2008年09月

2008年09月25日

080925, アメリカの大バブルの崩壊

サブローン問題に端を発したアメリカ証券業界の激震が世界を揺るがしている。 業界第5位のベアースターン社が最初に破産してJPモルガン銀行に買収され、続いて第4位のリーマンブラザーズは倒産し、野村証券がそのアジア部門(2億ドル)と, 欧州部門を(わずか2ドル)で買いとり、第3位のメリルリンチはBank of Americaに買収され、第2位のモルガンスタンレーは三菱UFGが20%出資して筆頭株主となり、トップのゴーデンサックス社は、以前から付き合いのある三井住友銀行も交渉中と聞く。

1990年の日本のバブル崩壊の時、これらの米国証券会社は高みの見物とばかりに、日本の証券業界の大混乱を冷ややかに眺め、彼らは各種デリバティブとかいう魔法のような金融工学を編み出して、米国証券業界が如何にも次元の高いサイエンスであるかのように振舞っていた。しかしやはり、所詮株式投資は、売手と買手の騙し合いのカモフラージュであったと露呈した。一攫千金を狙って証券市場にはせ参じたビジネススクール卒の若き俊英たちの野望は、一夜にして、つわものどもが夢の跡となってしまった。まだ激変中だが、この米国を中心とする大バブルの崩壊で世界の消費大国アメリカも大いに変わるのではないだろうか。
私のように株に無縁な者にとっては、株価が下がるのは、確かに株主には大変な痛みだろう。しかし、株は上がることがあれば必ず下がることもあり得る訳で、上がり放しということは絶対にあり得ない。長い目でみれば、誰か儲かれば必ず誰かは損をするゼロサムゲームと言える。従って、余程幸運に恵まれた者でない限り、殆どの株主は、喜びと同じく、泣く目に会ってもおかしくない。

私の友人にも証券マンが何人か居る、彼らの多くは善良な人柄であるが、その心境は悲惨だろうと推察する。即ち、1年で嬉しいときはほんの一瞬であり、あとの殆どの時間は苦しみの毎日だと言っているから。彼らは20年−30年とサラリーマン生活を送り、顧客に恨まれながら、退職してゆく。それで彼らの人生は満たさるのだろうか。

少なくとも、技術屋の私には何とも我慢できない人生である。研究者にしろ、現場技師にしろ、技術屋にはおのおの具体的な目標があり、如何にしてそれを実現するか苦労する訳だが、1年努力すれば1年の結果が残り、10年経てば何らかの10年の成果が残る。確かにその目標は燃費の改良とか、騒音の低減とか、新薬品の開発とかで、証券マンには、面倒で人生を賭けるに値しない些細なことかも知れないが、小さくともゼロであることは殆どない。 しかし証券マンには10年勤めて何が残るのだろうか? 多分ゼロなら幸せな方で、多くの方は後悔ばかりの人生ではないだろうか?

長い年月の間には、必ず株価が大暴落することもあるだろう。そして顧客の多くは夜逃げしたり自殺したりの、大惨劇になってしまう。町なかや橋の下にたむろするホームレスの中には、事業や株式で失敗したインテリが結構多いとも言われている。いくら、顧客の承諾もとに行った売買であっても、株価が下がれば恨み言を言われるだろう。 そのような出来事を繰り替えしながら30 ー40年の会社人生を過して証券マンは去ってゆく。仮に自分がやる気を出して独立した大規模な売買でも行なえば、長い年月の間には弁償しきれない大損失を出す危険性もあるだろう。

勿論、技術屋人生だって、殆ど成果を残せずに、苦しい生涯を終える人も沢山いる。しかし仮に失敗しても、自分が決めて行った結果だから諦めもつく。まして命を投げ出すほどの大失敗は殆どない。それに比べると証券業界はお互いの駆け引きの世界であり、自分の思惑とは無関係に推移する冷酷な世界である。そして誰かの幸福の裏には必ず別の人の悲嘆があるから、私にはなかなか耐えられそうにない世界に思える。

それにしても、20年近く前のバルブ崩壊では日本は1000兆円の価値を失ったともいわれたが、何をどう失ったのか、私にはあまり理解できない。確かに株価は暴落し、多数の人が夜逃げして自殺し、財産を失ったが、日本国自体は殆ど何も失ってはいないのではないかとも思う。  しかしひとつだけ大きく変わったことがある、それはあのバルブ崩壊の大ショックにより、騒々しくて軽薄な日本人が本当に少なくなったことだ。日本人の精神構造を根本的に叩き直した授業料が1000兆円であったということなら、喜ばしいことである。

市民大会の準備

mh3944 at 09:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2008年09月12日

080912, 小沢さんがもう少し利口だったら

福田首相が突然辞任を表明した。景気浮揚策や、給油法案の延長問題などを解決する目処がたたないという。民主党小沢党首は、政局一辺倒で、重要法案には全て反対で、福田さんはこれ以上首相を続ける自信を失ったという。

辞任を決めた大きな理由は、世論の内閣支持率が20%台に張り付き、どうしても上がらないことだろう。サミットも福田内閣支持率には関係なく、北京オリンピックでも支持率は高揚しなかった。この点は福田さんと仲が悪かった小泉元首相が、高い支持率をバックに長期政権を維持し続けたのとの大きな違いだ。今日にように毎週のように内閣支持率を調査されると、地味で誠実一辺倒の福田首相には耐えられなかったのだろう。

勿論福田さんの誠実さは大切なことで、知人や友人としては不可欠な条件だ。しかし政治の世界では違うようだ。誠実な福田さんでは面白味が無く、社会大衆からすぐに飽きてしまう。その点小泉さんは、いざという場面では大喧嘩をする気力があった。 同じく長続きした中曽根さんは不誠実であった。いわゆる風見鶏といわれご自分の信念はなく、周りの雰囲気に合わせて、自分の方針を平気でころころ変える人物として有名であった。いわゆる誠実さは大いに欠けていた。しかしその結果、5年近い長期政権を達成してしまった。

自分自身の問題として考えると、私は信念をもつ人間が好きだ。逆に信念の無い人間は大嫌いで、ダメ人間だと思っている。即ち私は福田さんに近い人種だろう。すると仮に政治家になったとしても、私はとても立身出世できないし、成功もできない人間だろう。やはり技術屋人生が適していたかも知れない。

福田首相は自分で衆議院の解散、総選挙に突入すると、自民党は歴史に残る不名誉な大敗を喫すると判断し、自分より支持率の高い麻生さんに交代して衆議院選挙に臨もうと判断したのだろう。

では野党民主党の小沢党首は如何だろうか? この人は暗くて大衆からは好かれるタイプではない。今朝(9/12)の読売新聞に出ていたが、次期首相にふさわしい人物として小沢さん28% に対し、麻生さんはダブルスコアーの59%だ。

阿部元首相が始めて議員になったときに、小沢さんは既に幹事長だったというから、もう議員歴20年以上の自民党の超大ベテランが、いまだに総理大臣にはならない。表舞台に出るのが不似合いなご自分を承知しているのだろう。しかし不人気な福田首相を相手に衆議院選挙で大勝しようと目論んでいたが、突然相手が国民に人気の高い麻生さんに代る成り行きになり、総選挙の風向きが変わって民主党も内心は大慌てだろう。小沢さんがもう少し利口で、攻め方を控え目にして、福田政権をあと半年長生きさせたあと総選挙に持ち込んだら、民主党の大勝利は確実であっただろうが、そこまで頭が回らなかったようだ。残念至極といったところか。

大体、一般庶民は年中不平不満を言っている人種だ。常に文句を言を続けている。しかし今回は突然の資源高騰で、食料品、ガソリンや鉄鉱石など、あらゆる原料資源の暴騰が社会全体を窮地に追い込み、企業や一般庶民は、突然襲って来た物価高騰に悲鳴を上げている。

更に輪をかけたのが、公明党の方針変換だ。前回の参議院選挙で大敗した公明党は、更に人気が無い福田首相と総選挙で心中すると党自身が崩壊に危機に陥る心配もある。従ってなんとか福田内閣との心中を避けようとした。これには福田さんも怒った、もう勝手にしろという気分にもなったことだろう。福田さんの致命傷は首相を引き受けたとき、大連合案しか持たなかったことだ。もしほかの選択肢も準備していたら、今回のような最悪の事態には陥らなかったと思う。

福田首相に比較すると、私の小さな人生経験は比べるべくもないが、やはり何事も計画通りに進むことは本当に少なかった。殆ど場合、計画は挫折してしまうことを悟った私は、常に複数の代替案を考えて、逃げ道を準備するようになった。

例えば、私が今の会社を設立したとき、当初は親会社の出資を期待した。しかしその案は拒否された。次に私は自分の親しい友人に声をかけて一部出資をしてもらった。しかし私はこの会社は倒産する危険性大と考えて、自分の個人財産を妻に生前譲与しておいた。更に私の会社は固定資産を持たないようにした。 

さらに在庫も持たなかった。いつでも清算できるように備えた。更に最初のターゲットの医療機器マーケットの開拓がなかなか進まないので、早い時期に見切りをつけて、一般産業機械へと転進した。そして今は、機械類なら何でもOKという体勢だ。 筋のよい打診が来るとそれに適応できる技術者を集める方法に転換している。

10年前は、まだ社会的に余裕があり、多くの機械メーカーはシルバー人材のサービス提供を嫌った。技術者の高年齢を説明をすると、殆どのメーカーは顔をしかめて退席した。ある外資系大手分析器メーカー(北品川)では、契約調印して技術者研修を始めた途中で、社内よりクレイムがつき、契約解消に至ったこともあった。これには私も怒ってペナルティーをとった。

しかし私は横浜の安住栄喜男さんという同年代のすばらしいシルバー技術者に恵まれた。ある半導体機器メーカーが安住さんのオールマイティーな能力にぞっこんほれ込み、大量の仕事を発注してくれた。もし安住さんが居なかったら、私の会社はもっと早い時期に消滅していたと思う。

さらに昔の話だが、私が外資系診断薬企業の社長を10年間勤めたときも、東大農学部院卒の若手研究者川村雅英君に大変助けられた、彼は画期的な新製品を開発した。米国の親会社がその名誉と特許権を横取りしようとして、私と大ケンカになったが、兎に角わが社は大いに潤った。世界中の関係会社に対しても、日本人の能力を見せ付けることにもなった。 会社の基礎は人材であることを如実に知らされた事件であった。

とにかく、人生は計画通りには殆ど進まず、大抵は悪いほうへずれてしまう。そのとき、代替案を準備して、第二、第三の対策を用意しておくことが重要だと思う。そして安住さんや川村君のような幸運に恵まれれば、それを推進力として、更に一層の大ジャンプを計ることだ。

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mh3944 at 15:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2008年09月10日

080910, 再び孫の運動会

今年も秋の運動会シーズンとなった。14才になる孫娘も中学生2年となり、もう見に行かないつもりであったが、紅白リレーの選手に選ばれたと聞いて、急に午後から出かけた。オリンピックのマラソン同様に、いやそれ以上に紅白リレーは運動会のフィナーレを飾るビッグイベントであり、昔から運動会の花形競技である。鈍足の私なんどはいつも離れて遠くから見るだけで、出場する選手が羨ましかったが、その出場選手に孫が選ばれと知って、当方も内心では快哉の気分であった。

行ってみると、確かに遠足気分の小学校運動会とは違って、父兄や家族は余り多く無く、孫たちも親よりもクラス仲間と一緒に昼食をとり、さすが親離れを感じ、まして祖父母離れは明らかでやや寂しさを感じた。

事前に聞いてはいたが、孫は今年も応援団の代表にもなったとかで、前に出て大きな旗を振り回している。時々座り込んで休むが、まだ女らしさは微塵にも無く、平気で大股を開けて座り込む無邪気な姿に、こちらも何だか心休まる心地であった。私と家内が行くことは既に知っているらしく、時々父兄席あたりを見回すが、両親と違って、こちらは敬老席に陣取っていたので、孫の目にはなかなか入らない。集団のダンス競技のとき、近くまで踊って来て、やっと当方に気付いた始末。

プログラムも進んで、いよいよフィナーレの紅白リレーとなり、選ばれた選手団が誇らしげに入場して来た。 後でわかったのだが一周200mのコースを、1,2年は半周(100m)走ってバトンを渡し、3年生は1周(200m)を走り抜けるのだそうだ。ピストルが鳴り、1年生から順番に、男女合計4名が走り始めた。練習は全くやっていないと聞いていたが、さすが見事なものでオリンピックとは違ってバドンタッチもスムーズだ。

2年生の孫は順番が来るとスタートラインに出て、もう前を見たり後ろを振り返ったり、心ここにない様子だが、私の時代にくらべると雲泥の差で落ち着いているように見えた。孫はバトンを受けて走り出した。抜群に早くはないがそれでもかなりのスピードで我々の前を走りぬけ、抜かれることもなく、向かい側で次の走者にバトンリレーしたので、私たちも安心した。

ところが次にハプニングが起こった。半周走ったトップランナーの2年生が、待っていた次の走者にバトンを渡さずに、そのまま自分で残り半周も走り続けたのだ。気分爽快だったのだろうが、周辺は呆気にとられたが、そのランナーは途中で気付き走るのを止めて立ち止まって、泣き出してしまった。その間に他のチームは全員が次々とゴールインし、孫のチームも2着で入った。もう騒然たるブーイングが巻き起こり、手が付けられないような騒ぎになってしまった。先生方も大騒ぎ。まだまだ先生方には危機管理のマニュアルができていないらしい。

先生たち5−6名が集まってしばらく協議していた。しかし中学生となるとあいまいな決着は許されないらしい。 結局20分休んで再度走り直すことなった。そして今度は孫のチームが優勝してしまった。

予定通りに進行するのも悪くはないが、突然のハプニングで熱狂の紅白リレーを2回も見ることになり、参加者一同には興奮と爆笑の連続であった。田舎の中学校の運動会も北京オリンピックに劣らない楽しい1日を与えてくれた


ゆりー2

mh3944 at 09:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感