2008年05月

2008年05月29日

マンションの殺人事件

私の会社のすぐ近くのマンションで、男が同じフロアーの若い女性を殺害する事件があった。少し遅れて帰宅した同室の姉が異常に気付き、直ぐに警察に通報し、1時間後にはマンションで周辺の捜査が開始されたという。全く残酷な話しだ。

事件の発覚まで数ケ月程度はかかるだろうと思っていた犯人は、その余りに早い捜査開始に驚いて、すぐに女性を殺害してしまったという。最初に捜査員が男の玄関に訪問したときは、若い女性はまだ生きていたようだが、誘拐がバレるのを恐れた男は、直ぐに殺害したという。 しかし考えてみるとバカげた話でもある。女性を殺したらもう犯人には選択の余地はなく、あとは人生の奈落に突き進む以外に道はないことを何故この男は考えなかったのだろうか?

防犯カメラには女性が帰宅した姿は写っていたが、出かけた記録が無く、しかもカメラに写らずに犯人が逃走する死角がないため、改めてマンションの内部犯行が疑われ、徹底的に捜査した結果、女性の部屋の残された指紋から犯人が割り出され2つ隣りの部屋のこの男は捕まった。

いくら恋しくても殺したら大変なことになることを男は考えなかったのだろうか? 少なくとも一生を牢屋で暮らす結果になることに考えが及ばなかったのだろうか? 隣の女性を殺して無事に済むと思っていたのだろうか? まったく想像力のない男だ。

仮にその時、すこし冷静に考えて女性を無傷で開放すれば、当面は大騒ぎになり新聞テレビで報道され裁判にもなるだろうが、そのうち忘れられて、多分何年かの刑期で再び普通の生活に復帰できる可能性があった筈だが、男にはその冷静さと勇気が無く、最悪の選択をして大事件にしてしまった。

山口県光市の若い妻と幼児の殺害事件も同様だ。いくら恋しくても人を殺せば20数年の刑期となり、同時に子供も殺せば更に極刑になることを犯人は考えなかったのだろう。 現在社会では、自分の行動がどのような結果になるかを考えない奴が多すぎると思う。

確かに若い男はホルモン分泌が過剰で女性に飢えているだろう。しかしその欲望を満たすため、女性を殺せば直ちに殺人犯として一生女には無縁なに刑務所生活になることを考えるべきだ。どんなにバカでも、少し冷静に考えれば先行きどのようになりそうだかはわかる筈なのだが。

私にも苦しいとき激情にかられて、このやろう!と思ったこともあった。しかし暴力沙汰にまでは行かなかった。 自分が行動すればその次はどうなるかを考えると恐ろしくなり行動できなかった。この社会では、確かにどんな天災人災が起こるか判らないが、自動車事故とは違って殺人事件は人生を棒に振ることなるのは子供でも分かるはずだ。

人生には何が起こるか判らないが、自分の想像力を働かせて明日のことぐらいは考えて行動するべきだろう。 戦争がなくなった日本ではある程度思慮をもって行動すれば、多少の運不運はあっても結果的には大差のない人生を全うできると思うのだが。


mh3944 at 11:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年05月22日

クルマを買い換えた

クルマを買い換えた。12年間使っていたトヨタ小型車は累積走行距離が12,000Kmとほんの僅かなのだが思い切って買い換えた。年間1000Km、毎月83Kmの走行距離だ。子供や知人から何故?どうして?と聞かれるが、私も家内も余り遠出せず、年1回の成田山への初詣くらいが往復100Kmの遠距離で、あとは買出しとか近隣のホームセンターとか病院程度だから、走行距離が上がる筈がないのだ。全く恥ずかしい限りだが、大切に使ったせいで、エンジンや外装も殆んど痛んでおらず、既に売れ先が決まっていると聞いている。

本当はクルマ無しでも困らないのだが、やはり車が無いと不安もあり、古希になった私や、家内はこれから10年程度しか乗らないだろうから、思い切って新車に切り替えようとなった次第。

今度もトヨタ小型車だが、メカニズムが全く改良されており、素晴しいのひとことだ。例えばカギは不要なのだ。一応コイン型のカギはあるが、これは自分のポケットに入れておくだけだ。車のノブに手をかけるとキィが解けてドアは開く。閉めるときもドアノブのボタンを押してクルマから離れると自動的にカギがかかる。エンジン始動もボタンを押すだけだ。加速もよくしかも非常に静か。ハンドルやイスは調整でき、周囲にはエアバックも完備している。

ナビゲーターも、従来品はディスク型で更新しなかったため、田畑の真ん中を走ることがたびたびあり、しかも道案内アナウンスが適切ではなかったが、今度はハードディスク型で, 内容を1万円で最新情報に毎年更新するという。 外装塗料も改良されてワックスかけ不要、水洗だけだから、何だか楽しみを取られたようで寂しい気分にもなってしまう。

ところで、輸送部門から排出されるCO2の量は膨大だそうで、その中でも自家用乗用車が最も非効率で、輸送部門全体のCO2排出の半分が自家用車からだという。1人を1Kmは運ぶのに出すCO2は鉄道が19g、バス53g に対して、自家用車の実績は何と175gだという。あの航空機でさえ110gというから自家用車は本当に非効率なのだ。

それにも係らず、隣近所の通勤者は駅に行くのに大部分が自家用車を使っての送り迎えを繰り返している。15分おきに走るバスも通勤客は少なくガラガラだ。逆に駅から高等学校に登校する生徒はゲルヒンでバス利用が多いが、大人は殆んど利用しない。極端な例では直ぐ近くのゴミ集積所にゴミを出すにもクルマを使う隣人もいる。 

私は風雨に係らず、駅まで毎朝毎夕必ず15分歩く習慣で、もう40年も続けると、暴風雨でも家内はクルマを出そうとは言わなくなり、若干後悔も感じている次第。このことを考えると、12年間で12,000Kmは決して恥ずかしい結果ではなく、むしろ誇りにも思うべきだが、誰も納得せず勿論褒めてもくれない。

この度、参議院の反対でガソリンが一時120円台にまで下がり、民主党小沢党首は大成果だと吹聴しているが、全くとんでもない話だ。ガソリン120円はあの広大な米国での値段と同じレベルであり、税金の高いヨーロッパでは200円以上なのだ。 日本と違って米国はニュヨークを除いて殆んど公共の通勤手段がなく、クルマ以外に移動手段がないにも係らず120円のガソリンで我慢しているのだ。世界に誇れるほど電車,バス,地下鉄などの公共交通網が発達している日本で、この燃費の悪い自家用車を通勤などに使う必要性は殆んどないはずなのだ。 

それにも係らず、日本の良識を代表する立場にある国会議員の民主党党首が、1ケ月間でも120円に値下げして国民に貢献できたとテレビで吹聴している姿をみると、何だか同じ国民として本当に悲しくなってしまう。民主党は、何故こうまで良識ナシで低脳になったのだろうか?

終戦直後、厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥が、日本人の平均知能レベルは12才だと言ったそうだが、半世紀以上が経った現代でも小沢党首の頭脳は12才レベルのまま留まっているようだ。それ以外には説明のしようが無い。この公共交通網の発達した国内で、貴重なガソリンの値段を下げて貴重な天然資源の浪費を推奨し、地球の環境悪化を促進するのは全くバカげた施策であり、政治家として恥ずべき行動なのをご自分はどう説明するのだろう。政府を困らせることが環境悪化よりも重要だとは、本当に12才の子供の頭脳レベルと言える。なんとも情けない話だ。




mh3944 at 14:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年05月16日

中国大地震とダーウイン進化論

中国四川省の大地震は、マグニチュード7.8と言われ、その規模が巨大なうえ、地下10Kmの極く浅い地盤で、長さ250Kmに渡って発生した結果、大災害をもたらしたと言われている。地震の振動は地球を2周したことも記録されているという。エネルギーは神戸淡路大地震の38倍、死者も神戸の5千人に比べて、ひと桁大きい5万人が亡くなったというから、本当に未曾有の大災害だ。中国には唐山大地震とか臨海部の地震が記憶に新しいが、これほど奥深い内陸でも大地震が発生するとは中国政府も予想していなかったのでないだろうか?

もし真剣に考えていたら、日中間のメンツに拘って地震対策に全く無防備のドイツ方式新幹線を中国全土に導入するとかは考えられなかったはずだ。 高速で走る新幹線の地震対策は確かに難しいが、地震大国日本で40年の間、無事故実績を誇るひかりこだま新幹線以外に、中国で使える方式は無いと思うのだが、何とも無責任なことだ。 同じく中国がドイツから導入したリニアーモーター方式の新幹線は、母国ドイツでは既に開発が止めてしまったという。他人事ながら、面積が広大な中国は、これから交通網の拡充をどうするのだろうか?

新聞やテレビの報道をみても、傷だらけになって圧死した子供を抱きかかえて泣き叫ぶ母親や、崩れ落ちた小学校の前で救出手段も無く、途方にくれて泣き叫び悶える若い母親たちの姿をみると、隣り近所の日本人と全く同じ顔かたちのひと達だけに臨場感もあり、思わず当方も涙がこみ上げてくるが、手助けする方法もない。

これほど悲嘆にくれて泣き叫ぶ親たちをみていると、思わずダーウインの進化論が頭をよぎった。ダーウインの進化論は殆どの人が名前を知っているが、正確には理解していないかも知れない。 即ちそれまで人間は神様の創造物だと固く信じられていたものを、150年前にダーウインが、人間や猿は歴史を遡ると同じひとつの仲間であったこと、さらに全く方向性のない突然変異が繰り返し起こるうちに、自然淘汰により環境変化に対応できた生物のみが生き残り、今日の人間とか猿とか、魚とか、昆虫とかに分化して行ったという説を、その時代では命をかけた覚悟で主張し始めたという。

更に科学は進み、現代では、人類も動物も昆虫も、その本当の正体はすべて遺伝子であり、親から子供へ、子供から孫へと、遺伝子が人間の肉体を借りて渡り船として利用し、次々と生き延びているのだという考えが主流になっているという。すると、先ほどの泣き叫ぶ親たちも、実はその衝動の大元は遺伝子であり、自分の遺伝子が乗り移った子供たちが地震で圧死し、次世代へのリレーが途絶えることを憂慮した親遺伝子が、沈没しそうな子供遺伝子を何とか救い出したいと泣き叫ばせているといえよう。

こういう風に説明すると、何だか味もそっけなくなり、男女の恋愛は、遺伝子の争いであり、自分の次世代への渡り船となるべきパートナーを探し求める衝動であるという無味乾燥な説明になってしまう。 かの有名なゲーテの若きヴェルテルの悩みや、紫式部の源氏物語も、科学的に説明すれば、単なる遺伝子の渡り船を確保する争い物語に終わってしまいそうだ。

どこまで本当か分からないが、熱帯病ウイルスやマラリヤ原生虫が自然から蚊に乗り移り、更に人間の体内に入って増殖し、また自然に帰ってゆくサイクルを考えると、遺伝子の渡り船説は、事実らしく思えてくる。
自然の摂理はやはり深遠なものだ。

 


mh3944 at 12:22|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 政治 

2008年05月09日

ゴールデンウイークが終わった

5月のゴールデンウイークが終わった。
毎年のことだが、連休だからと言って特に出かける訳でもなく、今年も庭の草取りとか、自転車で手賀沼を周遊したり、ヨットに乗ったり、久し振りに帰宅した子供たちと雑談したり、ソファーで腰が痛くなるまでテレビを見たりで、だらだらと過ごした。連休が始まるまでは待ち遠しいが、毎日休みが続くとやはり貧乏性の私には苦痛になり、休みが早く過ぎて欲しいと思い始める。

連休が終わった朝になって さあ待っていた出勤だと思うと、今度はベッドから出るのが妙につらい。連休中は、適当な時に起きて適当な時に眠ったので、苦痛も無く気付かなかったが、いざ出勤となると定刻に起きることが、なかなかおっくうだ。人間とはなかなか勝手なものだ。この調子で本当に定年退職し、Everyday-Sundayとなったらどうなるだろうかと思うと心配になる。ましてEveryday-Sundayが骨身に染み付いた時のことを思うと、恐ろしくなり、むなしくなってしまう。

平安時代か奈良か、人生の無常を書いた徒然草や方丈記など、受験生時代にかじった古典には、人生のむなしさがいろいろ書かれていたと思うが、当時は文法的な解釈に夢中で、その真意を味わう余裕などさらさら無かった。しかし、むなしい思いは大昔のご先祖様も味わっており、1000年の月日を経た今日でも余り変わっていないようだ。自分が本当に閑になったらこれらの古典を読み直してみようとも思い始める。

連休中も、花壇のチューリップを折ったり、白鳥を殺したりと、全く無意味のイタズラが多発しているが、親と一緒に住みメシに困らない若者は、毎日の仕事がないと、本当に何か起さなければ時間が耐えられないのであろう。腕力の強い息子には親も遠慮して何も言わず、小言を言われないのを良いことに、息子もその惰性から抜けることが出来なくなる。

通勤電車しか利用しない我々はあまり気付かないが、昼間電車に乗ると、ひまをも持て余した若者達に出食わすことがある。イスのど真ん中に脚を広げて座り、新しく乗客が乗り込んでもそ知らぬ顔で本を読に続けて場所を空ける動作など全くしない。

フリターなどでぶらぶらしながら年月が過ぎると、正常なキャリア無しの中年になり、今度は企業が正社員への登用を避け始めるので、若くして正常な社会人への道は閉ざされてしまう。 そして段々と人生の落伍者になり、抜け出すことは至難のこととなる。 チュ-リップをへし折ったり、更には下校途中の女子高校生が殺されてしまうなどの理解に苦しむ異常な行動も、むなしくて単調過ぎる日常生活からなんとか脱出しようと精力のはけ口を求める若者の悪あがきではないだろうか。


mh3944 at 14:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年05月02日

長生きの秘訣

東北大学の公共投資政策大学院が宮城県内の中年男女3万人を対象に10年間に渡って実施した追跡健康調査の結果を新聞で見た。それは次ぎの如き結論だったそうだ。

即ち、タバコを吸わず、酒を飲まず、よく歩き、適度な体重の人と比べて、タバコを吸い、大酒を飲み、あまり歩かず、肥えている人の体内の老化は寿命が10年老化しているそうだ。恐ろしいことだ。サンプル数が多く、追跡期間も結構長いから、信頼に値する結論であろう。やれサプリメントだ、やれフィットネスクラブだと、いろいろ氾濫する情報に惑わされずに、ごくシンプルな生活習慣を着実に実行するのが最も効果的な長寿法らしい。

翻って自分のことを考えて見た。 私はタバコは吸わない。若いころ喫煙を何度か試みたが終に身につかなかった。タバコが万病のもとであることはいまや議論の余地は無い。
酒も飲まない、いや飲めないのが事実だ。大学コンパや会社の慰労会ではいつも肩身の狭い思いをし、酒飲みの豪快さを羨ましく思った。同じ会費で酒を飲まなければ損だと酒飲みの訓練を重ねたが、結局不成功であった。だいたいアルデヒドを分解する酵素が体内に無く、酒を受け付けない体質らしい。報告書では酒を全く飲むなとは言っておらず、限界はビールなら中瓶1本、お酒なら1合、ウィスキーならダブル1杯が境目とのこと。

次はBMIいわゆる肥満度だ。体重Kgを身長の2乗で割った値だが、日本肥満学会はBMI=21が理想値であり、18-25なら健康体重範囲だと定義している。特に内臓脂肪型肥満は、糖尿病や生活習慣病のハイリスク因子だそうだ。私は特別ダイエットを行ったことはないが、 64/1.65x1.65=23.5となり、健康範囲にはいる。
日本医学会は肥満学界の適正範囲は狭過ぎであり、もっと上限を広範囲に含めるべきで18-30が健康範囲と主張している。すると私のBMIは健康範囲のど真ん中となる。もし背丈がもっとあれば健康優良児と言えたかもしれないが。

最後に、歩くことについては毎日1時間が目処と述べている。私は自宅がJR最寄り駅から片道15分の距離にあり往復30分でやや不足だが、都内で下車して更に片道10分歩くから、合計で往復50分となりかなり近い線だ。 近所の友人達は殆んど自家用車か相乗りで毎朝自宅から駅まで通勤していたが、私は40年間、雨の日も風の日も殆んど歩き通した。クルマに乗ると本当に瞬間の距離でありその快適さは格別であるが、歩くことに慣れると苦痛も忘れて気分も爽快になる。

駅前0分の絶好地という高層マンションのうたい文句をよく見かけるが、何が絶好地なのか理解できない。しかし片道15分は毎日歩くには限界であり、20分を超えるとさすが徒歩通勤には苦しくて長くは続かない。

何れにしても、運動は毎日繰り返して行うことが最も重要であり、週1回や月1回のゴルフは余り有効ではなく、毎日定常的に実行することが大事であるとのこと。すると駅からから適当に離れた距離に自宅を構えて、雨の日も風の日も、急ぎ足で通勤することは最高の健康維持法といえるのではないだろうか?




mh3944 at 16:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 健康