2009年06月

2009年06月30日

090630, 孫のサッカー

この日曜日、久し振りに孫のサッカー試合をみた。まだ小学6年生で、会場も室内のフットサル競技場だ、双方6人制で試合時間15分の小さな試合だったが、私と家内は少々エキサイトしてなかなか面白かった。

試合は、孫のチームのゴールキパーが試合途中で鼻血を出して退場し、下級生の新人ゴールキーパーに変わった途端、2点を入れられて、2対3で惜敗してしまった。

FWの孫は元気に走り回っていたが、この敗けが非常に悔しかったらしく、汗と涙をポタポタ流しながら、ベンチに座りこんで顔を上げず両手で顔を覆って座り込んでしまった。 よく頑張ったね!という私の言葉には答えもせず、大きなショックだったらしい。 久し振りのジジババが観戦する試合で、いいパーフーマンスを見せることができず、よほど悔しかったに違いない。

私自身は運動能力には恵まれず、恥かしながら頑張り屋でガリ勉タイプだ、孫たちにも勉強させて私立中学校にでも行かせては?と娘に話していたが、娘は自分の教育方針もあるらしく、中3年生の姉、小6年の弟の2人には、思いっきり部活動を続けさせている。そして今回のサッカー試合への招待となった次第である。

世界は学歴社会の国が多く、有名大学の卒業生が政財界を牛耳っている。日本も同様に官庁や超大手企業では一流大学卒の看板が重要だ。田舎出身でガリ勉屋の私もおかげ様で一応なんとか旧制帝大の卒業生ではあるが、民間企業に40年間在籍しての実感は、少なくとも普通の企業においては、必ずしも一流大学卒が特別に有利という訳でもなく、指導力とか、協調性、頑張り精神などの方が、長い社会生活にはより重要な要素であることも分かっている。

更にこの協調性とか指導力の精神を涵養するにはスポーツ活動が一番効果的であることも知っている。日本のことわざの、三つ児の魂100まで、とは本当によく言ったもので、幼い時に育まれた精神構造は大人になっても殆ど変わらない、私も頑張りや根生では絶対に近い自信があるが、協調性や指導力については年を重ねただけではなかなか習得できず、若い時の鍛錬が不十分であったとつくづく実感している。人生の終盤を迎えて後悔しても仕方ない年だが、いまごろやっと反省している。

やはり孫のサッカーの如く、小さい時からチームスポーツを続けて悔し涙に明け暮れる生活は幼い精神を大いに鍛えるだろう。他人と協力する気配りや、リーダーとして行動をする人格育成には、幼児のスポーツが最高の教育課程であると確信している。

仮に孫のチームがこの小さなローカル試合に勝利して笑顔で私たちに挨拶できても嬉しいが、ショックに打ちひしがれて立ち上がることもできないほうが、何倍もの教育的な効果があるだろうと家内には負け惜しみを話した。

今回はゴールキーパーの鼻血事故で負けたのは確かに不運だが、所詮人生とは殆どがこのようなトラブルの連続ばかりであり、順調に行くことは滅多にないのが普通だ。安倍さん、福田さん、麻生さんなど、御曹司としてちやほやされながら幼年期を過ごし、屈辱を知らずに成長した方々には、人生の機微が分からず、衆議院参議院のネジレ国会には耐え切れず、放り出してしまうのも仕方なかっただろう。政治の世界ではいちど失態を見せると、そのカリスマ性は消え失せ、誰も遠ざかり始め、政治家としては取り返しができなくなったことを、安倍さんや福田さんはつくづくと後悔しているだろう。

これは政治だけではなく、実業界も同様で、世界中のライバル会社から虎視眈眈と狙われていつ没落するかも知れない今日の競争社会では、社内でも常にライバル連中から、蹴り落とされる危険性があるのが現実だ。このような厳しい人生の荒波を耐えて生き抜く精神力は、学習塾では決して教えてくれず、子供時代のスポーツから習得する以外にないだろうと思う。ベンチに座りこんで泣きじゃくったまま、さよならも言えない孫の後ろ姿を返り見ながら、私たちは感慨深い思いで会場を去った。




mh3944 at 11:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2009年06月22日

090622, 背の高いアメリカ人

先週夕方、会社からの帰路、新木場駅で電車に乗り込んだところ、車内の3-4人の外人グループと隣り合わせた。英語を話していたから多分アメリカ人だろうが、ビッグサイト見本市の帰りだろうか。それにしても背が高かった。一人は多分190cm以上はあったと思うが、私が並んで隣に立つと本当に圧倒された。私は165cmで日本人でもやや低いが、それにしても25cm違うと、もう劣等感で打ちひしがれてしまいそう。

私の子供時代は小さな田舎学校だが、私の席順はいつも前から2―3番目だった。中学校にはいって少々色気付き始めると、自分の背丈が気になり、長身の友人を羨ましく思った記憶がある、幸い私の子供たちは私より背が高く、更に2人の孫は私とは正反対に後ろから2−3番目というから、背丈は人の価値に関係ないとは思いながらも、なんだか嬉しくなってしまう。

大人になってからは、私は自分の背丈を余り気にしなくなったが、アメリカ出張の度に改めて身長も低さを思い知らされる。逆に日本で靴を新調すると、僅かでも踵が高くなって視野が広がると心地がよいから、10cm以上高いと、人間は生涯いい気分で居られるかも知れない。 

昔の私の部下にK君という東大卒だが、私よりかなり背丈が低い技術者がいた。彼は頭脳明晰で明るい人柄は他の仲間からも慕われていたが、彼が遺伝子組み換法を使って画期的な免疫診断薬を開発して世界特許を申請し、アメリカの技術会議に招待された抗DNA抗体キットは大評判になったことがあるが、彼の謙虚さは微塵にも変わらなかった。
その彼が新婚旅行でヨーロッパに行ったとき、スエーデンのある社長から招かれてイェーテボリの自宅に訪問した。勿論先方はK君の素晴らしい業績を承知しており、大歓迎されたと聞いたが、国民の殆どが大男のスエーデンでは、日本人でも目立って低い彼は、いろいろと悔しい思いをしたらしく、ホテルの小便器の高さにも苦労したと笑いながら話していたのを聞いたことがある。西洋の男性トイレは思いっきり高いことがあるのだ。

同様に私のヨットの仲間に単独世界一周したMさんがいる。彼は私程度のやや低い背丈だが、世界の大洋を航海中に撮影した多数の写真には、いずれも筋骨逞しい海の男達に囲まれてMさんが貧弱に写っているのを見ると、単独世界大航海という偉業にも拘わらず、本当に気の毒に思った。

身長の長短は遺伝的な要因が大きく、それは成長ホルモンGHの分泌量の差に起因し、分泌量が多いとそれだけ足が長くなって背が10cm以上は確実に伸びるという。人為的に身長を伸ばそうとするには、少年期にGHを定期的に注射すれば足が伸びて長身になるが、治療目的以外の注射は禁止されているようだ。

逆の例だが、昔、私の部下に生意気な営業部長T君がいた、彼は175cm以上で自分のスマートさが自慢だったが、ある夏彼と一緒にゴルフをした時、私の半パン姿をみて、足の短い人には短パンは似合わないですね!とか言った。彼は軽い気持ちだったかも知れないが、流石に私にはカチンときた。暫く私は我慢して彼を使っていたが、無神経な彼は部下の営業部員とも口害事件を度々起こして、とうとう部下一同から部長ボイコット運動が起きてしまった、これを契機に私は彼を社外に放逐した経緯もある。

わが社の得意先の窓口担当にAさんというOLがいる、彼女は素晴らしく長身で170cmの運動選手だが、気配りも十分で本当に羨ましい女性だが、彼女自身は自分の長身が悩みのタネらしく、もう5cm低く生まれかったと話している。何とももったいない悩みだ。

同じく私のヨット仲間にTさんがいる。彼は私より10cm程度低いが、弁舌はさわやかだ。奥さんも同様に小柄で、一緒に北欧とかサンクトペテルブルグ、アゼルバイジャンなどの欧州旅行に度々でかけている。北欧とかロシアあたりは殆どが大男だから、威圧感を感じ続けているに違いないが、ご本人はそのことを殆ど口にしない。彼の娘さん35才も同じく小柄で独身だが、アルプスやヒマラヤの未踏登山ルートを開拓して、世界の山岳登山界で最高賞ピオレド-ル(金のピッケル賞)を受賞してしまった。本当に素晴らしい業績だ。しかしTさんは、娘に早く危険な登山界から身を引いて家庭をもってほしいと切望しているが、お嬢さんは全くその気はないという。

私は街中で背の高いホームレスや失業者らしき人に出会うと、なぜ彼らは恵まれた天賦の才を生かし切れなかったのだろうかと不思議に思う。人生の運不運もあったかも知れないが、もし自分の長身に自惚れて若い時の努力を怠ったのであれば、もう天罰としか言いようがない。

私は、今更自分の背丈の低さを論じても仕方ない人生の第四コーナーだが、雲の上のようなアメリ人グループが西船橋でどやどやと下車してやっと平穏な気分になった。 



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2009年06月15日

090615, 北の後継者も苦難の道

北朝鮮の金正日の後継者に3男の金正雲が決まったとの情報が流れている。世界の事情に精通しているといわれる長男の金正男は、暗殺計画が発覚し、自国の部下が公安当局に連行され始めていると連絡を受けて、マカオから帰国しないことに決めたという。どこまで事実か分からないが、長男や次男の運命はこれから苦しいことになりそうだ。

男3兄弟の誰が最終的に勝ち残っても、独裁国の後継者はいずれこのような方式で決着せざるを得ないだろうから恐ろしいことだ。各陣営の取巻き連中は、自分のご主人様が選ばれなければ、自分たちも粛清される運命になるから、必死で生き残りの策略を図ることだろう。特に金正日の健康状態が急に悪化しているだけに、この争いは激烈を極めそうだ。例によって、私は仮に金正日の後継者候補の一人であったらどう動くかを考えてみた。

結論を先に言えば、私は早期に後継者になることをGive-Upする道を選ぶ。 第一の理由は仮に争って運よく後継者に指名されたとしても金正日の体力が既に弱っている現在、盤石な地盤を自力で築きあげるのは至難の業で危険が多すぎることだ。金正日は金日成が元気なうちに後継者に指名されたが、今回は金正日が非常に弱っていることを周辺も承知しているから、決着は簡単ではなさそうだ。独裁国の後継者の運命は悲惨であり、先年のイラク戦争でも、フセイン大統領の息子、ウザイ、クサイ両氏も結局は米軍に射殺されてしまった。独裁者の子孫が後継者として生き残れる例は世界の歴史でもなかなか稀だ。

しかしそれよりも私が後継者競争から身を引きたい最大の理由は、誰が考えても、北朝鮮は現在の無理な体制を維持し続けることは不可能であり、近い将来には必ず崩壊するだろうということだ。即ち、国家が麻薬を製造しドル紙幣を印刷して外貨を稼ぐようなインチキ国家が永続する時代では決してないと思う。そして国が崩壊した時は、その指導者は裁判にかけられて全責任を一身に背負わされるのは必定だ。仮に自分の責任でなくても、体制変革時には、必ずスケープゴートが必要で、当人が金王朝3代の独裁政治の代表者として全責任をかぶって極刑に処せられる運命になるだろう。

お隣の民主国家の韓国でさえも、歴代の大統領は引退したあと誰ひとり平穏な余生は送れなかった(朴大統領は射殺された)。 まして悪業名高い北朝鮮の金王朝は、後継者が軽い罪で済むことなどはあり得ず、終身刑以上の極刑になるのは必至だろう。

如何に北朝鮮が核兵器を完成させたとしても、それで2300万人の国民を食わせ続けることは絶対に不可能だ。如何に韓国や日本を脅しても、食糧や燃料を簡単に入手することはできない。場合によっては日本や韓国も核兵器で武装することもあるだろうが、仮に核武装なしでも、恐喝されて北朝鮮に食糧や燃料を易易と提供することはあり得ないから。

仮に日本や韓国を核攻撃すれば、今度は海に囲まれた狭い北朝鮮は米軍から猛烈な反撃を受けて自滅してしまうのは自明で、簡単には戦争に踏み切れない。唯一の望みは自殺した韓国のノムヒョン前大統領のような親北派の大統領が韓国に再登場することだが、北が核実験まで進んだ今日では韓国の国民は許さないだろう。

従って、今後北朝鮮が10年とか 15年の長きに渡って核兵器で恐喝外交を続けて食糧や燃料を得ることはあり得ず、中国もこの無法国家に援助し続けることもないだろう。従ってまずは親戚国家の韓国に援助を頼らざるを得ない筈だが、その為には、平和な民主国家に転換する以外に道はない。ソ連邦の分裂、東ドイツの崩壊、ルーマニアの崩壊などを見ても、如何に独裁政権が強固な統制を続けても現代世界では半永久的にとその体制を維持続けることは不可能なのは歴史が証明している。

更に北朝鮮はいつも食糧や燃料が不十分で、他国の援助なしでは生きて行けない最貧困国に陥っており、問題はその崩壊の時期がいつどう起きるかということだ。 インターネット時代には外国情報の遮断は不可能であり、更に中国と陸続きという地理で国外逃亡も可能だということだ。中国が石油の輸出を止めればことは簡単だが、中国は国際政治の切り札を失うことになるから、なかなか決断しないだろう。

結論を繰り返すと、仮に私が後継者候補の一員であったとしても、私は取巻き連中を説得して後継者争いから早急に手を引き、国外に居を移して成り行きを静観するだろう。長男次男の取り巻き連中には、こう考える部下は居ないのだろうか? いや居るに違いないが、今度は自分が追撃される立場になるのが怖くて、戦わざるを得ないのだろう。本当に困ったお隣さんだ。



mh3944 at 09:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2009年06月11日

090611, ミツバチ失踪のミステリー

6/9の読売新聞に面白い記事をみた。大阪編集部の吉田満穂氏の寄稿だが、いま原因が分からないまま失踪しているミツバチに関するものだ。長くなるので要約すると、消えているはニホンミツバチではなく、セイヨイミツバチのほうが多いらしい。

同じミツバチでもセイヨウミツバチとニホンミツバチは性質がかなり違い、セイヨウは雨降りには仕事を休み、スズメバチの攻撃には一匹づつ対決して全滅するまで突撃するという気高さと頑固さをもち、集める蜜はレンゲ蜜とか、アカシア密など花の対象を絞って薫り高いミツを効率よく集めるという。なんとなく中世西洋の騎士のようだ。確かに中世の騎士や、アメリカカウボーイが、一騎討ちするのは映画で頻繁にみるが、日本の戦国武将も名乗り上げて敵陣に突っ込んだそうだから、これは世界共通なのかもしれない。

逆にニホンミツバチは少々の雨降りも仕事を休まない二宮金次郎のように働き、花を選ばないごったまぜ蜜を作り、敵には集団で攻撃して加熱圧死させる。しかし負けそうになるとさっさと巣を捨てて逃げることもあるそうだ。イタリアなど南欧の軍隊は、陽気だが頑張りがなく厳しい戦いになると早々に白旗をあげることは、近年の第一次世界大戦、第二次世界大戦の歴史で証明されている。しかし第二次世界大戦で最後まで頑張った日本軍も、終戦間際の満州でソ連軍から猛攻を受けたときは、住民を残して先に逃げたという話も聞いたことがあるから、危機的な状況では誰でも我が身が大事なのかも知れない。

ミツバチが失踪している原因は一時はダニかウイルスが原因と言われていたが、死がいが全く見つからないからどうも違うらしく、農薬による方向神経のマヒで、ミツを求めて出かけたミツハチが、帰巣できなくなってしまうのではないかとも言われているようだ。可哀そうな話だ。しかし果実の受粉をミツバチに頼っている農家には大打撃らしく、これから秋になると段々影響が現われてくるから、果物の収穫が減って、値段が高騰する恐れもあるという。本当に自然は微妙なバランスの上に成っているものだ。

確かに現代の農業は農薬ナシでは殆ど不可能だろう。我が家の小さな庭も殺虫剤を使わないと、害虫が猛烈に繁殖して折角育てた花卉や野菜がひどい虫食い状態になってしまう。しかも最近の害虫はスミチオンのように穏便な農薬には耐性があって効きが悪く、多くの虫は生き延びてしまう。エコ時代に自己矛盾を感じながらも私はより強力な殺虫剤を使っている次第。

これはまあ仕方ないとしても、私は除草剤を使うのは余り好きでない。植物が青々と繁茂している田んぼの畦道が、夏のあいだ中、枯色に変色しているのをみると誠に無残な風景で、環境破壊のサンプルみたいだ。昔のようにカマで刈り取ることは無理としても、今は便利な草刈り機があるのだから、農民諸氏は少々の労力を惜しまず、雑草は刈り取るぐらいの配慮をして欲しいものだ。


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2009年06月08日

090608, 田舎暮らし

先週むつ市で行われたNHKのど自慢を見た。むつ市は本州の最北端、青森県下北半島の最北端の小さな田舎町だ。近くには死者への供養の場として有名な信仰の恐山もあり、さぞかし寒々とした土地であろうかと思いながらテレビ見たが、予想に反して、元気一杯で愉快な、のど自慢大会であった。

また、この本州最北端の辺境の町は国際色にも豊であった。フランス人女性や、日本人と結婚して帰化したインドネシア女性も出演した。声を張り上げて元気いっぱい歌う市役所勤務の税務課員とか、公民館勤務の人、漁業従事者などのなかで、日本の歌謡曲をしっとりと歌い上げたインドネシ人の若妻が見事にチャンピオンを獲得した。特別賞は新婚ホヤホヤの夫婦だった。事前に予想した北の田舎町には寂しい雰囲気は微塵にもなかった。

確かに、むつ市には大手企業は無く、辺境の地を守る海上自衛隊の基地がある程度、JRも細々と通じているが恐らくお世辞程度の本数しか電車も動いていないであろう、しかしそんなことには関係なく、田舎町の住民達は、厳しい環境には負けないで人生を謳歌しながら生活している様子がまざまざと覗えた。

実は同じような経験はNHK番組の、鶴瓶の家族に乾杯、でも感じた。沖縄とか、奄美大島、山陰の漁港などの辺ぴなところでの生活だ。 例えば沖縄、確かに失業率は最悪、県民所得も最下位で、児童の学力テストも散々の結果らしいが、そこに住む住民は南欧かと見間違うような陽気さとパワーにあふれていた。全国平均が1.37と低迷を続けている合計特殊出生率も、沖縄では1.75と全国のトップだという。羨ましいかぎりだ。都会では子供が多いと、どう育てるか不安いっぱいだが、沖縄では何とかなるという気概だろう。

確かに辺ぴな地方には人影は少なく、過疎化が進んで崩壊しつつあるのは現実だ。しかしそこの住民の生活は必ずしも我々都会人が想像しているような侘しいものではないのかも知れない。そこには祖父母から曽孫まで、大所帯が協力しながら住み、都会にはない精神的に豊かな生活を送っている人が多いようだ。

逆に、恵まれている筈の都会では、目的なく大学を卒業してニート生活を送ったり、自分に適した仕事が見つからないとか訳の分からない屁理屈をつけて就職せず親のスネかじりを続ける若者など、あふれる情報に振り回されて、いつも自分の幸福度を隣人知人との比較で判断している人が多いのではないだろうか。

実は私も地方育ちで、小中学校時代の友人達も多数田舎に残っている。 彼らに聞くと、確かに田舎の生活は静かだが、現金収入が少なく、子供や孫たちは、進学や就職、更には結婚で、殆どが都会に出て戻らないと嘆く。田園生活を愛でるのは簡単だが、甘い側面ばかりではないのも事実だ。私自身もその平穏で静かな生活が、逆に堪らなく単調で苦しく感じたことを実体験で覚えている。自分が社会の流れから取り残されているのではないかという不安にいつも駆られていた。

東京の私の友人には、故郷の山口県大島に帰って老後を過ごしている人や、那須の山中に小さな家を作って夫婦で移住した人もいる。彼らも幸せな生活を求めているのだろうが、私は子供たちが住む東京近郊から離れて、山口県の田舎に帰れるかというと、なかなかその勇気はなく、躊躇してしまう。

話が飛躍するが、米国でも自動車など汗と油にまみれる製造業をバカにして、多くの人々は一攫千金を稼げるニューヨークに殺到しマネーゲームに狂奔した。 確かに彼らは桁違いの大金を手中にして大邸宅を作り、豪華な車を走らせ、社交パーティーに耽ることもできた。しかしそれは長くは続かなかった。石油危機を契機とした今回の大バブル崩壊で稼いだ金融資産は紙くずと化して、奈落の底につき落とされてしまった。そして初めて自分達は、足が地についていない浮浪の生活を送っていたのではないかと気づき、地道な生活への転換を本気で模索しているのも現実だ。彼らは青い鳥はどこにいるのかと真剣に考え始めている。

都会のマンション生活では、情報過多な雑音と公害のなかで、いつも他人と比較で自分の幸せを求めている。 逆にきれいな空気や水のなかで、自分の腕だけを頼りに毎日を精一杯生きる地方の生活と、どちらが本当に幸せなのか、なかなか簡単には答えが出せそうにない。誰でも悔いのない人生は送りたいが、それは便利な都会生活で可能なのか、或いは静かな田舎生活で得られるのか、私の小さな頭ではなかなか結論が出せない人生の大テーマだ。



mh3944 at 09:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2009年06月04日

090604、バカ大臣 鳩山総務相

鳩山総務相が騒いでいる、日本郵政の社長に再任された西川社長を認下しないとか。理由はバカの一つ覚えで、かんぽの宿をオリックスに安売りしようとしたからだそうだ。 これでは効率化を狙って民営化されつつある日本郵政に再び政治が介入することになり、全く元の木阿弥ではないか? 再び非効率な国有会社に元戻りしてしまうではないか?

そもそもは、日本郵政の株主は財務省、人事権は官房長官、管理は総務省と別れていることが問題である。株主の財務相が認めた社長を総務相が認可する必要が果たしてあるのだろうか? まったく屋上屋を重ねる方式だ。日本の官庁特有の無責任体制であり、結局誰も責任を問われないように分散管理されている訳だ。

確かに全国に散在する70施設のかんぽの宿は2480億円の大金をかけて建設されたもので、それを109億円とかいう超安値で民間に売るのは問題かもしれない。しかしより問題なのは, かんぽの宿が今でも大赤字を出し続けているという事実だ。鳩山総務相がごねて民間移転が何年か遅れれば、赤字を積み増すだろうから、結局は更に安い価格で譲渡することになるのを総務相は分からない筈はないと思うのだが??

確かにテレビで鳩山さんは、私は正義を守るとか、うそぶいている。如何にも格好良さそうな言葉だが、この正義という用語がまたクセモノで、非常に便利だがインチキ極まりない言葉なのだ。バカな政治家が民衆をだます時には必ず使う常套用語でもある。

正義を叫ぶ輩はその立場により、全く真反対な事柄を正義と呼んでしまう。例えば、北朝鮮はアメリカや日本の帝国主義に対して自国民を守る正義のために核開発を進めるという。戦前のナチスはゲルマン民族の優秀性を守るためと主張して、ユダヤ民族を抹殺し続けた。アラブ諸国はイスラム教のマホメットの正義を守るため、他の異教徒を抹殺するのだと主張してテロを続けている。このように正義とは本当に厄介な言葉で、使う人の立場で、どのようにでも色付けされてしまうシロモノだ。

鳩山総務相は多分、日本国民の財産を守るため、かんぽの宿をもっと高く売却すべきだと言うのだろう。確かに少々は高い値段で販売可能かも知れないが、そもそも商業目的で建設されたホテル群ではなく、国会議員どもが地元へ利益を誘導する目的で、無理やり建設された辺ぴなホテルが多く、従って、建設費を回収するなんていう考えがそもそも甘いのだ。

最良の解決策は多くのかんぽの宿群を早急に売却処分して、民間の判断で営業可能なものは継続し、不可能なものは解体するしかないのだ。 しかしバカな総務相は建設コスト2480億円を最大限に回収するにことにしか関心がなく、仮にその回収コストが売却金額の110億円以上かかっても全く平気ならしい。

想像を逞しくすれば、総務相の実兄の民主党鳩山代表がうまく行けば今秋には日本の総理大臣になるかもしれない。するとその先は弟の自分だって日本の首相になれるかもしれない、いやきっとなれそうだ。この辺りで正義でも叫んで自分の名前をマスコミに売り込んでおこうという魂肝があるのではないか、いやきっと間違いないだろう。だから世襲の国会議員はいやらしいのだ。テレビで総務相のバカ面をみると、もう情けなくなってしまうのは私だけではないだろう。麻生首相は、このバカ総務相を早く止めないと、自民党は総選挙で大敗するだろうよ、きっと!

mh3944 at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治