2009年04月
2009年04月28日
090428, いい加減なシルバー人材センター
最近は各市町村のシルバー人材センターの説明会に仕事を求める中高年の参加者が非常に多くなっていると昨夜(4/27)のテレビが放送していた。不況で60才過ぎても働ことする人が多くなったのだそうだ。しかし殆どの人は説明会を聞いてから、諦めて帰って行くという。理由は永年かけて蓄積した自分の知識や経験は殆ど生かされないと分かるからだという。
センターの説明は、まず活動範囲はその市町村町内に限定、一回の仕事は精々3−4時間、時給は800-1000程度で、回数も週2回前後だという、従って収入も限られ多い人で月間4万円前後だそうだ。
特に居住する市町村内の仕事に限定するため結局、草とり、庭の手入れ、清掃作業、道路整備、交通整理など雑用ばかりで、高度な知識は全く無用な仕事ばかりなのだ。特にシルバー人材がもつ知識経験が特殊で貴重であればある程、ますますその活用は制限されてしまうことになる。
これが気に食わない方はハローワークへ行けと指示される。しかしハローワークは職にあぶれた若者達であふれており、60才を超えた中高年者の求職者は見向きもされず、結局シルバー人材の本格的な求職活動は、どこからも締め出されてしまう結果になっているという。
全くその通りだ。私も長年にわたって、シルバー人材センターのいい加減さには苦しめられてきたので、求職者の不満が痛いほどわかる。定年退職した中高年人材は、分野は限られても非常に高度な知識と経験をもっており、私はその方々の経験を活用して、機械装置や測定機器などの保守点検とか修理をやるべく計画し、八王子、浦和、千葉、柏、大阪、堺、名古屋、福岡、仙台など、全国各地のシルバー人材センターと交渉した。
しかしいずれのセンターも、人材は紹介するが、活動範囲はその市内から一歩も出ないで下さい、と厳命されてしまった。東西南北からなる名古屋シルバー人材センターに至っては、特殊な技術を必要とする業務の内容を説明しても、派遣できる人材の有無は事前には明かさず、具体的な日時と場所の発注があった時、その都度センターが人材を選んで派遣しますとまで通告されてしまった。これでは最初から、草取りなどの日常的な雑用だけしか受け付けませんと、言っているのと全く同じことで、最初からシルバー人材の貴重な経験を生かす気は毛頭ないお役所仕事の典型ではないか。
それではシルバー人材のユニークな知識経験は生かされないではないかと問い詰めたが、そういうルールになっており、ダメなら帰って下さい、とのこと、若者が持たない中高年人材の貴重なKnow-howを活かす術は完全に閉ざされてしまっているのだ。
しかし横浜シルバー人材センターは違った。彼らは私の主張に理解を示して、特に市外の活動を禁止する理由はないから結構です!と認めてくれた。本当に有難かった、その結果、電気機械の専門家、コンンピュターソフトMS-DOS専門家、化学分析機器の専門家、経理処理専門家など、多彩なシルバー人材を紹介して頂き、わが社も時給1500円以上を支払って、月収20万円以上のシルバー社員もいる。彼らは本気になってユーザーに出向いて担当業務や指導教育に励んでくれる。彼らは自分の年齢的ハンディーを知っているために、若者よりずっと真剣に働き、得意先から非常に高く評価されて10年以上同じ得意先で働き続けている70才近い人材もいる。
不況対策と称して、政府はいろいろな政策を打ち出しているが、一事が万事この調子で、いざ活用しようとすると極めて不都合な条件が裏に設定されていることが多い。役所がこのような使いにくいルールを定めているのは、シルバー人材を活用することには殆ど関心なく、むしろ如何にして隣の市町村のセンターの権利を侵害しないかに注意が注がれているためであり、中高年人材の便宜などは全く考慮されていないのである。民間の人材紹介会社では考えられない非効率でいい加減さである。
いつの時代になっても、現場知らずの偏狭な役人根性は本当に困ったものだと嘆かずにはいられない。
2009年04月24日
090424, 大学の同窓会
1年振りに大学の同期会に出た。会場が例年の都心から少し不便な場所になったので、参加者はやや少なかったが、いろいろな近況を聞けて面白かった。
まずショックだったのは一番のダンディーボーイA君が肺線維化症で昨年亡くなっていたことだ。何事にも歯切れ良く、テーマはやや古くさいがプラスティック射出成型理論について、外国でも講演し年期が入っていたが残念なことだ。
同じく、スタイリストで某大学教授をやっていたH君も久し振りに参加した。彼は大学の学長選挙に敗れて引退することにしたという。しかし昔からのスマートな面影はそのまま維持しており、これから残り人生をどうするか思案中だという。
H君と同じく福岡一の名門修ゆう館卒のI君は旭化成OBで毎年出席する。長身でダンディーな彼は実母の看護も終わって気楽になった様子だ。以前より社交ダンスをやっていると聞くが、彼なら多分女性が群がってくるだろうと思うとなんだか羨ましくなる。
同じく長身のN君は、数年前に大火災事故を起こしたブリジストン栃木工場の工場長も務めたが、今は両目が緑内障と分かり、手術する予定だという。治癒する見通しは半々で治らなければ失明らしい。何だかハンサムボーイが狙い撃ちされている感じだ。
比べると同じ福岡の名門修ゆう館卒で、同期会会長役を務めるT君は頭も禿げてかなり八方破れだ。父親が九大工学部の教授だったと聞くが、彼も頭が良く東レに入社し子会社の常務を務めたが、風才には全く拘らない世話好きだ。 来年は大学を卒業して50年になるから、今年秋に50周年記念パーティーを福岡でやりたいという。1年前倒しの理由は定かではないが、多くが元気なうちにやろうということだろうか。
代わってO君は相変わらず豪快そのもので、やや白髪混じりだが頭髪もまだまだ密で禿げる様子もなく、元気一杯にはしゃいでいた。どこか大手の石油会社勤務だったと記憶しているが、まだゴルフに凝っているらしい。
今回の同期会の幹事はK君で、昔父親が八幡製鉄の関連会社に勤務していた関係で、場所的にやや不便な新日本製鉄の研修センターでの開催となった、東関東の住人にはかなり不便な会場で、もっと都心で開いてほしいと言う人もいたが、年配になっても会場手配はやはりオヤジのつてを頼るのだろうか?
私が6年間に渡って会場を手配した日比谷の外国特派員協会クラブは厳格なクラブ制で、私の紹介者が今年定年退職になったので使えなくなった、しかし私が幹事ならもっと都心の一流の会場を選ぶと思うのだが、これも何事も独力でやって来た私の習性かも知れない。折角年に一度の同窓会だから、都心に素敵な場所を探してそのツテを探せば、どんな会場でも見つかるものなのだが。
K君は学生時代の成績優秀な同期生であり、私と違って超一流の旭ガラスに就職した。しかし体調を崩したらしくその子会社で定年を迎えた。どこでも超一流企業には成績優秀な学生ばかりで、更に運不運も重なり、簡単には栄達できない。しかし彼は今も昔通りの律儀さを保ち、静かに談笑していた。
参議院に立候補すると毎回大ホラを吹いて笑わせていたC君は今年は欠席した。立候補計画もある程度は本気であったと思うのだが、私も頂いた著作本が唯一の武器では、衆議院参議院の議員になるのはとうてい夢のまた夢だ。貰った本は面白味がなく殆ど読む気にもなれないまま、我孫子の図書館に寄贈した。しかし議員立候補は彼の長年の夢であり、日常生活を支え続けたのも事実だろう。
最近国会で議論になっている議員の世襲制限には私は大賛成だ。何しろ、最近の総理大臣をみても殆どが世襲議員ばかりだ。中曽根元首相、小泉元首相、福田元首相、安倍元首相、麻生首相、鳩山大臣、中川大臣。。。などなどと。立候補に一番必要なのは地盤と看板だが、二世議員は、相続税ゼロで親から譲渡されるので、これではマラソン競争に40キロ過ぎから参戦するのと同じこと全く不公平だと誰か言っていたが、私も同感だ。二世議員は品性はあるかも知れないが、根性不足で執念が足りず、すぐにへたってしまい易い。その点民主党はもっと拓けており、官僚から国会議員に転身する場合殆どが民主党から出ている現状だという。
私の会社でパソコン指導をして頂いてるT君も毎年参加する。彼は都心に住み、会場がどこでも30分程度で行けると聞くと、茨城県境にすむ私には羨ましい限りだ。近年は海外旅行にも度々行っているが、永年来の大目標であった日本百名山を全山踏破を達成して、今は充実感と放心感に浸っているらしく、これからどうしようかという時らしい。
もう一人私と気が合っていたM君は今年も欠席であった。体格のよい人でドスの効いた声の持ち主だが、数年前からパーキンソン病で体調を崩し殆ど歩けない状態だと聞く、誠に残念なことだ。
同じく私と仲が良かったU君は茅が崎の家を息子に譲り、自分は山口県の実家に引退しているが、今年は不参加だった。どことなく茫洋としてつかみ所のない人物だが素直な性格で何だか私と一致するところが多かった。
外見がなんとなく医者に似ているU君は、以前から産婦人科医とからかわれているが、今は社交ダンスを始めたという、社交ダンスは私が4年前に恥と苦労の連続でやっとマスターしたことを、一昨年の同窓会で話したが、彼も私の苦労話を聞いてから挑戦を始めたらしく、やっと何とか踊れるようになったので初めて披露したのではないかと思う。
私は何を話そうかと思案したが、やはり短くて同僚に興味あるのは私一人が現役の仕事だと思い、不況の様子を話した。私自身はどちらかと言えば不況の緊張感を楽しむ傾向もあるが、そうは言わず、ただ景気が悪いので、いつでも会社を閉められる準備をしていると話した。ヨットについても聞かれたが、これはダンスと違って色々な条件の制約があり、それらに恵まれないと、誰にでも簡単にできるスポーツではないと話した。
私は小中学校、高等学校、大学といろいろな同窓会に参加して感じるのは、各々特徴があり、小中学校が田舎の為かその同期会はやはり泥くさい。高校の同期会は今だに出世競争のシッポを引きずっておりいや味がある、やはり大学の同期会は一番スケールがあり、話す内容もバライエティーに富んで面白い。しかし70才を超えると、お互いの健康維持の話が中心となるのは致し方ないのかも知れない。
まずショックだったのは一番のダンディーボーイA君が肺線維化症で昨年亡くなっていたことだ。何事にも歯切れ良く、テーマはやや古くさいがプラスティック射出成型理論について、外国でも講演し年期が入っていたが残念なことだ。
同じく、スタイリストで某大学教授をやっていたH君も久し振りに参加した。彼は大学の学長選挙に敗れて引退することにしたという。しかし昔からのスマートな面影はそのまま維持しており、これから残り人生をどうするか思案中だという。
H君と同じく福岡一の名門修ゆう館卒のI君は旭化成OBで毎年出席する。長身でダンディーな彼は実母の看護も終わって気楽になった様子だ。以前より社交ダンスをやっていると聞くが、彼なら多分女性が群がってくるだろうと思うとなんだか羨ましくなる。
同じく長身のN君は、数年前に大火災事故を起こしたブリジストン栃木工場の工場長も務めたが、今は両目が緑内障と分かり、手術する予定だという。治癒する見通しは半々で治らなければ失明らしい。何だかハンサムボーイが狙い撃ちされている感じだ。
比べると同じ福岡の名門修ゆう館卒で、同期会会長役を務めるT君は頭も禿げてかなり八方破れだ。父親が九大工学部の教授だったと聞くが、彼も頭が良く東レに入社し子会社の常務を務めたが、風才には全く拘らない世話好きだ。 来年は大学を卒業して50年になるから、今年秋に50周年記念パーティーを福岡でやりたいという。1年前倒しの理由は定かではないが、多くが元気なうちにやろうということだろうか。
代わってO君は相変わらず豪快そのもので、やや白髪混じりだが頭髪もまだまだ密で禿げる様子もなく、元気一杯にはしゃいでいた。どこか大手の石油会社勤務だったと記憶しているが、まだゴルフに凝っているらしい。
今回の同期会の幹事はK君で、昔父親が八幡製鉄の関連会社に勤務していた関係で、場所的にやや不便な新日本製鉄の研修センターでの開催となった、東関東の住人にはかなり不便な会場で、もっと都心で開いてほしいと言う人もいたが、年配になっても会場手配はやはりオヤジのつてを頼るのだろうか?
私が6年間に渡って会場を手配した日比谷の外国特派員協会クラブは厳格なクラブ制で、私の紹介者が今年定年退職になったので使えなくなった、しかし私が幹事ならもっと都心の一流の会場を選ぶと思うのだが、これも何事も独力でやって来た私の習性かも知れない。折角年に一度の同窓会だから、都心に素敵な場所を探してそのツテを探せば、どんな会場でも見つかるものなのだが。
K君は学生時代の成績優秀な同期生であり、私と違って超一流の旭ガラスに就職した。しかし体調を崩したらしくその子会社で定年を迎えた。どこでも超一流企業には成績優秀な学生ばかりで、更に運不運も重なり、簡単には栄達できない。しかし彼は今も昔通りの律儀さを保ち、静かに談笑していた。
参議院に立候補すると毎回大ホラを吹いて笑わせていたC君は今年は欠席した。立候補計画もある程度は本気であったと思うのだが、私も頂いた著作本が唯一の武器では、衆議院参議院の議員になるのはとうてい夢のまた夢だ。貰った本は面白味がなく殆ど読む気にもなれないまま、我孫子の図書館に寄贈した。しかし議員立候補は彼の長年の夢であり、日常生活を支え続けたのも事実だろう。
最近国会で議論になっている議員の世襲制限には私は大賛成だ。何しろ、最近の総理大臣をみても殆どが世襲議員ばかりだ。中曽根元首相、小泉元首相、福田元首相、安倍元首相、麻生首相、鳩山大臣、中川大臣。。。などなどと。立候補に一番必要なのは地盤と看板だが、二世議員は、相続税ゼロで親から譲渡されるので、これではマラソン競争に40キロ過ぎから参戦するのと同じこと全く不公平だと誰か言っていたが、私も同感だ。二世議員は品性はあるかも知れないが、根性不足で執念が足りず、すぐにへたってしまい易い。その点民主党はもっと拓けており、官僚から国会議員に転身する場合殆どが民主党から出ている現状だという。
私の会社でパソコン指導をして頂いてるT君も毎年参加する。彼は都心に住み、会場がどこでも30分程度で行けると聞くと、茨城県境にすむ私には羨ましい限りだ。近年は海外旅行にも度々行っているが、永年来の大目標であった日本百名山を全山踏破を達成して、今は充実感と放心感に浸っているらしく、これからどうしようかという時らしい。
もう一人私と気が合っていたM君は今年も欠席であった。体格のよい人でドスの効いた声の持ち主だが、数年前からパーキンソン病で体調を崩し殆ど歩けない状態だと聞く、誠に残念なことだ。
同じく私と仲が良かったU君は茅が崎の家を息子に譲り、自分は山口県の実家に引退しているが、今年は不参加だった。どことなく茫洋としてつかみ所のない人物だが素直な性格で何だか私と一致するところが多かった。
外見がなんとなく医者に似ているU君は、以前から産婦人科医とからかわれているが、今は社交ダンスを始めたという、社交ダンスは私が4年前に恥と苦労の連続でやっとマスターしたことを、一昨年の同窓会で話したが、彼も私の苦労話を聞いてから挑戦を始めたらしく、やっと何とか踊れるようになったので初めて披露したのではないかと思う。
私は何を話そうかと思案したが、やはり短くて同僚に興味あるのは私一人が現役の仕事だと思い、不況の様子を話した。私自身はどちらかと言えば不況の緊張感を楽しむ傾向もあるが、そうは言わず、ただ景気が悪いので、いつでも会社を閉められる準備をしていると話した。ヨットについても聞かれたが、これはダンスと違って色々な条件の制約があり、それらに恵まれないと、誰にでも簡単にできるスポーツではないと話した。
私は小中学校、高等学校、大学といろいろな同窓会に参加して感じるのは、各々特徴があり、小中学校が田舎の為かその同期会はやはり泥くさい。高校の同期会は今だに出世競争のシッポを引きずっておりいや味がある、やはり大学の同期会は一番スケールがあり、話す内容もバライエティーに富んで面白い。しかし70才を超えると、お互いの健康維持の話が中心となるのは致し方ないのかも知れない。
2009年04月21日
090421, 究極のパワハラ対策
4/14の日経新聞に、企業研修講師の岡田康子女史が説くパワハラ対策5ケ条が次のように紹介されている。
1) 叱られ上手になること。
2) 従順で我慢ばかりしないこと
3) 上司の立場も考えてみること
4) 孤立せず集団で対応すること
5) 文句を言われない実力をつけること、と5項目だ。、
私の認識とは若干差異があり、若い時の私の経験と、社長として上司になった時の経験から、この5ケ条を検証してみた。 勿論私は営利を目的とする民間企業の経験しかなく、従って効率は2の次で、余り重要ではない官庁や公務員の諸兄には通用しないことを事前にご承知おき願いたい。
まず順序からいうと5)の実力をつけることが圧倒的に重要だ。これがすべてを円満に解決する万能薬である。上司が部下を怒るのは少なくとも初めの段階では、何か具体的な不満があるはずだ。人間関係がこじれてしまうと部下の顔をみるのも嫌になるが、少なくとも初期の段階では実力がなく成果のでない部下は嫌われても仕方がないだろう。私がD社の企画課長時代に早大理工学部卒という肩書に惑わされて、社内の研究部所長から推薦されて若手技術者を受け入れたが、完全に偽物であり、ダマされた苦い経験がある。当人は人柄は抜群だが、実力も覇気もない技術屋で組織から追い出された人物であった。やられたと思ったがもう後の祭り。パワハラだったろうが彼を他の組織に追い出すのに数年かかってしまった。何故このような人物が早大理工学部を無事に卒業できたのか今もって納得できないが、これで私は理系卒を採用するときは、有名ブランドであっても事前に徹底的に確認することが不可欠であると再認識した次第。
プロ野球でも同じである。巨人の阿倍慎之助や高橋由伸などは、誰でも知っている超有名選手で年間4億円とっているが、彼らより余程ハイレベルな実力をもつ1億円Playerが他のチームにはごろごろいる。4億円の実力のない選手が、偉そうにクリーンアップを占めるのが私には反吐がでるほど嫌いだ。5千万円の坂本のほうが余程役立っている。いずれのせよ、実力さえあれば、よほど上司に反抗的な態度でも示さない限り、パワハラ問題が生じることはまずないだろう。
逆に、覇気や力のない部下はどんなビジネス本を勉強しても時間とお金の浪費に終わるだろう。そして多分私も、目の前から消えろ!と言ってしまいそうだ。人間関係がこじれてくると、もう当人が存在すること自体が目障りになるのも事実だ。 民間企業では成果を出す実力社員が何よりも一番貴重なのだから。
次に重要なことは3)上司の立場も考えることだ。部課長は毎月の売上や利益計画の達成に追われており、もし未達なら必ず社長とか重役から絞られ、更に社長は株主から非難されるのだ。従って上司としては、盆暮れの贈り物よりも、仕事で成果を上げ、結果を出してくれる部下が何よりも有りがたい。 私が社員60名の外資系企業の社長のとき、着実に契約を獲得してくれる営業マンには本当に感謝してボーナスも弾んだ。
また米国親会社の会長は私の子会社が研究開発陣をもつことを極端に嫌った。子会社は親会社の製品を販売するだけで結構、研究開発は不要だと言い続けたが、それでも私はユニークな新製品を開発すべく研究組織を作った。そしてコピー製品しか作らない米国親会社といつも大論争になった。しかし部下の若い研究者が画期的な新製品を開発に成功して米国の技術陣は大変驚き、画期的な性能を認めて直ちに親会社もその技術を導入して製造を開始した。
問題は私が親会社の米国を含む世界中にこの特許を申請してしまったことだった。このことが米国会長を更に立腹させた、子会社に販売権のない米国に何故特許を出したのだと怒った。私は特許権と販売権は別物だと主張して大論争になったが、日本人の面目を世界に示し得たと今でも心が躍る思い出である。
その他の1)2)4)は余り重要なことではない。例えば1)の叱られ上手になること。これは本人の生まれつきの性格も関係して、誰にでも適用できる対策ではないだろう。内向的な私は気軽に変身するのが本当に苦手であった。例えば私が青雲の志を抱いて研究部門に入社した時、先輩同僚の何倍も働いて成果を出そうと思い、上司のK課長も私を高く評価して、暫くの間、K課長との関係はよかった。
しかし毎晩マージャンで交遊するK課長を横目に、私は神戸大学経済学部の夜学にも通い始めた、それを知った課長は技術屋に経済は不要だと大変立腹して、夜学をやめなければ転勤させると脅した。議論の余地のない命令に、私は結局従わざるをえず、大学に2年間の休学届を出した、しかし私の自尊心は大いに傷けられた。それを契機に、私とK課長との関係は変化し始めて悪化の坂を転げ落ち始めた。そして再び分かり合える時は遂に来なかった。
2)の従順で我慢ばかりせず、時には反論もして自分の立場を示せとのことも事実ではあろう。しかし口下手な私は雄弁な上司にはなかなか有効な反論ができず、内にため込んでしまう傾向が大きかった。それが昂じるとトラブルそのものより上司当人が憎らしくなり、それを敏感に感じる上司の攻撃はますます激しくなった、そして遂には私は殺意を抱くようにまでなった。しかし可能ならば、自分の立場や意見を正々堂々と反論して、攻撃しやすい人物だと思い込まれないよう注意することは有益であろう。
4)の集団で対応することもある程度は有効だ、1対1の論争なら立場上上司は簡単に部下を抑え込めるが、多数となると事件が大きくなるから上司は避けようとする。従って並みの上司はこのような集団対決には持ち込むことは避ける筈だ。上司が最も困るには、そのトラブルが自分の社長に聞こえることである。最近のことだが、私が某外資系得意先の課長の横暴に耐えかねて、損害賠償を請求すると通告した途端、先方の人事担当重役から呼び出されて謝意を表明され一挙に解決した。先方の日本人幹部は、トラブルが米国人社長の耳に入るのを避けたい一心であったのだ。
いずれにしても、実力とやる気のない人間は民間企業に安住する場所はない。それは職業選択が間違っているのです。適材適所という言葉もあります。早急に職をかえて地方公務員か自営などに仕事変えすることをお勧めします。下手な対策本を買って無駄な勉強をするより、このほうがパワハラ対策の究極の解決策なのだから。
1) 叱られ上手になること。
2) 従順で我慢ばかりしないこと
3) 上司の立場も考えてみること
4) 孤立せず集団で対応すること
5) 文句を言われない実力をつけること、と5項目だ。、
私の認識とは若干差異があり、若い時の私の経験と、社長として上司になった時の経験から、この5ケ条を検証してみた。 勿論私は営利を目的とする民間企業の経験しかなく、従って効率は2の次で、余り重要ではない官庁や公務員の諸兄には通用しないことを事前にご承知おき願いたい。
まず順序からいうと5)の実力をつけることが圧倒的に重要だ。これがすべてを円満に解決する万能薬である。上司が部下を怒るのは少なくとも初めの段階では、何か具体的な不満があるはずだ。人間関係がこじれてしまうと部下の顔をみるのも嫌になるが、少なくとも初期の段階では実力がなく成果のでない部下は嫌われても仕方がないだろう。私がD社の企画課長時代に早大理工学部卒という肩書に惑わされて、社内の研究部所長から推薦されて若手技術者を受け入れたが、完全に偽物であり、ダマされた苦い経験がある。当人は人柄は抜群だが、実力も覇気もない技術屋で組織から追い出された人物であった。やられたと思ったがもう後の祭り。パワハラだったろうが彼を他の組織に追い出すのに数年かかってしまった。何故このような人物が早大理工学部を無事に卒業できたのか今もって納得できないが、これで私は理系卒を採用するときは、有名ブランドであっても事前に徹底的に確認することが不可欠であると再認識した次第。
プロ野球でも同じである。巨人の阿倍慎之助や高橋由伸などは、誰でも知っている超有名選手で年間4億円とっているが、彼らより余程ハイレベルな実力をもつ1億円Playerが他のチームにはごろごろいる。4億円の実力のない選手が、偉そうにクリーンアップを占めるのが私には反吐がでるほど嫌いだ。5千万円の坂本のほうが余程役立っている。いずれのせよ、実力さえあれば、よほど上司に反抗的な態度でも示さない限り、パワハラ問題が生じることはまずないだろう。
逆に、覇気や力のない部下はどんなビジネス本を勉強しても時間とお金の浪費に終わるだろう。そして多分私も、目の前から消えろ!と言ってしまいそうだ。人間関係がこじれてくると、もう当人が存在すること自体が目障りになるのも事実だ。 民間企業では成果を出す実力社員が何よりも一番貴重なのだから。
次に重要なことは3)上司の立場も考えることだ。部課長は毎月の売上や利益計画の達成に追われており、もし未達なら必ず社長とか重役から絞られ、更に社長は株主から非難されるのだ。従って上司としては、盆暮れの贈り物よりも、仕事で成果を上げ、結果を出してくれる部下が何よりも有りがたい。 私が社員60名の外資系企業の社長のとき、着実に契約を獲得してくれる営業マンには本当に感謝してボーナスも弾んだ。
また米国親会社の会長は私の子会社が研究開発陣をもつことを極端に嫌った。子会社は親会社の製品を販売するだけで結構、研究開発は不要だと言い続けたが、それでも私はユニークな新製品を開発すべく研究組織を作った。そしてコピー製品しか作らない米国親会社といつも大論争になった。しかし部下の若い研究者が画期的な新製品を開発に成功して米国の技術陣は大変驚き、画期的な性能を認めて直ちに親会社もその技術を導入して製造を開始した。
問題は私が親会社の米国を含む世界中にこの特許を申請してしまったことだった。このことが米国会長を更に立腹させた、子会社に販売権のない米国に何故特許を出したのだと怒った。私は特許権と販売権は別物だと主張して大論争になったが、日本人の面目を世界に示し得たと今でも心が躍る思い出である。
その他の1)2)4)は余り重要なことではない。例えば1)の叱られ上手になること。これは本人の生まれつきの性格も関係して、誰にでも適用できる対策ではないだろう。内向的な私は気軽に変身するのが本当に苦手であった。例えば私が青雲の志を抱いて研究部門に入社した時、先輩同僚の何倍も働いて成果を出そうと思い、上司のK課長も私を高く評価して、暫くの間、K課長との関係はよかった。
しかし毎晩マージャンで交遊するK課長を横目に、私は神戸大学経済学部の夜学にも通い始めた、それを知った課長は技術屋に経済は不要だと大変立腹して、夜学をやめなければ転勤させると脅した。議論の余地のない命令に、私は結局従わざるをえず、大学に2年間の休学届を出した、しかし私の自尊心は大いに傷けられた。それを契機に、私とK課長との関係は変化し始めて悪化の坂を転げ落ち始めた。そして再び分かり合える時は遂に来なかった。
2)の従順で我慢ばかりせず、時には反論もして自分の立場を示せとのことも事実ではあろう。しかし口下手な私は雄弁な上司にはなかなか有効な反論ができず、内にため込んでしまう傾向が大きかった。それが昂じるとトラブルそのものより上司当人が憎らしくなり、それを敏感に感じる上司の攻撃はますます激しくなった、そして遂には私は殺意を抱くようにまでなった。しかし可能ならば、自分の立場や意見を正々堂々と反論して、攻撃しやすい人物だと思い込まれないよう注意することは有益であろう。
4)の集団で対応することもある程度は有効だ、1対1の論争なら立場上上司は簡単に部下を抑え込めるが、多数となると事件が大きくなるから上司は避けようとする。従って並みの上司はこのような集団対決には持ち込むことは避ける筈だ。上司が最も困るには、そのトラブルが自分の社長に聞こえることである。最近のことだが、私が某外資系得意先の課長の横暴に耐えかねて、損害賠償を請求すると通告した途端、先方の人事担当重役から呼び出されて謝意を表明され一挙に解決した。先方の日本人幹部は、トラブルが米国人社長の耳に入るのを避けたい一心であったのだ。
いずれにしても、実力とやる気のない人間は民間企業に安住する場所はない。それは職業選択が間違っているのです。適材適所という言葉もあります。早急に職をかえて地方公務員か自営などに仕事変えすることをお勧めします。下手な対策本を買って無駄な勉強をするより、このほうがパワハラ対策の究極の解決策なのだから。
2009年04月15日
090415, 私のふるさと面白話
私は山口県の城南村という小さな山村で育った。いわゆる長州のど真ん中だ。後ろには石城山という高さ250m程度の山があり、明治維新のとき、奇兵隊が立てこもったというところだが、子供心には巨大な山であった。前方には呉麓という山があり、その凹んだ場所の狭い道を通う大峰峠をこえると、その先には室積という漁村がある。山陽本線が当初計画された室積では、騒音で魚が逃げると反対運動が巻き起こり、結局路線は変更されて私の住む山村回りとなったが、逆に室積は寂れ果ててしまった。しかし大峰峠からみる室積は函館にも似た絶景で、今も夏の花火大会は素晴らしいという。
戦時中物資不足の時には、室積から袋詰めした煮干を担いで、裸オヤジが米との物々交換にケモノ道を超えてやって来た。煮干しは田舎の生活には貴重なタンパク源であり、また子供時代の我々にはポリポリかじる間食でもあった。
隣りには千坊山という山があり、その先には光工廠という軍事工場があった、戦時中その工廠を守るため、頂上には高射砲陣地が築かれていて立ち入り禁止であった。終戦の夏、川遊びをしていると、豊後水道を通ってやってきたB29群が光工廠を爆撃して、もくもくと黒煙が立ち上がった。この千坊山陣地から高射砲をパンパンと打つのだが、遥か上空を飛ぶB29には届かず、空中で破裂した高射砲弾の破片が近くの稲田にピシ!ピシ!と音を立てて落ちてきた怖い思い出もある。戦後あるとき千坊山に登ってみると、もぬけの殻の巨大な高射砲穴だけが2つほど残されていた。
北側の石城山の後ろは塩田という村があり、更にその奥には束荷(つかり)があった。束荷の住民の殆どが林姓を名乗る総林(そうばやし)だが、明治維新の元勲、伊藤博文の誕生の地であり、大正12年に皇太子(昭和天皇)を狙撃して失敗し、処刑された難波大助もこの地で生まれた。クルマのない時代の束荷は途方もなく山奥だと思っていたが、今はクルマで15分で行ける近さだという。
わが家の近くの田布施川は西から東へ流れているが、その上の島田川は逆方向に流れているのを知ったときは、大変驚いた幼い日の記憶がある。田布施川を少し下ると瀬戸という道路沿いの小さな家並がある。その周辺は西田布施だが、このあたりは佐藤元首相、岸元首相の出生の地でもあり、今でも佐藤家、岸家の大きな屋敷が残っている。
この川の左岸は、無我の踊りで有名な天照皇太神宮の本拠地がある。私の子供時代のある日、ある農家の普通の主婦北村サヨさんが、突然神様がお腹に降臨されたと言いふらし始めて放心状態になり、堕落したウジ虫民衆を救うと言って踊る宗教を創設したのだった。近隣の住民はバカにして見向きもしないが、遠くから熱心な信者の参拝が増え始め、遂に立派な神様にまでなられてしまった。世界の色々な大宗教も初めは似たような経過かもしれないと思うと、何だか不思議な気持ちだ。
この田布施川は大雨が降る毎に氾濫を繰り返したが、我々子供連中には楽しい水遊びの場所であった。しかし佐藤首相の時代に川幅を拡大する大改修が行われて、氾濫はなくなったが、同時に昔の水浴を楽しんだ面影も無くなってしまった。
更にこの川を下ると、右岸の麻郷村八海を経て周防灘に注いでいる。八海はその昔、有名な八海事件という老夫婦を殺人してお金を盗んだ強盗殺人事件の現場で、無期懲役に服した吉岡の単独犯行か、死刑判決を受け最後には無罪となった阿藤被告らを含む集団強殺事件かで、正木弁護士と担当の裁判長まで巻き込んで大論争を17年の長きに渡って繰り広げ、有罪から無罪へと判決が4回も変転した事件の現場である。
田布施川の左岸には田布施の古い街並みを経て、平生村へと続き、佐賀半島へと繋がって上の関に至る。上の関はその昔は下関、中の関(防府)と並んで、3大海上交易港であったと聞く。今ここは新しい原発の候補地として賛成派、反対派が20年近くの長い年月にわたり争っている、目の前の対岸に建設される原発を見ながら暮らす羽目になった離れ島の祝島漁民が猛反対を続けているが、CO2ガス廃絶問題が加勢して、どうやら原発推進派の優勢勝ちという雰囲気になっているという。
石城山の東側には行者山という高い山があり、その海側には当時の周防ではピカ一の歓楽街の柳井という人口3-4万人の町がある。私の家からこの柳井までは10Kmあるが、ボロ自転車で往復するには大変な距離であった。戦前は地域最大の歓楽街として映画館も10館あったが、時代の趨勢とともに没落傾向をたどり,近年は急行電車も殆ど停車しない静かな町になってしまった。
子供時代に育った私の山村の周辺はこのように小さな世界であったが、最近グーグル航空写真をみると、何とも狭隘な世界に閉じこもって育ったものだと感慨を新たにしている。クルマの発達は我々の地理感を劇的に変えてしまった。毎年子供時代の秋、片道1日かけて柿を食べに訪ねた叔母の住む高水村も、今ではクルマでたった30分の距離だとそうだから本当に隔世の感がある。
戦時中物資不足の時には、室積から袋詰めした煮干を担いで、裸オヤジが米との物々交換にケモノ道を超えてやって来た。煮干しは田舎の生活には貴重なタンパク源であり、また子供時代の我々にはポリポリかじる間食でもあった。
隣りには千坊山という山があり、その先には光工廠という軍事工場があった、戦時中その工廠を守るため、頂上には高射砲陣地が築かれていて立ち入り禁止であった。終戦の夏、川遊びをしていると、豊後水道を通ってやってきたB29群が光工廠を爆撃して、もくもくと黒煙が立ち上がった。この千坊山陣地から高射砲をパンパンと打つのだが、遥か上空を飛ぶB29には届かず、空中で破裂した高射砲弾の破片が近くの稲田にピシ!ピシ!と音を立てて落ちてきた怖い思い出もある。戦後あるとき千坊山に登ってみると、もぬけの殻の巨大な高射砲穴だけが2つほど残されていた。
北側の石城山の後ろは塩田という村があり、更にその奥には束荷(つかり)があった。束荷の住民の殆どが林姓を名乗る総林(そうばやし)だが、明治維新の元勲、伊藤博文の誕生の地であり、大正12年に皇太子(昭和天皇)を狙撃して失敗し、処刑された難波大助もこの地で生まれた。クルマのない時代の束荷は途方もなく山奥だと思っていたが、今はクルマで15分で行ける近さだという。
わが家の近くの田布施川は西から東へ流れているが、その上の島田川は逆方向に流れているのを知ったときは、大変驚いた幼い日の記憶がある。田布施川を少し下ると瀬戸という道路沿いの小さな家並がある。その周辺は西田布施だが、このあたりは佐藤元首相、岸元首相の出生の地でもあり、今でも佐藤家、岸家の大きな屋敷が残っている。
この川の左岸は、無我の踊りで有名な天照皇太神宮の本拠地がある。私の子供時代のある日、ある農家の普通の主婦北村サヨさんが、突然神様がお腹に降臨されたと言いふらし始めて放心状態になり、堕落したウジ虫民衆を救うと言って踊る宗教を創設したのだった。近隣の住民はバカにして見向きもしないが、遠くから熱心な信者の参拝が増え始め、遂に立派な神様にまでなられてしまった。世界の色々な大宗教も初めは似たような経過かもしれないと思うと、何だか不思議な気持ちだ。
この田布施川は大雨が降る毎に氾濫を繰り返したが、我々子供連中には楽しい水遊びの場所であった。しかし佐藤首相の時代に川幅を拡大する大改修が行われて、氾濫はなくなったが、同時に昔の水浴を楽しんだ面影も無くなってしまった。
更にこの川を下ると、右岸の麻郷村八海を経て周防灘に注いでいる。八海はその昔、有名な八海事件という老夫婦を殺人してお金を盗んだ強盗殺人事件の現場で、無期懲役に服した吉岡の単独犯行か、死刑判決を受け最後には無罪となった阿藤被告らを含む集団強殺事件かで、正木弁護士と担当の裁判長まで巻き込んで大論争を17年の長きに渡って繰り広げ、有罪から無罪へと判決が4回も変転した事件の現場である。
田布施川の左岸には田布施の古い街並みを経て、平生村へと続き、佐賀半島へと繋がって上の関に至る。上の関はその昔は下関、中の関(防府)と並んで、3大海上交易港であったと聞く。今ここは新しい原発の候補地として賛成派、反対派が20年近くの長い年月にわたり争っている、目の前の対岸に建設される原発を見ながら暮らす羽目になった離れ島の祝島漁民が猛反対を続けているが、CO2ガス廃絶問題が加勢して、どうやら原発推進派の優勢勝ちという雰囲気になっているという。
石城山の東側には行者山という高い山があり、その海側には当時の周防ではピカ一の歓楽街の柳井という人口3-4万人の町がある。私の家からこの柳井までは10Kmあるが、ボロ自転車で往復するには大変な距離であった。戦前は地域最大の歓楽街として映画館も10館あったが、時代の趨勢とともに没落傾向をたどり,近年は急行電車も殆ど停車しない静かな町になってしまった。
子供時代に育った私の山村の周辺はこのように小さな世界であったが、最近グーグル航空写真をみると、何とも狭隘な世界に閉じこもって育ったものだと感慨を新たにしている。クルマの発達は我々の地理感を劇的に変えてしまった。毎年子供時代の秋、片道1日かけて柿を食べに訪ねた叔母の住む高水村も、今ではクルマでたった30分の距離だとそうだから本当に隔世の感がある。
2009年04月10日
090410, WBC燃え尽き症候群
WBCが終わって再び国内のプロ野球が始まった。巨人-広島戦や巨人-横浜戦をみた。しかし昨年までの私の巨人熱はかなり心境変化し始めた感じだ。巨人ファンの私は巨人には勝ってほしいが、内川選手や村田選手がいる横浜が勝っても余り悪くはないと思い始めたのだ。息詰まるようなWBC熱戦を見てから、私はすっかり変わってしまった。
昨年までは、プロ野球はまず巨人戦だった。相手チームの選手が凡打すると喜んだ。パリーグの試合はなかなか見ないから、球団名は知っていても選手の名前なんて殆ど知らなかった。しかし今回WBCの熱戦をみてから、パリーグにも素晴らしい選手がいることを始めて知った。野村監督の楽天が仙台に移ったことは知っていたが、投手部門のあらゆる賞を総なめしたという岩隈選手のことは殆ど知らなかった。しかしWBCの東京ラウンド以来、ロスの決勝戦では、韓国の強力打線抑え込むには岩隈投手しか居ないと思うようにまで彼を知るようになっていた。そして彼は硬軟おりまぜて見事に韓国打線を抑え込んだ。
楽天田中投手のことは甲子園で早稲田の斉藤裕樹と投げあったときから知ってはいた。そして予想通りプロ野球に進み、楽天に入ったことは何となく知っていた、しかしあれほどガッツある選手に成長していたとは今回初めて見た。
札幌日本ハムのダルビッシュ投手のことはある程度知っていた。しかしあのファイトまる出しで投げる豪速球投手だとは知らなかった。ライオンズの若武者中島選手や片岡選手は、今までは全く知らなかった。日本ハムの稲葉やヤクルト青木選手なども殆ど見たことがなかった。ソフトバンクの川崎選手の器用さも、巨人坂本選手以上だと今回初めて分った。
聞くところによるとWBCに選手を送らなかったのは中日ドラゴンスだけだそうだ。また広島の金本選手が何故WBCに出なかったか理由は知らない。しかしもし彼らが辞退したのであれば、今回の日本人の血を沸かしてくれた我がチームの活躍をみると、たぶん内心では後悔しているのではないだろうか。
不振続きのイチロー選手は確かに苦しかっただろう。初戦韓国のコールド勝ちして以後、チャンスには凡打をくりかえした、もしイチローがもっと打っていたら楽勝できた試合は多かったと思う。城島も頑張った。巨人の阿倍選手なんて殆ど出番がなくて当然だった。野村監督が先輩面をして城島にケチをつけていたが、城島の大活躍の前には殆ど無視されてしまった。
張本が言うように、辞退したヤンキースの松井選手もお呼びではなかった。これほどの国内に有力選手がいる日本チームには、仮に松井がメジャー面で参加しても活躍の場は少なかっただろう。
巨人原辰徳監督もご苦労様でした。スポーツ界では特に先輩後輩の序列に厳しいが、全員をまとめてよく頑張ったと思う。 原監督自身は選手たちの活躍で優勝できたと言っており多分事実かも知れない、しかし同じように日本の全球団から選抜して臨んだ北京オリンピックの無残な敗北は何だったのだろう。結果が全てのスポーツでは、星野仙一監督の采配に問題があたったと言わざるを得ない、若輩でも原監督の采配は抜群であったと誰もに認めさせたと思う。
世界で最強の4チームと言われた日本とアメリカ、韓国、キューバのなかで、日本は全てのチームに真っ向から勝負を挑んで勝利した。あの伝統を誇るアメリカにも勝った、個人的には素晴らしい力量の選手を揃えているキューバにも力づく連勝した。今回のWBCは日本に勝つことだと公言していた韓国にもコールドゲームも含めて勝利した。野球気狂いのキューバのカストロ元首相やベネズエラのチャベス大統領も、日本チームの洗練された強さは世界一で感服したと頭をさげている始末。
私のジャイアンツ熱はもう殆ど冷めそうになってきた。どこのプロ野球チームかは、私には大きな意味はなくなった感じなのだ。私のジャイアンツ熱は、冷めかけた恋愛感情と同じで、自然な気持ちの変化はなかなか止めようがない。今年のプロ野球は、時間潰しの気分で楽に見ることができ、どこのチームが優勝しても構わない、嬉しいような、寂しいような気分になってしまった。
昨年までは、プロ野球はまず巨人戦だった。相手チームの選手が凡打すると喜んだ。パリーグの試合はなかなか見ないから、球団名は知っていても選手の名前なんて殆ど知らなかった。しかし今回WBCの熱戦をみてから、パリーグにも素晴らしい選手がいることを始めて知った。野村監督の楽天が仙台に移ったことは知っていたが、投手部門のあらゆる賞を総なめしたという岩隈選手のことは殆ど知らなかった。しかしWBCの東京ラウンド以来、ロスの決勝戦では、韓国の強力打線抑え込むには岩隈投手しか居ないと思うようにまで彼を知るようになっていた。そして彼は硬軟おりまぜて見事に韓国打線を抑え込んだ。
楽天田中投手のことは甲子園で早稲田の斉藤裕樹と投げあったときから知ってはいた。そして予想通りプロ野球に進み、楽天に入ったことは何となく知っていた、しかしあれほどガッツある選手に成長していたとは今回初めて見た。
札幌日本ハムのダルビッシュ投手のことはある程度知っていた。しかしあのファイトまる出しで投げる豪速球投手だとは知らなかった。ライオンズの若武者中島選手や片岡選手は、今までは全く知らなかった。日本ハムの稲葉やヤクルト青木選手なども殆ど見たことがなかった。ソフトバンクの川崎選手の器用さも、巨人坂本選手以上だと今回初めて分った。
聞くところによるとWBCに選手を送らなかったのは中日ドラゴンスだけだそうだ。また広島の金本選手が何故WBCに出なかったか理由は知らない。しかしもし彼らが辞退したのであれば、今回の日本人の血を沸かしてくれた我がチームの活躍をみると、たぶん内心では後悔しているのではないだろうか。
不振続きのイチロー選手は確かに苦しかっただろう。初戦韓国のコールド勝ちして以後、チャンスには凡打をくりかえした、もしイチローがもっと打っていたら楽勝できた試合は多かったと思う。城島も頑張った。巨人の阿倍選手なんて殆ど出番がなくて当然だった。野村監督が先輩面をして城島にケチをつけていたが、城島の大活躍の前には殆ど無視されてしまった。
張本が言うように、辞退したヤンキースの松井選手もお呼びではなかった。これほどの国内に有力選手がいる日本チームには、仮に松井がメジャー面で参加しても活躍の場は少なかっただろう。
巨人原辰徳監督もご苦労様でした。スポーツ界では特に先輩後輩の序列に厳しいが、全員をまとめてよく頑張ったと思う。 原監督自身は選手たちの活躍で優勝できたと言っており多分事実かも知れない、しかし同じように日本の全球団から選抜して臨んだ北京オリンピックの無残な敗北は何だったのだろう。結果が全てのスポーツでは、星野仙一監督の采配に問題があたったと言わざるを得ない、若輩でも原監督の采配は抜群であったと誰もに認めさせたと思う。
世界で最強の4チームと言われた日本とアメリカ、韓国、キューバのなかで、日本は全てのチームに真っ向から勝負を挑んで勝利した。あの伝統を誇るアメリカにも勝った、個人的には素晴らしい力量の選手を揃えているキューバにも力づく連勝した。今回のWBCは日本に勝つことだと公言していた韓国にもコールドゲームも含めて勝利した。野球気狂いのキューバのカストロ元首相やベネズエラのチャベス大統領も、日本チームの洗練された強さは世界一で感服したと頭をさげている始末。
私のジャイアンツ熱はもう殆ど冷めそうになってきた。どこのプロ野球チームかは、私には大きな意味はなくなった感じなのだ。私のジャイアンツ熱は、冷めかけた恋愛感情と同じで、自然な気持ちの変化はなかなか止めようがない。今年のプロ野球は、時間潰しの気分で楽に見ることができ、どこのチームが優勝しても構わない、嬉しいような、寂しいような気分になってしまった。
2009年04月08日
090408, がん患者の心理状態
久し振りにラジオ深夜便を聞いた。奇数週の火曜は素敵な遠藤ふき子アンカーの担当なので、朝早く目覚ましをかけておいた。 朝4時からの番組、こころの時代で、花へんろ、夢千代日記などで有名な脚本家 早坂暁氏の講話があったが、なかなか深淵な話で、眠り半分で聞いていた私には本論のストリーの紹介は難しい。しかしその中で米国の医師エリザベス・キューブラ・ロス女史が発表したという、末期がん患者の、病状進行とその心境の変化は、なかなか面白く、眠いなかでも記憶に残っているので紹介したい。
彼女が永年の臨床経験から得た結論によると、末期がん患者が病状の推移と共に心境が変化するが、その内容は次のような凡そ5段階の過程を経るのだという。
1)まず初めに、がんと告知された時には、若い患者は必ず拒否反応を起こすという。自分ががんであることをなかなか納得できず、いろいろ他の医師の意見も聞くという。
2)次に自分の重病が事実だと分かると、今度は怒り出すのだという。何も悪いことをしていない自分が、何故重篤ながんに罹ってしまったのか、どうして神様はこのようなひどい仕打ちを私になさるか?と怒るのだという。そしてその怒りは医師や家族、更には友人にまで向けられるようになる。
3)その次は、神様と取り引きを試みる、即ち私は心を入れ替えて全身全霊をかけて奉仕しますので、神様仏様、どうか今回だけは私を助けて下さい。この病気を治して頂ければもう私は何も求めません、何も要りません、と神様に祈るそうだ。
4)それでも段々と病状が進むと、今度は抑うつの状態になり、何をしても無駄だと諦めるようになるという。
5)そして最後は受容の心境になり、少しずつ死生観をもつようになり、自分は幸福な人生であったと回想するのだという、
以上が彼女の結論だが、この末期がん患者の5段階の心境変化はなかなか面白い。私も自分の経験からも納得できる部分があり、例えば25年前にある重篤な病気で慶応病院に入院して手術を受ける時の心境もそうだった。手術を待つ期間、朝早く目覚めて窓から出勤を急ぐ会社員を見ながら、なぜ彼や彼女等はあんなに元気なのに、私だけがこのような病気になったのか、と繰り返し不満に思い、窓超しに外を眺めて嘆いていた。
更に神様との取り引きについても納得できる。不信心な私は、神様仏様に誓ったことが何回もある。他には何も要りません、何も求めませんので、今回だけは助けて下さい、とお願いしたことは、正直なところ一度だけではない。 しかし治った途端にお願いしたことを忘れてしまう。全く罪深い私であるとつくづく反省している次第。
別の例では、私の親友の有るハンサムボーイT君が、末期の肺がんと判明して入院したときのこと、私は彼を見舞に行ったが、珍しく彼は不機嫌で、迷惑だから帰ってくれと言われて呆然とした記憶がある、彼が重病になり、その怒りを、健康な私に向けてきたのだったのかと今になって納得する始末。
自分が入院したとき、手術が成功して翌朝に医師から、もう10日間も経つとほぼ退院できるでしょうと、知らされた途端に安心してしまった。そして同時に私の精神的な成長も止まってしまった。 従って私は仙人のような悟りの心境に達する前に退院したのでが、精神面では昔のままの凡人で、ついに高邁な精神の持ち主にはなれず、70才の大台に到達した今日でも全く凡人のままである。
既に、神サマ仏サマ、今回だけは助けて下さい、他には何も求めませんので、と何回もお願いしては忘れる繰り返しなので、神様は本当に怒っておられるのかも知れないと、罪深い人生を深く反省している次第。
彼女が永年の臨床経験から得た結論によると、末期がん患者が病状の推移と共に心境が変化するが、その内容は次のような凡そ5段階の過程を経るのだという。
1)まず初めに、がんと告知された時には、若い患者は必ず拒否反応を起こすという。自分ががんであることをなかなか納得できず、いろいろ他の医師の意見も聞くという。
2)次に自分の重病が事実だと分かると、今度は怒り出すのだという。何も悪いことをしていない自分が、何故重篤ながんに罹ってしまったのか、どうして神様はこのようなひどい仕打ちを私になさるか?と怒るのだという。そしてその怒りは医師や家族、更には友人にまで向けられるようになる。
3)その次は、神様と取り引きを試みる、即ち私は心を入れ替えて全身全霊をかけて奉仕しますので、神様仏様、どうか今回だけは私を助けて下さい。この病気を治して頂ければもう私は何も求めません、何も要りません、と神様に祈るそうだ。
4)それでも段々と病状が進むと、今度は抑うつの状態になり、何をしても無駄だと諦めるようになるという。
5)そして最後は受容の心境になり、少しずつ死生観をもつようになり、自分は幸福な人生であったと回想するのだという、
以上が彼女の結論だが、この末期がん患者の5段階の心境変化はなかなか面白い。私も自分の経験からも納得できる部分があり、例えば25年前にある重篤な病気で慶応病院に入院して手術を受ける時の心境もそうだった。手術を待つ期間、朝早く目覚めて窓から出勤を急ぐ会社員を見ながら、なぜ彼や彼女等はあんなに元気なのに、私だけがこのような病気になったのか、と繰り返し不満に思い、窓超しに外を眺めて嘆いていた。
更に神様との取り引きについても納得できる。不信心な私は、神様仏様に誓ったことが何回もある。他には何も要りません、何も求めませんので、今回だけは助けて下さい、とお願いしたことは、正直なところ一度だけではない。 しかし治った途端にお願いしたことを忘れてしまう。全く罪深い私であるとつくづく反省している次第。
別の例では、私の親友の有るハンサムボーイT君が、末期の肺がんと判明して入院したときのこと、私は彼を見舞に行ったが、珍しく彼は不機嫌で、迷惑だから帰ってくれと言われて呆然とした記憶がある、彼が重病になり、その怒りを、健康な私に向けてきたのだったのかと今になって納得する始末。
自分が入院したとき、手術が成功して翌朝に医師から、もう10日間も経つとほぼ退院できるでしょうと、知らされた途端に安心してしまった。そして同時に私の精神的な成長も止まってしまった。 従って私は仙人のような悟りの心境に達する前に退院したのでが、精神面では昔のままの凡人で、ついに高邁な精神の持ち主にはなれず、70才の大台に到達した今日でも全く凡人のままである。
既に、神サマ仏サマ、今回だけは助けて下さい、他には何も求めませんので、と何回もお願いしては忘れる繰り返しなので、神様は本当に怒っておられるのかも知れないと、罪深い人生を深く反省している次第。
2009年04月06日
090406, 自動車業界の将来
アメリカGMのワゴナー会長が解任された。10年前に就任した会長は、GMの大型車比率を49%から60%台に上げてみせると内外に豪語したそうだから、社会のニーズとは真反対の方向を向いていた訳だ。車の燃費向上と小型車開発よりも 利益率の高い大型車で稼ごうとしたのだろう。GMは自動車の最も核心機関のエンジン改良さえも外部のベンチャアー企業に外注して経費節減に努めていたというから信じられない話だ。
あれほどMarketingを重視するアメリカにおいて、世界最高のGMがこの有様だから、一体アメリカの企業経営の核心ともいうべきMarketingとは何なのかと思いたくなる。日産ゴーン社長も10年前、初めて日産の社長に就任したとき、ご自分の権威を見せつけようと、社内技術陣が全力で取り組んでいたハイブリッド車開発を、猛反対を押し切って中止したが、その結果、環境車の開発でトヨタとホンダに致命的な遅れをもたらした。
日産技術陣の意欲と面子を粉砕して、ゴーン社長の権威は高められたが、同社技術陣は2度と立ち上がれないほど意気消沈してハイブリッド車を完全に放棄したという。 その結果、世間の評価は株価に明確に表れており、トヨタ3500 円, ホンダ2500円に比較して、日産は桁違いのたった400円前後という惨めな水準に落ち込んでいる。今ごろにになってゴーン社長は、日産は大きな間違いを犯してしまったと認めているが、自分の判断ミスでライバルにこれほど大差をつけられても、責任をとる気は毛頭ないらしく、居座り続けるゴーン社長の気持ちは理解できない。
将来のクルマの大本命は、燃料自動車か、或いは電気自動車かと、いろいろ議論されたが、GMやフォードは究極的には燃料電池車だと考えていたらしい、しかし高価な白金をクルマ1台当たり100gほど電極触媒として使うため、電池だけでも60万円のコストが余分にかかり、近い将来の実用化はあり得ないといわれ始めている。従って多くのメーカーは電気自動車に方針を転換したようだ。電気自動車はモーターの効率が90%と非常に高いが、問題は燃料を燃やして発電する時の熱効率45%を考慮すると、最終的な効率は半減してしまう計算になる。
昨年暮れの日経新聞によると、いろいろな種類の自動車の最終的なエネルギー効率は、電気自動車28% ハイブリッド車25%, ディ-ゼル車16%, 一般ガソリン車10%とのことだ。 電気自動車がトップであるのは事実だが、ハイブリッド車もかなり接近しているという。 ヨーロッパが重点を置いているディーゼルはガソリンエンジンに比べると確かに効率は良いが、ハイブリッドに比較すると10%近い大差で劣るという。
何事につけても慎重なヨーロッパの自動車メーカーもやっとハイブリッドの将来性に気づき、あのベンツでさえ来年中にはハイブリッド車を発売する予定だという。 ゴーン社長が日産技術陣に詫びを入れて、再びハブリッド車の開発に取り組んでも、もう追いつくことはとうてい不可能だろう。
問題はアメリカGMやフォードの成り行きだが、小型車を製造する企業体質、即ち小型車DNAを全く持たない企業だから、如何に合理化しても製造できる訳がなく、従って今後生き残ってゆくのは至難な業だろう。しかし倒産させると直ちに→大量失業の結果を生むので、オバマ大統領にはなんとも頭が痛い課題だ。 欧米の超大企業にも案外無能な会長や社長が多いのかも知れない。
あれほどMarketingを重視するアメリカにおいて、世界最高のGMがこの有様だから、一体アメリカの企業経営の核心ともいうべきMarketingとは何なのかと思いたくなる。日産ゴーン社長も10年前、初めて日産の社長に就任したとき、ご自分の権威を見せつけようと、社内技術陣が全力で取り組んでいたハイブリッド車開発を、猛反対を押し切って中止したが、その結果、環境車の開発でトヨタとホンダに致命的な遅れをもたらした。
日産技術陣の意欲と面子を粉砕して、ゴーン社長の権威は高められたが、同社技術陣は2度と立ち上がれないほど意気消沈してハイブリッド車を完全に放棄したという。 その結果、世間の評価は株価に明確に表れており、トヨタ3500 円, ホンダ2500円に比較して、日産は桁違いのたった400円前後という惨めな水準に落ち込んでいる。今ごろにになってゴーン社長は、日産は大きな間違いを犯してしまったと認めているが、自分の判断ミスでライバルにこれほど大差をつけられても、責任をとる気は毛頭ないらしく、居座り続けるゴーン社長の気持ちは理解できない。
将来のクルマの大本命は、燃料自動車か、或いは電気自動車かと、いろいろ議論されたが、GMやフォードは究極的には燃料電池車だと考えていたらしい、しかし高価な白金をクルマ1台当たり100gほど電極触媒として使うため、電池だけでも60万円のコストが余分にかかり、近い将来の実用化はあり得ないといわれ始めている。従って多くのメーカーは電気自動車に方針を転換したようだ。電気自動車はモーターの効率が90%と非常に高いが、問題は燃料を燃やして発電する時の熱効率45%を考慮すると、最終的な効率は半減してしまう計算になる。
昨年暮れの日経新聞によると、いろいろな種類の自動車の最終的なエネルギー効率は、電気自動車28% ハイブリッド車25%, ディ-ゼル車16%, 一般ガソリン車10%とのことだ。 電気自動車がトップであるのは事実だが、ハイブリッド車もかなり接近しているという。 ヨーロッパが重点を置いているディーゼルはガソリンエンジンに比べると確かに効率は良いが、ハイブリッドに比較すると10%近い大差で劣るという。
何事につけても慎重なヨーロッパの自動車メーカーもやっとハイブリッドの将来性に気づき、あのベンツでさえ来年中にはハイブリッド車を発売する予定だという。 ゴーン社長が日産技術陣に詫びを入れて、再びハブリッド車の開発に取り組んでも、もう追いつくことはとうてい不可能だろう。
問題はアメリカGMやフォードの成り行きだが、小型車を製造する企業体質、即ち小型車DNAを全く持たない企業だから、如何に合理化しても製造できる訳がなく、従って今後生き残ってゆくのは至難な業だろう。しかし倒産させると直ちに→大量失業の結果を生むので、オバマ大統領にはなんとも頭が痛い課題だ。 欧米の超大企業にも案外無能な会長や社長が多いのかも知れない。
2009年04月02日
090402, もし私が小沢さんなら
民主党の小沢党首が苦しい。私は小沢さんを余り好きではないから心配しないが、仮に私が当人の立場にあったらどうするか考えてみた。
まず小沢さん個人の資質。これは一言でいえば暗くて陰険だ。東北育ちのせいかも知れないが、英国ブレア前首相や仏サルコジ大統領のような明るさは皆無、小泉さんの激情、麻生さんの素直さもなく、人前では決して正体を見せようとしない。表立っての派手なパーフォーマンスは全く苦手だ。田中前長野県知事のアドバイスで、テレビで涙を流してみせたが、やはり小沢さんには似合わない。これはもう如何ともし難い個性で、一般大衆はなかなか小沢さんに同情しない哀れな個性だ。
しかし、今日の経済情勢の悪さは、誰が首相になっても一朝一夕には解決できない世界的な現象だが、少なくとも一般大衆は現行の自民党内閣の不始末とみている、従って野党の民主党に有利な状況であるのは事実だ。
民主党の党内情勢をみると、右から左までのモザイク議員の寄せ集め政党だが、やはり40名以上という小沢チルドレンはダントツであり、小沢さんに近い順に、鳩山派25名、旧民社党系30名、旧社会党系20名、菅派25名、野田派20名, 前原派30名という軍団で、小沢派は党内勢力ではトップだ。
次に、西松建設から3億円近い献金を小沢個人の口座に受け取っていた件は、小沢さんが西松からの企業献金とは知らず、単なる受け入れ口座のミスであったと言い張っているが、誰もがウソだと知っている。大久保公設秘書が西松建設の本社や支店にまで訪問して手渡した献金請求書が検察に握られているのだから、もう何とも言い逃れようがない。
最も重要な問題は、半年以内に必ず実施される衆議院総選挙で民主党が勝てるかどうかだが、中川さんなど麻生友達内閣の失政続きにより、民主党の勝利が確実と言われていた情勢は、今回の西松献金事件で大きく変わった。少なくとも民主党の大勝利は無くなるだろう。これは小沢さん本人の事件が原因であるだけに致命的な痛手だ。
即ち衆院選挙で、民主党が勝つかで否かで、小沢さんの天国行きか地獄行きか決まる。結論から言えば、民主党の大勝利はなく、精々自民党と互角になるかどうかの、微妙な差ではないだろうかと私は思う。
もし自民党政権が維持されると、小沢執行部は責任を問われる。小沢さんは批難の矢面に立たされて党首を退任。自発的に辞めた小泉さんと違って失脚した指導者はなかなか再起できないのは政界の原理であり、如何に恩義を感じているチルドレンたちも、小沢大将から段々と逃げてゆくだろう。するともう安倍さんや福田さんと同様に死に体ボスになり、何を発言しても誰も耳を傾けず、急速に力を失ってゆくのは明らかだ。
もしかろうじて民主党が政権をとったとすると、今度は何か具体的な政策が実行できるかの問題になる。右から左まで幅広いモザイク議員を抱えているため、人畜無害な政策は可能だろうが、目玉となりそうな新規政策は民主党内がまとまらず殆ど実行不可能で、マスコミからも非難されるだろう。
小沢さんは、弁舌さわやかな討論は大の苦手で、従って議会で罵倒され、マスコミから徹底的に叩かれると、受け身の経験が少ないから耐え難く、すぐにプッツンして首相の座を投げ出すのに時間がかからないだろう。 従って、小沢さん、やはり選挙が行われる前に、党首を退いて裏方に回って身の安泰を図るだろう。 少なくとも解任されるのではなく自発的に退くのだから、小沢チルドレン達の多くはついてくる。後継者には出来るだけ弱小派閥の指導者、即ち岡田さんか前原さんあたりを指名する。若干危険性もあるが最大派閥の小沢軍団にはひどい仕打ちは不可能だから。
岡田、前原両氏は共にバツイチだが、少なくとも鳩山幹事長や菅代表代行に比べると新鮮味があり一般大衆受けする。小沢さんと一心同体の鳩山さんと違って菅代表代行は、党首の座を狙っており、小沢さんには危険な人物だから指名しないだろう。さあ利口な小沢さん! これからどう動くか見物させて頂きましょう。
まず小沢さん個人の資質。これは一言でいえば暗くて陰険だ。東北育ちのせいかも知れないが、英国ブレア前首相や仏サルコジ大統領のような明るさは皆無、小泉さんの激情、麻生さんの素直さもなく、人前では決して正体を見せようとしない。表立っての派手なパーフォーマンスは全く苦手だ。田中前長野県知事のアドバイスで、テレビで涙を流してみせたが、やはり小沢さんには似合わない。これはもう如何ともし難い個性で、一般大衆はなかなか小沢さんに同情しない哀れな個性だ。
しかし、今日の経済情勢の悪さは、誰が首相になっても一朝一夕には解決できない世界的な現象だが、少なくとも一般大衆は現行の自民党内閣の不始末とみている、従って野党の民主党に有利な状況であるのは事実だ。
民主党の党内情勢をみると、右から左までのモザイク議員の寄せ集め政党だが、やはり40名以上という小沢チルドレンはダントツであり、小沢さんに近い順に、鳩山派25名、旧民社党系30名、旧社会党系20名、菅派25名、野田派20名, 前原派30名という軍団で、小沢派は党内勢力ではトップだ。
次に、西松建設から3億円近い献金を小沢個人の口座に受け取っていた件は、小沢さんが西松からの企業献金とは知らず、単なる受け入れ口座のミスであったと言い張っているが、誰もがウソだと知っている。大久保公設秘書が西松建設の本社や支店にまで訪問して手渡した献金請求書が検察に握られているのだから、もう何とも言い逃れようがない。
最も重要な問題は、半年以内に必ず実施される衆議院総選挙で民主党が勝てるかどうかだが、中川さんなど麻生友達内閣の失政続きにより、民主党の勝利が確実と言われていた情勢は、今回の西松献金事件で大きく変わった。少なくとも民主党の大勝利は無くなるだろう。これは小沢さん本人の事件が原因であるだけに致命的な痛手だ。
即ち衆院選挙で、民主党が勝つかで否かで、小沢さんの天国行きか地獄行きか決まる。結論から言えば、民主党の大勝利はなく、精々自民党と互角になるかどうかの、微妙な差ではないだろうかと私は思う。
もし自民党政権が維持されると、小沢執行部は責任を問われる。小沢さんは批難の矢面に立たされて党首を退任。自発的に辞めた小泉さんと違って失脚した指導者はなかなか再起できないのは政界の原理であり、如何に恩義を感じているチルドレンたちも、小沢大将から段々と逃げてゆくだろう。するともう安倍さんや福田さんと同様に死に体ボスになり、何を発言しても誰も耳を傾けず、急速に力を失ってゆくのは明らかだ。
もしかろうじて民主党が政権をとったとすると、今度は何か具体的な政策が実行できるかの問題になる。右から左まで幅広いモザイク議員を抱えているため、人畜無害な政策は可能だろうが、目玉となりそうな新規政策は民主党内がまとまらず殆ど実行不可能で、マスコミからも非難されるだろう。
小沢さんは、弁舌さわやかな討論は大の苦手で、従って議会で罵倒され、マスコミから徹底的に叩かれると、受け身の経験が少ないから耐え難く、すぐにプッツンして首相の座を投げ出すのに時間がかからないだろう。 従って、小沢さん、やはり選挙が行われる前に、党首を退いて裏方に回って身の安泰を図るだろう。 少なくとも解任されるのではなく自発的に退くのだから、小沢チルドレン達の多くはついてくる。後継者には出来るだけ弱小派閥の指導者、即ち岡田さんか前原さんあたりを指名する。若干危険性もあるが最大派閥の小沢軍団にはひどい仕打ちは不可能だから。
岡田、前原両氏は共にバツイチだが、少なくとも鳩山幹事長や菅代表代行に比べると新鮮味があり一般大衆受けする。小沢さんと一心同体の鳩山さんと違って菅代表代行は、党首の座を狙っており、小沢さんには危険な人物だから指名しないだろう。さあ利口な小沢さん! これからどう動くか見物させて頂きましょう。