2008年01月

2008年01月25日

こころ残り

私は身長165センチと低いほうである。小学校時からいつもかなり前だった。極端に低いとはいえないが、近年の背の高い若者のなかに入ると、劣等感を感じることが多い。

男性のなかでは威圧され、女性の前では魅力に欠けるのではないかと不安になる。 猿でもライオンでも動物のメスは本能的に大きくて力強いオスを選ぶそうだから、世に言う結婚相手の三条件(背高、高学歴、高サラリー)は切実な願いで、女性も背が高くて力強い男性を望んでいるのだ。

とにかく、人間は社会のいろいろな場面で背の低い人は損をし、高い人は得をすると思う。満員電車でもいつも上から見下ろすのはやはり快感だろう。科学的な裏づけはないが、会社の出世競争でも、少なくとも相関的関係ぐらいはあると思う。立派な体格の人の発言は何だか意味深に聞こえ、似たことを貧弱な体格の人が言えば軽くとられ易い。これは技術系と事務系の発言の差にも似ており、世慣れた営業関係者やビジネス用語に長けた事務屋さんがくだらん内容でも回りくどく複雑に話しても、何だか有難く聞こえ、朴訥な技術屋さんが率直に発言すると軽く取られやすい。

私が合弁会社の社長を務めていた10年間、毎年夏と秋に世界会議があり、世界50ケ国から200人前後が集まって1週間会議をしたり、遊んだりしたが、やはり背の低い日本人は常にプレッシャーを感じていた。
特にスエ-デンとかドイツなど北欧人種は非常に背が高く殆ど1メ-トル90前後はゾロゾロおり、体格も優に100キロを超える。見上げるような角度で話すと本当に圧倒されてしまう。175センチとスマートで英語も得意だった上司のK社長も、彼らの前では、一生懸命に背伸びして話しておられた。
ヨ-ロッパでも、イタリアとかスペインなどのラテン系はかなり小柄で非常に親密感を感じたが、 彼らは色々な意味で北欧人種から常にプレッシャーを感じていると話していた。

しかし中には飛び抜けて背が高いイタリア人もいた。いつも素敵な白いマフラーを垂らしていたので、お前は格好いいなーと話すと、自分の祖先は北欧のバイキングなんだと答えた。なーんだ!Pirates(海賊)だったのと言うと、 NO! NO! NO! Merchant(商人)だと 本気で怒った。真実は、多分ある時はMerchantで、交渉がこじれるとPiratesになったのだろうが。
              
最近は日本人も背が伸びて男性は平均1メ-トル70らしく、僅か5センチでも、その伸びはグローバル社会の中で、少しは日本人の自信を増してくれると思う。女性でも美人不美人と並んでスマートな体型は、彼女の人生において大きなAdvantageだ。

それを思うと小柄な野口みずきは素晴しい。トリノオリンピックだったと思うが、驚異的なマラソン記録を出しつづけていた長身のラドクリフが優勝するものと確信して 大勢の英国応援団がマラソンのゴール地点に集結していたら、1メートル50センチの超小柄な野口みずきが真っ先にグランドに飛び込んで来たので、英国人は仰天したと聞く。彼女の超頑張りの源泉は体格差による劣等感もあるのだろう。 今度のオリンピックにはラドクリフも出ると聞くが、極暑の北京で野口みずきとの対決が見ものだ!  

私も古希を迎え人生のゴールも近くなり、如何にあがいても仕方ない諦観の境地を感じ始めている今日このごろだが、世の中が忙しくなればなるほど、一目で好印象を与えるスマートな長身だけは今もって羨ましく、人生の心残りのひとつである。



mh3944 at 13:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 雑感 

2008年01月23日

ブランド品は好きでない

日経新聞の随筆欄に著名な某財界人の思い出記事があった。亡くなった父親の遺品から、自分が30年前に贈ったオメガの機械式腕時計が出て来たので、使ってみたら、寸分違わず正確な秒を刻んだ、さすがブランド物は素晴しい!と感激した記事だ。本当の話かも知れない。

私も実は10年前に日米合弁会社を辞めたとき、アメリカの会長からロレックス高級腕時計を贈られた。オイスターとかいう時価80万円の自動巻き式超高級腕時計だ。分厚く重たく,如何にも高級品らしい時計であった。成田の税関も税金不要で無事通過し持ち帰ったのだが、問題はそのオメガ腕時計は時刻が甚だ正確ではなかったのだ。

夏はほぼ正確に動くのだが、冬になると1週間で10秒近く進むのだ。1ケ月で40-50秒、数ケ月経つと、もう2−3分も狂い、とても他人様には見せられない超高級腕時計だった。更に自動巻きだから、休みが続くと、ネジが切れてしまうから、年中面倒をみてやらないとダメなのだ。

サイクリングでもジョッギングでも、兎に角この高級腕時計は腕から外せない面倒さがあった。 しかも修理はロレックス店以外にはパーツが無く、従って皇居正面のロレックス本店に行くと、検査基本料が5万円といわれて唖然とした。そうかこの最高級の場所料を負担させられるのだと解った。5万円出せば国産の高級腕時計が買える金額だ。もう不便で取り扱いに困ったこのロレックスは、最近は静かにお蔵入りしている。

それに比べると、いま愛用している1万円強の腕時計は1年使っても殆ど狂わない。値段は安いが、夏でも冬でもOK、薄くて軽くて防水で、電池式で、本当に信頼できるパートナーだ。

しかし上には上がある。私のベッドの横においている10数年来使用中のマルマン製の目覚まし時計は、安物の単三電池式だが、時間が本当に狂わない。4−5年に1度電池を取り変えるとき時間を合わせると、次の5年間は全く面倒みる必要がない。毎朝5時前になると、ご主人さま時間ですよー、と 静かなベルの音で起してくれる、本当に素晴しく従順で、謙虚で、しかも正確な召使なのだ。

だいたい、私はブランド物が好きではない、従ってルイヴィトンとか、グッチとか、コーチとか、ブルガリ、シャネル、プラダなど、名前だけ冠せて桁違いの値段をつけるバッグやアクセサリー類は全く尊敬しない。

ブランド好きな家内は私を貧乏性だと言い、ブランド品の真価を知らないと非難する。 私がブランド品で尊敬するのはスカーフ(エルメス)だけだ。これは本当に美しい。 しかし他のブランド品は、1/10の値段でほぼ近い性能の品物が簡単に手に入ると信じている。 ルイヴィトンのバッグを大事そうに抱えて、満員電車で通勤する若い女性をみると何だか悲しくなってしまう。

更にブランド品のいやなところは、その名前を万年筆とか、靴、めがね、香水、指輪など、本来は得意分野ではない筈のあらゆる商品に拡大して、名前だけで何倍も高い値段で売りつける商法だ。
バッグには自信があるとか、香料だけは絶対に他の商品に負けないというのなら理解できるが、何もかも名前を冠せて、超高額の値段をつけるとなると、もう詐欺の一種ではないかとも思う。 

もっともシャンゼリゼ大通りのブランド店では、依然として日本人が最高のお客さんと聞く、外国でも恥さらしをしている姿を思うと何だか哀しい。しかし香港の偽ブランド店でも、やはり日本人が大得意先というから、ザマア見ろ!とこちらは少し快感を覚える。しかしどちらにせよ余り自慢できることではないのかも知れないが。

同じブランドでも、トヨタとか、ソニーとか、アップルとか、ボーイングとか何処から見ても明らかに高性能で、性能差を証明できるブランドには勿論大賛成であり、大いなる敬意を払っている。それらの高性能商品を余り高くない値段で売る日本のメーカー殿には心から尊敬している次第である。





mh3944 at 11:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年01月10日

長ーい正月休

長い正月休みであった。まだ仕事中毒から抜け切れない私には退屈でもあった。 結局10日間テレビに浸って過ごしたが、面白い番組を3つほど見た。

先ずは恒例の大学箱根駅伝。今年は特に波乱が多く、本命の東海大学と強豪の山梨学院大学が途中棄権、復路も大東文化大学が途中棄権、結局、伝統の駒沢大学と早大が1位2位を占めたのはご存知の通り。
長い時間、猛練習を続けてやっとシード権が得られる箱根駅伝だから、20Km前後を走り切れない訳は無い筈だが、周囲の期待からプレッシャーに潰されたのだろうか、全て途中で脱水症状に陥り走行不能となり失格した。自分が倒れれば一緒に苦労した仲間達全員の苦労が水泡に帰すことを知り抜いている為、何とか立ち直って走り切ろうとする姿は哀れであった。

半面、無名で予選会上がりの中央学院大学が3位に入賞したのは驚きだった。実は私は我孫子市で中央学院大の近くに住んでいるが、同校は利根川沿いの広い田畑のど真ん中にある小さな大学で、歴史も浅く学部も商学部と法学部だけの無名大学である。実績にも乏しく、全国の高校から有力選手を集めることも困難な状態だが、今年は2本柱の木原を往路に、篠藤を復路に配し、シード権落ちした昨年の雪辱を期して、堂々の3位入賞の栄誉を獲得したのは本当に見事である。将来は名前も似ている中央大学までは届かなくても、入学試験が難しい有名校に仲間入りしそうである。
高校でも大学でも、新設の学校が名門校に仲間入りするには、やはりスポーツ分野で名声を獲得するのが最も効率のよいと投資のようである。

次は、NHK番組のローマ帝国の話。まだ日本は紀元前後の弥生時代後期のころに、既に5賢帝による民主的な元老院政治が行われていたそうで驚いた。
例えば、カルタゴのハンニバル将軍の話などは高校の世界史で名前だけは覚えているが、日本の元寇に似た戦いで、カエサル皇帝を相手に20年近くローマと大戦争を繰り広げた経緯を映像で見て初めて理解した。
世界史は大学受験生には暗記事項が多くて鬼門科目だが、映像でみるとよく分かり、受験勉強とは似てもつかない興味津々の時間であった。 世界史を大学受験の必須科目にするか選択にするか論争は続いているが、講義方法を改善すれば、答えは簡単に見つかるのではないかと思った。
先ずは制約の少ない予備校から、試験的に映像世界史を取り入れて、その抜群の効果が確認しては如何だろうか? 正しく百聞は一見に如ずとはよく言ったものだ。

3番目は海外における日本人医師の生涯をかけた苦闘である。
例えば、カンボジアで34才の有賀医師(女性)が, エイズに罹った多数の患者を相手に寝食を忘れて奮闘する姿を克明に見せてくれ、本当に頭が下がる思いだった。エイズに罹って主人に逃げられた子持ちの中年女性が、いつ消えるかわからない自分の命も顧みずに、2人の子供に何か食べ物を探し求める姿には涙が出てとまらなかった。
顔つきも日本人そっくりであるだけに、他国の出来事とは思えない現実感もあった。

女盛りの有馬医師にご自分の結婚問題を聞くと、毎日が超多忙でとても結婚などは考える余裕は無いとのことであった。ご立派というか残酷と言うか、適当な言葉がないような素晴しい働きである。

アフリカに奥様と一緒に渡った谷垣医師は65才だが、ご自分の5千万円の退職金をはたいてニジェ-ルに中規模の病院を作り、残された生涯を医療に恵まれない現地人の治療に尽力していた。交通不便なニジェール奥地で、脚に大ケガをした青年が担架に担がれて4日間、噂に聞いた谷垣病院を探して終に辿り着いたが、既にウジ虫が群がった脚の腐敗はかなり進んでおり、結局大腿下部から切断手術することになるのだが、設備が不十分で、部分麻酔で、かなづちと鋸で大工仕事のように太ももを切断する残酷な光景を見ると、我々が如何に優雅で恵まれた環境で住んでいるかを思い知らされた。
現地で亡くなった奥様の遺体を、粗末なご自宅の中庭に埋めて盛り上がった土盛りの前で、朝な夕べに、拝む姿には涙が止まらなかった。 同じ日本人として、かくも素晴しい同輩がいることに感銘を受け、退屈な正月休みにも大きな収穫であった。



mh3944 at 14:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 雑感