2008年11月
2008年11月27日
011127, .ビッグ3首脳の惨めな姿
ビッグ3が米国政府に申し込んだ約2.5兆円の緊急融資がもめ続けている。融資を受けてビッグ3がどう再生できるかとの議員からの質問に、どこも計画書を準備していなかったのだ。ではこの融資を受ければ、ビッグ3は本当に立ち直れるのか?との質問に、誰も答えられなかったとのこと。では、経費節減策としてデトロイトからワシントンに乗りつけた個人用ジェット機を売却する用意はあるか?との質問にも、3人の会長は誰ひとり手を上げなかったとのこと。全く何たる醜態だろう。 ビッグ3と言えば、世界に冠たる米国の超大企業だ。しかもその会長3人が揃って政府に緊急融資を申請するとき、企業を再生出来ますと、誰も言明しなかったとは、全く驚きのひとことだ。
しかし、冷静に考えると、準備しなかったのではなく準備できなかったのだろう。3社合計で毎月2000億円の赤字を出し、年間2兆円以上の資金のたれ流しが続いており、仮に2.5兆円の融資を受けても、僅か1年の運転資金にしかならず、その期間で企業が立ち直る自信は全くないのだろう。 ビッグ3が再生困難となると金融機関は勿論、関係会社まで、資金や部品の供給をストップするのは目に見えている。あとは座して倒産を待つことになる。要はビッグ3は売れるクルマを製造する能力を既に失っていたのだ。
今後1−2年の間に、ビッグ3が燃費の良いクルマを開発できる筈がないのは明らかだ。日本の自動車会社が10数年かけてやっと開発したハイブリッド車、又は欧州の高性能ディーゼル車をビッグ3が短年月で開発できる訳がない。さらにトップから末端作業員まで会社全般に浸み込んだ非効率な意識が潜在し、一朝一夕にはとてもその旧弊から脱皮できないのだ。
ブランド品ショップには、厳しいコスト意識で行動するスーパーの真似は到底出来ないのだ。
環境開発車としてプラグイン(電気)自動車や燃料電池車もあるが、これもビッグ3には無理だ。プラグイン車は構造が簡単で世界中のベンチャー企業が開発競争を続けているが、問題はクルマではなく、如何に高性能で軽量な電池を開発できるかにかかっており、現在の走行距離100Km(片道50Km)程度では、広大な米国には全く能力不足なのだ。 では燃料電池車は?となるとこれも如何に水素を超高圧でコンパクトに貯蔵するか?であり、世界中の企業が長年に渡って開発競争を続けているが、まだ本命の貯蔵法が見つかっていないシロモノだ。
日本車が米国に上陸して既に30年が経過し、日本車のような燃費の良いコンパクトカー開発の必要性が繰り替えし叫ばれていたが、ビッグ3はガソリンをガブ飲みする大型車から抜け切れないまま、今日の危機を迎えてしまった。 今までの怠慢のツケが一気に吹き出て、世界中の経済を大混乱に落とし入れることになりそうだ。 多分ビッグ3は会社更生法の適用を受ける以外に道はないだろう。 しかしそこは200-300万人の失業者を生み出す結果となり、米国社会は勿論、世界中を大恐慌に落し入れることとなるだろう。
テレビや新聞に写る、ビッグ3の会長連中の情けなさそうな顔は、過去の新製品開発努力の怠慢のツケを如実に物語っている。来週火曜(12/2)にはビッグ3から再生計画書が出てくる筈だが果たしてどんな内容だろうか?
2008年11月21日
081121, 小沢さんもっと上を向いて!
テレビや新聞で度々報道されているように、次回の衆議院選挙は、民主党の大勝、自民党は敗れるのが確実だという。何度も繰り返し報道しているからほぼ間違いないのだろう。確かに発足間もない麻生内閣も少しずつ内閣支持率を落としている。
しかし不思議なことがある。政党支持率では、常に自民党が30 - 35%前後に対して、民主党は22- 25%と, 必ず自民党より低いことだ。もっと不思議なことは、首相としての人気は、麻生さんの40% - 45%に対して、小沢さんは常にその半分にも達しない20%前後なのだ。 即ち世論調査は、選挙では民主党は勝つが、政党としてはダメだと言っているのだ。どういう意味だろう?
確かに、小沢さんの仏頂面が誰からも好かれないのは直ぐに分かる。逆に失言を繰り返しても麻生さんの素直さのほうに余程好感をもてる。しかしこれで本当に民主党政権、小沢内閣になるのだろうか? 次の衆議院選挙で民主党が勝ったとき、小沢さんは本当に首相をやるのだろうか、そして、内閣支持率はどうなるのだろうか? まさかスタートから20%台という訳でもあるまい。多分ご祝儀相場である程度の支持率は得るだろうが、フリーハンドの今でも不人気の小沢さんは、内閣支持率を維持できる筈がないと思うのだが。
小沢さんは岩手県で代々政治家の出身、27才の若さで衆議院に当選、43才で自治大臣、47才で自民党の幹事長になり、後はいつでも首相になれる男といわれ続けて来た超エリートだ。性格的に大きな欠点はないが、可愛さは皆無で何となく暗く人望に欠け、どうしても一般受けしない。マスコミ出演を極力嫌う小沢さんは、やはり自意識過剰で本当に愛嬌がない。大物政治家として、そのことが気がかりなのか、最近は特に笑顔をつくるよう心がけているが、無理して笑う顔はいつもケイレンしているようだ。
実は、私の小学校の同級生にも同様な自意識過剰なエリート生徒がいた。小学生時代からいつもリーダーであった。大昔だが、筆記具は舶来で、ウイークリーとかいう学童向け週間新聞を持ち歩き、我々に読み聞かせた。中学校時代までは、いつもリーダーであったが、高校にはいると段々と影が薄くなり、大学を出て、中堅の造船会社に就職し、全く目立つことなく定年退職を迎えた。その後も彼は昔そのままの不自然なスタイルで、本当の親友も居らず、終に大人に脱皮できないまま還暦を迎えた。もう変わることはないまま死ぬのを待つだけだ。世間の誰も信じないのに、自分だけエリート意識過剰で、その自縛から抜けられない。
世界のリーダーたちが、国際的な金融危機を回避するため頭を痛めているのに、小沢さんは、マスコミを通しての国民へ話しかけも極力避け、国会論戦さえ放り出して、地方の農民相手に、財源の裏づけも無い空手形をばらまく行脚を続けている。そのことにより選挙で議員数を増やすことだけが唯一最大の目標で、それ以外は眼中にないのだ。 仮に小沢さんが次の衆議院選挙で負けるようなことがあれば、若手人材の多い民主党から放逐されるのが明らかなのを自覚しているのだろう。
経団連が9月17日に、自民党と民主党の選挙綱領の比較表を発表したが、自民党公約の10項目にA評価をつけているのに対して、民主党公約ではA評価は全くゼロであった。下手に反対すると、民主党が勝ったとき徹底的に仕返しされるので、財界首脳も慎重だが、こういう形で小沢さんに不信任を表明している。
これほどの世界的な経済恐慌の時、衰えたりとはいえ世界第二位の経済的実力をもつ日本の政治リーダーが大局的視野からの危機回避論議はそっちのけで、票稼ぎや子分増やしに、薄気味悪い笑顔を振りまきながら農村を走り回っている姿をみると、やはり日本の政治家は三流だなあーと悲しくなってしまう。仏国のサルコジ首相ほどの大立ち回りは出来なくとも、もう少し高レベルの視野で動いて頂けないものだろうか?こういう低次元の政治スタルでは、如何に衆議院選挙で大勝しても、世界の首脳たちは決して評価しないだろう。
2008年11月17日
081117, 日産ゴーン社長の何処が偉いの?
自動車会社の来年3月期の見通しが発表になった。世のなかは総じて不景気突入の真っ只中、株価暴落とともに自動車の売行きも急減し、世界の車メーカーは軒並み資金不足だが、日本のメーカーは減益ながら各社とも何とか頑張っている。しかし日産の凋落振りはやはりひどい。
世界No.1のトヨタは利益 売上げ共にダントツのトップ、2番がホンダ、3番が日産という順序だ。米国のビッグスリーの凋落はもっと激しく、生き残るのも困難な状況にある。浪費大好きなアメリカ人も今度のバブル崩壊で精神を叩きのめされ、節約志向に変身したので、ガソリンがぶ飲みのアメリカ車は、本当に売れなくなってしまった。売れる車が無くなったGMフォード両社の倒産は目前に近づいた。商品を失ったメーカーは倒産以外に道はないのは自明であり、1年前までは誰も考えなかった恐ろしい事態の到来だ。
昭和35年に私が大学を卒業したころ、国内では日産が最高の人気をもち、先進的な技術の会社というイメージで学生人気のトップを誇っていた。2番手のトヨタは何となく田舎臭く、ホンダはオートバイは定評があったが、四輪では軽自動車のN360がアメリカで横転する欠陥製品として訴訟問題を起こしている危なっかしい会社であった。
その後40年の月日が経過する間に、あの田舎会社のトヨタはGMも抜いて世界No.1の自動車会社となり、ホンダも先進的な技術志向の会社として世界中で認められているが、日産はルノーの傘下に入り利益はトヨタやホンダの1/3しか稼げない情けない会社になり下がってしまった。10年近く前、日産は収支が悪化して 2000年にルノーの傘下に入り、就任したゴーン社長は、その立直しを計り、奇跡的に日産の収支を黒字化した実力社長と囃したてられた。しかし実質は部品メーカーの数を半減して納入価格を徹底的に絞り、大幅なコストダウンを図ったものである。確かに部品メーカーとの腐れ縁を切ったことは大きく評価できようが、それ以外には何もやっていないではないか。
逆にゴーン社長は経営上の致命的な判断ミスを犯した。それは、トヨタ、ホンダ、日産の3社が技術開発に凌ぎをけずっていたハイブリッドエンジンを、将来性ナシと判断して、日産技術陣の猛反対を押し切り開発を中断したという判断ミスである。その結果トヨタとホンダはハイブリッド自動車の商品化に成功し、環境問題を解決する最有力な武器として益々業績を伸ばしているのに対して、日産は最有力な成長のつばさを剥ぎ取られて、2流企業に転落してしまった。
当時はアメリカのビッグスリーもハイブリッドは中途半端だと軽視し、大本命の水素自動車の開発に全力を投入したが、水素の貯蔵技術に行き詰まったまま、今日のバルブ崩壊に直面し、その結果、米国人の意識がコペルニクス的大転換をして小型車志向に変化してしまった。 もう米国車メーカーは売れる商品が無く、生き残るすべを失ったが、ゴーン社長も全く同様だ。従って稀代の名社長というのは、余りにも事実と異なる評価であろう。
正しく言えば、環境問題の時代推移を見誤り、米国流の短期的な経営思想をそのまま日本に持ち込んで、上市寸前のハイブリッド技術を放棄し、日産を2流自動車会社に凋落させた短期経営思想の迷社長と言うほうがよほど正確であろう。
私も米国の医療薬品企業の日本の社長として10年勤めた経験から言えば、米国の経営者は確かに市場動向を非常に重視し、日本のマーケッテング思考の無さを責められ続けた。しかしそのマーケッティング思考とは本当に時代の推移を眺望した中長期的な思想ではなく、毎日の株価の変動を重視する短期的な世評重視の考えに科学としての衣を着せたものであり、見かけは流麗だが、中長期的な企業経営には余り役に立たないテクニックであると思う次第。
別の例で言えば、米国ビジネススクールのMBA卒業生のトップクラスは殆どは、泥臭い製造メーカーを軽視し、一攫千金を狙える金融分野を目指して証券会社に殺到して、金融商品とかいうインチキ科学を捻り出し、巨万の富を得てわが世を謳歌していた。しかし今回のサブプライムローン問題の露呈で、株式が大暴落した結果、大多数のエリート卒業生は失業し、ダンボール箱をかかえて路頭に迷うという現実になってしまった。デリバティブ商品で、一時は世界中の金融マンを騙すことに成功したが、終に馬脚を現して、世界的な大恐慌へと陥ってしまった。
洞察眼に長けた経営者か、或いは単なる流行志向の経営者かは、短い年月では判断できず、20年30年かけてやっと真偽が証明されるもので、その評価は本当に難しいものだと思う。 またジャーナリズムも、その大きな影響力にも拘らず、全く短期的視野の机上空論で世間を混乱させる無責任な存在だと思う。

世界No.1のトヨタは利益 売上げ共にダントツのトップ、2番がホンダ、3番が日産という順序だ。米国のビッグスリーの凋落はもっと激しく、生き残るのも困難な状況にある。浪費大好きなアメリカ人も今度のバブル崩壊で精神を叩きのめされ、節約志向に変身したので、ガソリンがぶ飲みのアメリカ車は、本当に売れなくなってしまった。売れる車が無くなったGMフォード両社の倒産は目前に近づいた。商品を失ったメーカーは倒産以外に道はないのは自明であり、1年前までは誰も考えなかった恐ろしい事態の到来だ。
昭和35年に私が大学を卒業したころ、国内では日産が最高の人気をもち、先進的な技術の会社というイメージで学生人気のトップを誇っていた。2番手のトヨタは何となく田舎臭く、ホンダはオートバイは定評があったが、四輪では軽自動車のN360がアメリカで横転する欠陥製品として訴訟問題を起こしている危なっかしい会社であった。
その後40年の月日が経過する間に、あの田舎会社のトヨタはGMも抜いて世界No.1の自動車会社となり、ホンダも先進的な技術志向の会社として世界中で認められているが、日産はルノーの傘下に入り利益はトヨタやホンダの1/3しか稼げない情けない会社になり下がってしまった。10年近く前、日産は収支が悪化して 2000年にルノーの傘下に入り、就任したゴーン社長は、その立直しを計り、奇跡的に日産の収支を黒字化した実力社長と囃したてられた。しかし実質は部品メーカーの数を半減して納入価格を徹底的に絞り、大幅なコストダウンを図ったものである。確かに部品メーカーとの腐れ縁を切ったことは大きく評価できようが、それ以外には何もやっていないではないか。
逆にゴーン社長は経営上の致命的な判断ミスを犯した。それは、トヨタ、ホンダ、日産の3社が技術開発に凌ぎをけずっていたハイブリッドエンジンを、将来性ナシと判断して、日産技術陣の猛反対を押し切り開発を中断したという判断ミスである。その結果トヨタとホンダはハイブリッド自動車の商品化に成功し、環境問題を解決する最有力な武器として益々業績を伸ばしているのに対して、日産は最有力な成長のつばさを剥ぎ取られて、2流企業に転落してしまった。
当時はアメリカのビッグスリーもハイブリッドは中途半端だと軽視し、大本命の水素自動車の開発に全力を投入したが、水素の貯蔵技術に行き詰まったまま、今日のバルブ崩壊に直面し、その結果、米国人の意識がコペルニクス的大転換をして小型車志向に変化してしまった。 もう米国車メーカーは売れる商品が無く、生き残るすべを失ったが、ゴーン社長も全く同様だ。従って稀代の名社長というのは、余りにも事実と異なる評価であろう。
正しく言えば、環境問題の時代推移を見誤り、米国流の短期的な経営思想をそのまま日本に持ち込んで、上市寸前のハイブリッド技術を放棄し、日産を2流自動車会社に凋落させた短期経営思想の迷社長と言うほうがよほど正確であろう。
私も米国の医療薬品企業の日本の社長として10年勤めた経験から言えば、米国の経営者は確かに市場動向を非常に重視し、日本のマーケッテング思考の無さを責められ続けた。しかしそのマーケッティング思考とは本当に時代の推移を眺望した中長期的な思想ではなく、毎日の株価の変動を重視する短期的な世評重視の考えに科学としての衣を着せたものであり、見かけは流麗だが、中長期的な企業経営には余り役に立たないテクニックであると思う次第。
別の例で言えば、米国ビジネススクールのMBA卒業生のトップクラスは殆どは、泥臭い製造メーカーを軽視し、一攫千金を狙える金融分野を目指して証券会社に殺到して、金融商品とかいうインチキ科学を捻り出し、巨万の富を得てわが世を謳歌していた。しかし今回のサブプライムローン問題の露呈で、株式が大暴落した結果、大多数のエリート卒業生は失業し、ダンボール箱をかかえて路頭に迷うという現実になってしまった。デリバティブ商品で、一時は世界中の金融マンを騙すことに成功したが、終に馬脚を現して、世界的な大恐慌へと陥ってしまった。
洞察眼に長けた経営者か、或いは単なる流行志向の経営者かは、短い年月では判断できず、20年30年かけてやっと真偽が証明されるもので、その評価は本当に難しいものだと思う。 またジャーナリズムも、その大きな影響力にも拘らず、全く短期的視野の机上空論で世間を混乱させる無責任な存在だと思う。
2008年11月13日
081113. 母の想い出
誰でも、一番懐かしくまた恩義を感じるのは母親であろう。
私にも懐かしい母親がいた。ツタと言った。明治時代はトラとかヨネとかのカナ2文字の名前が普通であった、昭和には智恵子とか花子とかになり、更に平成では美香とか優奈とかで、女性に子と名前をつける例は殆ど無くなってしまった。
それは兎も角、私の母はハワイ生まれが小さな自慢であった。今は保養地だが昔は出稼ぎの島だったらしい。昨年ハワイに旅行したとき、サトウキビを運んだトロッコ線路とか、荒れ果てた精製工場の跡をみた。母も幼いときのことで詳しくは話さなかったが、両親がサトウキビ作業の出稼ぎに出掛けたハワイで母は生まれたのだろうと私は勝手に想像している。その後山口県に帰って成人し、徒歩で2時間の田舎村の城南に嫁いで来て私を含めて6人の子供をもうけた、私はその3男である。 母が嫁いだ当初は何回もほぼろを売った(実家に逃げ帰った)ようだと私の姉から聞いたことがあるが、ひとりで苦しかったのであろう。私の記憶に残る母方の祖母は、幼い私が犬柄の一張羅て平生に里帰りすると大喜びしてくれたことが、今でも記憶に残っている
私の父親は余り働き者ではなく、しかも超短気だったから、私達子供は怖くて一向に近寄らず、母親の味方だったから、なおさら、父は我々子供に厳しく当たった。いちどだけ父に連れられて津和野に出掛けたが何も楽しい思い出はない。厳し過ぎて子供たちと心を通わすことがなかった父親は、いつも反面教師として、私の人生観に大きな影響を与えている。我々兄弟姉妹が次つぎと生まれて母の応援団となり、母はやっと落ち着いた。貧しいなかにも母は身を挺して我々6人を守り庇い、育ててくれた。
私が小学校高学年のとき、父は結核にかかった。当時は肺病といい、今のように特効薬もなく、殆ど死に至る伝染病として非常に恐れられ、近所からも嫌われた。父は家族から隔離されて、別棟の2階で療養していたので、我々子供たちは怒られることが少なくなり、安心の日々であった。母は食事を運んだり、体を拭いてやったり、シモの世話をしたり、日に何回も離れの2階に上がったり降りたりしていたが、そのうち父は亡くなってしまった。母はやはり悲しんだが、我々子供たちは恐ろしい父親が居なくなって、正直なところ安堵した気持ちであった。
私の高校時代、兄は自営で工事会社を始めて家族を支えたが、ある日、工事中の建物から落下して瀕死の重傷を負う事故にあった。担架に横たわり血まみれになって搬送された兄を見て母は、兄(アニ)さん!私より先に死なないでおくれ!と狂乱して泣いたのを今でも鮮明に覚えている。
しかしその10年後に、今度は長姉と次妹が相次いで、どちらも脳溢血か脳梗塞で急死してしまった。自分の娘たちに先立たれた母親は本当に悲嘆にくれて嘆き悲しんだ。どちらも急死なので、彼女たちの死相はうつくしく、まるで昼寝でもしているように生き生きとしていた。一番の相談相手であった長姉が亡くなったとき、母は悲嘆のドン底にくれて、化粧した死顔を撫でて語りかけながら通夜を一睡もしないで過ごした。
次に健康にみえた妹も小野田の自宅で食事中に脳溢血で急死した、そして山口大学医学部(宇部)の医師団から腎臓と網膜の提供を求められた。まだ臓器移植法のない時代のことだ。医師団は大きな音の出る人工呼吸装置をつけて、我々家族の了解がとれるのを別室でじっと待ったが、母親は生きている娘を殺さないで!と怒り狂って2日の間、絶対に認めようとはしなかった。しかし我々兄弟はやはり冷淡なのか、生き返ることのない妹を待ち続けることはできず、激しく抵抗する母親を説き伏せて別室に連れ去り、医師団の要請を受け入れた。早速担当医師が入室して装置の電源を切ったが、心電図はなかなか止まらない。段々間隔が空いて一旦停止したかに見えても、嘆願するように再び鼓動し始め、なかなか完全には静止しなかった。やっと平坦に近づいた瞬間を見計らい、担当医師は時計をみながら我々家族に臨終を宣告した。その直後、数人の若手医師団が入室して、用意してあったらしい手動の呼吸器を急いで妹の口に装着し、手動で激しく人工呼吸を再開しながら、急いで別室に運んでいった。まるで何だか一連の儀式かセレモニーをみているようでもあった。しかし妹の網膜と腎臓とは多分どこかで働いていることだろう。
元気だったその母も段々と年をとり90才近くなると急に老衰し、今度は長兄が母の面倒を見始めた。長兄は本当に優しい親思いの性格で、仕事を辞めて、朝から夜まで母に付きっ切りで面倒をみ始めた。食事から入浴、更にはシモの世話まで、一手に引き受けて世話をしたので、母の晩年は本当に幸せだっただろうと思う。遠く東京に住む私が一番の親不孝者で、特に臨終の日は私は米国ロサンゼルスに出張中でもあった。
それから20年が経過し、今度はその長兄が脳梗塞に見舞われ、体が不自由になった。兄は自分が守ってきた田畑の世話が気掛かりなのだが、少しずつしかし確実に衰え始め、いまは同じく親思いの心優しい姪がその面倒を見ている。しかし少し離れて住む姪は大病からの病み上がりでもあり、大変な苦労と心痛だろうと思う。 ただ近年は介護の諸施設も出来ており、最近その世話になり始めたとも聞くが、もしこれら介護施設がなければ、昔と違って核家族の現代では、数少ない子供が親の面倒を見るのは大変な苦労となったことだろうと思う。
もちろん、私も含めて人は皆、いつかは命を終える宿命にあり、私も余り遠くない将来、介護施設か子供の世話になって人生を終えることだろう。しかしそのころには私は、もし運が良ければ曾孫にも恵まれているかも知れない。私はハワイ帰りの祖母から、いつか誕生するであろう曾孫まで6世代の長きに渡る家族の人々に付き合うことができる一生になるかも知れない。 いま不況の真っ只中で、日常生活ではいろいろ苦労の絶えない人生ではあるが、昔と違って戦争がない現代は親子6世代の家族とも巡り会うことができようとは、本当に幸せな時代になったものだと感謝する次第である。

私にも懐かしい母親がいた。ツタと言った。明治時代はトラとかヨネとかのカナ2文字の名前が普通であった、昭和には智恵子とか花子とかになり、更に平成では美香とか優奈とかで、女性に子と名前をつける例は殆ど無くなってしまった。
それは兎も角、私の母はハワイ生まれが小さな自慢であった。今は保養地だが昔は出稼ぎの島だったらしい。昨年ハワイに旅行したとき、サトウキビを運んだトロッコ線路とか、荒れ果てた精製工場の跡をみた。母も幼いときのことで詳しくは話さなかったが、両親がサトウキビ作業の出稼ぎに出掛けたハワイで母は生まれたのだろうと私は勝手に想像している。その後山口県に帰って成人し、徒歩で2時間の田舎村の城南に嫁いで来て私を含めて6人の子供をもうけた、私はその3男である。 母が嫁いだ当初は何回もほぼろを売った(実家に逃げ帰った)ようだと私の姉から聞いたことがあるが、ひとりで苦しかったのであろう。私の記憶に残る母方の祖母は、幼い私が犬柄の一張羅て平生に里帰りすると大喜びしてくれたことが、今でも記憶に残っている
私の父親は余り働き者ではなく、しかも超短気だったから、私達子供は怖くて一向に近寄らず、母親の味方だったから、なおさら、父は我々子供に厳しく当たった。いちどだけ父に連れられて津和野に出掛けたが何も楽しい思い出はない。厳し過ぎて子供たちと心を通わすことがなかった父親は、いつも反面教師として、私の人生観に大きな影響を与えている。我々兄弟姉妹が次つぎと生まれて母の応援団となり、母はやっと落ち着いた。貧しいなかにも母は身を挺して我々6人を守り庇い、育ててくれた。
私が小学校高学年のとき、父は結核にかかった。当時は肺病といい、今のように特効薬もなく、殆ど死に至る伝染病として非常に恐れられ、近所からも嫌われた。父は家族から隔離されて、別棟の2階で療養していたので、我々子供たちは怒られることが少なくなり、安心の日々であった。母は食事を運んだり、体を拭いてやったり、シモの世話をしたり、日に何回も離れの2階に上がったり降りたりしていたが、そのうち父は亡くなってしまった。母はやはり悲しんだが、我々子供たちは恐ろしい父親が居なくなって、正直なところ安堵した気持ちであった。
私の高校時代、兄は自営で工事会社を始めて家族を支えたが、ある日、工事中の建物から落下して瀕死の重傷を負う事故にあった。担架に横たわり血まみれになって搬送された兄を見て母は、兄(アニ)さん!私より先に死なないでおくれ!と狂乱して泣いたのを今でも鮮明に覚えている。
しかしその10年後に、今度は長姉と次妹が相次いで、どちらも脳溢血か脳梗塞で急死してしまった。自分の娘たちに先立たれた母親は本当に悲嘆にくれて嘆き悲しんだ。どちらも急死なので、彼女たちの死相はうつくしく、まるで昼寝でもしているように生き生きとしていた。一番の相談相手であった長姉が亡くなったとき、母は悲嘆のドン底にくれて、化粧した死顔を撫でて語りかけながら通夜を一睡もしないで過ごした。
次に健康にみえた妹も小野田の自宅で食事中に脳溢血で急死した、そして山口大学医学部(宇部)の医師団から腎臓と網膜の提供を求められた。まだ臓器移植法のない時代のことだ。医師団は大きな音の出る人工呼吸装置をつけて、我々家族の了解がとれるのを別室でじっと待ったが、母親は生きている娘を殺さないで!と怒り狂って2日の間、絶対に認めようとはしなかった。しかし我々兄弟はやはり冷淡なのか、生き返ることのない妹を待ち続けることはできず、激しく抵抗する母親を説き伏せて別室に連れ去り、医師団の要請を受け入れた。早速担当医師が入室して装置の電源を切ったが、心電図はなかなか止まらない。段々間隔が空いて一旦停止したかに見えても、嘆願するように再び鼓動し始め、なかなか完全には静止しなかった。やっと平坦に近づいた瞬間を見計らい、担当医師は時計をみながら我々家族に臨終を宣告した。その直後、数人の若手医師団が入室して、用意してあったらしい手動の呼吸器を急いで妹の口に装着し、手動で激しく人工呼吸を再開しながら、急いで別室に運んでいった。まるで何だか一連の儀式かセレモニーをみているようでもあった。しかし妹の網膜と腎臓とは多分どこかで働いていることだろう。
元気だったその母も段々と年をとり90才近くなると急に老衰し、今度は長兄が母の面倒を見始めた。長兄は本当に優しい親思いの性格で、仕事を辞めて、朝から夜まで母に付きっ切りで面倒をみ始めた。食事から入浴、更にはシモの世話まで、一手に引き受けて世話をしたので、母の晩年は本当に幸せだっただろうと思う。遠く東京に住む私が一番の親不孝者で、特に臨終の日は私は米国ロサンゼルスに出張中でもあった。
それから20年が経過し、今度はその長兄が脳梗塞に見舞われ、体が不自由になった。兄は自分が守ってきた田畑の世話が気掛かりなのだが、少しずつしかし確実に衰え始め、いまは同じく親思いの心優しい姪がその面倒を見ている。しかし少し離れて住む姪は大病からの病み上がりでもあり、大変な苦労と心痛だろうと思う。 ただ近年は介護の諸施設も出来ており、最近その世話になり始めたとも聞くが、もしこれら介護施設がなければ、昔と違って核家族の現代では、数少ない子供が親の面倒を見るのは大変な苦労となったことだろうと思う。
もちろん、私も含めて人は皆、いつかは命を終える宿命にあり、私も余り遠くない将来、介護施設か子供の世話になって人生を終えることだろう。しかしそのころには私は、もし運が良ければ曾孫にも恵まれているかも知れない。私はハワイ帰りの祖母から、いつか誕生するであろう曾孫まで6世代の長きに渡る家族の人々に付き合うことができる一生になるかも知れない。 いま不況の真っ只中で、日常生活ではいろいろ苦労の絶えない人生ではあるが、昔と違って戦争がない現代は親子6世代の家族とも巡り会うことができようとは、本当に幸せな時代になったものだと感謝する次第である。

2008年11月12日
081112, 不気味な不況の前兆
連日、新聞やテレビで、株式暴落、原油や資源の先物価格の下落、企業収支の悪化などを報じている。私の身辺も、仕事に関する問い合せが最近は減って来たようだ。特にメイルでの問い合せは恐ろしいように本当に少なくなった。何だか嵐の前の静けさのようだ。インチキな商売の電話は相変わらず頻繁にかかり、商品先物取引だとかコピー機の更新とかの売込みは多いが、商売に関するメイルや問い合せがめっきり少なくなり、何だか無気味な雰囲気だ。
GMやフォードは年間1兆円近い莫大な赤字を計上し始めた。1年前には30ドルであったGM株式が、11月11日現在では1/10の3ドルにまで暴落し、ドイツ銀行の見解では、新しい環境車の開発は短い期間では不可能で、仮に米国政府のどのようなテコ入れをしても立ち直りは出来ず、株価は0ドルに行きつくと報じている。米国では自動車産業は国家の屋台骨だが、その大黒柱が崩壊するという空前の事態に陥ろうとしている。そして新たに100万人の失業者を生み出す見込みだ。何とも恐ろしい世のなかになったものだ。
トヨタが来年3月期の営業利益計画1.6兆円を74%も下方修正して0.6兆円になりそうだと発表して、トヨタ株の売りが殺到した。あの世界のトヨタさえも収益予想を1/3以下へ減額修正したのだ。自動車業界は関連する産業のすそ野が広いから、産業全体では更に幅広い下方修正になるのだろう。それでも日本の自動車会社の年間営業利益の予想は、トヨタ6,000億円、ホンダ5,500億円、日産2,700億円、と全社が利益を出しているから、このご時勢で立派の一言だ。ヨーロッパの自動車会社も大幅減額だが、まだ何とか利益はだしている。米国の経営者が如何に怠慢であったかを如実に示している。
想像するに、多分大企業も中小企業も、経営者たちはこの夏以降の突然の経済情勢の激変に恐れおののき、どう対処すべきか、今後の行方を見守っているのだろう。正しくわが社もその典型的な中小企業のひとつであり、今秋から始まる予定であった新しい派遣先からも延期して欲しい旨の申し入れもある。
正規の社員を使うよりも、派遣社員を使うほうが、確実にコストダウンになるが、今はそんなことも言っている余裕は無く、兎に角、できるリストラから始めようというのであろう。企業の本心は正社員のリストラだが、これは簡単ではなく、余程の周到な準備がなければ実行出来ない。まずは簡単にカットできる派遣社員の契約解除から始めるのは仕方ないことだろう。
当社への問い合わせが少なくなった理由も、メンテや保全修理を担当する間接部門自体がリストラの対象になり始めているのかも知れない。従って明日をも知れない自分の不安定な立場で、将来のコスト削減のため、人材派遣を検討する気分にはなかなかなれないだろう。
私は朝早く出勤するが、朝の寒さをものともせずヒマを持て余した定年退職者たちが薄暗いなかを散歩している。薄暗い寒風のなかを早くから外出しなくても時間は十分あるだろうにと思うが、やはりじっとしては居られないのだろう。ご本人たちも新聞やテレビで経済情勢の激変を熟知しており、不安を感じながらも何の対応もできない自分の無力さを思いながらも、直接の影響は受けない安全圏にいる安心感もあるだろう。人間とは本当に勝手な生き物だから。
規模の大小に拘らず、会社を経営していると、常に何らかの問題に直面している。しかし世界最大の企業GMまで崩壊しそうだという得体の知れない大恐慌に見舞われると、もう小さな問題などは吹き飛んでしまう。この事態が落ち着くまでは多分何年か要するだろう。私も小さな事業主として、空理空論の評論家とは違う真剣勝負であり、これからの情勢の経緯を慎重に見定めつつも、少しでも機械メーカーのコストダウンや経営合理化に役立つ努力を続けようと思っている。

GMやフォードは年間1兆円近い莫大な赤字を計上し始めた。1年前には30ドルであったGM株式が、11月11日現在では1/10の3ドルにまで暴落し、ドイツ銀行の見解では、新しい環境車の開発は短い期間では不可能で、仮に米国政府のどのようなテコ入れをしても立ち直りは出来ず、株価は0ドルに行きつくと報じている。米国では自動車産業は国家の屋台骨だが、その大黒柱が崩壊するという空前の事態に陥ろうとしている。そして新たに100万人の失業者を生み出す見込みだ。何とも恐ろしい世のなかになったものだ。
トヨタが来年3月期の営業利益計画1.6兆円を74%も下方修正して0.6兆円になりそうだと発表して、トヨタ株の売りが殺到した。あの世界のトヨタさえも収益予想を1/3以下へ減額修正したのだ。自動車業界は関連する産業のすそ野が広いから、産業全体では更に幅広い下方修正になるのだろう。それでも日本の自動車会社の年間営業利益の予想は、トヨタ6,000億円、ホンダ5,500億円、日産2,700億円、と全社が利益を出しているから、このご時勢で立派の一言だ。ヨーロッパの自動車会社も大幅減額だが、まだ何とか利益はだしている。米国の経営者が如何に怠慢であったかを如実に示している。
想像するに、多分大企業も中小企業も、経営者たちはこの夏以降の突然の経済情勢の激変に恐れおののき、どう対処すべきか、今後の行方を見守っているのだろう。正しくわが社もその典型的な中小企業のひとつであり、今秋から始まる予定であった新しい派遣先からも延期して欲しい旨の申し入れもある。
正規の社員を使うよりも、派遣社員を使うほうが、確実にコストダウンになるが、今はそんなことも言っている余裕は無く、兎に角、できるリストラから始めようというのであろう。企業の本心は正社員のリストラだが、これは簡単ではなく、余程の周到な準備がなければ実行出来ない。まずは簡単にカットできる派遣社員の契約解除から始めるのは仕方ないことだろう。
当社への問い合わせが少なくなった理由も、メンテや保全修理を担当する間接部門自体がリストラの対象になり始めているのかも知れない。従って明日をも知れない自分の不安定な立場で、将来のコスト削減のため、人材派遣を検討する気分にはなかなかなれないだろう。
私は朝早く出勤するが、朝の寒さをものともせずヒマを持て余した定年退職者たちが薄暗いなかを散歩している。薄暗い寒風のなかを早くから外出しなくても時間は十分あるだろうにと思うが、やはりじっとしては居られないのだろう。ご本人たちも新聞やテレビで経済情勢の激変を熟知しており、不安を感じながらも何の対応もできない自分の無力さを思いながらも、直接の影響は受けない安全圏にいる安心感もあるだろう。人間とは本当に勝手な生き物だから。
規模の大小に拘らず、会社を経営していると、常に何らかの問題に直面している。しかし世界最大の企業GMまで崩壊しそうだという得体の知れない大恐慌に見舞われると、もう小さな問題などは吹き飛んでしまう。この事態が落ち着くまでは多分何年か要するだろう。私も小さな事業主として、空理空論の評論家とは違う真剣勝負であり、これからの情勢の経緯を慎重に見定めつつも、少しでも機械メーカーのコストダウンや経営合理化に役立つ努力を続けようと思っている。
2008年11月10日
081110. ジャイアンツが負けて良かった
日本シリーズは4勝3敗で西武ライオンズが勝った。 ライオンズの選手たちはテレビでみる機会がなく顔見知りが少なかったが、殆どが若手選手ばかりだったが良く働いた。涌井しかり、岸しかり、片岡しかり、栗山しかり、中島しかり、中村しかり,平尾しかり。彼らの素晴らしい働き振りには本当に驚いた。殆どが金髪で童顔だが、素晴らしく投げ、強力に打ち、そして一生懸命に走った。
それに比べると、ジャイアンツの選手は大人びた顔はしていたが、何とだらしかったことか。 李承華、阿部、上原投手、高橋尚、高橋由などなど、全員高給取りだが、実戦では殆ど役立たなかった。高橋由は顔すら出せなかった。李承華は6試合出場して19打席11三振だ。どうすればこんなに三振のヤマを積むことができるのかコツを教えて欲しいくらいだ。 好調不調の波はあるだろうが不調ばかりでは波とは言わない。打席に立ったときぐらいは小笠原のように真剣になって欲しい。無名のライオンズの6番平尾が一人で5打点稼ぐのに、有名な高給取りの李選手が毎打席三振ばかりで1点も取れないのは、余りにも異常すぎる。
阿部も怠惰でメタボなお腹をかかえて凡打と凡走ばかりを繰り返した。メジャー挑戦とか馬鹿げたことを言っている上原がもう限界なのは明白なのに、彼を再三起用するのは、ノスタルジィー以外の何物でもなく、原は監督としての勝負勘が欠如している。高橋尚は連続で四球を出しては長打を浴びる最低の投手だった。高橋由は今シーズン最初からケガだというが、秋冬の長いシーズンオフに遊んでばかりいるからこういう結果になってしまうのだ。
これら有名選手の年俸を合計すると20億円を軽く超えるだろうが、貢献度は殆どゼロだった。なんという壮大なムダ使いだろう!この5−6名の年俸なら、年俸が2桁低い数百万円レベルの若手選手20-30名以上を雇える金額だ。全くナンセンスなジャイアンツ指導陣であり、愚かなスカウト陣だ。
ジャイアンツで働いたのは、坂本選手、亀井選手、鈴木尚、東野、内海、山口、越智などの若手選手だけではないか、彼らの多くはサラリーマンレベルの報酬で、2桁違いの高給の古手選手に遠慮し虐げられながらも、試合では西武ライオンズと対等に大きな働きをしてくれた。鈴木尚は余り若くはないが、良く走りよく打ち、そしてよく守った。
もし間違って今回ジャイアンツが優勝でもしていたら、益々有名選手ばかりを札束でかき集めるスカウト政策を強化し続けただろう。もっとライオンズのように、苦労しながらも若手選手をあつめて地道に育成する努力をしなければならないのに。
今回の敗戦でジャイアンツがその経営方針を猛省し、地道な選手育成に努力して欲しいと願うばかりである。家内との付き合いで私も一応ジャイアンツのフアンだが、今回の高給選手たちのブザマさに、呆れた日本選手権シリーズであった。こんなことを続けていたら日本のプロ野球は観客から見放されて衰退してしまうだろう。他に真面目にやっているプロスポーツはいくらでもあるのだから。 本当にジャイアンツが負けて良かった。
それに比べると、ジャイアンツの選手は大人びた顔はしていたが、何とだらしかったことか。 李承華、阿部、上原投手、高橋尚、高橋由などなど、全員高給取りだが、実戦では殆ど役立たなかった。高橋由は顔すら出せなかった。李承華は6試合出場して19打席11三振だ。どうすればこんなに三振のヤマを積むことができるのかコツを教えて欲しいくらいだ。 好調不調の波はあるだろうが不調ばかりでは波とは言わない。打席に立ったときぐらいは小笠原のように真剣になって欲しい。無名のライオンズの6番平尾が一人で5打点稼ぐのに、有名な高給取りの李選手が毎打席三振ばかりで1点も取れないのは、余りにも異常すぎる。
阿部も怠惰でメタボなお腹をかかえて凡打と凡走ばかりを繰り返した。メジャー挑戦とか馬鹿げたことを言っている上原がもう限界なのは明白なのに、彼を再三起用するのは、ノスタルジィー以外の何物でもなく、原は監督としての勝負勘が欠如している。高橋尚は連続で四球を出しては長打を浴びる最低の投手だった。高橋由は今シーズン最初からケガだというが、秋冬の長いシーズンオフに遊んでばかりいるからこういう結果になってしまうのだ。
これら有名選手の年俸を合計すると20億円を軽く超えるだろうが、貢献度は殆どゼロだった。なんという壮大なムダ使いだろう!この5−6名の年俸なら、年俸が2桁低い数百万円レベルの若手選手20-30名以上を雇える金額だ。全くナンセンスなジャイアンツ指導陣であり、愚かなスカウト陣だ。
ジャイアンツで働いたのは、坂本選手、亀井選手、鈴木尚、東野、内海、山口、越智などの若手選手だけではないか、彼らの多くはサラリーマンレベルの報酬で、2桁違いの高給の古手選手に遠慮し虐げられながらも、試合では西武ライオンズと対等に大きな働きをしてくれた。鈴木尚は余り若くはないが、良く走りよく打ち、そしてよく守った。
もし間違って今回ジャイアンツが優勝でもしていたら、益々有名選手ばかりを札束でかき集めるスカウト政策を強化し続けただろう。もっとライオンズのように、苦労しながらも若手選手をあつめて地道に育成する努力をしなければならないのに。
今回の敗戦でジャイアンツがその経営方針を猛省し、地道な選手育成に努力して欲しいと願うばかりである。家内との付き合いで私も一応ジャイアンツのフアンだが、今回の高給選手たちのブザマさに、呆れた日本選手権シリーズであった。こんなことを続けていたら日本のプロ野球は観客から見放されて衰退してしまうだろう。他に真面目にやっているプロスポーツはいくらでもあるのだから。 本当にジャイアンツが負けて良かった。
2008年11月04日
081105, 幸せな人生とは
私は朝が早い。まだうす暗い5時半過ぎに家を出て6時前の電車に乗る。
早朝だと座れると思うのだが、JRはなかなか意地悪で、こんなに早くても電車に座れないことが多い。当初は15両電車だったが半年前から10両に短くなったのだ。更にそのうち2両をグリーン車に変えてしまったので、普通車は8両に半減したことになり、多くの人が立たされ始めた。何故早朝のこの電車だけを、わざわざ短くして混雑させるのか理由が分からない。多分JRはグリーン車に誘導するために普通車を半分に短縮して混雑させたのだろうが、全く嫌らしいやり方だ。この不況の時、たった30分の乗車時間に500円の追加料金を払うバカは居ないのでグリーン車はいつもガラガラで走っている。
先日、まだうす暗い朝を、駅へ向かって急いでいると上の方から何か落ちて来た。近づいてみると小鳥だ。仰向けになっているがヒヨらしい、まだピクピク動いてはいるが絶命寸前だ。何か毒を食べたのだろうか、まさか鳥インフルエンザではないだろうから、単に寿命なのだろうか。丁度我が家は、庭の柿木の実が熟す時期で、連日ヒヨの執拗な攻撃に受けている時なので、余り可哀想だとは思わなかったが、人とは違って鳥は思いっきりあっさり絶命するものだと感心した。小動物の亡骸は時々みるが、このように目の前で鳥が墜落するのに出くわしたのは初めてのことだ。
人間が亡くなるときは、本人も周囲も大騒ぎだが、鳥の死は至って簡単だ。仲間も全く心配しない。多分この鳥は何日か前から体調を崩し、仲間から外れて軒先に止まって食事もせず、段々衰弱して気を失って墜落したのだろう。多分その子供や孫鳥もいるのだろうが全く無関係だ。直ぐにネコか何かのエジキとなって、この世から完全に姿を消してしまうのだろうが、そのような生き方を数十万年に渡って繰り返えして来た全く自然な現象なのだろう。いや、元気なとき猛禽類に襲われて死ぬよりも、無事に生涯を全うできただけ、幸せな生き方だったかも知れない。
それに比べると人間の場合は大騒ぎだ。何年も前から、養護施設に入り、手厚い看護を受けながらも文句を言い続けて、終末期は病院のチューブに繋がれて栄養補給を受けながら、段々と衰弱して終焉へ向かう。鳥なら数日で済むものを人間は長い時間に渡って引きのばす。最初は肉親も悲しみ同情するが、余り長引くと周囲も苦痛に感じ始め、内心では早い結末を願うようにもなってしまう。
政府の偉い人たちは、尊厳死とか安楽死とか言って、当人の苦しみや家族の苦労とは無関係に、ぐたぐだ結論の出ない議論を繰り広げている。更に近年は臓器移植の問題も関係して、ますます議論が混迷しているが、鳥たちは全く無関係に、体が弱れば墜落して死んでしまうだけだ。
元気なときは、人も鳥も音高々と歌いさえずり恋もする。若くて美しい乙女は、周囲からちやほやされて有頂天になるが、青春時代はあっという間に過ぎ去る。そして中年になって肌のツヤがなくなると急に周囲がよそよそしくなってしまうのに気付くがもう遅い。そして更に高齢期を迎えると、周囲の誰からも相手にされない長い老醜の人生に向かって寂しく歩み始めるだけだ。そして最後はこの世を恨みながら死んでしまう。しかし鳥は全く周囲を恨むこともなく体が弱れば直ちにハイサヨナラだ。
人間には本当に幸せな人生というものがあるのだろうか? 多分そのような人生は存在しないのではないだろうか。
早朝だと座れると思うのだが、JRはなかなか意地悪で、こんなに早くても電車に座れないことが多い。当初は15両電車だったが半年前から10両に短くなったのだ。更にそのうち2両をグリーン車に変えてしまったので、普通車は8両に半減したことになり、多くの人が立たされ始めた。何故早朝のこの電車だけを、わざわざ短くして混雑させるのか理由が分からない。多分JRはグリーン車に誘導するために普通車を半分に短縮して混雑させたのだろうが、全く嫌らしいやり方だ。この不況の時、たった30分の乗車時間に500円の追加料金を払うバカは居ないのでグリーン車はいつもガラガラで走っている。
先日、まだうす暗い朝を、駅へ向かって急いでいると上の方から何か落ちて来た。近づいてみると小鳥だ。仰向けになっているがヒヨらしい、まだピクピク動いてはいるが絶命寸前だ。何か毒を食べたのだろうか、まさか鳥インフルエンザではないだろうから、単に寿命なのだろうか。丁度我が家は、庭の柿木の実が熟す時期で、連日ヒヨの執拗な攻撃に受けている時なので、余り可哀想だとは思わなかったが、人とは違って鳥は思いっきりあっさり絶命するものだと感心した。小動物の亡骸は時々みるが、このように目の前で鳥が墜落するのに出くわしたのは初めてのことだ。
人間が亡くなるときは、本人も周囲も大騒ぎだが、鳥の死は至って簡単だ。仲間も全く心配しない。多分この鳥は何日か前から体調を崩し、仲間から外れて軒先に止まって食事もせず、段々衰弱して気を失って墜落したのだろう。多分その子供や孫鳥もいるのだろうが全く無関係だ。直ぐにネコか何かのエジキとなって、この世から完全に姿を消してしまうのだろうが、そのような生き方を数十万年に渡って繰り返えして来た全く自然な現象なのだろう。いや、元気なとき猛禽類に襲われて死ぬよりも、無事に生涯を全うできただけ、幸せな生き方だったかも知れない。
それに比べると人間の場合は大騒ぎだ。何年も前から、養護施設に入り、手厚い看護を受けながらも文句を言い続けて、終末期は病院のチューブに繋がれて栄養補給を受けながら、段々と衰弱して終焉へ向かう。鳥なら数日で済むものを人間は長い時間に渡って引きのばす。最初は肉親も悲しみ同情するが、余り長引くと周囲も苦痛に感じ始め、内心では早い結末を願うようにもなってしまう。
政府の偉い人たちは、尊厳死とか安楽死とか言って、当人の苦しみや家族の苦労とは無関係に、ぐたぐだ結論の出ない議論を繰り広げている。更に近年は臓器移植の問題も関係して、ますます議論が混迷しているが、鳥たちは全く無関係に、体が弱れば墜落して死んでしまうだけだ。
元気なときは、人も鳥も音高々と歌いさえずり恋もする。若くて美しい乙女は、周囲からちやほやされて有頂天になるが、青春時代はあっという間に過ぎ去る。そして中年になって肌のツヤがなくなると急に周囲がよそよそしくなってしまうのに気付くがもう遅い。そして更に高齢期を迎えると、周囲の誰からも相手にされない長い老醜の人生に向かって寂しく歩み始めるだけだ。そして最後はこの世を恨みながら死んでしまう。しかし鳥は全く周囲を恨むこともなく体が弱れば直ちにハイサヨナラだ。
人間には本当に幸せな人生というものがあるのだろうか? 多分そのような人生は存在しないのではないだろうか。