2008年08月

2008年08月27日

080827, オリンピックの宴が終わって

やっと4年に一度の宴が終わった。開会式から閉会式まで少々やりすぎの感もあったが, なかなか面白かった。羽田に帰った日本選手団は、メダルの方は記者会見室へ!その他の方は解散!と言われた、メダルを取り逃した選手たちはこれから屈辱感に苦しむことだろう。

160年前アヘン戦争で欧米の列強に痛め続けられた中国の劣等感は、完全に消し飛んだのではないだろうか? 今回の中国は圧倒的に強く、その金メダル獲得数が、1988年ソウルオリンピック5個から始まって→バルセロナ16個、アトランタ16個、シドニー28個、アテネ32個、今回51個とまさに昇竜の勢いだ。 陸上水泳の強国米国は36個→37個→44個→37個→36個→36個と平均的に強い。覇を競うソ連は55 個から始まり→45個数、ロシアに変わり26個 → 32個→ 27個→ 23個だがシンクロなど、ほかを寄せ付けない種目をもっている。

お隣韓国はソウル12個→12個→7個→8個→9個→今回13個で、日本の半分の人口を考えるとやはりご立派だ。メダルを逃すと軍隊送りになるという脅迫感も効いた。日本はソウル4個→3個→3個→5個→16個→9個と増えたり減ったりだが、柔道とか女子レスリングとか偏った種目でメダルを稼ぐ構図からなかなか逃れられない。その点ラッキーだったとはいえ、陸上400mリレー(塚原,末続,高平,朝原)チームの銅メダルは立派だ。メイン競技場に揚がる日の丸を中国観客はどう思っただろうか。以上がメダル獲得Top5の国々だが、英国はソウル5個→5個→1個→11個→9個数→北京では17個獲得し、次期オリンピックの開催国を意識して、力を入れているようだ。

どこの国でも同じ傾向はあるが、特に愛国心に燃える中国社会では勝負に負けた選手は社会から抹殺されるという。日本の末綱前田組に破れた世界No.1のバトミントン中国ペアは国内マスコミから国賊扱いだという。ケガで110m障害競走を棄権した劉翔選手はもう宣伝に役立たたず、広告会社は推定500億円の損害だと言い、保険会社も当人に傷害保険(16億円)を支払わないというから、もう踏んだり蹴ったりだ。

日本の福田富昭選手団長は、本気でやれば日本はもう5個くらいの金メダルを取れた筈と言っている。全く同感だ。4年後のロンドンで金を狙いますとトボケたことを言っている柔道ヤワラちゃん、武士道が災いした100Kg級柔道の鈴木桂治、監督やコーチの怠慢な指導の犠牲になった野口みずき、最後までぬるま湯から抜けきれなかった野球チームなどなど金メダルの有力候補選手が次々と敗れ去った。凡ミス続出で日本野球チームの息の根を止めたGG佐藤などは、もう草野球以下の技術レベルで、球界追放ものだが、日本に帰った翌日には、西武であっけらかんだそうだ。全くバカなやつだ。勿論メダルは問題ではなく参加することに意義ありとか知たり顔の人もいるが、やはりメダル無くして何がオリンピックだ、が本音だろう。

メダルを取れなかった選手はこれから居心地も悪く、広告料も値切られるだろう。 その点女子ソフトボールは奇跡的に金メダルの大成果を上げたが、体力的にはやはり米国チームの方が強く今回が最後のオリンピック正式種目でよかった。

ところで、開会式や閉会式の国名表示で気付いたが、中国文字と日本文字には共通点が本当に多い、勿論か中国発祥の漢字だから当然だが、日本、英国、中国、韓国、印度は全く同じ文字。以下米国(美国)、独国(徳国) 仏国(法国)、伊太利(意大利)なども直ぐに分かる。 しかしウズベキスタン、アフガニスタンとかになると、中国語での表示はとても複雑で、難しい漢字の羅列、とても中国語では不便だと思った。その点、日本はひらがな、カタカナを発明したお陰で、どんなに難しい発音の文字も簡単に表記できる。カザフスタン、トルクメニスタン、トリニダードトバゴなど、何でもいらっしゃいだ。

中国の人口13億、日本1億、(僑+台湾)が1億とすると、全世界で合計15億の人々が使っている漢字は、英語、スペイン語以上に最も汎用される文字といえそうだ。 近い将来、中国との信頼関係が強固になったら、中国の簡体語、台湾の繁体語、及び日本の標準漢字の共通化を考える国際会議を開いては如何だろうか? 多分小説家は猛反対するだろうし、欧米諸国も警戒するだろうが。

中国語は現在形、過去形、未来形、現在完了形の区別が難しく、ビジネス用語としては問題あるとも言われている。例えば、英国に行きたい(想去英国)、英国に行った(去了英国)となるが、中国の日常会話では殆ど現在形で、英国に行く(去英国)と話すことが多く、前後の文脈から時系列を判断するのだと聞いたことがある。  

英語と違って漢字は表意文字であり、ある種の絵画のようなもので、一見してその意味が分かるから、非常に便利で効率的だ。私は日本の近代化はこの表意文字の効率性に依るところが極めて大きいと個人的には思っている。それに比較するとアルファベットは表音文字だから書くのは簡単だが、チラッと見ただけではその意味を十分には理解できず、文字の全配列を読まないと分からない。40年前に伊藤忠商社が、全社的にカタカナ文字を採用して話題になったが、表音文字の不便さに気付き、直ぐに中止して笑いものになったように、表音文字には大きな不便さがある。

最近介護士が不足で、今回インドネシアから若い男女が多数来日した。英語を話すフィリッピン人は欧米やオーストラリアに行くので、インドネシアとなったようだが、宗教の違いに加えて漢字の習得が大きなカベだと聞いている。彼女たちも、10倍の給料に惹かれて来日したが、日本人にも易しくはない漢字のマスターは大変な苦労だろう。私案だが中国に介護人材の提供を申し入れては如何と思う。 発音は違っても漢字に違和感は無く、意味も近似しているから、インドネシア人より余程定着率が高くなるだろうと思う。10倍以上の給料なら中国にも希望者が多い筈で、更に半日で往来できる近さだから、両国の国民感情さえ落ち着けば、実現するのではないかと思っている。 

今回の北京オリンピックを現地から見た感想のひとつとして、外国人が優しいのに驚いたという中国人が非常に多かったという記事には、こちらも驚いた。13億の愛国心に燃える人口をもつ大国だから、血気にはやる巨大集団のままでは暴走する可能性があり危険極まりない。この膨大な人口を早期に落ち着かせ、国際社会に取り込むためには今回の北京オリンピックが、国際社会へ仲間入りする大きな契機となることを希望している次第。


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2008年08月22日

080822, 福原愛と日中関係

オリンピックで頑張っている福原愛が、日中友好に果たしている効果が大きい、
最初に彼女が北京国際空港に到着したとき、大勢の中国人記者が押しかけたと知って驚いた。更に、彼女が中国選手を相手に試合をするときも、相手側に劣らないほど中国側からの大声援があるそうだ。驚くほどの日中親善効果を発揮している。自分を閣下と呼ばせて喜んでいる日本の外国駐在大使が束になっても敵わないだろうと思う。

勿論、彼女は卓球が非常に上手だ、若くて愛くるしく、中国語も話せる。しかし一番受けているのは彼女の性格らしい。日本人は冷酷で傲慢だと教えられている殆どの中国人には、福原愛の素直で謙虚な性格は驚きなのだろう。中国卓球選手の無表情さに比べ、勝っては喜び負けては悔しがる福原愛の素直な姿には我々日本人でも同感を覚えるのだから。

一般に、中国では、戦後長い年月に渡って、反日教育が徹底されてきたため、日本人と直接の接触のない大多数の中国人は、日本は世界で最も嫌いな国となっている。 その反動として日本人も7割程度が中国は信用できない国だと思っているそうだ。私も複雑な心情をもっているひとりであり、中国選手が勝つと何となく寂しく、相手側が勝つとほっとする微妙な心理は如何ともし難い。

しかし胡錦涛主席が対日協調路線に大きくかじを切ってから、中国人の対日感情に変化の兆しが見え始めたという。特に今春の四川省大地震で、救援活動に参加した日本人チームが、何とか助け出そうと懸命の努力をして失敗した若い中国人女性と赤ん坊の亡骸を運び出したとき、救助隊員が並んで、深い哀悼の意を表した姿が中国全土にテレビ中継されると、多くの中国人はその名もない一市井の犠牲に、これほどの深い悲しみを示す日本人は、今まで習い教わっていた残酷な国民とは違うではないかと、驚いたという。ごく普通の行為が、13億の膨大な人口の国民感情に、これほど劇的な変化をもたらすとは、なんとも感動的であり、また恐ろしいことでもある。

最近の日中両国での世論調査は、相手国が信用できるが否かとの質問に対して、どちらかと言えば迄含めると、中国側は55%が日本は信頼できると回答しているのに対し、日本側は70%以上が依然として中国はまだ信頼できないと答えていると読売新聞に出ていた。まだまだ両国間には深淵があるが、時代は確かに動き始めていると思う。私はその時代変化に取り残されそうな感じだ。

同じく両国での世論調査で、日本人の中国観は、中国は軍備を拡張していると思う人が65%、その次は、伝統,文化を重視していると思う人が25%だそうだ。 逆に中国人の日本観は、75%が日本は技術力が高い、72%が日本は経済的に豊か、25%が日本は軍備を拡張していると答えているという、 なかなか興味深いデータだ。

しかし現実には、もう日本と中国は経済的に夫婦に近い関係にまでなっており、米国を抜いて最も密接な貿易相手国に発展してしまった。この緊密な両国関係は、今後、例え国家首脳が変わって殆ど変更できないだろう。

福原愛を中国語で発音するとフーユエンアイと言うらしいが、もし私が、北京の卓球会場でこの福原愛を応援する地元の大声援を直接聞くことができたら、間違いなく身震いして、多分涙しただろうと思う。



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mh3944 at 09:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年08月20日

080820,北京オリンピックが始まった

北京オリンピックが始まった。4年前のアテネの時は、家内が入院して大手術中で、オリンピックの記憶は殆どなく、わずか女子マラソンでラドクリフの優勝を信じた母国イギリスからの大応援団が待っていたアテネ陸上競技場に、小柄な野口みずきが一番で飛び込んできて、大騒ぎになったことしか覚えていない。しかし今年は毎日飽きるほどテレビを見た。もう高校野球も消し飛んでしまった感じだ。

競技にはいろいろあるが、陸上が一番面白く、続いて水泳とか柔道とか体操だろうか。手の込んだ道具を使う競技ほど面白くなく、ピストルとかアーチェリー競技などは殆ど見る気がしない。野球もなぜオリンピックなんだ?という感じ。やはり裸の人間の素手の競い合いが最高だ。

しかし、有力な日本人選手が居ないとまた面白くない。柔道とかマラソン、水泳、体操など、かなり期待できそうな種目はワクワクしながら見た。女子レスリングも初めて見たが、不可解な判定や、延長戦はくじ引きで攻撃権を決めるなど変なルールには驚いてしまった。

男子マラソンは次週だが、女子マラソンはなかなか面白かった。まず気候条件だ。あれほどカンカン照りの極悪条件が予想され、それを想定して出場予定選手は猛練習に励んでいたが、当日は全く正反対で、気温も予想より10度近く低い25℃で、快適なマラソン日和へとさま変わりになった。主催者が準備した水噴霧カーテンもランナーたちは避けて走る状態だった。

20Km過ぎで早々と抜け出したルーマニアのトメスク選手を誰も追わないまま優勝されてしまった。既に38才になる彼女自身は誰も追っかけてこないのに驚いたそうだ。結局そのまま60秒へと距離を広げ、ゴール近くになって初めて気づいた老練ヌデレバが猛然と追っかけ、2Kmの間に40秒縮めたが、残り20秒を詰めるにはもう距離が残されていなかった。

野口みずきもテレビで見ていたと思うが、彼女なら絶対にトメスクを逃さす追跡していたと思うが、練習のし過ぎで脚の肉離れとかで皮肉なものだ。 同様に優勝候補筆頭のイギリスのラドクリフは、出産よりマラソンのほうがよほど楽だとか言っていたが、3ケ月前に疲労骨折して完全には回復せず、とうとう途中で棄権してしまった。あれほど驚異的な走力を持った彼女でさえも、長い期間の猛練習は、彼女の肉体を過酷に痛めていたのだろう。

余り期待されていなかった32才の土佐礼子や、22才と若い中村友梨香もダメ。特に土佐は17Kmで、先頭の大集団から脱落し始め、25Kmでは見るも無残に棄権してしまった。 彼女は外反母趾と公表されていたが、実は中足骨(右足)を痛めており、マラソンを走れる状態では無かったらしい。

日本歴代50位にも入らない記録の持ち主の土佐は、悪条件で次々と脱落するであろうライバルたちの間隙を縫って、あわよくばメダルを!という戦略だったらしいが、奇跡のように涼しい気象条件に恵まれ、多数のライバルたちは最後まで勝負に絡んで来たため、自分自身が早々と脱落してしまった。

コーチの鈴木秀夫は、体調不良の土佐に出場を辞退してはどうかと打診していたらしいが、土佐が断わったとも聞く。真相は不明だが、このような結末になるとは予想も出来ず、鈴木コーチも強制的に辞退させる勇気はなかったのだろう。土佐にも北京を目指して4年間の苦しい練習を続けたつらい思いがあり、自身の不調は一番よくわかっていた筈だが、諦め切れなかったのだろう。マラソンとは、選手が持つ気力と体力を全て出し切って勝負する厳しい競技だと思った。

陸連幹部も全く不手際だ。予備選手を2名ていど登録しておけばよかったのに、唯一の補欠ランナー森本友を2週間前には登録解除までしてしまった。もう交代要員が1名も居ない状況では、直前に断念した野口の交代選手を出せなかった。金メダルの獲得の予想にばかり熱中して、その基本的な交代要員の準備まで怠るとは、全く陸連は何をしていたのだろうか?これには呆れてモノがいえない。

10年前から日本人には馴染みのリディア.シモン選手は、いつもの美しいスタイルで走っていたが、8年前のシドニーではゴール近くで高橋尚子に敗れ、アテネでもメダルに届かず、3回目の北京では流石に疲れたらしく、アテネ20位の同僚トメスクに金メダルをさらわれてしまった。トメスクの38才は男女を通じて史上最高齢のマラソン優勝者だそうだ。涼しい気候や、遅いスピード、ヌデレバの不注意など、いろいろな偶然に恵まれた結果であろう、人生も同じことで、なかなか予定した通りには進まず、偶然の連続なのである。


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2008年08月11日

080811, 野口みずきが可哀想

オリンピックマラソンの我ら希望の星、野口みずきが北京マラソンへの出場を断念したいう。原因は大腿部の筋肉の肉離れだそうだ。誠に残念至極。彼女は今週末のマラソンに備えて、悪路で高低の富んだスイスサンモリッツで約1ケ月間、猛練習していたというが、結局、筋肉を痛めたらしい。帯同していたコーチは一体何をしていたのだ! 猛練習に傾き易い選手を抑えるのがコーチの役目だろう。われらの夢を潰してしまったコーチ連中は全く無責任の限りだと思う。

私は、毎朝早く出社するが、途中で多数のシルバーさんたちと出会う。彼らは、仕事が無いため、朝早くから長歩きして毎日健康維持に努めている。テレビでも新聞でも、最低1日一万は歩くべきだといわれている。1万歩は結構な歩数であり、長い距離を歩き続けることによって、実際には腰やヒザ、肩やクビを痛めている人が大勢いるらしい。ところが、世間の99%はこの通説を信奉している。

早大大学院博士課程の小山祐史(こやまやすし)先生が長年主張していた初動負荷理論という考えかたは、この通説を真っ向から否定したものらしい。従来の運動すればするほどその効果が増すという通説は間違いだと彼は主張し続けていた。すなわち最初から最後まで負荷をかけ続ける従来の終動負荷理論は、体を痛めるだけで期待した効果は得られず、返って体を痛めるというのだ。反対に、動作の最初だけに適切な負荷をかけることで、神経と筋肉の機能が改善され、関節の可動域が広まるという、新しい考え方だ。

小山先生は10年前に、運動量に比例して効果は増すという従来からの通説(終動負荷理論)は、結局肉体を痛めているだけではないかと疑問をもち、研究を重ねて1994年に 初動負荷理論を発表したという。ところがこの説は世界中の運動理論家から猛烈な反発を食らってしまった。

しかし小山先生は怯まずに、学校のクラブ活動のウサギ跳び、高校生が炎天下で陸上や野球を猛練習、タイヤ引きやチューブ伸ばしの練習は、関節や腰を痛めて、結局生徒達を運動嫌いにしているだけだとの確信は変らず、独学で科学的なトレーニング法を研究し続け、筋肉や技術に関してひとつづつ解明していったという。彼は苦痛なしには健康になれないという通説を何としても打破したかったのだそうだ。

今に世間のトレーニングや商業施設の殆んどは、練習を積めば積むほど効果が出るという終動負荷理論に基づいて設計され料金が増える方式になっているなかで、小山先生のこの革命的な理論は徐々に注目を浴び始め、終に今年6月にカナダで開かれた国際電気生理運動学会で、世界中の運動理論家たちから、満場の拍手を受け、ご本人は万感胸に迫って涙を流したという。

イチロー選手も、自分の経験からこの初動負荷理論に賛意を表しているらしい。文部科学省も、この研究を学術フロンティア研究プロジェクトに認定し、厚生労働省も介護予防市町村モデル事業に採用したという。

そう言えば、我々に社会生活でも、何となくこの説に共感することがある。例えば、あれほど運動を積み重ねた筈の運動選手たちも一般的にはかなり短命だ。また男性に比べて、運動量が少ない筈の女性のほうが、圧倒的に長生きの人が多いとか、数えればいくらでも例がありそうだ。

1週間後に迫った北京オリンピック女子マラソンを迎えて、苦しみに耐えながら猛練習に励んできた野口みずき選手には、泣くに泣けない事態だろう。コーチという立場の方は、ただ選手に帯同して走るだけではなく、常に科学の進歩にも目を見張っていて欲しいものだ。



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2008年08月08日

080808,今ごろ景気後退の可能性だって?

080808, 今ごろ景気後退の可能性だって?

昨日(8/7)発表された政府の月例経済報告では、6月の景気動向指数(速報)から、国内の景気は後退している可能性がある、と関係閣僚会議で了承したという。全くなんという呑気な話かと思う。当社には既に半年前から、この経済の大きな変調が始まったのを把握し、その対抗策をとっているというのに。

当社は半導体機器の修理と販売を業としており、景気変動には特に敏感だが、今年2月までは月平均15台前後を出荷していたのに、3月には4台に急減し、4月は2台に激減してしまったのを確認して、これは単なる月間変動ではなく、明らかに景気後退だと早くから認識していた。

しかし政府は4−5ケ月遅れて、この猛暑の8月にになってやっと、景気が後退局面に入った可能性があります、とかいい始める始末。呆れてモノが言えない。 政府を含めた官僚たちには、景気変動は全くひとごとなのかとつくづく思う。あれほど経済の活性化を選挙キャンペインの最大のテーマとして叫び続けながら、彼らにはやはり単なるお題目なのだと分かる。不景気になっても政治家や官僚には自分たちのフトコロ勘定には関係なく、他人ごとで、急いで対応策を講じる必要性など無いのだろうか。

確かに政府は日本各地の企業データを集計して、国全体の動向を判断する訳だから、個別企業よりも判断が遅れるのは仕方ないだろう。しかしこのコンピュター時代に、3-4ケ月も遅れてやっと、景気後退の可能性があります、とはナンセンスに至りだと思う。日銀を初めとして常に経済の動向に目を見張っているはず官僚共が数千人はいる筈なのに、彼らは一体何をしているのだろうか?

もし本気で経済動向を察知したい気があるなら、パソコンを使って、月例といわずに毎週にでも国内のデータを集計するシステムを構築し、経済動向を察知して、少なくとも1ケ月以内には、景気の変調を掴める筈だと思うのだが。まあ、やる気にない連中には何を言っても無視するだけだから、全く困ったものだ。



mh3944 at 11:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年08月06日

080806, 俺流マーナ―

昨日の日経新聞に俺流マーナー!という記事が出ていた。勝手な自己流マーナーが摩擦を生んでいるという。
例えば、飛行機や新幹線の椅子を後部座席の方に断らず突然リクライニングにするとか、エレベターを降りるとき、閉ボタンを押さないで降りて文句を言われたとか、更にはエスカレ-ターの片側を空けるか空けないかなど、微妙な問題ばかりだ。

確かに新幹線で本を読んでいると突然前の椅子がガックと迫って来てムっとした経験はある。これは微妙だが、まあ少しづつ動かすという程度かも。しかしエレベーターを降りるとき、閉ボタンを押したことは今まで殆んど無かった。最近の製品は性能もよく、押さなくても1-2秒後には自動的に閉まるから殆んど気にかけない。しかしエスカレーターで片側を空けるのは絶対に守って欲しいマナーだ。いや場合によっては片側に立ち止まられるのも困り、一緒に歩いて欲しいと思っている。

毎朝私は、常磐線日暮里駅に着くとほぼ同じ時刻に、50m反対側の山手線に入線する山手線電車に乗るため、数十名が上りエスカレーターに殺到して駆け上がり陸橋を走っている。うまく山の手線電車に間に合えば、東京駅で京葉線普通に間に合うから、小さな幸せを感じる。

逆に山の手線に乗り後れると、2分遅れてくる京浜東北線に乗り、東京駅に着くと、今度は京葉線地下ホームへ400の通路とエスカレーターを爆走しなければならない、恥ずかしながら私を含めておじさんたちは毎日一生懸命なのだ。
勿論ゆっくり歩いて東京駅京葉線地下ホームで次の普通電車を15分ほど待つ手もあるが、修行が出来ていないから私には、この15分間の敗北感は本当に辛くて耐え難い気持ちだ。 

問題は、日暮里駅の上りエスカレーターで若者が方側に立ち止まり、我々年寄りが駆け上がるのをじっと見ていることだ。毎朝だから急ぐ理由は知っている筈なのに彼らは知らん顔で、我々はマーナ−を守っているのですと言わんばかりだ。もう頼むから君達も歩いてエスカレーターを早く空けてほしいと思うのだが知らん顔だ。何日だったか私も、歩け!と声を出して叫んだことがあった。

しかし、私が尊敬している横浜市ではエスカレーターを歩くことさえも禁止しているらしい!驚いた。勿論市役所職員殿は、ケガなく無事に出勤して何事もなく終わり、帰宅できればそれでよいだろうが、こちらは一刻も早く会社についてメイルを読んで連絡をとり、少しでも効率をあげたい一心だから、それを法律まで作って禁止されてしまうとは、こちらは本当に困惑してしまう。

更に、東京駅の400mの長い通路で、若者達が如何にもモダンらしい猿真似で、流行のカートの柄を一杯に延ばして行き来する姿を、横浜市の諸兄は見たことがないかも知れないが、その間を縫うに疾走するのは、短いエスカレーターを駆け上がるより、数倍も危険なのです。東京都やJR営団殿は、毎朝の混雑をご存知だろうから、多分エスカレーター賭け上がり禁止なんて馬鹿げたことは言わないとは思うが、先日の東京ビッグサイトのような事件がおきると、また議論が再燃するかもしれない。
立場により俺流マナーは本当に微妙なものだと思う。

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mh3944 at 10:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2008年08月01日

080801,農村の崩壊とバイオアルコール

民主党小沢党首がバラマキ農政のPRに熱心だ。危機に瀕している農村を救うとか言っているが、財源の裏づけは全くないままに。

確かに農村が危機に瀕しているのは事実だ。私の住む東京の近郊では、まだなんとかなっているが、私のふるさと山口県でも本当にひどい状態ようだ。まず農家に後継者が居ない。その結果農家が次々と消滅しているという。
私の田舎は、決して限界集落と言うほどの山奥ではなく、地方都市、徳山や柳井にも近く、山陽本線も通っている平均的な農村であるにも拘らず、次々と農家が消滅しているらしい。まず後継者がいないのだ。

跡継者のいない主な理由は、農家に嫁が不在で、跡継ぎが居ないまま寂しく年老いた息子たち。次男三男たちは親元を遠く離れて都会に出ている。そう言う私も4男坊で、親元を離れて神戸→大阪→東京へと転々し、田舎を見捨てた典型例ではあるが。私の場合、長兄が跡取りなので、田舎に残っても仕事や居場所もなく、都会へ出た訳だが、誰にもそれ相応の理由はある筈だ。しかし結果として農村は確実に衰退しつつある。

私の記憶では一等地であった美しい田畑の多くが、次々と休耕田になり、耕作放棄地になっているという、そしてもう農地として回復不可能になり始めている。農村から都会への人口移動が悪いというわけではなく、仕事のない若者を農村に閉じ込めておく訳にはいかないのだ。お隣中国の例にみるように、人口移動を強制的に押しとどめることも不可能だ。

有効な対策は、時代の推移に合せて若者が勤められる事業を農村に興すことだ。即ち農業を企業化すべきなのだ。しかし農業の企業化は法律で著しく制限されて、ほんの名目的にしか認められていないのだ。何故だ!その元凶は農水省なのだ。

農地の売買自由化と、株式会社化の制限を完全に撤廃するよう、各種の提言が相次いているにもかかわらず、農水省はガンとして認めない。いろいろ理由を並べているが、彼らの本音は、農業の株式会社化を認めると、唯一の権限の源である農業に通産省の手が入り込み、農水省の基盤が侵食されるからだ。従って、農業の企業化には絶対反対を続けている。例え国が滅んでも、農地だけは農水省の管轄下に守り抜こうと死守し続けているのだ。それは丁度、ガン細胞が肉体が滅ぶまで体を侵食し続けて、最後にはガン細胞自身も滅んでしまうのと同じことだ。

国を救うべき立場の政治家小沢さんも、根本的な解決策は何も示さず、単に選挙目当てにバラマキ政策を宣伝しているのだ。全く何とも情けないありさまだ。

確かに企業化すれば農業は救われる保障があるかという反論はあるだろう。
しかし世界に比べて7倍高いという日本の米価、3倍高いという牛乳やチーズの市場は、企業化するには最高に儲かるマーケットだ。そして零細規模から大規模に拡大すれば原価も段々と引き下げられる。日本の平均的な農家の耕作面積の100倍という大規模な米国農家規模にまでは出来なくても、ヨーロッパ規模の10倍程度にはなんとかな拡大出来るだろうし、そこに企業経営を取り入れれば、生産コストは大きく引き下げられると思う。
若者だって好き好んで危険な都会に出ている訳ではない。静かな農村に住居を構えるのを好む人は老若男女を問わず大勢いるはずだ。私のその一人だ。そして消滅寸前の日本の農業を守ることができよう。あの美しい日本の農漁村を守ることが出来ると思うのだが。

私は、官庁との付き合いの経験は少ないが、それでも昔から農水省の官僚は、通産省など他の官庁に比較して、知能レベルが低いと思っていた。
典型的な例で示せば、最近の農水大臣の顔を見れば直ぐに納得できる。
遠藤武彦大臣→松岡利勝大臣→赤城徳彦大臣→若林正俊大臣というように、知的な顔をした大臣はひとりもいない。

補助金の不正受給で辞任した遠藤大臣、汚職で自殺した松岡大臣、バンソコウ大臣として有名になったインチキ事務所費の赤城さんなど、全て利権にまみれて育ったから、顔つきまで卑しい方々ばかりだ。全く不思議な現象だと思うが、長年その環境に浸ると顔形が変わってしまうらしい。日本の農政の将来を担当する農水省の若手役人達も全く似たりよったりだ。

しかし、農業担当の役人連中が低脳なのは、日本だけではないかも知れない。
近年になって食料危機が勃発し、米穀の値段が暴騰し始め、有力な資源として見直し始められた。この食料暴騰の主な原因は、中国インドなど30億近くに達するBRICsの人口爆発と、天候異変による旱魃、バイオアルコールとかいう美名に騙された穀物の大浪費などである。

我々東洋人のように穀物をそのまま主食として食べる場合に比較して、鶏は3倍の穀物を消費してやっと鶏肉となり、ブタ肉は7倍、牛肉に至っては10倍の穀物を消費してやっと得られるという。これもある程度は仕方ないだろうが、我々東洋人はその仏教思想とあいまって、本当に環境に優しい生き方をしているものだとつくづく思う。

食物危機はまだ始まったばかりで、これからどう推移するか見通しは難しいが
私の直感では、まず愚の骨頂のバイオエタノールは早急に中止すべきだ。
理由はバイオエタノールを製造するためには、発酵したエタノール水溶液から蒸留により水とアルコールを分離するために大量の石油燃料を必要としているからだ。全く何をやっているか分からないが、世界中の無能なジャーナリズムがバイオアルコールという美名を煽り立てた結果、ブラジルを始め、世界的に企業化し始めているという。その結果、穀類価格が高騰し、フィリピンでは米不足で暴動が起こり、アフリカでは多数の人が餓死し始めているという。

原因は石油の不足を補うため、食物の穀類からアルコールを生産するという全く反倫理的な行為を始めた訳だ。しかし、米国ではこの馬鹿げた工業化に気付き始め、バイオアルコール製造会社を閉鎖し始めているという。流石にアメリカは何事もやることが早いのには全く驚いてしまう。





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