盛んになっており、手数料が極めて安いからネット取引は株売買の主流だという。株は値上がりしたら売り、値下がりすれば買うのが常道であるが、統計的なデータから言えば、この方法では99%が赤字だと書いてあった。99%というから、儲かるのは極めて例外的だということだろう。
ではどうすれば儲かるのかというと、答えは極く簡単、長い年月に渡って株を持ち続けることだそうだ。
具体的な例で言えば、仮に15年前のバブル絶頂期に株を購入しても、現在まで持ち続けていれば、15%ほど利益が出ている計算になるそうだ。 勿論、日経平均株価39,000円の当時と 16,000前後の現在では、明らかに大赤字なのだが、実は株式分割とか、株主優遇策とか、いろいろな特典を計算に入れると、銀行預金以上の利益が出ているというから驚きだ。
そう言えば、毎日のテレビや新聞で言う株価変動の理由は全く陳腐な説明で、如何様にも解釈できそうなことの繰り返しばかりで、納得できる変動理由は殆ど聞かない。
私も、40年ほどの大昔、小西六の株式を120余円で購入し145円で売って、100万円ほど儲けた経験がある。当時の100万円は給料の数ケ月分に相当するから狂喜した。 株はこんなに簡単に大金を手中にできるのかと誤解し、儲けた100万円を使って更に大々的な株式売買を始めたが、途端に投資した金額を殆ど失ってしまった苦い思い出がある。
サラリ-マンが株式を始めると、株価の動きが心配になって気持ちが動揺し、仕事に没頭することが出来なくなる。 増して大事件の発生を帰宅して夜のテレビで知るようではお話にならず、株取引から手を引いてしまったが、 仮に証券会社の店頭に張り付いて売買しても99%は失敗するのだそうだ。
そういえば、私の友人の株屋は、ネット取引は1回の手数料は安いが、回数を繰り返すから、格好の利益源だと言っていた。 株取引は本当に恐ろしい。
2007年12月07日
通勤風景
通勤風景
私は朝が早い。毎朝4:50に飛び起きてひとり食事を済ませ、まだ暗い5:40に自宅を出て、徒歩15分で駅に着き、6:00の上野行き快速電車にのる。6:31分に日暮里着、陸橋を走って、6:32の山の手電車に飛び込むのだ。
東京駅6:43分に到着、今度は京葉線の地下通路を走って6:50にのる。本当に急がしい毎日だ! この電車を逃すと東京駅地下ホームで15分間待つ羽目になる、たった15分でも皆が急いている時間に待つと、人生に負けたような気分になり悔しいから、遅れないように毎日ラッシュで走る。うまく間に合うと、何だか人生が充実した気分になるから、人間は不思議なものだ。
乗客の殆どは年配者で同じルートに30-40人仲間がいるが、殆どが走る。
あるひとは毎日背中に大きなリュッを背負って、日暮里で飛び乗り、電車入口に陣取り、東京駅で直ぐに出ることを狙うのだが、狭い電車の入口の大きな荷物で頑張られると本当に迷惑なものだ。日暮里から東京駅まで、入口で頑張り続けるから一般乗客には本当に困るのだが、当人は他人には無関心、ガンとして入口で頑張り続ける。全く未成熟なおじさんだ。
彼もまた東京駅の地下通路を京葉線ホームへ走るのだが、その姿には特徴がある。かなり肥満体だが、走るとき上腕は殆ど動かず、ヒジから先の2の腕のみ振って走る姿はまるで子供の姿にそっくりだ。大きなリュックには、多分生活用品を詰め込んでいるのだろうから、ひとり暮らしのご老人であろう。精神のみでなく肉体も幼稚なままだ。
もひとり走る仲間がいる、勿論話したことは無く、先方も当方を知る由もないが、毎日同じルートを走るひとりとしては認識はしているかも知れない。痩せ型で、背が高く、手荷物はなくいつも片手にスポ-ツ新聞をもっている。 歩く姿はなかなかカッコウ良く、しかも早いのだ。
東京駅で同じ電車を下車後、階段を駆け下りるのだが、彼の姿を見失うと、必ず遥か前方を歩いているから驚きだ。
この人は数年前までは南船橋周りの京葉線を使っていた。南船橋始発の東京行き電車に乗り換えると、そこには30才前後の素敵な女性がいつも座っていた。キャリア-ウ-マンはこんなに早く出勤はしないだろうから、多分食堂の早出勤務かも知れない。早く出て、朝食を準備をするのだろうが、きりりと引き締まった顔つきは、なかなか素敵で、内心私も好きタイプだ。
しかし、前述のカッコいいおじさんは、必ず、そのとなりの席にを目指す。始発電車で周囲が空いているから、私などは恥ずかしくて、彼女のすぐ隣に座る勇気は無いが、このおじさんは平気で、いつもすぐ隣席に座る。しかしある年、JR時間表が変わり、この始発電車が無くなってしまった。すると, この女性も電車を変えたらしく、見かけなくなってしまった。途端に、くだんのおじさんは南船橋回りをやめて東京駅回りに変更したらしい。 私は2年遅れて東京駅周りに変えて、久し振りにこのおじさんを見つけ、彼のルート変更を知ったのだった。時間表の変更が縁の切れ目だった。
人は齢を重ねると人格が練れて円熟してゆくが、何才になっても艶やかな女性の魅力だけは格別で、できるだけ近づき、できるだけ同じ空気を吸い、その香を味わいたいのだろう。
ああ 神様 我々凡夫を助けて下さい!
私は朝が早い。毎朝4:50に飛び起きてひとり食事を済ませ、まだ暗い5:40に自宅を出て、徒歩15分で駅に着き、6:00の上野行き快速電車にのる。6:31分に日暮里着、陸橋を走って、6:32の山の手電車に飛び込むのだ。
東京駅6:43分に到着、今度は京葉線の地下通路を走って6:50にのる。本当に急がしい毎日だ! この電車を逃すと東京駅地下ホームで15分間待つ羽目になる、たった15分でも皆が急いている時間に待つと、人生に負けたような気分になり悔しいから、遅れないように毎日ラッシュで走る。うまく間に合うと、何だか人生が充実した気分になるから、人間は不思議なものだ。
乗客の殆どは年配者で同じルートに30-40人仲間がいるが、殆どが走る。
あるひとは毎日背中に大きなリュッを背負って、日暮里で飛び乗り、電車入口に陣取り、東京駅で直ぐに出ることを狙うのだが、狭い電車の入口の大きな荷物で頑張られると本当に迷惑なものだ。日暮里から東京駅まで、入口で頑張り続けるから一般乗客には本当に困るのだが、当人は他人には無関心、ガンとして入口で頑張り続ける。全く未成熟なおじさんだ。
彼もまた東京駅の地下通路を京葉線ホームへ走るのだが、その姿には特徴がある。かなり肥満体だが、走るとき上腕は殆ど動かず、ヒジから先の2の腕のみ振って走る姿はまるで子供の姿にそっくりだ。大きなリュックには、多分生活用品を詰め込んでいるのだろうから、ひとり暮らしのご老人であろう。精神のみでなく肉体も幼稚なままだ。
もひとり走る仲間がいる、勿論話したことは無く、先方も当方を知る由もないが、毎日同じルートを走るひとりとしては認識はしているかも知れない。痩せ型で、背が高く、手荷物はなくいつも片手にスポ-ツ新聞をもっている。 歩く姿はなかなかカッコウ良く、しかも早いのだ。
東京駅で同じ電車を下車後、階段を駆け下りるのだが、彼の姿を見失うと、必ず遥か前方を歩いているから驚きだ。
この人は数年前までは南船橋周りの京葉線を使っていた。南船橋始発の東京行き電車に乗り換えると、そこには30才前後の素敵な女性がいつも座っていた。キャリア-ウ-マンはこんなに早く出勤はしないだろうから、多分食堂の早出勤務かも知れない。早く出て、朝食を準備をするのだろうが、きりりと引き締まった顔つきは、なかなか素敵で、内心私も好きタイプだ。
しかし、前述のカッコいいおじさんは、必ず、そのとなりの席にを目指す。始発電車で周囲が空いているから、私などは恥ずかしくて、彼女のすぐ隣に座る勇気は無いが、このおじさんは平気で、いつもすぐ隣席に座る。しかしある年、JR時間表が変わり、この始発電車が無くなってしまった。すると, この女性も電車を変えたらしく、見かけなくなってしまった。途端に、くだんのおじさんは南船橋回りをやめて東京駅回りに変更したらしい。 私は2年遅れて東京駅周りに変えて、久し振りにこのおじさんを見つけ、彼のルート変更を知ったのだった。時間表の変更が縁の切れ目だった。
人は齢を重ねると人格が練れて円熟してゆくが、何才になっても艶やかな女性の魅力だけは格別で、できるだけ近づき、できるだけ同じ空気を吸い、その香を味わいたいのだろう。
ああ 神様 我々凡夫を助けて下さい!