2008年04月

2008年04月25日

会社OBの記念パーティー

千葉のあるホテルで、会社のOB会の記念パーティーがあった。最初は参加しようかどうしようかと迷ったが、意を決して出席してみた。多くの同僚達も参加するかしないか悩んだだろうと思う。このような場合、気になるのはお互いに自分はどう見られているかということだ。スキャンダルなど身に覚えのある人はまず参加できないだろう。

現役時代に偉くなり過ぎた人も、水面下ではいろいろ問題を抱えており、なかなか出席し難い。大部分の人達は余り恵まれないまま会社人生を終えたと悔やんでいる筈だからなかなか参加しないだろう。偉くなった同僚や後輩の前で、惨めなまま終わった自分の過去を曝したくないのは誰でも同じ筈だ。

最初に会場のホテルに着いた私は早速、現社長、現会長、現常務たちの雑談の場に出くわしてしまった。避ける理由も無く私はその輪に加わった。お仕事は如何ですかと現O社長が私に聞いた、お!私の仕事を知っている。 現社長の顔色は良くない。株価の値下がりなど苦労が絶えないのだろうと内心思いながらも仕事の説明を始めた。隣りの現会長から何年になりますかねー?と聞く。 会長も私が独力で起業したことを知っているようだ。恥ずかしながら10年経ってしまいしたと私は笑いながら応えると、緊張した場が少し和らぐ。 私の会社のあらましを説明したところで、もう時間だから行きましょうか?との声が出て、社長会長達は一斉に立ち上がって会場に向かった、私も後れて会場に入った。

会場についてまず気付いたのは、先に入場している同輩たちの多くが本当に老人然としていることだ。まるで老人ホームに迷い込んだかのようだ。 これには流石に驚いた。私自身退職後10年になるが、これほどには容姿は衰えていない筈だと思った。やはり第一印象はいかなる場合にも強烈なものだ。向い側にはバイオ事業部の元業部長と元会計部長が並んで立っている、やはり昔の仲間が一番安心できるということか。

見覚えの無い顔がやたらに多いが、全事業部OBの集まりだから仕方ない。やっとある顔見知りのN同輩と出会って雑談を始めた。同期会を再び開いて欲しいという。さてどうしよう。会場には私の親しかった友人たちは多くない。定年退職後、ぬるま湯的な日常生活に慣れていると、刺激の強いこのような会場に行く勇気はなかなか湧かず、欠席と決めたのだろうか。

式典では、まず現社長の挨拶があった。100周年記念パーティーに先輩の皆様300名近くに多数が参加して頂き大変嬉しいとのこと。創立100周年で社名を少し変えたこと、年商1兆円の今日の姿は、先輩諸兄のお蔭様であることなどを話し、短い時間で終わった。DICの株価はかなり低い水準だが、社長は先輩諸兄にもその一端の責任があるとは勿論言わない。しかし内心はそう思っているかも知れない。我々OBが現役時代の好景気に溺れず、将来を見越してもっと頑張っておれば、株価はもっと高くなっていた筈だから。

しかし考えてみると、ライバルの東洋インキが年商2500億円、純利益100億円に比べて、わが社の年商1兆円、純利益400億円は、決して見劣りする内容ではないのだが、株価は東洋350円、わが社320円と逆転しているのは何故だろう。 もしK社長時代の国際化戦略が無かったら、今日のわが社は想像するのが怖いくらい惨めだったかも知れない。いろいろ言われてもK社長の国際化路線は、やはり効果抜群であったと思う。

我が社も国際化と規模の拡大では東洋インキに格段の差をつけているが、国内の実力からは、技術力、営業力の両方で東洋インキに劣っていると言われている。例えば技術力の点でも最先端液晶の有機ELで東洋インキは国内3大メ-カ-の1社だが、わが社は影も形もない。わが社は技術革新には昔から本当に弱い。これは永らく技術担当のトップであったS副社長以下の責任だが、当人は来ていない。

別の例では、エンプラ樹脂でわが社はクレハと並んでPPSの最大手だと知った、誰も知らないがこのPPSは35年前に私が樹脂事業部企画課長のとき、Phillips-Petroleum社の井上さんからタダで獲得した新製品なのだ。尼崎から東京に出て来た初仕事として、Chemical Engineering Newsに見つけ、恐る恐る大門のPhillips社に訪問して申し入れたが、扱いに困っていた先方も渡りに船と簡単に販売権を譲ってくれた新製品で、35年経った今日では有力製品に成長していたのには驚いた。それ以外には目ぼしい新製品が少ないとは、樹脂事業部のOBたちは一体何をして来たのか全く怠慢だと、顔だけはひとり前に老衰したOB連中を見渡しながら内心思った。

政治でも経営でも、怠けた結果が実績となって現れるのは何年か後で、大きなタイムラグがある。 社会保険庁の役人たちの例に見る如く、高給を食み続けた怠け者たちが去って暫くしないと、その悪影響は表面化しないから始末が悪い。その点怠けると直ちに結果に現れるスポーツは誰にも分るから人気があるのだろう。相撲の世界では、場所の成績により直ちに番付が上下し関係が逆転する、今日の主人は明日には付け人になってしまうという。1枚番付が変わると天地に差だそうだから、相撲取りは凄く厳しい世界に住んでいるのだ。
  
親しくない友人とは、相手がどう応答してくるか読めないから少し不安があり、私も誰か声をかけるべき親しかった同僚を探して会場を回り始めた。たまたま大阪から参加した親友のM部長に出会った。久し振りに総研を見学できたと喜んでいた。自腹で航空賃を出してまで参加するのだから、1時間と1,000円前後の電車賃で会場に着く我々が出席しない手はない。

このような会合には必ず参加するはずの小柄なN部長は来ていない。どこか体調が悪いのだろうか? 現役時代は飛ぶ鳥も落とすほど勢いのあった某副社長もやはり参加していない。当人担当の大プロジェクトが会社に大損害を及ぼしたから、出られないだろうとは予想していだが、やはり休みだ。誠実だが口煩かった東工大卒のS部長に出会った。老衰して口まで怪しくもつれていたのには驚いた。私ならこんな醜態を旧友たちに曝したくない。やはり人間は最後には誰も廃人になってしまうのだと怖くなり、余り話しはできなかった。
意地悪の固まりのようであったH常務に出会ったが、人相が変わっている。人柄もすっかり温和になっている。絵を描きながら過ごしていると話していたが、毎日絵を書ける訳がないと思うと少し可哀相に思った。 私が意地悪したと少々後悔していた元上司T部長に挨拶したが先方の返事はそっけなかった。やはり意地悪された方は生涯忘れないというから、覚えているのだろう。今になって反省しても始まらないが私も若気の至りで悪いことをしたものだ。

元上司の超紳士の外事担当I部長に出会ったが昔の美青年の姿は無かった。しかし彼は私の仕事を知っていた、しかもかなり正確に人材派遣業と理解している。余り儲からないと説明した、すると10年も倒産しないでいることだけでも立派なものだと大笑いしながらいう。なるほど、友人たちはそのような目で私の仕事をみているのか。私はもっと真剣なのだが仕方ないかも知れない。

当然のことだが、年配の上司は退いて無官の人となり、部下達が次々と自分を超えて偉くなってゆく。しかしいくら偉くなっても元の部下たちは、無官となった昔の上司に対しては、なかなか頭があがらず、何か引っ掛かるものを感じる。変なものだ。

いろいろな思い出に浸りながらの久し振りのOB会であった。たまには勇気を出してこのようなパーティーにでるのも悪くはないと思った。

川村美術館

mh3944 at 09:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2008年04月17日

同総会

1年振りに大学の同期会があった。大学卒業後40年近く経つと、我々は全員71-72才だ。確かに、話しもあまり充実した内容とはいえず、好きな時間に起きて好きな時間に寝るとか、大腸の内視鏡検査が痛かったとか、糖尿病治療の話とかが次々と出る。私が好感を抱いていたY氏も、殆んど誰も聞いていないくだらない話を長々と続けて途中で幹事がシグナルを出すほど平衡感覚を失ってしまった。悠々自適の生活とは言え、言葉ほど内容は充実していないらしい。

昔から好感をもてなかった別の友人も、その性格は変わらず、下手なダジャレを飛ばしながら最後まではしゃいでいた。次年度は大学創立100周年だから、有馬温泉で同窓会を開こうという話しになったが、酒が呑めない私は有馬まで出かける気も起こらない。

しかし、中には謙虚で聞くに値する話もあり、例えば10年かけて日本百名山の全登頂に成功したT氏とか、25年間ダンスをやっているI氏とか、何れも長い努力の結果をさらりと話す大人だ。

しかし年をとると、友人の多くは、肉は落ちて痩せ、昔の紅顔美青年の姿は殆んど見えない。学生時代から端正な容姿のN氏などは綺麗な白髪姿になってまだまだ見栄えする。年をとるのは本当に誰も嫌なことだ。病が進行して同総会に参加できなくない友人も数人おり、鬼籍に入った人も5名いる。

外からは元気そうに見える私も、老いは確実にしのび寄るのを実感している。自営中の会社をあと4−5年続けたいと話すと笑い声も起きたが、昔ほどの気力は失せて、体の節々も痛く、早起き自慢の私も以前ほど爽快ではなくなった。 多分いま私から会社勤めを奪ったらもうリカバリーは出来ないほど落ち込んでしまうだろう。私には死ぬまで何らかのプレッシャーが必要だ。

確かにあれほどの権勢を極めた田中角栄だって亡くなり、あれほど華麗にプレイした長島選手も、見るのが痛々しいほどの姿になっている。傍らにオドリヘップパーンの写真があるが、近年慈善活動に従事する彼女の姿には、男性の魂を引き込んだ昔の魔性は消えうせている。
凡人の我々が、年々老いてゆくのに全く不思議はないのだが、同窓会の度に実感するこのごろである。  


mh3944 at 15:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年04月14日

老人医療費

今年から施行された75才以上の後期高齢者新医療制度に対して、おじいさん、おばあさん連中が大騒ぎしている。老人も自分の医療費の一部を負担し、保険料は天引き、もし保険料を支払わないと保険証を取り上げられることを知った高齢者たちが猛反発しているのだ。年金から平均5千円前後が毎月天引で徴収されることに怒っているのだ。確かのこの法律は事前にPRが少なかったのは事実であろう。厚労省のやることは依然として冷淡で事務的、機械的で、全く救いようが無い。

しかし、短期間で病気が治癒する多くの若者とは違って、75才以上の高齢者は治療が長期化し、その費用も膨らんでしまう。その50%を税金から、40%は現役世代の保険料から徴収するので、10%を高齢者自身が負担するという新制度に老人達は怒っているのだ。 何も仕事もせず、年金で暮らしながら、自分達の医療費の僅かな負担に、何故ここまで怒るのだろうか? テレビで高齢者が醜い姿を曝して口唾を飛ばしながら、老人は死ねというのか!と文句を言う姿はまったく頂けない。

実は私も70才となり、高齢者グループの仲間で彼らの立場はある程度理解できる。しかし、高齢者の多くは何らかの慢性病に罹っており、毎日病院に通ってもなかなか治癒せず、結果として待合室が社交のサロン場と化し、結果的に医療費の増大に拍車をかけている現状はよく知られている。

大昔の高齢者には命がけの謙虚さがあった。70才になると子供や孫たちの足手まといになるのを避けるため姥捨山に向かった。自分から申し出て2度と帰らぬ旅にでかけたのである。体力が無くなり食料を費やすだけの迷惑を子供たちにかけたくなかったのだ。 今日では年金を受け取るだけでは不満足で、更にご自分の医療費の僅かな分担にさえ文句を言う。誰も死ねとは言っていないが、少しは謙虚になって欲しいものだ。

彼らと同世代の私でも、彼らの極端な言い分には賛成できない。人間は次代、次々代…..と永遠に続くのだが、それを忘れ、自分達の代だけで終わるかのように錯覚している。動物は自分の寿命の終末を悟ると、仲間に迷惑をかけないように、グループから姿を消してしまうという。
良識と経験を積んだ筈の高齢者は、もっと謙虚になって子々孫々まで繁栄することに配慮すべきである。遠慮すべきである。高齢者達の傲慢な態度には、同世代の者として、たいへん不快感を感じている。 


mh3944 at 16:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年04月10日

1000円サンパツと官僚

1000円サンパツと官僚
近年1,000円サンパツが流行っている。カットOnlyという。頭髪刈りと首すじにカミソリも入れて1,000円だから安い。従来の3,000円調髪と比べて、顔のヒゲソリと洗髪が無いだけだ。家に帰れば必ず洗髪するし、顔ヒゲは剃っても翌日には伸びてしまうから、この3,000円と1,000円の差は大きい。私はこの10年来、必ずこのカットOnlyを利用している。

郊外のサンパツ屋は組合が強くて、長い間3,000円調髪が守られて来たが、お客を都心の1,000円サンパツに取られて食えなくなり遂に10年後れてやっと最近カットOnlyを取り入れ始めた。バブル以降、我々大衆は思想が変わって、格好よりも経済合理性を重視するようになった現われである。

しかし唯一変わっていないのが、政府官僚どものアタマの構造だ。私の自宅近くに1,000円ショップが現れたので、先日勇んで行ってみた。しかし確かに1,000円には違いなかったが、首まわりのヒゲソリはしないとのこと。理髪店ではなく美容院だった。美容院はカミソリを使うことが出来ないと厚労省の規則で決まっているのだと説明をうけた。 何故だ!なんだか理解に苦しむ説明でどうも納得できない。

やはり本当に理由は、厚労省の官僚どもが、自分たちの権限保持と再就職先確保のため、なんだかんだと屁理屈をつけて設けた変な規則であり、妥当性などは初めからないのだ。類似の変てこな規則は掃いて捨てるほどある。美辞麗句に囲まれてはいるが、殆んどが官僚エリートとその下部たちの権益を擁護するための規則だ。

日本のエリート官僚はなぜここまで卑屈になるのだろうか? 国民国家のために私利私欲を捨てることがどうしてできないのだろうか? なんだか悲しくなってしまう。中国とかインドネシアであれば、それは納得もできよう。しかし明治維新以来、世界の先進国欧米と肩を並べて優秀と言われる日本の官僚どもが、一旦自分たちの権益になると、目の色を変えてその構造を維持するため、理性を失うのは本当に情けない話だ。

日本のエリートは閨閥よりも、出身大学が幅を効かすが、貴重な青春時代を受験勉強ばかりに費やしてきた東大出身者たちは、精神修行にまで手が回らなかったからであろう。勿論彼らにも言い分はある。即ち中学高校の青春時代に、他のすべてを犠牲にして受験勉強に没頭してきたのだ。やれガ-ルフレンド、やれ海外旅行, やれスポーツなど、青春時代を遊び呆けて過ごした奴等とは違う苦しい修行の日々だったのだ。従ってそれ相当のリターンがあっても然るべきで何らおかしくないはずだと。難しい議論だ。

西洋社会にはNoblesse-Obligeということばがある。社会の上流階級に属するひと人達は、それに必然的に伴う奉仕の義務があるということだそうだ。これはキリスト教社会に潜在的にある考え方らしい。これは東洋人特に中国人や華僑に特有の、儲かりさえすれば何をやっても良いという、ドライな思想とは全く離れていると思う。我々日本人はなんだかその中間に位置し、ドライに徹することも出来ず、しかし社会奉仕に徹することもできていないような気がする。 いま叫ばれている教育改革は、この基本的な思想を整理しないと、なかなか難しいと思うのだか如何だろうか?






mh3944 at 10:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年04月09日

ばか丁寧なアナウンス

電車のアナウンスがうるさい。 曰く、本日はJRをご利用いただきましてありがとうございます。 次はXX駅でございます。お忘れものがないようにお願いいたします。右側のドアーが開きます。。。。。と騒音のなかでいつものアナウンスが毎日繰り返される。電車が走っているときは殆どは聞き取れないが、彼らはお構いなしだ。多分アナウンスすれば義務は果たしたことになるのだろう。当方が知りたいのは次に止まる駅名ぐらいなのに、ながながとばか丁寧なアナウンスが続く。 

私が毎日使っている京葉線は、強風になると待ってましたと言わんばかりに直ぐ運転中止となる。昨日も強風が吹いたので徐行運転となったが、強風のため時速25Km以下の徐行運転をさせて頂いております。と、またバカ丁寧なアナウンスをやっていた。何故、強風のため25Kmの徐行運転します、簡単に言えないのだろうか?
 
更に、夕方風が納まった後も、規制が解けるまでにまた長い時間がかかる。風が落ちているのだから自転車並の上限25Kmで運転するならまだしも、ジョッギング以下の10Km程度の超徐行運転を延々と続けるから、1本到着して次が電車が来るまで20分程度かかる。 ホームで待っている我々は、もういい加減にしてくれと言いたくなる。

その点、私鉄は緩急自在にうまくやっている、例えば京浜急行の例で、急行電車と普通電車の発車時間が1分しか差がなく、どうコントロールしているのか疑問であったが、ホ−ムに止まっている急行電車のすぐ後ろにはもう普通電車が入構して待っており、殆んど目視運転だから凄い。

別の例では、先日帰宅途中の南柏駅で電車の窓ガラスが割れ、北松戸駅に25分間停車した。その間、駅の構内アナウウンスと、電車の車内アナウンスが、ガラスが割れたので暫く停車すると、重複し大声で繰り返し放送し続ける。
大ボリュ-ムの騒音が重複してガンガン響き、乗客は全く聞き取れないが、彼らは全く平気なものだ。あたかもアナウンスを休むと暴動でも起きるかのように繰り返して案内をし続ける。全くバカみたいだ。多分JRのマニュアルに則っているのだろうが、構内アナウンスと車内アナウンスが重複しない程度の気配りはしても良いと思うのだが?

病院にも似たようなバカ丁寧なアナウンスが多い。例えば、病院で会計の計算が済んだ患者を呼び出すのに 中村さま― 鈴木さま― だ。中村さん、鈴木さん、で十分だと思うのだが、様つけでアナウンスされると、もう全身がかゆくなってしまう。このようなマニュアルを作ったバカ事務長の顔がみたいものだ。 

確かに日本語は、丁寧語、謙譲語、尊敬語などなど、いろいろ複雑で、文学表現には適しているかも知れないが、日常会話は結構難しい。まして簡潔さが最も求められる公の場のアナウンスを、如何に要点のみ確実に伝えるか、もっと工夫されるべきと思うが如何?



mh3944 at 14:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年04月04日

官庁と民間

私は、毎月丸の内の三菱UFJ銀行本店で数百万円引き出して、東京駅前の中央郵便局に預金する。日常の出納には江東区内の近くの郵便局が便利だ。以前は、民間銀行の支店も多く便利であったが、その大部分が閉鎖されてしまった。最初の伝統ある三菱銀行日本橋支店は閉鎖、東京駅前の八重洲支店も閉鎖され、終に丸の内の三菱銀行本店に出入りすることになってしまった。

三菱銀行本店は10年前に新築されたもので内部は素晴らしく、さすが超一流銀行の本店だけあって、若い女子社員にあふれ、懇切丁寧に案内してくれる。 他方、東京中央郵便局は東京駅のまん前に立地し、丸ビルと並んで超一等地だが、建物は古くてうす薄汚れている。節電のためうか暗い蛍光灯の下で、無愛想な年配の男性社員が窓口にずらりと並んで仕事をしている。

また10台以上並んでいる同郵便局のATMは見るからに旧式で、三菱銀行から下ろしたばかりの新札の100万円束も、一回では全札を受け付けず、途中で1-2回止まって、札の入れ直しを要求する。銀行のATMではこんな例は殆ん経験がない。人間だけではなく機械まで官庁では非効率な動きをするらしい。

なぜ民間と官庁で、こんなに差がつくのだろうか。どちらも働いている社員は皆一生懸命のように見える。しかし多分心のうちは大きな差異があるのだろう。想像するに郵便局の職員も、新入社のときには、青雲の志に燃えている筈だ。しかし民間と違って、長年勤務を続けると、評価と出世は、努力には無関係で、入社時の学歴で決まっていることが分かり、入社時の意欲は失せてしまうのだろう。 見たことも聞いたこともない新顔のエリート幹部が次々と上司として天下ってくるので、とても真面目に仕事をやっておられないのだろう。

郵便局のイスに座って眺めていると、職員の仕事の仕方が面白い。如何に業務を遂行するかより、何だか一生懸命働いているかを同僚に見せることに重点があるのではないかと疑いたくなるような感じだ。

これはハローワークでも、市役所でも、官庁と名がつくところは殆んど同じだ。規則通りの手続きであれば問題なくスムースに業務が進むが、一端変則的な状況になるともう大変だ。民間と違って、彼等は顧客の利便性などは全く二の次であり、自分が失敗しないことを最優先する。

別の例だが、郵便通帳が満杯となり、新しい通帳への切り替えをお願いしたとき、民間銀行では直ちに新通帳に切り替えるが、郵便局はまず会社の謄本を持参するよう求められる。何故銀行に出来て郵便局にはできないのだろう。何故謄本が必要かなど説明はなくそういう決まりになっているという。しかも古い謄本ではダメで、新しいものを取り直すよう要求する。

別の例では、東京有楽町の東京人材銀行で困ったことがある、当方が機械装置のメンテナンス要員の紹介を申請したときだ。 当方は正直に半導体製造装置のメンテナンス要員を求むと記入した書類を提出したところ、先方から直ちに拒否された。
理由はメンテナンスは低級な業務であり、東京人材銀行はそのような低いレベルの技術者は扱っていないのだという。従ってハローワークに行って申請し直すよう、申請書類を返されてしまった。

半導体製造の心臓部で非常に複雑高度な装置なのだが、先方はお構いなしだ。メンテナンスという用語があれば、人材銀行の業務対象外なのだ。最新装置のメンテナンスや修理は、非常に高度な技術と知識を要求されるが、関係なしだ。 窓口担当者は人材銀行は設計業務などの高級な業務を担当する人材を紹介する場所だと、大声で周囲に聞こえがよしに説明する。詳細な状況などを聞く耳はもたず、周囲の同僚職員に自分が如何に熱心に、人材紹介をしているかを盛んにPRしているのが良く分かる。

我々の中高年のシルバー技術者と業務のマッチングはデリケートで、簡単ではなく、当人の職歴、性格、年齢、居住地、健康状態、業務意欲、生活レベルなど、諸条件を複合的に判断して仕事を決まるのだが、お構いなしだ。

取り付く島も無く、私は3ケ月ほど冷却期間をおいた。そのあと同じ申請書にひとこと設計業務も含む、と追加記入して同じ書類を同じ窓口に再提出すると、今度は簡単に受け付けられてしまった。結局3ケ待たされただけだ。要は、官庁職員は、担当業務の効率化などは全く関係なく、自分で物事を判断せず、先例に従がって、案件を処理することが最も重要なのだろう。 

多分、彼らも新入社したときは、多分青雲の気概に燃えていたはずだ。しかし、如何に事件を起さず保身するかという組織的なプレッシャーは、長年の間に自分の基本思想となり、無自覚のうちに組織全体の鉄則となってしまうのだろう。兎に角、ハローワークや人材銀行は早急に民営化して、複雑に変転し続ける適材適所の実現に対応すべきである。



mh3944 at 16:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治