2009年07月

2009年07月30日

090730, 技術屋人生のすすめ

私のある友人は東京の有名私立C大学の商学部卒だが、企業に就職してから機械工学を勉強して技術屋に転向し、製造機械現場で過ごし通した珍しい人がいる。公務員だった父親が、技術屋は出世が遅いからと工学部の受験を許さなかったという。驚くことだが親の本当の心情なのだろう。

誰でも大学受験の時、最初に考えるのが文科系か理科系かの選択だ。私の住む近所には超有名国立T大学とK大学の農学部卒が2人いるが、両氏とも同じ大手都市銀行に入社し常務にまで昇進した。そしてその都市銀行はバルブ崩壊で早々と倒産してしまった。これら常務さん達の無節操もいいところだが、銀行の超有名大学の看板買いにも驚いてしまう。彼らの農学的な知識が銀行経営に生かされなかったのは当り前であろう。

しかし大声で他人の悪口ばかり言えず、私も大学受験のとき経済学部か工学部かで迷った。高校の先生はお前は口下手だから工学部向きだなあーと言われて、1期校は工学部、2期は経済学部を受験したが、結局1期の工学部に進み技術屋人生となった。しかしとっくに還暦を過ぎた今振り返えると、やはり私は技術屋で良かったとしみじみ思う。

誰でも殆どの受験生は最初に理科か文科かの選択に直面する、そして殆どは文系を選択する。理由は簡単、文系の募集人員が圧倒的に多く合格しやすいことと、何より理系受験は必須科目が多く難解だからだ。私も理系は苦手で物理、化学、数学のいずれも得意でなく、受験勉強には大変苦労した。しかし若い時に受験勉強の苦労を減らして文系を選ぶと、後々に大きな苦労を積み残すことになる。

大学生活の4年間、工学部、医学部、理学部などの理系学生は必須科目に追いまくられて、スポーツやアルバイトの時間は皆無、まして彼女を探す気分的な余裕などとてもなかった。連日朝から晩まで、授業と実習に追いまくられ、楽しい筈の大学生活を夢みていた私には、地獄の苦しみの4年間だった。工学部を卒業して後年、経済学部も履修した私は、工学部の多忙さと、経済学部の超優雅さとの落差を実体験で知った。やっとの思いで工学部を卒業して企業に入社しても、技術者は国内ばかりか、世界中の競合相手との果てしない開発競争を強いられる。

反対に経済学部などの文系卒業生は運よく公務員か希望の会社に就職できた少数を除いて、多くは不安定な職業につき、年を経て自分には世俗の知識ばかり豊富で、メシの食える技術や経験の少なさに痛感し始める。それでも若い間はまだちやほやされて転身のチャンスもあるが、光陰矢の如く、あっと言う間に年月は過ぎ、40代に入るともう企業からは避けられて再就職は限られ、50代になると世間は全く見向かなくなり、定年を迎えると妻も見向かない世捨て人生に落ち込んでしまう。

私の会社は10名足らずの機械装置のアフターサービスの専門企業で、電気とか機械とか、電子工学などの理系の技術者OBばかりだ。ひとりだけ経済学部OBは経理担当のEさんだが、彼は会計の専門技術をマスターした専門職OBだ。即ち技術屋ばかりの集団である。

会社設立の当初、大手企業は人減らしのため、定年退職者の人材売込みが多数あった。 例えば大手エンジニアリング会社から、元取締役だとか、営業本部長とか、管理部長とか、何しろ素晴らしい学歴と社歴をお持ちの方ばかりだったが、全てお断りした。当社が求めているのは、実務から離れたニセ経験者ではなく、長年現場に密着して地を這うような技術屋人生を過ごした本物のOBを求めていたから。やはり40年間のサラリーマン生活を製造現場に居続けた技術屋OBは、幅広い知識と応用経験をもっており、特に精密機械のアフターサービスには非常に役立つ豊富な知見をもっている。勿論なかには性格的にクセのあるOBもいるが、素直で誠実な技術屋も少なくない。

当社が営業開始した10年前は、技術屋OBを社員とした会社は毛嫌いされた。例えば北品川の某大手分析機器メーカーは、当社と合意して、ガスクロ分析装置の事前研修が始めた初日、わが社の白髪社員群を初めてみて先方は驚き、直ちに契約が解消されたハプニングもあった。営業サービスマンは、清々しい若者の仕事というのが当時の常識であり、頭の薄い我がサービスマンには、仰天したらしい。

同じような屈辱を何回も繰り返した今日では、当方も自信を持って最初から、全員シルバー技術者ですと明言し、もしダメならお引き受けできません!と 堂々と名乗って交渉を始められるようになった。たった10年間だが、社会情勢は大いに変わったことを実感している次第。

巷にあふれる、派遣切りとか就職難で苦しんでいる人達の姿をテレビでみるが、たぶん彼らは若い時に、苦労の少ない楽な文系進路を選んだと思う。難しい理科系は避けて、優雅な文科系に進んだ結果、売り物になる技術は何も身につかず、自業自得の結果ではないかと思う。確かに技術屋人生は、製造現場は暗く、仕事のごまかしもできず、妥協の効かない職場ではあるが、苦労が身につき、高齢になっても、社会から引く手が多く、メシを食いはぐれることは殆どない。勿論、文学や芸術も大切だがそれではなかなかメシは食えず、そのような教養は長い人生のなかで、余暇をみつけて身につければよいのだ。

もし、これから受験する若者たちは、将来派遣切りに会いたくないなら、少々困難でも理科系への進路を取ることをお勧めする。既に人生終盤で取りやり直しのできない方なら、ご自分の子供や孫たちに、ぜひ理系進学を説いてみて頂きたいと思うのだが如何?




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2009年07月23日

090723, 英語に上達する方法?

7/21の日経新聞夕刊に元駐米大使の柳井俊二氏が、英語に上達する3条件を述べておられる。日本外交の権威者のご意見で、a)米大統領の演説を丸暗記する、b)ジャズの歌詞を暗記する、c)LとRの発声法の区別をマスターすることだと、なかなか面白い。永年米国社会におられた柳井氏のご意見だから貴重だと思うが、私の経験では最も重要な1条件を忘れておられるのではないかと思う。

それは英語のListening力の訓練だ。Comprehension力ともいう。私は英会話の実経験がないまま、突然外資系企業の責任者として10年以上勤務することになり、英会語力の不足に大いに泣かされた実経験がある。柳井氏のご意見の如く、私も約30年近い長きに渡って、ある英文テキスト3時間版をボロボロになるまで音読し、改定を重ねたテキストは3回も買い替えて、その文章を丸暗記してしまった。米国人の発音をそのまま真似て、毎早朝の2章分15分を大声で音読するのだ。年間で20回程度通読し、30年で多分500-600回は読み通したと思う。家族からは本当に毛嫌いされたが、自分としては英会話に大いな自信をもって外資系企業の社長を引き受けたのだったが、しかし...

私のテキストとはSpoken American English(研究社)のAdvanced Course24章3時間版だ。30年の間にテキストは改定を重ねたが(例えばCuba and Jamaica→ the West Indiesなど)私は自信満々であった。しかし現実に米国人と会話して初めて気づいたのは、私の英語力は話すことには問題ないのだが、リスニング力が全く不十分なことに気づいたのだった。こちらが流暢にしゃべるので、相手も滔々と話すが、その意味がなかなか理解できないことに初めて気づいたのだった。

とにかく、外国人と会話するとき、一番重要なのは、彼らが何を言っているかを正確に理解することだ。相手の話を正確に理解できないと、いくら名文を丸暗記していても会話は不完全になる。私の経験では、英語を聞くことと話すことは全く別の能力であり、野球でいえば、打撃力と守備力ほど違うのである。巨人ラミレス選手のように、打撃はできても守備はへたくそというように、全く関係無い能力なのだ。

英会話力は、聞くことが7割、話すことが3割だと私は思う。極端にいえば、相手の話が正確に理解できれば、返事はYes か Noだけでも結構楽しい会話が成り立つ。 先方の意見の理解が不十分なまま、想像力を働かしてこちらが答えると、殆どの場合トンチンカンなやりとりになってしまい、会話が途切れてしまうのが、私の10年間の経験を総括した結論である。

ではリスニング力を鍛えるにはどうするか? これは実は大変な難問だ。とにかく聞いて耳を慣らす以外に方法はない。毎日短い時間でも英語を聞いて理解する力を高める以外に有効な手段はないと思う。それには平凡でもNHKラジオ英会話を聞くのが一番経済的でかつ効果的でもあると断言する。ラジオ英会話はいろいろなレベルの番組が用意されており、電車のなかでも、クルマでも、毎日聞く習慣をつけるのが肝心だ。本気に続ければこれ以上確実にヒヤリング力をマスター出来る方法はないと自信をもって言える。確かに、柳井氏説のRとLの区別も大切だが、まずは相手が何を言おうとしているのかを理解することのほうがより重要なのだ。大変失礼だが、柳井氏のジャズの歌詞の丸暗記などはクソの役にもたたず、我々を迷わせるだけなので、英語のビギナーがやることではない。

最後に付け加えると、外人と話す場合、誠実さは大切だが、会話途中に小さな発言ミスを犯しても引きずらず、気楽に話し続けることも大事だと思う。所詮我々は外国人であり、欧米諸国の歴史的な知識や社会的な習慣には疎く、彼らの英会話力には敵わないのを先方も十分承知しているのだから。








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2009年07月17日

090717, 身につかないエコ運動

時代の趨勢で私の住む住宅街でも、隣り近所がエコ運動に熱心だ。例えばすぐお隣りは15年前のバブルで倒産した某大手都市銀行のW常務さん宅がある。奥さんは少々変わり者で近所付き合いも苦手だが、当人は本気で私はエコが大好きです!と堂々と宣言している。確かにその気ではあるらしい。

しかし、この奥さんは近くのゴミ集積場所にゴミは運ぶ時クルマを使っている。たった2-3Kgの袋を100m離れた近くの集積所に運ぶのだ、歩くのが普通だと思う、或いは精々自転車でというところだが、この奥さんはいつもクルマのエンジンをかけて運んでいる。何がエコ好きなのかさっぱり理解できないが、この家族はかなり変わりものなので、まあ仕方ないとせざるを得ないかもしれない。

しかし、もう少し離れた所にはご主人が東大工学部卒の博士で、タマサート大学で教授をしておられたAさんが居る。今度はなかなかの博学常識人で、子供たちも姉は眼科医、妹は都庁勤務のエリート家族だ。我が家とも仲良しでおり、本当に立派な家庭だと思うのだが、時々信じられないことを目にする。

例えばこの奥さんは同じ住宅街の200m離れた私の近くのIさん宅でお茶を習っているが、毎回必ずクルマで来るのだ。徒歩でたった2-3分の距離、歩くには最適の距離なのに。或いは精々自転車でもいいところだが、この奥さんはクルマで来訪する。最初はHybrid車のPRかと思っていたが、そんな軽率さではないらしい。お茶の先生Iさん宅前の狭い道にクルマを停めて、1時間以上、奥ゆかしくお茶を習うのだ。道が狭いのでその時間は、クルマが通れなくなり、隣り近所の5-6軒が迷惑を被むるが、当人は至って平気なのだ。

ある時、その狭い通りに屋根工事屋さんがやって来て道路に梯子をかけて、屋根に登って修理を始めた。お茶のお稽古が済んで出てきたA奥さんはクルマを前に動かせず、まあ迷惑だわ!とばかりの表情で、Hybrid車をバックさせ始めた。しかし元来運動神経が鈍そうな彼女は、この狭い通りを100m近く、右に左にとジグザグを繰り返しながら、四苦八苦の思いでバックし、やっと大通りに出ることができた。まるで自動車教習所の錬習風景だった。 日ごろの聡明な話し振りからは信じられないのだが、彼女は屋根工事屋に不満たらたらだった。 本当はこんな近くに何故クルマを使うのか、このほうがもっと問題だと思うのだが、私の頭脳ではとても理解できない彼女の頭脳なのだ。

同じ近くのクリーニング店にシャツを出すのも、彼女はHybrid車を使う。先日もたまたま私が通りかかると、あーらお久し振りです!と愛相よく丁寧に挨拶されて当方も悪い気はしなかった。しかし、多分1Kg程度で、別に嵩張った袋でもないのに、彼女は徒歩や自転車ではなくクルマで運ぶ。そして夕方涼しくなった頃を見計らって、おもむろに彼女は遊歩道にお散歩に出かける。もう何ともちぐはぐな生活行動なのだが、ご本人は至って真面目なのだ。そのまんま東以上の真剣さだから、もうこちらが分からなくなってしまう。 この奥さんは近所でも指折りの良識人で、多分ご本人もそう確信していると思う。なんだか当方の頭までが変になってしまいそうな今日このごろだ。



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2009年07月14日

090714, 麻生さんは首相に不適任か

自民党の麻生首相が不人気だ。都議会選挙でも大敗した。景気浮上を最大課題として結構よくやっていると私は思うのだが、支持率は20%を切っている。

何故麻生さんは人気が無いのだろう? 少し誤読したとてご愛嬌で大したことではない。確かに一所懸命やっているが、イギリスブラウン首相のように、真面目にやるだけではリーダーとしては不合格なのだろうか。 吉田元首相のお孫さんとして、麻生さんは幼児からボンボンで育ったので、一般大衆の心に触れるアジテーションの方法を知らないのかも知れない。大阪橋下知事の如く全市町村長を集めて泣きながらも府財政の窮状を訴えるほど本気になることができないのは事実だ。小泉さんのように髪を振り乱して民衆に訴えることも下手だ。

近づく衆議院選挙でも麻生首相では自民党が負けそうなので、別の首相に変えようという動きが起きている。宮崎県の東国原知事が私にまかせなさいと悪乗りしている。まあ自民党も過去50年間にわたって政権を殆ど独占し続けて来たのだから、政権交代があって不思議はないが、負けた経験がない自民党議員にとっては、第二次大戦の終戦時のように、天地が逆転する恐怖を覚えるのだろう。

どこの国でも政権が交代するのは当たり前で、米国でも共和党から民主党に変わったが国民は大騒ぎしない。お隣りの韓国では、大統領交代で、内政外交とも180度方針転換したが、世界に聞こえるほどの大騒ぎにはなっていない。まして日本の自民党と民主党は政策がどう違うのか、私たち日本国民にも殆ど分からない。強いていえば民主党は何でも反対し抵抗するという程度だ。

民主党の鳩山代表、小沢副代表も何年か前までは、自民党の幹部で、たまたま行き掛かり上、自民党から別れただけだから、基本的に政策が違う訳がない。一般に国民は年中欲求不満だから誰かにヤツ当たりしたい。仮に民主党が政権を取っても、直ぐに鳩山代表の支持率は低下し始めるに違いないが、民主党はすぎに天下を取れそうだともうお祭り騒ぎになっている。政策なんかどうでもいい気分だから全く困ったものだ。

やる気満万で2年前に登場した安倍首相はネジレ国会でアフガン支援特別措置法案の延長に絶望して政権を放り出した。後を継いだ福田首相は小沢さんとの保守大連合計画がつぶれて政権を放り出した。確かにどちらもご当人には強烈な誤算であっただろうが、ひとつの政策が不可能になったから首相を辞めるでは、もう首相は何人いても足りなくなる計算だ。

では誰が次の首相になれば、我々は安心できるだろうか? 確かに郵政改革の小泉首相の支持率は高かった。その理由は、郵政民営化反対の大合唱を前にしても、周囲を省みず我一人で国民に郵政民営化の必要性を訴え続けたからだ。次期首相候補でそのように図太い精神で自分の信念を訴え続ける人は誰だろうか? 

民主党鳩山代表には自分の主張はなく、単に政権交代ばかり叫んでいるからhopelessだ。 小沢さんは権謀術策にばかり熱心で国民の前に出て日本をどうしようとするか訴えることには関心がないから指導者としてはクズだ。 岡田幹事長は緊張し過ぎている、もっと柔らかくならないと国民の琴線に訴えられない。 菅副代表は成り上がりのインチキ3流芸者で口先ばかりだから信用できない。

では誰か日本を背負う人物は本当にいないのか? 民主党前原議員も確かに期待はされるが、小さなニセFAX事件に簡単に騙されるようではまだまだ心もとない。自民党の小池百合子議員をという意見もある。しかしあの見栄っ張りの厚化粧芸者ではダメ。 野田聖子議員は確かに女性議員のなかでは有望株だが、岐阜県の郵政民営化反対のオヤジ連中に押されて、長期的な視点からの郵政民営化によるサービス向上の必然性を見失ってしまった。

自民党の石原伸晃議員を担ぐ意見もあるが、自分に確たる信条がなく典型的な八方美人で右往左往ばかりしているからダメ。枡添大臣は確かに泥沼の年金問題や新型インフルで奮闘中で、連日テレビに出て活躍しているからだという。しかし大臣はテレビの出演回数が多ければよいという訳でもないだろう。3流役所の大臣ならそれでもよいが、日本の首相となるともっと日本の知恵を集めて、国際政治のなかで大所高所から日本の戦略的な方針を決める必要があるのに、大学の先生気分で、目先のことばかり熱心、果たして複雑な国際社会の中で日本の長期方針を見誤らないように動けるか心配だ。なかなか希望をもてる首相候補は難しいものだ。

私の独断と偏見で言えば、大阪府の橋下知事あたりはどうだろう。勿論地方自治と国政とは次元が違うのは分かっている。しかし橋下さんだって、国政担当となれば、高い視点で物事を判断すると思う。大阪の財政赤字を克服するため府下の全市長を集めて泣きながら訴えたあの精神はスゴイではないか? あの傲慢な大阪府職員労働組合の幹部を前に、脚本なしで正面から徹底的にやり合うあの気力は他の国会議員には見られないものだ。 いつもインチキ首長ばかり選出している大阪府民が久し振りに見つけた素晴らしいリーダーだと思う。あの燃えるような志と精神をもってすれば、アメリカ、ロシア、中国などの列国にも十分対抗でき信頼も勝ち取れると思うのだが。





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2009年07月09日

090709, 挨拶のキス

私は米国合弁会社に12年間勤めたが、その間アメリカやヨーロッパに30回以上出張した。一般のサラリーマンではこのように度々海外出張する機会には恵まれず、素晴らしい役得でもあったが、その間には思い出深い話がいくつもあった。

例えば航空運賃、最近の事情は知らないは、20年近く前は JALの東京-LA間往復がEconomy 20万円、Business 40万円、First 80万円程度だった。基本的にケチな私は10時間足らずでひと眠りすれば到着するロス便は、安いJALのEconomyを使った。税金を使う公務員なら損した気分だろうが、椅子が少し狭いだけで、同じ時間でLAに到着するBusiness便の半額だから大いに得をした気分であった。

しかしほぼ同じ時間に前後して飛ぶKAL(大韓航空)は更にJALの半額以下だと知ってからは、KALのBusinessを愛用し始めた。何しろ東京-LA往復のBusinessが18万円程度の安さだった。旅行代理店に聞くとキムチの臭いがするかもと言っていたが、全く清潔で快適なフライトだった。 やはりBusinessの椅子はEconomyより広くて、リクライニングも効き、十分眠れた。なによりスチュアーデスが美人で、愛想もよく、写真にも一緒に入ってくれる。JALでは出さないラーメンまでKALでは注文すれば出してくれた。但し普通の熱湯をかけるチキンラーメンだが、これでも米国生活から帰路の久し振りのラーメン味は美味しかった。

米国では、仕事上で言葉の問題は殆どなく、ヨーロッパでも英語だったが、問題は食事時間の雑談だった。昼食は短いがディナー時間の長さには参った。これには余程欧米の生活習慣になれないと、自由な会話は難しいと思った。従って私はアメリカ人や韓国人と一緒のテーブルにつくことが多かった。しかしイタリア人はイタリア人同志、ドイツはドイツ人同志と、どこの国も親しい仲間が同じテーブルに集まって食事しているので、誰でもデーナーは気楽な相手と同席したいのだろう。


もうひとつ、欧米の連中はちょっとしたビジネス会議にも夫人を同伴する。夫人は会議が終わるのを待ち構えて夫とショッピングなどに出かける。まして夏休みのバケーションには殆どが家族をひきつれて大勢で参加する。中近東の連中はメイドまで同伴するからもう大名旅行のようだ。なかには短期の出張に奥さんに内緒で会社の秘書嬢を同伴する凄腕の北欧人もいたのには驚かされた。

しかし日本と韓国だけは、殆ど家族を同伴しなかった。バケーション旅行には妻を同伴しても良かったのだが、やはり国内の社員に気兼ねもあった。更に私の妻は乗り物酔いで、長時間の飛行機旅行には耐えられない心配もあった。欧米の友人たちから繰り返し催促されたが、遂に妻を同伴できなかった。小さな心残りである。

もうひとつ、挨拶の仕方にも小さな苦労があった。欧米ではビジネス上の挨拶は握手だが、親しい間柄になると軽くほほにキスして挨拶をする。彼らは幼少時からなれているが、私はこれになかなか慣れず、もたつくと、相手が気づいてSorryと言いながら手を出してくることが何回かあった。 特に相手が女性の場合、殆どキスなので不慣れな当方は大いに面喰った。 キス挨拶の作法にも色々あるらしく、南欧人は右ほほ、左ほほ、右、左、と往復2回合計4回、時には6回も抱き合ってキスする場合がある。更に右ほほから始めるのが普通の流儀らしい。

しかしドイツは比較的日本人と似ているのか、キスもややぎこちなく、精々右左の2回程度だが、フランス人は往復2回計4回やっていた。とくに南米からの人達は数え切れないほど抱き合って、ほほにキスを繰り返えす。しかし話に聞くと、キスの回数を減らすと、相手に失礼になるというから、なかなか厄介なものらしい。 日本で分かれ際の挨拶に、ギッコンバッコンといつ終わるのかわからないお辞儀を繰り返す滑稽な姿と似ている感じもある。

イタリアにも何回か出かけた、一度は本物の仮面パーティーにも参加した。有名な人物の衣装はすべてレンタルで揃えられる。私はイソップ物語のアンクルトムの衣装とお面であった。また南欧にはシエスタという習慣があり、昼休みは自宅に帰って食事をして仮眠をとるから、1日の交通ラッシュが朝、午前、午後、夕方と4回あると聞いた、しかし今日ではシュエスタがどの程度まで生きているか、分からない。想像だが多くの大企業では廃れており、中小企業にシエスタの風週が生きているのではないだろうか。 いずれにしても基本的にラテン民族は人生をエンジョイしていると思った。兎に角、私の合弁会社時代の12年間は、異国情緒を満喫して華あり波あり、私のサラリーマン生活では、一番充実した時期であった。


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2009年07月03日

090703, 私と義母

嫁と姑の間のトラブルは有史以来、永遠の課題だと思う。私は妻とその実母(90才)と同居しており、私と妻の実母とは義理の関係だが、私がまだ会社勤めなのでストレスの実感は余りない。義母は若いころ短距離の陸上選手として神宮の全日本競技会(今日の国体?)に出場して100mを13秒近いタイムで走ったというから、当時としてはかなりの有力な陸上選手だったらしく、メダルも数多く獲得したが広島原爆で全て焼失してしまったという。確かに若いときの写真をみると長身のスポーツウーマンで颯爽とした美人選手である。私は鈍足だが、孫たちは結構早く、中3の姉も小6の弟も学校の運動会の紅白リレーにいつも選ばれるのが、私には面映ゆいが、義母には自慢のタネで自分の遺伝だと威張っている。


詳しくは知らないが、義母は昭和15年ころ、木工学専門の軍人のO氏と結婚して満州に渡った。確認しようもないが古くはO氏は熊谷直実の直系で、徳川家康の9男で名古屋尾張の大名となった徳川義直の家老もご先祖だとか聞いている。真偽のほどは不確かだが家紋が由緒ある源氏車であるのは事実だ。 それは兎も角、日中戦争のさなか、満州に飛行場を建設するため、O氏は牡丹河とか、吉林とか、豆満江とか、ハルピン、チャムースー辺りに赴任したので義母も同行したという。新婚旅行を兼ねて初めて満州に渡った時、一回だけ立派な大和ホテルに泊ったというが、戦時色一辺倒の当時は新婚家庭とは名ばかりで、工事現場の宿舎に近いような建物だったらしい。

新居の周辺は余り信用できない現地人ばかりで非常に心細かったという。特に厳冬期の厳しさは格別だったようだが、スポーツウーマンで頑丈な体の彼女は何とか生き延びた。そして翌年私の家内K子が生まれたが、お産の助けに現地に来た義母の妹は、肺炎にかかって亡くなったという。なんとも可哀そうな話だ。

昭和18年ころ、その主人が東南アジアの戦線に転属になったので、それを契機に義母はまだ2才と幼なかったK子をつれて日本に帰ることになった。義母はK子を背負って、北朝鮮経由の貨物列車を何日も乗り継いてやっと日本にたどり着いたという。まだ終戦までは少し間があり、終戦間際のソ連軍の奇襲攻撃を逃れたのは本当に幸運だった。帰国が少しでも遅れていたら、義母は悲惨な運命となり、家内K子は中国残留孤児になっていたに違いないだろう。

私たちの子供がガム島やハワイ旅行の話をすると、義母は必ず自分の満州時代の話を持ち出す。以前聞いた同じ話ばかりだが、それでも義母は繰り返して話す。異国では短く不安な新婚生活ではあったが、やはり若き日の人生祝福の時期だったのだ。主人とは精々2年程度しか同居しなかったので、性格もよくは分からないままだったとのこと。これも哀れなことだ。

その元気だった義母も、さすが90才を超えて最近は急に衰弱してきた。弱ったのは体力ばかりでなく弱気になった。あれほど気が強く、口八丁手八丁だった彼女が、急に周囲に気をつかい始め、特に毎日一緒に暮らす実娘の家内とは完全に立場が逆転してしまった。 家内は温厚な性格だから深刻な問題は生じないが、それでも日常生活ではいろいろと小さな行き違いも起こるらしい。

例えば、私は家内と義母と一緒に、家内の手料理の夕食をとるが、いつも義母はまず、今日の料理は美味しいネ!と褒める。確かにいろいろ工夫されて美味しいのも事実だが、時々褒めてこそ効果があるだろうと私は思うのに、義母は一口食べると直に褒め称える。しかも繰り返して言うから、私は何もそこまで実子におもねることもないのでは?…と内心思うことがある。 別の例では、例えば義母が使っている扇風機の向きを少し私のほうに向けると、義母はいやな顔をするが、家内が同じことをすると、喜んで思い切り風の向きが家内に当たるように動かす。自分のDNAの継承ルートがあらゆる場面で行動に現れる。なんとも現金な話だが、私は慣れたもので全く無視している。

それでも義母は負けず嫌いが強い。テレビ番組を見ながらも、これは以前に見たことがあるいうことが多い。確かに再放送のものもあるが、殆どは義母の思い違いで初めて放送されるものだ。にも拘わらず自分は既に番組を見て内容を知っていると誇示したいらしい。では結末はどうなったの?と私がイジワル質問をすると、覚えていないという。老人は体力が弱っても自我意識は依然として強い。いや寧ろ体力が弱るからこそ、それを気力でカバーしようとするのだろう。勿論このようなやり取りは人畜無害でご愛嬌だが、何度も繰り返えすと、当方も少々うんざりしてしまう。

家内は諦めて殆ど聞き流しているが、仮にこれが他人との関係、即ち、嫁と姑の関係だったら、間違いなく心理的な葛藤に発展するだろう。既に家族の勝手を知り尽くした姑のもとに、全く違うDNAの持ち主が嫁入りするのだから、嫁の立場は最初から苦しい。義母は周りは自分の子供ばかりで守備態勢は完璧だから、嫁は非常に弱い立場に置かれ、あらゆることで打ちのめされてしまう。

実子なら許せることも、相手が血縁関係のない嫁では、姑も簡単には見逃さない。気に食わないことが何回も続くと姑は怒って辛く当たり始める。実の親子であれば、翌日には忘れても、嫁と姑の関係では双方に心の傷として堆積する。それが積もり積もって抜き差しならない憎悪にまで発展して、遂に嫁の心は鬼になってしまうのは自然の成り行きだろう。

そして年月が経ち、あれほど元気だった姑も弱り始めると、今度は嫁の心に積った怨念が爆発する。いくら姑が改心して誠実に対応し始めても時既に遅く、怨念で凝り固まった嫁は、体力十分だから徹底的な恩返しをする。不思議なことに元気な時の姑は自分が将来年をとって体力が弱ることなどは夢想だにしないから、自分が弱ると今度は何倍もの仕返しをうけることになる。嫁は自分が長年辛く当たられた仕返しを、老後の姑に集中して返礼するから、世の姑は悲嘆にくれてこの世を去ることになる。 そして同じ歴史はまた繰り返す。




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