2009年08月
2009年08月27日
090827, メタボは困る
私は朝早く電車で出勤する。早朝は乗客が少ないが電車の本数も少ないので、期待するほど空いてはいないが、1時間半の通勤時間も何とか座れる。先日中年の大男の隣りが空いていたので少し割り込み気味にはなったがそこに座った。男は股を開いて携帯に耽っている。いつものように私は四ツ折りにした新聞を開いて読み始めると、隣の大男が携帯で私の肩をつついてきた。自分に触るなという合図らしい。突然なので驚いた。100キロ近い男は足のような腕を私の方に迫り出しているので、触らないのはとても無理だ、長居するとモメると直感した私は、直ぐに席を立って離れた場所に移った。男は素知らぬ顔で携帯を続けている。
服装の薄い夏でも大男に隣り合うと、電車の座席は全く窮屈で、隣りに触らずに座るなんてとても不可能だ。もし一歩引いて考えれば、触っても動くなということかも知れないとは思った。しかしそれでは新聞の頁をめくるなということにもなる、1時間半の長い時間を何も読まないで瞑想に耽ると、修行不足の私は多分居眠りを始めるだろうから、もっと迷惑をかけてしまう。何よりも私にとって電車は動く書斎であり、新聞を読むのが楽しみのひとつなのだ。
確かに欧米の新聞はタブロイドA3版だが、日本は大型のA2版なので、狭い電車で読むと周囲に迷惑なことは知っている。従って私は毎朝、家を出かける前に、新聞の背中をホッチギスで留め、更に縦に2つ折りして、細長い新聞にして、車内でも隣に迷惑をかけないように事前の準備をしている。しかし新聞社は、記事の途中で改行せず、そのまま右から左へ続けることが多く、折角折り畳んだ新聞を途中で裏返すことになり、ガサガサと雑音が出すことはある。新聞社も記事の改行の仕方にもっと配慮してほしいものだが、彼らは正義ばかり主張するわりには市民生活には案外に無頓着なのだ。
座席を移動させられた私は暫くカリカリしていた。何であのような大男が通勤電車の狭い座席に他人を押しのけて普通料金で座っているのだと思い始めた。隣にせり出している部分はタダ乗りではないか? もし触られるのが嫌ならグリーン車に移るべきだ、上野までたった500円のグリーン券だから、自分の体格に必要な料金として支払うべきだと思った。もし金がなくて普通車に乗るのなら、座らなくて立つべきだと思う。
だいたい、私は本能的にメタボ男が好きではない。如何にも怠惰のサンプルに思えるのだ。食いたいだけ食って運動はせず、他人を押しのけて狭い座席に座り、隣は触るな!なんて言うのは全くのマナー違反だ。このようなメタボ男が、社会に役立つのは相撲取り以外に無いのではないだろうか。 相撲取りでも電車では必ず立っている。 一般のメタボ男は他人に迷惑のかけっ放しで生きているのではないかと思う。話は飛躍するが、だいたい飛行機が体重区別を設けていないのは、全く不合理だと思う、人権蹂躙とか何とかの大合唱になるのを恐れて、JALもANAも知らん顔しているのだろうが。
確かに、体質的に肥満になる人もいるのは事実だろう。例えば私が毎日夕方に出会う工員さん風の女性は、まだ若いのに可哀そうなほど肥えている。しかし彼女は絶対に席に座ろうとしない、恥ずかしいからかも知れないが、ご自分の異常さを知っているのだろう。彼女の肥満の体型から想像して、恐らく体質的なものだと思う。
しかし、私に触るなと言いがかりをつけてきたあの大男は、多分飲み食いを重ねた怠惰の果てに、あのように100キロ近くなってしまったのだと思っている。本気になれば 体重の20キロや30キロを減らすことは難しくはない筈だ。もし体重を減らせないなら、少なくとも込み合う通勤電車の狭い座席に、隣に迫り出してまで座ることは絶対に慎しむべきだ。仮に百歩譲っても、自分の体力を過信して隣りの年寄りに触るな!なんて言うとはもってのほかだ。
やや小柄な体型の私の体重は65キロだが、高齢で反撃しないのを見越して携帯でつついたのだと思うと、本当に頭にきて、気分の冴えない1日であった。
服装の薄い夏でも大男に隣り合うと、電車の座席は全く窮屈で、隣りに触らずに座るなんてとても不可能だ。もし一歩引いて考えれば、触っても動くなということかも知れないとは思った。しかしそれでは新聞の頁をめくるなということにもなる、1時間半の長い時間を何も読まないで瞑想に耽ると、修行不足の私は多分居眠りを始めるだろうから、もっと迷惑をかけてしまう。何よりも私にとって電車は動く書斎であり、新聞を読むのが楽しみのひとつなのだ。
確かに欧米の新聞はタブロイドA3版だが、日本は大型のA2版なので、狭い電車で読むと周囲に迷惑なことは知っている。従って私は毎朝、家を出かける前に、新聞の背中をホッチギスで留め、更に縦に2つ折りして、細長い新聞にして、車内でも隣に迷惑をかけないように事前の準備をしている。しかし新聞社は、記事の途中で改行せず、そのまま右から左へ続けることが多く、折角折り畳んだ新聞を途中で裏返すことになり、ガサガサと雑音が出すことはある。新聞社も記事の改行の仕方にもっと配慮してほしいものだが、彼らは正義ばかり主張するわりには市民生活には案外に無頓着なのだ。
座席を移動させられた私は暫くカリカリしていた。何であのような大男が通勤電車の狭い座席に他人を押しのけて普通料金で座っているのだと思い始めた。隣にせり出している部分はタダ乗りではないか? もし触られるのが嫌ならグリーン車に移るべきだ、上野までたった500円のグリーン券だから、自分の体格に必要な料金として支払うべきだと思った。もし金がなくて普通車に乗るのなら、座らなくて立つべきだと思う。
だいたい、私は本能的にメタボ男が好きではない。如何にも怠惰のサンプルに思えるのだ。食いたいだけ食って運動はせず、他人を押しのけて狭い座席に座り、隣は触るな!なんて言うのは全くのマナー違反だ。このようなメタボ男が、社会に役立つのは相撲取り以外に無いのではないだろうか。 相撲取りでも電車では必ず立っている。 一般のメタボ男は他人に迷惑のかけっ放しで生きているのではないかと思う。話は飛躍するが、だいたい飛行機が体重区別を設けていないのは、全く不合理だと思う、人権蹂躙とか何とかの大合唱になるのを恐れて、JALもANAも知らん顔しているのだろうが。
確かに、体質的に肥満になる人もいるのは事実だろう。例えば私が毎日夕方に出会う工員さん風の女性は、まだ若いのに可哀そうなほど肥えている。しかし彼女は絶対に席に座ろうとしない、恥ずかしいからかも知れないが、ご自分の異常さを知っているのだろう。彼女の肥満の体型から想像して、恐らく体質的なものだと思う。
しかし、私に触るなと言いがかりをつけてきたあの大男は、多分飲み食いを重ねた怠惰の果てに、あのように100キロ近くなってしまったのだと思っている。本気になれば 体重の20キロや30キロを減らすことは難しくはない筈だ。もし体重を減らせないなら、少なくとも込み合う通勤電車の狭い座席に、隣に迫り出してまで座ることは絶対に慎しむべきだ。仮に百歩譲っても、自分の体力を過信して隣りの年寄りに触るな!なんて言うとはもってのほかだ。
やや小柄な体型の私の体重は65キロだが、高齢で反撃しないのを見越して携帯でつついたのだと思うと、本当に頭にきて、気分の冴えない1日であった。
2009年08月24日
090824, 手賀沼トライアスロン
この日曜日に第5回の手賀沼トライアスロンがあった。初回は沼の汚れで開催が困難ではないかとのマスコミからの揶揄もあったが、ついに5回を数えるに至った。参加者はざっと見積もってもほぼ300名、女性は20名とマイクで放送していた。Marshalとか大書したユニフォームを着た係員が何名か威張って歩いている。権限をもつ競技委員らしい。アメリカで始まったスポーツだという。
スタート地点は、釣りボート屋のボロ桟橋で恥ずかしいくらい貧弱だ。最初のスイムは1.5Km、沼は足がやっと届く程度の深さなので、スイマー達は水中に一団となって立ってスタートを待つ、合図はピストルかと思ったが、ヨットと同じエアホーンだったのにはやや拍子抜けした。最初はほぼ一団で進むが段々と伸びて目標地点へ泳ぐ、上がる水しぶきは余りきれいではなく、地元の手賀沼フアンとしてはやはり恥ずかしい。往復してゴールする時は、もう途切れ途切れの細長いひも状となったが、トップスイマーの泳ぎはさすが美しい。
断トツの一番で上がったのは、なんと女性だったのには驚いた。聞くところによると、全身的な体力を競うトライアスロンでもスイムだけは別格で、男女の差が殆ど無いのだそうだが、それにしてもスイムで圧倒的な引き離しには驚いた。手賀沼大橋の上から見ると本当にしなやかな泳ぎだった。何で読んだのか忘れたが、昔ヨーロッパでは平泳ぎが標準で上品な泳法だと信じていたそうだが、ある南方の土人が手足をバタバタさせながら速く泳ぐ姿をみて初めてクロール泳法を知ったそうだ、はやりクロールのほうがかなり早く、疲れて平泳ぎするスイマーは次々と順位を落としていく。
スイムが終わると次はバイクだ。急いでウエットスーツを脱いでラニングスーツに着変えるが結構手間がかかる。バイクは手賀沼南岸の湖岸サイクリング道路を東方へ片道4Kmを5往復する。手賀沼大橋の下にはカラフルなバイクが無数に並んでおり、私は知らないブランドばかりだがきらびやかだ、多分安くても10万円以上するのだろう。私の3万円の自転車とどこがどう違うのか分からないが、値段が高ければ、それだけ自信を与えてくれるのかも知れない。いつも私がサイクリングする幅10mの舗装道路を、片側通行で多数のバイクが5往復して疾走するが全力で走るのでかなり危険だ。しかしバイクはさすが男性陣が力量を発揮してスイム断トツの女性は10番目前後にまで落ちてしまった。それにしても彼女はなかなかの美人だ。
バイクを終えた段階で落伍者が出始めた、腕に大きくマジックで番号書きした女性が2−3人着変えているが、急ぐ様子がないのは、多分棄権ということだろうか。また70才で最高年齢参加者だとマイクで放送していた白髪頭の男性は、バイクを終えた段階でかなり後方に落ちたが、遂にランは止めてしまった。やはり20-30代の若者には敵わないということだろう。ランは柏方向に向かって片道5Kmを往復して競う。これはマラソンだからやはり男性が強い。
半時間ぐらいで帰着してゴールインした。それにしても、もし沼の水質がきれいであれば東京から電車で30分の近さにある最高のトライアスロン会場になるだろうが、やはり自慢できる水質ではない。10年近く前にはCODが27近くにまで上昇してアオコが大発生したが、そのあと浄化工事が進んで毎秒10立米の大量の利根川の水を流しこんで、水質向上に努めた結果、CODは劇的に改良されて7程度にまで下がった、しかしその後はなかなかCODが下がらない。聞くところによると利根川のCODが4とか5程度で、その水をいくら注ぎこんでも、もう殆ど改善が見込めないのだそうだ。
近くの印旛沼は手賀沼より水質が良かったため、利根川水の浄化工事が遅れて未だにCODが10程度だが、今度は予算不足で公共工事刺差し止めとなり、今後の水質浄化の見通しは全くないという。水道にも使っている水源池だが少々哀れな話だ。
私のヨットクラブはこの手賀沼が本拠地だが、ヨットが転覆して沼に放り出されても水が汚いと感じることは全くなく、水質は大いに改善された。このトライアスロンが終わると、手賀沼の夏も終わり、水位は急速に下げられて、また静かな秋の沼に戻ってしまう。
スタート地点は、釣りボート屋のボロ桟橋で恥ずかしいくらい貧弱だ。最初のスイムは1.5Km、沼は足がやっと届く程度の深さなので、スイマー達は水中に一団となって立ってスタートを待つ、合図はピストルかと思ったが、ヨットと同じエアホーンだったのにはやや拍子抜けした。最初はほぼ一団で進むが段々と伸びて目標地点へ泳ぐ、上がる水しぶきは余りきれいではなく、地元の手賀沼フアンとしてはやはり恥ずかしい。往復してゴールする時は、もう途切れ途切れの細長いひも状となったが、トップスイマーの泳ぎはさすが美しい。
断トツの一番で上がったのは、なんと女性だったのには驚いた。聞くところによると、全身的な体力を競うトライアスロンでもスイムだけは別格で、男女の差が殆ど無いのだそうだが、それにしてもスイムで圧倒的な引き離しには驚いた。手賀沼大橋の上から見ると本当にしなやかな泳ぎだった。何で読んだのか忘れたが、昔ヨーロッパでは平泳ぎが標準で上品な泳法だと信じていたそうだが、ある南方の土人が手足をバタバタさせながら速く泳ぐ姿をみて初めてクロール泳法を知ったそうだ、はやりクロールのほうがかなり早く、疲れて平泳ぎするスイマーは次々と順位を落としていく。
スイムが終わると次はバイクだ。急いでウエットスーツを脱いでラニングスーツに着変えるが結構手間がかかる。バイクは手賀沼南岸の湖岸サイクリング道路を東方へ片道4Kmを5往復する。手賀沼大橋の下にはカラフルなバイクが無数に並んでおり、私は知らないブランドばかりだがきらびやかだ、多分安くても10万円以上するのだろう。私の3万円の自転車とどこがどう違うのか分からないが、値段が高ければ、それだけ自信を与えてくれるのかも知れない。いつも私がサイクリングする幅10mの舗装道路を、片側通行で多数のバイクが5往復して疾走するが全力で走るのでかなり危険だ。しかしバイクはさすが男性陣が力量を発揮してスイム断トツの女性は10番目前後にまで落ちてしまった。それにしても彼女はなかなかの美人だ。
バイクを終えた段階で落伍者が出始めた、腕に大きくマジックで番号書きした女性が2−3人着変えているが、急ぐ様子がないのは、多分棄権ということだろうか。また70才で最高年齢参加者だとマイクで放送していた白髪頭の男性は、バイクを終えた段階でかなり後方に落ちたが、遂にランは止めてしまった。やはり20-30代の若者には敵わないということだろう。ランは柏方向に向かって片道5Kmを往復して競う。これはマラソンだからやはり男性が強い。
半時間ぐらいで帰着してゴールインした。それにしても、もし沼の水質がきれいであれば東京から電車で30分の近さにある最高のトライアスロン会場になるだろうが、やはり自慢できる水質ではない。10年近く前にはCODが27近くにまで上昇してアオコが大発生したが、そのあと浄化工事が進んで毎秒10立米の大量の利根川の水を流しこんで、水質向上に努めた結果、CODは劇的に改良されて7程度にまで下がった、しかしその後はなかなかCODが下がらない。聞くところによると利根川のCODが4とか5程度で、その水をいくら注ぎこんでも、もう殆ど改善が見込めないのだそうだ。
近くの印旛沼は手賀沼より水質が良かったため、利根川水の浄化工事が遅れて未だにCODが10程度だが、今度は予算不足で公共工事刺差し止めとなり、今後の水質浄化の見通しは全くないという。水道にも使っている水源池だが少々哀れな話だ。
私のヨットクラブはこの手賀沼が本拠地だが、ヨットが転覆して沼に放り出されても水が汚いと感じることは全くなく、水質は大いに改善された。このトライアスロンが終わると、手賀沼の夏も終わり、水位は急速に下げられて、また静かな秋の沼に戻ってしまう。
2009年08月20日
090820, プロ野球の解説者
例年同様だが、今年の夏休みは主にテレビをみて過ごした。
クルマで出かけても、高齢なのでもし交通事故でも起こしたら大変だと思うと、特別な用事がなければ滅多に乗らない。その結果クルマの運転から益々遠ざかり、運転が下手になる悪循環に陥るのは承知しているが。勿論ヨットもやったがこれは真夏の強烈な太陽に肌を焼かれて、もう1日だけで止めた。
テレビで気楽に見られるのがプロ野球の中継だ。最近は巨人戦が少ないので家内はご気分斜めだが、試合が終了しても電車で帰宅する必要もなく、すぐ風呂でシャワーができる。いつも思うのだが、アナウンサーはさすがプロでよく訓練されており、耳障りも心地よい。しかし同席するプロ野球OBの解説者は、その話し手が丁寧なときは楽しいが、下手だと当方の気分も悪くなってしまう。
例えば巨人の江川卓とか、堀内恒夫、広島の山本浩二, 中日の与田剛などの解説はなかなか聞き易い。ラジオと違って視聴者はテレビで実況を目で見ているのだから、解説者にはある程度の自制が求められるのは当然だと思うが、江川や山本あたりは非常に控え目で、極端に言えばアナウンサーから聞かれたことにしか答えない。 鈴木啓示もなかなかよいが声が低音で聞き分け難い。
反対に喋りまくる解説者もいる、例えば元阪神の川藤幸三とか、掛布雅之などがその典型例だ。アナウンサーがひとこと話を振ると、その2倍も3倍も喋る。しかも頭のてっぺんから出るような金切り声で話すものだから、聞くほうは疲れて長い時間は付き合えない。テレビだから、Key-Pointだけを話せばよかろうにと思うのだが、兎に角、自分の豊富な経験を示そうとばかりに喋りまくる。視聴者の気持などはもうお構いなしだ。
同類の解説者として元巨人の中畑清も話し方が下手だ。掛布や川藤のように、易しいことを如何にも複雑で難しそうに話す訳ではないが、話し始めるともう止まらない。しかも発音が不明瞭で聞き難い。やはり頂けない解説者の一人だ。
NHKなどの放送局も、その辺は分かっているだろうと思うのだが、相変わらずこんな解説者の起用をやめず、繰り返し登場させる。以前西鉄の名投手、稲尾選手が解説に出たことがあったが一回だけだった。多分自分の口下手を知っているから、それ以降は辞退したのだと思う。ご立派だ。
しかし、中畑や、掛布、川藤は相変わらず度々登場して、如何にも教えてあげます調で話すので、彼らが解説するときはボリュームを下げる。なぜ彼らは自分の出過ぎに気づかないのだろうか? 頭が悪いのだと言えばそれまでだが、多分自分の博識を売り込んで、どこか球団からでも声がかかることを望んでいるのだろうか? 彼らはご自分の話が他人にどのように受け取られるかを理解できないのだろう。とにかく自分が知っていることを喋れば喋るほど、世間は高く評価してくれると勘違いしているのだ。確かに掛布も川藤も中畑も、現役時代には、有能なプレイヤーであったが、名選手が必ずしも名解説者ではないのがよく分かる。まして監督などはとても望むべくもない。
同じように相撲にも解説者がいる。野球と違って相撲の解説には冗長な解説者はいない、例えば北の富士なども出るが、横綱経験者だから格調を重んじてか言葉数も少なく口が重い。しかし、確か小結にまでしか上がらなかった舞の海の解説は軽やかで聞き易い。時々北の富士と同席すると、発言がかなり慎重になり遠慮する。旧態依然の相撲界を伺わせるが、現役を離れたのだから、もっと気軽に話してはどうだろうか? 今後は如何に視聴者を味方につけるかの勝負だと思って、解説者として是非成長してほしいものである。
それに比較すると、NHK等のアナウンサーは良く訓練されており、耳障りなアナウンスには殆どお目にかからない。単なる話し屋だとバカにしてはいけない。情報があり溢れる今日では、情報伝達の仕方も非常に重要なのだから。
クルマで出かけても、高齢なのでもし交通事故でも起こしたら大変だと思うと、特別な用事がなければ滅多に乗らない。その結果クルマの運転から益々遠ざかり、運転が下手になる悪循環に陥るのは承知しているが。勿論ヨットもやったがこれは真夏の強烈な太陽に肌を焼かれて、もう1日だけで止めた。
テレビで気楽に見られるのがプロ野球の中継だ。最近は巨人戦が少ないので家内はご気分斜めだが、試合が終了しても電車で帰宅する必要もなく、すぐ風呂でシャワーができる。いつも思うのだが、アナウンサーはさすがプロでよく訓練されており、耳障りも心地よい。しかし同席するプロ野球OBの解説者は、その話し手が丁寧なときは楽しいが、下手だと当方の気分も悪くなってしまう。
例えば巨人の江川卓とか、堀内恒夫、広島の山本浩二, 中日の与田剛などの解説はなかなか聞き易い。ラジオと違って視聴者はテレビで実況を目で見ているのだから、解説者にはある程度の自制が求められるのは当然だと思うが、江川や山本あたりは非常に控え目で、極端に言えばアナウンサーから聞かれたことにしか答えない。 鈴木啓示もなかなかよいが声が低音で聞き分け難い。
反対に喋りまくる解説者もいる、例えば元阪神の川藤幸三とか、掛布雅之などがその典型例だ。アナウンサーがひとこと話を振ると、その2倍も3倍も喋る。しかも頭のてっぺんから出るような金切り声で話すものだから、聞くほうは疲れて長い時間は付き合えない。テレビだから、Key-Pointだけを話せばよかろうにと思うのだが、兎に角、自分の豊富な経験を示そうとばかりに喋りまくる。視聴者の気持などはもうお構いなしだ。
同類の解説者として元巨人の中畑清も話し方が下手だ。掛布や川藤のように、易しいことを如何にも複雑で難しそうに話す訳ではないが、話し始めるともう止まらない。しかも発音が不明瞭で聞き難い。やはり頂けない解説者の一人だ。
NHKなどの放送局も、その辺は分かっているだろうと思うのだが、相変わらずこんな解説者の起用をやめず、繰り返し登場させる。以前西鉄の名投手、稲尾選手が解説に出たことがあったが一回だけだった。多分自分の口下手を知っているから、それ以降は辞退したのだと思う。ご立派だ。
しかし、中畑や、掛布、川藤は相変わらず度々登場して、如何にも教えてあげます調で話すので、彼らが解説するときはボリュームを下げる。なぜ彼らは自分の出過ぎに気づかないのだろうか? 頭が悪いのだと言えばそれまでだが、多分自分の博識を売り込んで、どこか球団からでも声がかかることを望んでいるのだろうか? 彼らはご自分の話が他人にどのように受け取られるかを理解できないのだろう。とにかく自分が知っていることを喋れば喋るほど、世間は高く評価してくれると勘違いしているのだ。確かに掛布も川藤も中畑も、現役時代には、有能なプレイヤーであったが、名選手が必ずしも名解説者ではないのがよく分かる。まして監督などはとても望むべくもない。
同じように相撲にも解説者がいる。野球と違って相撲の解説には冗長な解説者はいない、例えば北の富士なども出るが、横綱経験者だから格調を重んじてか言葉数も少なく口が重い。しかし、確か小結にまでしか上がらなかった舞の海の解説は軽やかで聞き易い。時々北の富士と同席すると、発言がかなり慎重になり遠慮する。旧態依然の相撲界を伺わせるが、現役を離れたのだから、もっと気軽に話してはどうだろうか? 今後は如何に視聴者を味方につけるかの勝負だと思って、解説者として是非成長してほしいものである。
それに比較すると、NHK等のアナウンサーは良く訓練されており、耳障りなアナウンスには殆どお目にかからない。単なる話し屋だとバカにしてはいけない。情報があり溢れる今日では、情報伝達の仕方も非常に重要なのだから。
2009年08月18日
090818, 日本の核武装
8/15NHKテレビで、日本の核武装の可否かについて50人の視聴者が参加して激論を繰り広げたのは本当に面白かった。このような場合まずどう言う基準で参加者を選ぶかが問題だが、ここではそれは分からない。議論は大別すると、核武装賛成派、反対派、学識者、インド、パキスタン、米国、韓国、中国などの外国人各一人という構成であった。いろいろと興味ふかい議論だったが、まず、
1)どの国も核武装する場合は、想定される敵対国があるということだ。ロシアは米国がその対象国だった、インドはパキスタン、イスラエルはアラブ諸国…..などなど、そして北朝鮮の核武装は間違いなく韓国と日本を敵対国としていると全員が同じ意見だった。 勿論アメリカも北朝鮮の敵対国ではあるが、対等に交渉して欲しいという願望が主であり、決してアメリカを脅すということではないだろう。中国やロシアが今も日本を敵対国と見なしていると考える日本人は極く少ないことも分かった。
2)もし北朝鮮の核武装が本格化すると、対抗して日本も核武装するのではないかという議論が、アメリカ議会の小委員会で討議されていることも知った。日本は北朝鮮の主な標的だから、北が本格的に核武装すれば日本は当然その議論が起こると私も思う。問題は日本が核武装する時の米国の態度だが、米国は大いに気分を害するだろうということは新鮮に感じた。日本が米国に対抗することはあり得ないのだが、それでも日本やドイツが核武装すると世界秩序を更に複雑にするだけで、百害あって一利なしとアメリカは思っているようだ。
3)フランスが核武装するとき、フランスの国内議論は、仮にロシアがパリを核攻撃した時に、本当にアメリカは核でロシアに反撃するだろうかという疑問だったという。前々から日本が北朝鮮から核攻撃を受けた時、アメリカは本気で反撃するだろうか?と私も不安には思っている。相手が北朝鮮なら反撃するだろうが、中国やロシアが相手なら、躊躇する可能性もあると思うのだが。
4)核武装は戦争抑止力として効果があることをアメリカ/ロシア、インド/パキスタンの実例で実証されているということも分かる。あれほど中規模な小競り合いが続いたインド/パキスタン間も今は殆ど撃ち合いはないという。ひとつ例外を言えば、イスラエル/アラブの関係だろう。既に80発もの核兵器をもつというイスラエルに対して、イランが核武装を急いでいる現実があるが、イスラム教は自爆攻撃に代表されるように常識では判断できないことがあり、核の抑止力は有効ではないだろうと私は思う。従ってイスラエルは必ずイランの核施設を事前に排除するだろう。イスラエルは地中海で空軍の猛訓練をやっているが、他国の領空を経ずにはイランに到達できない問題があった。ある中東の新聞が報じたところによると、サウジアラビアは同国上空をイスラエル空軍が飛ぶのを黙認するという内密をイスラエルに与えたという。航空路が確保されたからには、後はイスラエルがいつイランを攻撃するかの問題となる。
5)ロシアが移動式中距離核ミサイルSS-20を東ヨーロッパに展開した時、一番恐怖を感じたにはドイツで、シュミット元首相は米国と直談判して米国のパーシング核ミサイルの自国内配備を決めたという。それに比較すると日本は飽きもせず平和憲法を議論している段階から抜けられないのは、如何にも生ぬるい。日本は北朝鮮だけでなく、中国からの核にも標準を合わされているというのに、何とも呑気な話だ。
6) ドイツ国内の核兵器について、アメリカとドイツが共同管理を決めているという話も興味があった。日本に配置されているであろう米国核はその管理が米国軍であり、日本は全く関与できないという現実は、緊急時に本当に米国の核の傘が有効に働くかどうか甚だ疑問が残る。
7) ヒロシマ長崎の核被爆者の悲鳴
それにしても日本は核武装すべきだという議論が出た時、広島の被爆者達が悲鳴を上げて、まだ貴方たちはまだ核の怖さが分からないのですか!と叫んだのには驚いた、これはもう単なる感情論であり、如何に自国の安全を守かという議論は不可能だと思った。
8)私の意見、 私は基本的には核武装論に賛成だ。しかし、問題はアメリカ、中国、ロシアなどと違って日本は周囲を海に囲まれた小さな島国であり、敵対国の潜水艦が常時、至近距離まで来ているという事実がある。東京や大阪の大都会も、或いは全国の原子力発電所も、全て海岸にあり、何日でも簡単に敵潜水艦に攻撃されてしまうという致命的な欠陥をもっている。自国が大損害をうけるのは避けられないとしても、相手にも大きな損害を与え得るという抑止力に頼る以外には、やはり日本の生きる道はなさそうだ。
日本は核兵器がないから、ロシア、中国、更には韓国、台湾にまで、軽視されている可能性がある。例えば、北方4島をロシアに掠取られている現実がある。歴史的には明らかに日本領土である竹島も韓国に占拠されており、尖閣諸島が台湾の魚民から度々脅かされている事実は、もし日本に核兵器があったら、このように一方的にやられっ放しにはならないだろうと思う。小さな撃ち合いにまで発展したウスリュー川の国境線問題もロシアと中国が2等分法の原則で落着したのは、両者に核抑止力の潜在意識があったからで、日本にように軍備力で圧倒的に劣る場合、高価な代償無しの話し合いでは相手は簡単に譲歩はしないだろうと思う。
2009年08月12日
090812, 義母の卒寿祝い
私の家内の母が90歳になった。先日子供や孫たち合計9人が集まって卒寿祝いの食事会をした。義母、私、家内、長男夫婦、長女夫婦とその孫2名の合計9人だ。40年前に私と家内K子が大阪より初めて上京したが、ずいぶん人数が増えたものだ。
義母は大正7年生まれで若い時は陸上短距離の選手だった。100mを13 秒を切るのが目標だったといい、神宮外苑の全国競技会も出たそうだからかなりの選手だったらしい。そして21才で軍人技官と結婚した。義母が食事会に持参した19才時のセピア色の見合写真をみたが、本当に美しくて艶めかしい。当時は軍人の社会的地位は非常に高く、望まれて結婚したが、早々に満州に渡ってからは不運続きだった。翌年私の家内K子が生まれたが、翌々年主人がインドネシア戦線に転戦したので、義母はまだ幼いK子を抱いて昭和18年ころ広島に帰ったという。しかし広島も安泰ではなくなり、職業を持ない彼女は、自分の母親の生まれ故郷の、山口県田布施町に昭和19年に疎開したので、寸前で広島原爆を逃れることができた。
それからは、主人の片身のK子を守って生きながらえてやっと卒寿を迎えた。波乱万丈の生涯だが、何ひとつ大病を患わなかったのをいつも自慢している。家内のK子は昭和36年に短大を卒業して、八幡製鉄庶務課に勤務したが、昭和39年に私と結婚し、翌年長女S子、更に2年後長男K男を得た。長男長女ともに結婚しているが、長男にはまだ子供はいない。
長女S子の子供は、上が中学3年生のY子、下が小学6年生のK男の2人だ。Y子はまだ15才だが身長が165cm近いという長身だ。今年秋の運動会は紅白リレーにも出ると言っているから、まさしく義母ゆずりのスポーツウーマンだ。 はち切れんばかりの若さで、透き通るように白い肌を自慢するので私が、余り威張るな!おばあちゃんからの遺伝だよ!と言ったら黙ってしまった。本当に若いときの美しい義母の写真にそっくりに育ってきた。
確かに科学的には男女の染色体が1対1で結合して、子供が生まれる訳だが、どう見ても不器用な私の遺伝子のかけらは見当たらず、圧倒的に義母→家内K子→子S子→孫Y子と女系遺伝していると思わざるを得ない。確かに染色体遺伝子は両親からの遺伝で構成されているが、生命活動を司り、エネルギーの供給源のミトコンドリアの染色体は全て母系遺伝といわれていることからも、女性遺伝の影響が強いと思う。
天皇家の男子万世一系の系譜に代表されるように、日本では男子相続が重視されているが、考えてみればこれは単なる男の面子だけの問題であり、遺伝的には殆ど女性側に牛耳られている。明治天皇も側室の子だが、男性は生殖時の単なる触媒の役割で、本当に影が薄いことを実感する。
もう一人の孫K男はまだ小学6年生で柏レイソルの大フアンだ。勉強よりもレイソルがJ2に降格になるほうは余程心配らしい、小学6年生だが、こちらも長身の素質がありクラスで後ろから2番目で既に155cm近いという。私はいつも前から2-3番目で運動会ではビリを行進していたので、やはり私の系列とは違う。彼は多分175cm前後にはなりそうだが、余り長身でハンサムにでもなると、今度は自惚れて努力しなくなるからそのほうが返って心配だ。次の機会には厳しく注意しておこうと思う。
私も既に71才を超えて、あと何年仕事を続けられるか分からないが、子どもや孫達と違って、才能に恵まれていない私は、努力し頑張る以外に道はない。多分あと3-4 年はやるだろうが10年は無理だろう。80才を超えると、今度は無意識に老害をばらまくので、その時は思い切って引退しよう。

義母は大正7年生まれで若い時は陸上短距離の選手だった。100mを13 秒を切るのが目標だったといい、神宮外苑の全国競技会も出たそうだからかなりの選手だったらしい。そして21才で軍人技官と結婚した。義母が食事会に持参した19才時のセピア色の見合写真をみたが、本当に美しくて艶めかしい。当時は軍人の社会的地位は非常に高く、望まれて結婚したが、早々に満州に渡ってからは不運続きだった。翌年私の家内K子が生まれたが、翌々年主人がインドネシア戦線に転戦したので、義母はまだ幼いK子を抱いて昭和18年ころ広島に帰ったという。しかし広島も安泰ではなくなり、職業を持ない彼女は、自分の母親の生まれ故郷の、山口県田布施町に昭和19年に疎開したので、寸前で広島原爆を逃れることができた。
それからは、主人の片身のK子を守って生きながらえてやっと卒寿を迎えた。波乱万丈の生涯だが、何ひとつ大病を患わなかったのをいつも自慢している。家内のK子は昭和36年に短大を卒業して、八幡製鉄庶務課に勤務したが、昭和39年に私と結婚し、翌年長女S子、更に2年後長男K男を得た。長男長女ともに結婚しているが、長男にはまだ子供はいない。
長女S子の子供は、上が中学3年生のY子、下が小学6年生のK男の2人だ。Y子はまだ15才だが身長が165cm近いという長身だ。今年秋の運動会は紅白リレーにも出ると言っているから、まさしく義母ゆずりのスポーツウーマンだ。 はち切れんばかりの若さで、透き通るように白い肌を自慢するので私が、余り威張るな!おばあちゃんからの遺伝だよ!と言ったら黙ってしまった。本当に若いときの美しい義母の写真にそっくりに育ってきた。
確かに科学的には男女の染色体が1対1で結合して、子供が生まれる訳だが、どう見ても不器用な私の遺伝子のかけらは見当たらず、圧倒的に義母→家内K子→子S子→孫Y子と女系遺伝していると思わざるを得ない。確かに染色体遺伝子は両親からの遺伝で構成されているが、生命活動を司り、エネルギーの供給源のミトコンドリアの染色体は全て母系遺伝といわれていることからも、女性遺伝の影響が強いと思う。
天皇家の男子万世一系の系譜に代表されるように、日本では男子相続が重視されているが、考えてみればこれは単なる男の面子だけの問題であり、遺伝的には殆ど女性側に牛耳られている。明治天皇も側室の子だが、男性は生殖時の単なる触媒の役割で、本当に影が薄いことを実感する。
もう一人の孫K男はまだ小学6年生で柏レイソルの大フアンだ。勉強よりもレイソルがJ2に降格になるほうは余程心配らしい、小学6年生だが、こちらも長身の素質がありクラスで後ろから2番目で既に155cm近いという。私はいつも前から2-3番目で運動会ではビリを行進していたので、やはり私の系列とは違う。彼は多分175cm前後にはなりそうだが、余り長身でハンサムにでもなると、今度は自惚れて努力しなくなるからそのほうが返って心配だ。次の機会には厳しく注意しておこうと思う。
私も既に71才を超えて、あと何年仕事を続けられるか分からないが、子どもや孫達と違って、才能に恵まれていない私は、努力し頑張る以外に道はない。多分あと3-4 年はやるだろうが10年は無理だろう。80才を超えると、今度は無意識に老害をばらまくので、その時は思い切って引退しよう。
2009年08月04日
090804, 娘が結婚しない
先日の読売新聞に, 年老いた父親の悲痛な叫びが載っていた。35才過ぎた我が娘が何故かまだ結婚しないで困っている、このままでは婚期を逃してしまいそうで心配で堪らない。親とは別居はしているが真面目な娘で男がいる様子はない、早く結婚するよう説得すると怒って音信不通になってしまったという訴えだ。
ある有名な女性弁護士が回答している内容は、既に30才を過ぎて独立している女性は、自分の結婚観をもっており、結婚ばかりが女の幸せとは思っていない、自分のお眼鏡に合った男性が現れれば親の反対を押し切ってでも結婚するから、周囲が催促するのは時代錯誤だ、機会をみて晩酌でもやりながら将来の夢でも話してみて下さい!と。
偉い弁護士先生の言われることはご立派で、ひと通りの人生論を説いてハイ一丁上がりというところだろうが、私は多分、事情はかなり違っているのではないかと思う。確かに独身女性で、結婚を考えていないキャリアー女性は居るだろうが、しかし大多数の女性はチャンスさえあれば、結婚したいと願っている筈である。私の知っている何社かにも独身女性が多数いるが、その殆どは結婚を望んでいる。問題は適当な相手に出会う機会が少ないのと、仮に居ても不安定な身分や給与が不十分でなかなか結婚できないこともあると思う。
しかし今回の人生相談は、内容から考えて私の直観は、この30才半ばの真面目な女性が結婚しない理由は、きっと別にあると思う。即ち彼女には既に愛し合っている男性がいるが、相手は家庭持ちで結婚できないのではないかと。 実はこの種の事情で結婚しない女性は近年増えていると思う。私の昔の会社でも然り、得意先にも然り、私の元の親会社にも然りで、そのような例が結構多くなっていると思う。
私が社長を務めていた昔の合弁会社は社員60名で半数は若い独身女性であった。男性の多くは既婚者だから、女性群はなかなか社内に独身男性の相手が見つからない。やや冷たい感じはあるが優秀な独身女性Sさんも既に30才近くなっていたが、結婚する素振りは全く見せなかった。しかし、ある時、既婚の営業部員H君と夜遅く、地下鉄駅のホームに一緒にいたという話が耳に入った。暫く経って別の人からも同じ話を聞くようになった。あれ!と私は疑問を持ち始めた。それから半年後にH君を含む営業部員数名がフランスの感染症試験薬専門のB社にスカウトされて退社しまった。 その後Sさんは別の会社の人となったH君と、深夜の駅ホームで頻繁に目撃されるようになった。もう誰にも遠慮は要らなくなったのだ。
私の推測は当たっていた。その後15年が経過し私は合弁会社を退社し、Sさんも45才過ぎになったが、依然として独身のままで、H君との関係は続いているらしいと噂に聞いている。多分Sさんのご両親は、容姿端麗で自慢の娘が、訳も分からず独身のまま老いてゆくのに、やりきれない苛立ちを覚えているだろうと思う。
Sさん自身は、いくら年齢を重ねてもH君への想いは捨てられず、関係が断ち切れないのだ。本当に優秀な女性だが、世間から認められない日陰の恋は年月が経っても燃え続け、終生叶わぬ恋とは分かっていても、関係を断ち切れず、覚悟を決めているのだろう。 如何に親を悲惨のどん底に落としても、これだけは譲歩できず、まともな結婚はもう考えていないと思う。可愛い孫の顔をみることもできないご両親の悩みは如何ほどかと思うと、心から同情するが、もう彼女の大脳中枢の本能は、軌道修正が不能になっているのである。
同様な実例を私は他に数件知っている。私の元の会社の英語通訳ができる素敵な女性は、40代後半になっているが、依然独身のままである。彼女のように情感あふれる女性が独身を続ける理由は他には考えられない。また別の得意先には40才近いキャリアウーマンがいるが、彼女も多分誰か深い関係の男性がいるようで、頼りない若い男性などは、とても相手にする気にならないのであろう。
結婚以外で子持ちのシングルマザーは欧米では非常に増えており、スエーデン55%, フランス48%, 英国43%, 米国も37%と、年々増加しているそうだが、まだまだ日本の社会通念では、そこまでは割り切れずわずか数%だそうだ。日本ではまだ子持ちの女性たちの権利を守る社会制度もできていないが、いずれ近い将来にそういう時代になるだろう。それまでは残念だが、ご両親は可愛い孫の顔をみることもなく年老いて、そのうち娘を叱る気力さえ失ってしまう。
もし私が彼女たちの親の立場であったら、どうするか? さあ なかなか難しい問題で、女性の脳幹を動かす自信は全くない。たぶん家内でも行かせて、結婚はどうでもよいから孫の顔だけは見せてくれ、私たちが元気な間に育ててやるから…とでも言おうか。娘と孫だけで結構、他人の婿は要らないという親は案外多いのではないだろうか。