2008年07月

2008年07月28日

080728, GMが倒産する?

最近原油価格の急騰により、世界中が大騒ぎになっているが特にガソリンをがぶ飲みする自動車業界はマーケットが大混乱に陥っている。事実自動車天国の米国で大型車の販売に急ブレーキがかかり、ビッグスリーの業績に暗雲が立ち込めている。 

既に落ち目のフォードやクライスラーは当り前としても、200億ドル(2兆円)以上の余剰資金を誇るGMも、毎月10億ドル(1000億円)の現金が流出し始めているという。計算上からはあと2年余の企業寿命しかないことになる。 急激な環境変化に対応してGM経営陣は各種のリストラ策を次々と発表しているが、何しろ対応策が経済情勢の悪化に追いつかない状態だという。

こういう場合米国の経営研究所は予想が好きだ。ある著名な企業研究所が、GMが5年以内に倒産する確率は70%だと公表した。ましてフォード、クライスラーなどはそれ以前に消滅してしまうという見通しだ。何と言う恐ろしい時代になったのだろう。

7月15日に日本経済新聞の出ていた記事だが、野村證券が計算した、世界の自動車メーカーの株式の時価総額はトヨタが断トツNo.1(1700億ドル) No.2はフォルクスワ-ゲンでトヨタの6割(1000億ドル)、 ニッサンはNo.5で1/5(370億ドル) GMに至ってはトヨタのたった1/26 (65億ドル)にまで総資産が減少してしまっているという。GMの株価は$10を切ってしまったという。即ち経済界でGMは、トヨタの1/26にしか評価されていないということだ。

実は昭和47年に、私はデトロイトのGM本社の研究所に訪問したことがあるが、そのときの印象はただただ驚愕であり、これが民間企業かというほど圧倒的であった。世界の最高企業だという自信満々のGMは惜しげもなく我々日本人に研究施設を見学させてくれた、例えば風洞実験室などは、軍事用にも転用できるという巨力なものであり、ただただ驚きであった。

それをまねてニッサンは丹沢のふもとに、日産テクニカルセンーなる巨大な中央研究所を作り上げた。ここにも訪問したことがあるが、GMには劣っても、規模的内容的に当時の日本では最高の施設だとの評判であり、伊勢原市と厚木市が法人税収入を争って、最終的にはその境界線を当分にまたいで建設された曰くつきの大研究所でもあった。

それに比較するとまだ日産の後塵を拝していたトヨタは、従来型の雑前とした分散型研究所であり、第一研究所、第二研究所、第三研究所などなど、 私がよく通った第五材料研究所も、ある工場の片隅に付属した手狭なものであった。これではトヨタはもう日産には半永久的に追いつけないだろうと内心思っていた。

それから20年、私は自動車業界から離れ、医薬事業を担当して定年を迎えた。そしていま静かに両社を比較すると、その結果は私の予想とは全く逆で、トヨタは世界のNo.1会社となり、日産はルノーの子会社に陥落していた。そしてGMに至っては株価総額がトヨタのたった4%にまで成り下がっていた。

会社の経営者の評価は本当に難しいものであり、多弁でジャ-ナリスティックな経営者は実体以上に神々しく見え、訥弁で地味な経営者は逆に実力以下の能力に見られ易いが、数十年の単位でその経緯を比較すると、経営者の力量の差が、企業の命運に及ぼす影響にはただただ驚くばかりである。これは自動車に限らず、あらゆる業界に共通にありるもので、更には人生そのものにも言えることかも知れない。 


mh3944 at 14:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2008年07月11日

サミットは終わった

サミットが終わった。
世界中の16ケ国の大国首脳が一堂集まった写真をみると、流石凄いものだ。
このような壮大なイベントは、本当にサミットならであろう。どんなに忙しい大統領や首相でも、殆どの世界の大国の首脳と顔を合わすことができるチャンスは絶対に見逃せない筈だ。

真近に迫ったオリンピックや、チベット問題、四川大地震などで、日本と米国の協力が不可欠な中国、牛肉問題が反政府運動にまで展開して苦境の韓国大統領も、サミット出席は国内的にも大いに助けられている筈だ。

しかし民主党や社民党は、具体的な成果ナシでゼロ点だと相変わらず酷評しているが、彼らは参加できない悔しさを紛らすために言っているだけで問題外。 仮に具体的な数値目標が設定できなくても、これだけの世界の首脳が一堂に集まって、共に食事をするだけでも有形無形に大変な意味がある。確かに国連もあるが、各国首脳は入れ替わり立ち代り登場するだけで、全員が夕食をともにすることは、まずあり得ないだろうから。

直後の世論調査では、明確な結論が少なく首相の支持率は5%しか上がらなかったという。しかしこれほど大規模な地球的会議で、具体的な成果をえることは、そもそも不可能で、当初から目標ではなく、集まって食事をすることにこそ最大の意味があるのだ。

世界で最も権威があると言われるサミット研究機関、カナダトロント大学のG8研究グループの、ジョン・カートン代表は、100点満点で言えば、今回のサミットは78点(B+)と評価しているという。33年間のサミット会議のなかでも、高得点のひとつだと論評していると新聞に出ていた。

最大の成果は温暖化問題で京都議定書の次の枠組みを提示し得たことだそうだ。余り親しくはないブッシュ大統領から50%削減方針を共有する(Share)という言質をとりつけた福田首相のリーダーシップも高く評価しA評価だという。

政治家として世界に名を馳せることを目論んで、洞爺湖サミットを構想した安倍前首相の悔しさも、思い余るものがあろう。安倍さんは、参議院選挙で民主党が大負し、中東での燃料補給継続問題や、自動車ガソリン税の延長問題で、参議院民主党の協力が得られないことに絶望し、底知れぬ社会保険庁のデタラメもあって、相談する人も無く、咄嗟的に首相辞任を決意したのであろう。

しかし、福田さんに代わっても、問題は何ら解決されず、結局両方とも短期間の中断が避けられない結果となった。年金問題も殆んど解決されない。多分安倍さんは、これなら自分が政権を担当し続けていても全く同じ結果で、何ら変わらないではないかとの悔しさがあると思う。

しかしこれが現実なのではないだろうか、世界であり人生なのではないだろうか。誰がやっても殆どの場合、似たような結論となり、可能なことは出来、不可能なことは出来ないのだ。これは会社経営についても、病気治療でも、或いは失恋の苦しみも、借金苦でも、現実に絶望して逃避しても、何ら解決にならないと教えているものだと思う。どんなに苦しくても、如何に難局でも、自分のベストを尽くせば、多くの場合、結局なんとかなるのではないだろうか?

人事を尽くして天命を待つというが、確かに名言だと思う。


大賀蓮のハナ

mh3944 at 13:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年07月10日

私の親不幸

私の母は子沢山であった。4男の私を含めて4男3女(3男は幼児で病死)の7人の子どもを育て、87才で亡くなった。最後は優しい長兄が昼夜に渡り、看護してくれたから幸せだったと思う。しかし、最初、母が隣り町から田舎の小作農の我が家に嫁に来たときは、不慣れな農業には本当に苦しんだらしく、何度かほぼろを売ったたらしい。(嫁が嫁ぎ先から逃げて実家に帰ることを、昔はほぼろを売るといった)

父は小作農の長男だが大した学もなく、地元の尋常学校を出て家を継いだが、大変厳しくで短気だったので、我々兄弟には本当に恐怖の父親だったが、いつも母が身を挺して守ってくれた。父は40才半ばで結核で亡くなったが、正直に言えば鬼のように怖い父親の死は、私には悲しい出来事ではなかった。

母親を助けて長姉と長兄は大いに働いた。特に長兄は近くの工業専門学校を出て、直ぐに鉄工所に勤め、日曜は母を助けて夜遅くまで農業を助けた。しかし機械化されていない昔の百姓仕事は本当に厳しく、刺激のない単調な生活も苦しいものだ。従って今でも定年退職後、田舎へUターンして農業をやる楽しさという話を私は余り信用しない。

更に当時は年2回ほど農繁期休暇というものがあった。今では考えられないことだが、春秋の忙しいときは、1週間程度小中学校は閉鎖となる。すると私も朝から晩まで百姓仕事の手伝いだ。本当に苦しくて辛い期間だった。高校受験前の私は、田舎路をリヤカーを引いて田畑に通う道すがら、旺文社の英単語辞書、マメ単の暗記に努めたものだ。どこにでも二宮金次郎はごろごろ居た時代なのだ。

いつの時代にも農業は自分が食べるには困らないが、殆んど金にはならない。従って何か纏まったお金が必要なときは、お米を売る以外に手段はなかった。当時のお米はかなり厳密は統制制で密売は厳禁であったが、それでもヤミ米は無くならない。お金が必要になるとお米を自転車に積んでよろよろしながら、最寄の駅まで運んでいた。自分の学資が必要な時、私もいつも自転車で運んだものだ.

私の通った小,中学校は学年総数40名足らずの小さな分校程度であった、私ごとで恐縮だが、私は小中学校代は勉強が好きだった。小さな学校なので、少し勉強すれば、いつも5指に入る成績となった。それが母親にはとても大きな自慢であり、誇りであった。隣近所から言われると、ホホを緩ませて嬉しそうに私の成績を自慢していた。私が母親に尽くしだ唯一で最大の親孝行であったかと思う。

しかし小学校、中学校、高校を通じて、私は卒業式で一度も優等生として表彰されたことは無かった。毎回今度こそはと母は精一杯の盛装で卒業式には出席するのだが、先生の受けが余り良くない私は、小さな学校でも遂に、優等生として壇上に呼ばれたことはなかった。母はいつも落胆してひとりでトボトボと先に帰ったが、私には何も言わなかった。私は母親の期待に添うことが一度もできないまま、小学校、中学、高校を終えて田舎から出てしまった。今でも本当に申し訳なかったと思っている。

その辺りの理由は私には良く分かっている。私は先生へのゴマ摺りが下手なのだ。下手どころか全く無関心だった。別に先生が悪い訳ではないが、寄り添って来る生徒のほうを誰でも可愛く思う筈だ。孤高を保つネコよりも、尻尾を振って甘える犬のほうが可愛いのは誰でも当たり前なのだから、従って全く先生を恨んでいない。しかし母親の期待に一度も答えることが出来なかったのは深く後悔している次第。

そして時代は過ぎて、私はいま恐ろしかった父親の年代になった。いやもうとっくに過ぎて孫の年にまで進んでいる。しかし私の父親は自分の心の中に生き続けている、それは反面教師として。父親の真似だけは絶対に避けようと心の誓っている。父親も逃げ道の無い百姓生活に苦しみ、子どもにヤツ当たりせざるを得なかったのだろうが、絶対にそれを真似てはいけないと。

また、そのような父親と一生付き合わざるを得なかった母親も同じく苦しかった筈だ。それに報いることの出来なかった私は誠に親不孝者であったと、今でも心の底で母親に詫び続けている。

子どもには家庭が社会の全てで、そこから逃げ出すことは殆んど不可能なのだ。最近の絶えることのない子どもの虐待事件を聞くと本当に悲しくなる。






mh3944 at 11:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年07月04日

話し方は難しい

昨夜(7/2)の巨人-ヤクルト戦をみた。上原が7回からリリーフしたが2回で3点も取られてしまった。防御率から言えば10を超える最低の出来で、救援どころではなかった。幸い古城の2ランで辛勝はしたが、上原の苦痛に満ちた顔は見る方も辛かった。あれほど威厳を誇った大投手も球速は140キロに届かず、威力あったフォークも驚くほど簡単に狙い撃ちされてしまった。本人は、苦しいがもがき抜いて何とかしたいと言っていたようだが、力が落ちているのは明々で、もうダメかも知れない。 

同じく高橋由伸、安倍、小笠原など有力選手も全滅で、当日はスタメンとしては出場せず、やっと代打で起用される始末。特に4番打者の高橋由は、前日は4打席4三振の見るも無残な結果。昨夜はやっとヒットが出て僅かに貢献できたが、超高給取りの地位が泣けてくる。その点ラミレスやクルーンは良く働く。彼らには名声は全く無用で、単に結果だけが問題なのを十分知っているから。結果が出なければシーズンオフには追い出されるのを本人達は納得しているからだ。

大東京をバックとする巨人がその資金力で集めた既成の有名選手たちは、何故揃いも揃って不振なのか分からない。他チームの選手達は薄給にも拘らず、若手も含めて大いに活躍しているのを見ると、李選手も含めた超有力選手が全員不振なのは、たぶん巨人選手がチヤホヤされてオフシーズンを過ごした結果だろう。ある解説者は素質があっても下半身を鍛えないからこうなるのだ!と言っていたが事実かも知れない。

高橋、上原、小笠原などを北京オリンピック選手の候補者に挙げた星野監督は、7月27日に正式に指名するそうだが、指名しても役立たず、逆に指名しないとファンから文句が出るだろうから、本当に困っているだろう。 

テレビでほかに面白い番組がないときは、プロ野球は格好の暇つぶし番組だが、その解説者にも言いたいことがある。江川とか山本浩二とか堀内あたりの解説は流石に落ち着いて分かりやすく好感がもてる。しかし掛布とか川藤とかの解説は長くなるともう体全体が痒くなり聞き続けられない。だいたい説明が明快でないのだ、単純なプレイを如何にも複雑に、もって回って長々と饒舌な説明をする。どうして核心を突いた易しい解説ができないのだろう。頭のてっぺんから出るような高音でしゃべりまくる川藤の解説を聞いていると、もう悪寒が走ってくる。

想像するに彼らは青春時代に勉強が足りなかった自分の不徳を隠すために、如何にも高邁そうな精神論で味つけして自分を偉く見せようとしているのだろう。ボキャブラリーが少なくても核心を簡潔に話せと誰かアドバイスしないのだろうか? 彼らも、江川、山本あたりの控え目で単純明快な解説を聞いていない筈はないのだが、多分むつかしく話せば、より利口に見えると錯覚しているのだ、是非その逆効果を忠告してやりたいものだ。 実績のある選手たちだから、頭は少々悪くても誠実に話せばかなりの説得力もあるはずだ。

それに比べると、無名でもアナウンサーの話し方は流石に訓練されており立派だ。大体、他人の作った原稿を読むのがアナウンサーの役目と、私は少し軽蔑していたが、視聴者の気分を損なわない話し振りは訓練の賜物であり、最近大いに見直し始めている次第。

私は外国語学校とかいうものを昔は軽蔑していた。欧米では子供でも話している英語を、何故外国語大学という大げさな施設で4年間も勉強する必要があるのか、単に専門学校でよいでのではないかと疑問に思っていたが、このグローバルな時代には洗練された言語でのコミュニケーションの重要さがつくづくとわかるようになった。 

大体に日本の政治家が国際的な場で英語で演説するのを殆んど聞かない。日本語でしかも原稿の某読みだ。全く情けない! ミスを犯さないために読むのは仕方ないとしても、どうせ原稿を準備するのなら何故英語でやらないのだろうかと、昔から疑問に思っている。英語でやれば更に好感をもって迎えられるのは間違いないのだが殆んど誰もやらない。シャイなのです、では済まされない国益の問題なのだ。そんな奴は政治家になるべきではなく、国内で偉そうな演説ばかり繰り返しても何の役にも立たないのだ。

私の12年間の外資会社での経験でも、国際会議で英語で話すのは確かに難しかった。通訳などは誰も居らず、私は英語でやらざるを得なかった。しかし
口下手の私でも仕事上は全く問題なく通じたし、議論も早く進んだ。

問題は、ディナーとか昼食時などの雑談だ。例えばうちの雑種のドラネコが隣の屋敷にフンをして怒られたなどは、なかなか英語で簡単に話せないのだ。さらに生活習慣とか宗教も絡んでくる。会話には瞬時の応答も必要で、これには本当に困ってしまった。

しかし長年は経験すると、会話も段々慣れ始めてくる。例えばイタリアでの夕食会の時、一般には背たけが低いイタリア人のなかで一人だけずば抜けて高い現地の営業マンが私の隣に座ったので、私が、何故君はそんなに背が高いのと聞いたら、私の祖先は北欧のVikingでイタリア娘と恋に落ちたんだ、と答えた。確かに北欧人は背がずば抜けて高い。 とっさに私は、そう祖先はPirates(海賊)なんだ!と言うと、NO! NO! Merchants(商人)だゾと 本気で抗弁した。 すると反対隣にいた英国人が、Depend on the Day(日によって違うのだ)とチャチャを入れて大爆笑になった思い出もある。話し方は本当に難しいものだ。

私も大学では英語とドイツ語を第二外国語として選択したが、どちらも読み書きだけで、会話の訓練は皆無であった。得にドイツ語などは私の50年の人生で全く役立つことはなかった。やはり外国語を選ぶのなら英語とスペイン語か、或いは今日では中国語を選ぶべきであったと思う。そして読むことよりも会話を重視すべきだ。とくにスペイン語を母国語とする国は20余ケ国に達し、英語を抜いて断トツに多く、中南米では独占的に使われている言語だ。 

中国語となると、語源が日本語と同じだけになかなか複雑だ。平安時代に女性用の崩し文字から、かな文字は発明されて日本語は中国語から離れて大発展を遂げたと聞いたことがある。 昔、私も中国語学校に1年通ったがとうとう使い物にならなかった。今日と違って当時はビジネスで使う機会が無かったが、世界の総人口の2割を占める中国は、お隣さんでもあり重要な言葉となるだろう。中国の正式国名の中華人民共和国も、後半の人民共和国は日本で創作された言語を中国が使い始めたのだそうだから、本当に密接な関係がありそうだ。その点、文字を全く異質なハングルに変えてしまった韓国語は体系的には日本語とよく似ているといわれるだけに誠に残念なことだ。


mh3944 at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治