2009年10月
2009年10月28日
091028, トイレの話
ある新聞によると、イギリスの某作家が書いた本に、排泄は人類が避けられない厭らしい問題だが、日本の温水洗浄機付きトイレは、この排泄をという不快な行為を決定的に変革したと言っているそうだ。確かに我々は温水洗浄機付きトイレがないと、一日中不快な感じになってしまう。このノーベル賞級の大発明は、スエーデンの受賞委員会もまだ評価せず、欧米で余り普及しないのが私には不思議に思えるのだが、まあ時間の問題だろうか。
昔の汲み取り式トイレは、大きな田舎屋敷で隔離されていても臭いが立ち込めてしまうが、水洗になって画期的に状況が改善され、日本の小さなマンションや家屋でも全く臭わなくなってしまった。
30余年前に、私は一度中国を訪れてそのトイレの汚さに驚愕した覚えがある。とくに公衆トイレはドアもなく、猛烈な悪臭を周辺にまき散らしていた。それに懲りて私はその後中国には行く気がしなくなった。しかし日本でも20年ほど前まで流行っていた真空式汲み上げポンプ車も、もうれつな悪臭と薄煙りを四方八方にまき散らして大いに閉口したものだが。
そもそも水洗トイレは確かローマ帝国時代に開発されたと聞いた覚えがあり、流石ローマ人は立派だ。それは都市部だけだろうが、紀元前、日本はまだ弥生時代で全員が野グソの時代に、ローマでは既に上水道と、糞尿用の下水道が開発されていたというのだから、まったくの驚きで尊敬に値する。しかし、その設備の維持に高額な費用がかかり、結局ローマ帝国の崩壊とともに下水道もすたれて、再び野グソ時代に戻ったという。
あの夢のように華やかなヴェルサイユ宮殿にもトイレはなく、ご婦人は中庭や通路での用足しに便利なパラソルのように開いたドレスを着用していた。宮殿の周辺には悪臭が立ち込めていたというのは信じられない話だが事実らしい。舞踏会の淑女たちは強い香水を肌につけて臭いを消していたという。なんだかベルバラの夢も消し飛んでしまいそうだ。
この状態は中世ヨーロッパから近世まで続き、紳士淑女は風呂やシャワーも殆どなく、衣服の洗濯もごく稀で、強烈な香水を振りかけながらごまかしていたという。19世紀半ばにコレラが猛威をふるい始めて、やっとパリでも、上下水道の必要性が再認識され、ローマ時代の古い設備を利用して建設が始まったという。
現在でも世界人口の4割は依然として野グソだそうだ。確かにあの広大なモンゴルやアフリカ原野では、トイレなど作る必要はなく、適当に野外に排泄すると夜中に野犬が食して、翌朝迄にはきれいに掃除してくれるのだろう。
あのいやな糞便の臭いは酪酸が主で、アンモニアと硫黄化合物が入り混じったものだ。あの悪臭を発する銀杏の実にもこの酪酸が多量に含まれている。酪酸は炭素数C4の脂肪酸であり、C2の酢(酢酸)の兄貴分だ。一般に大豆油とかヤシ油などの高級脂肪酸はC18,C16など炭素数が多い長鎖脂肪酸からなり、水には全く溶けないが、これらの脂肪酸が体内で分解される時、炭素2個づつが分解するβ酸化と呼ぶ経路で段々と短くなる。C18→ C16→C14→C12→ …. → C6→ C4となって、C4の酪酸まで分解されると急に水に溶け始める、すると体内に保持されずに糞便と一緒に体外に排出され始めるので、それが糞尿の臭いと誤解されるのだ。
少し話は変わるが、OLやサラリーマンが、朝の忙しい時間にトイレを済ませて出社するのはなかなか厳しく、ついオフィスや工場に着いてから用を足すこともしばしばだろう。しかし超早朝出勤の私は、朝の限られた時間内に必ず自宅で用足しを済ませてから出勤する術を心得ている。 これは秘伝の技だが私の拙文ブログを読んで頂く諸兄に感謝して、ここにその技を披露する。秘伝はシンプルなほど価値が大きいが、この方法も極めて簡単な技だ。
一般に食物が喉を通過してから直腸に達するまで最低6時間はかかるという。従って遅い夜食型に人には合わないが、まず夕食は出来るだけ早めに食べることが大切だ。秘法のKey-Pointは、朝起床すると直ぐにコップ一杯の水かお茶を飲むことだ。朝食を待たずにすぐ飲む。胃腸に水や食物が入ると、夜中眠っていた小腸大腸は、直ちに目を覚まして活発に運動を開始し、腸内のものを大腸のほうへ押し出す扇動運動を始めるという。その結果、大便は素早く肛門近くまで押し出されて便意を催して、出社前に用足しが可能になるという訳だ。笑われるかもしれないが、便秘に悩んでいた我が家族もこれで悩みが大いに解消してしまった。
情報料は求めないから、ぜひ一度お試しされては如何?
昔の汲み取り式トイレは、大きな田舎屋敷で隔離されていても臭いが立ち込めてしまうが、水洗になって画期的に状況が改善され、日本の小さなマンションや家屋でも全く臭わなくなってしまった。
30余年前に、私は一度中国を訪れてそのトイレの汚さに驚愕した覚えがある。とくに公衆トイレはドアもなく、猛烈な悪臭を周辺にまき散らしていた。それに懲りて私はその後中国には行く気がしなくなった。しかし日本でも20年ほど前まで流行っていた真空式汲み上げポンプ車も、もうれつな悪臭と薄煙りを四方八方にまき散らして大いに閉口したものだが。
そもそも水洗トイレは確かローマ帝国時代に開発されたと聞いた覚えがあり、流石ローマ人は立派だ。それは都市部だけだろうが、紀元前、日本はまだ弥生時代で全員が野グソの時代に、ローマでは既に上水道と、糞尿用の下水道が開発されていたというのだから、まったくの驚きで尊敬に値する。しかし、その設備の維持に高額な費用がかかり、結局ローマ帝国の崩壊とともに下水道もすたれて、再び野グソ時代に戻ったという。
あの夢のように華やかなヴェルサイユ宮殿にもトイレはなく、ご婦人は中庭や通路での用足しに便利なパラソルのように開いたドレスを着用していた。宮殿の周辺には悪臭が立ち込めていたというのは信じられない話だが事実らしい。舞踏会の淑女たちは強い香水を肌につけて臭いを消していたという。なんだかベルバラの夢も消し飛んでしまいそうだ。
この状態は中世ヨーロッパから近世まで続き、紳士淑女は風呂やシャワーも殆どなく、衣服の洗濯もごく稀で、強烈な香水を振りかけながらごまかしていたという。19世紀半ばにコレラが猛威をふるい始めて、やっとパリでも、上下水道の必要性が再認識され、ローマ時代の古い設備を利用して建設が始まったという。
現在でも世界人口の4割は依然として野グソだそうだ。確かにあの広大なモンゴルやアフリカ原野では、トイレなど作る必要はなく、適当に野外に排泄すると夜中に野犬が食して、翌朝迄にはきれいに掃除してくれるのだろう。
あのいやな糞便の臭いは酪酸が主で、アンモニアと硫黄化合物が入り混じったものだ。あの悪臭を発する銀杏の実にもこの酪酸が多量に含まれている。酪酸は炭素数C4の脂肪酸であり、C2の酢(酢酸)の兄貴分だ。一般に大豆油とかヤシ油などの高級脂肪酸はC18,C16など炭素数が多い長鎖脂肪酸からなり、水には全く溶けないが、これらの脂肪酸が体内で分解される時、炭素2個づつが分解するβ酸化と呼ぶ経路で段々と短くなる。C18→ C16→C14→C12→ …. → C6→ C4となって、C4の酪酸まで分解されると急に水に溶け始める、すると体内に保持されずに糞便と一緒に体外に排出され始めるので、それが糞尿の臭いと誤解されるのだ。
少し話は変わるが、OLやサラリーマンが、朝の忙しい時間にトイレを済ませて出社するのはなかなか厳しく、ついオフィスや工場に着いてから用を足すこともしばしばだろう。しかし超早朝出勤の私は、朝の限られた時間内に必ず自宅で用足しを済ませてから出勤する術を心得ている。 これは秘伝の技だが私の拙文ブログを読んで頂く諸兄に感謝して、ここにその技を披露する。秘伝はシンプルなほど価値が大きいが、この方法も極めて簡単な技だ。
一般に食物が喉を通過してから直腸に達するまで最低6時間はかかるという。従って遅い夜食型に人には合わないが、まず夕食は出来るだけ早めに食べることが大切だ。秘法のKey-Pointは、朝起床すると直ぐにコップ一杯の水かお茶を飲むことだ。朝食を待たずにすぐ飲む。胃腸に水や食物が入ると、夜中眠っていた小腸大腸は、直ちに目を覚まして活発に運動を開始し、腸内のものを大腸のほうへ押し出す扇動運動を始めるという。その結果、大便は素早く肛門近くまで押し出されて便意を催して、出社前に用足しが可能になるという訳だ。笑われるかもしれないが、便秘に悩んでいた我が家族もこれで悩みが大いに解消してしまった。
情報料は求めないから、ぜひ一度お試しされては如何?
2009年10月20日
091020, 日本の役人たち
食糧難に苦しむ北朝鮮に対して、国連から米麦やトウモロコシが支給されているが、それが末端の国民までは行き渡らず、横流しされて、ヤミ市場で国連マーク入りの米袋が堂々と売られている映像をテレビでよく見かける。同様に東南アジアでは何か仕事をする場合、必ず現地の役人にワイロを渡すのが必須条件だとはよく聞かされる。
このように世界からの援助物質や援助が、低開発国の役人に横流しされていることに、我々日本人は呆れてしまう。しかしこれは案外笑うべき事柄ではなく、日本国内の足元でも型を変えて合法的にしかも大規模に役人共に横流しされているのではないかと思い始めた。
10/15の日経新聞に、天下り公益法人の汚れた実態が出ていた。国が補助金を支給している公益法人は国内に1521社あり、そこには9,900人もの役人上がりが天下りし再就職しているという。彼らの給料を補給する為、補助金名目で、国から数千億円規模の資金が支給されているというのだ。
最も顕著なのは国土交通省で、現在3,685名の役人OBが関係する公益法人に天下っており、そのうち499名は常勤役員扱いという。次に厚生労働省関係で2,153名が天下り、うち248名が常勤役員、農林水産省は1,095名が天下り、196名が常勤役員になっているという。この3省が横綱であるが、続いて経済産業省744名、防衛省793名、、、、と、公益法人は退職役人たちの優雅な天下り先の隠れ家になっている実態を如実に示している。
怪しからんのは、このOB達を受け入れている法人に対する補助金支給額は1団体当たり平均で4.7億円で、役人OBを受け入れていない公益法人への支給額の実に8倍近い高額の税金を補助金名目で出して便宜を図っているというのだ。
頭にくるのは、OBの役員を全く受け入れていない法人には平均の補助額は6,400万円だが、常勤役員が1名いると3倍の1億8,600万円に跳ね上がり、5名以上いる法人には20倍の11億5,700万円もの国民の血税が、公共の利益に奉仕するとかの名目で出されているという。何のことはない、これは実質的に北朝鮮や東南アジアの役人のワイロと同じで、税金ドロボウを養っているのと同じ構図ではないか。
その典型例が、先般から新聞報道された、定年退職した某水産庁長官が6つの公益法人や独立行政法人を渡り歩いて合計2.7億円の報酬+退職金を得ていた事実や、某農水省OBが同じく6団体を渡り歩いて3.4億円を得たとか、更には建設省OBが官庁を退職後に10団体を渡り歩いて何と10億円もの巨額の報酬+退職金を得ていた事実が暴かれた。しかもこれらの例は膨大な数の渡り歩きのほんの氷山の一角だという。これでは北朝鮮とか東南アジアの役人をあざ笑う資格は我々日本人には全くないと言える。
こういう事実を知ると日本の役人共はなんとイヤラシイ輩かと泣けてくる。これほど国民が汗と涙を絞って上納した血税を、色々な美辞麗句をつけた補助金名目で自分たちの天下り先の公益法人へ補助金として出し続けるのは、ドロボウ以外の何物でもない行為だ。中国や東南アジアの役人たちの方がよほどストレートで正直ではないか。
東南アジアの汚職と日本が違う点はタダひとつ、彼らは直接ワイロを要求しているが、日本では、何とか公益法人への補助金という格好つけた名目で渡しているだけである。それは丁度リーマンブラザーズなど米国大手証券会社が、回収困難な不良住宅ローンを切り刻んで隠し、更に大手格付け機関がAAAとか仰々しく格付けして売りまくって、世界中を大恐慌に陥れたものと悪質度は同じであろう。
新しく政権党の民主党は、この公益法人とかいう隠れ家を解体すると公言しており、自民党長期政権が構築したこの悪弊を徹底的に打破してほしいものだ。
このように世界からの援助物質や援助が、低開発国の役人に横流しされていることに、我々日本人は呆れてしまう。しかしこれは案外笑うべき事柄ではなく、日本国内の足元でも型を変えて合法的にしかも大規模に役人共に横流しされているのではないかと思い始めた。
10/15の日経新聞に、天下り公益法人の汚れた実態が出ていた。国が補助金を支給している公益法人は国内に1521社あり、そこには9,900人もの役人上がりが天下りし再就職しているという。彼らの給料を補給する為、補助金名目で、国から数千億円規模の資金が支給されているというのだ。
最も顕著なのは国土交通省で、現在3,685名の役人OBが関係する公益法人に天下っており、そのうち499名は常勤役員扱いという。次に厚生労働省関係で2,153名が天下り、うち248名が常勤役員、農林水産省は1,095名が天下り、196名が常勤役員になっているという。この3省が横綱であるが、続いて経済産業省744名、防衛省793名、、、、と、公益法人は退職役人たちの優雅な天下り先の隠れ家になっている実態を如実に示している。
怪しからんのは、このOB達を受け入れている法人に対する補助金支給額は1団体当たり平均で4.7億円で、役人OBを受け入れていない公益法人への支給額の実に8倍近い高額の税金を補助金名目で出して便宜を図っているというのだ。
頭にくるのは、OBの役員を全く受け入れていない法人には平均の補助額は6,400万円だが、常勤役員が1名いると3倍の1億8,600万円に跳ね上がり、5名以上いる法人には20倍の11億5,700万円もの国民の血税が、公共の利益に奉仕するとかの名目で出されているという。何のことはない、これは実質的に北朝鮮や東南アジアの役人のワイロと同じで、税金ドロボウを養っているのと同じ構図ではないか。
その典型例が、先般から新聞報道された、定年退職した某水産庁長官が6つの公益法人や独立行政法人を渡り歩いて合計2.7億円の報酬+退職金を得ていた事実や、某農水省OBが同じく6団体を渡り歩いて3.4億円を得たとか、更には建設省OBが官庁を退職後に10団体を渡り歩いて何と10億円もの巨額の報酬+退職金を得ていた事実が暴かれた。しかもこれらの例は膨大な数の渡り歩きのほんの氷山の一角だという。これでは北朝鮮とか東南アジアの役人をあざ笑う資格は我々日本人には全くないと言える。
こういう事実を知ると日本の役人共はなんとイヤラシイ輩かと泣けてくる。これほど国民が汗と涙を絞って上納した血税を、色々な美辞麗句をつけた補助金名目で自分たちの天下り先の公益法人へ補助金として出し続けるのは、ドロボウ以外の何物でもない行為だ。中国や東南アジアの役人たちの方がよほどストレートで正直ではないか。
東南アジアの汚職と日本が違う点はタダひとつ、彼らは直接ワイロを要求しているが、日本では、何とか公益法人への補助金という格好つけた名目で渡しているだけである。それは丁度リーマンブラザーズなど米国大手証券会社が、回収困難な不良住宅ローンを切り刻んで隠し、更に大手格付け機関がAAAとか仰々しく格付けして売りまくって、世界中を大恐慌に陥れたものと悪質度は同じであろう。
新しく政権党の民主党は、この公益法人とかいう隠れ家を解体すると公言しており、自民党長期政権が構築したこの悪弊を徹底的に打破してほしいものだ。
2009年10月15日
091015, 荒廃した農業の現場
前にも一度触れたが、日本の農村は荒廃の坂道を転がり落ちている。私も話には聞いていたが、今回故郷に帰国して実際にその光景を目のあたりにして、また思いを新たにした。
私の生まれ育った田舎は一応山村の中心部に位置して、前には広大な平野が広がっていた。今回も秋を迎えた黄金色の懐かしい平野がそこにはあった。しかし、実り豊かな黄金色の稲穂に染まっていたのは、全体の半分にも満たず、残りは枯草の耕作放棄地だった。訳は知らないがある放棄地には低い草がじゅうたんのように生い茂げり、他の放棄地は、黄色のセイタカアワダチソウが背丈を競って一段と高い台地模様を形成していた。
何故、こうなったのだろうかと思いながら暫く眺めていると、幼少時代の友人が通りかかった。あ!正ちゃん? え!克ちゃん?と大笑いで握手し、お互いの白髪頭を眺めあったが、すぐに耕作放棄地の話になった。 なぜ米を作らない?と聞くと、作っても米価が安いので赤字になるだけだとのこと。まさか作らなくても国からお金が出るのでは?と聞くと、まさか!そこまで農協は面倒をみてはくれませんよ、ハハハ!と大笑いされた。
確かに、外国の米価は日本の1/3とか1/2とか聞いたことがある。米国などでは、超大規模な農地に大型コンバインを導入して徹底したコストダウンを図っているという。確かに日本でも小規模だが区画整理が行われて、ある程度までは機械を導入できる体制はできている。しかし農水省は自己の権益を維持し保護するため、日本の農業に本格的な企業経営の導入は頑として認めず、部分的な改革の積み重ねに終わっている。その結果、依然として耕作農地は減り続け、農業従事者は減少と高齢化を重ね、現在では全体の7割が65歳以上だという。もう10年も経つと、殆どの農業従事者は体力も失って耕作不能となり、日本の農業は消滅するかも知れないという。何とも恐ろしい話だ
民主党は個別所得補償制度とかを導入して農家を救うそうだが、これまた何だか変な話だ。詳細な設計はこれかららしいが、農家の所得が予定額に不足したとき、その差額を政府が補償するという、これでは農業経営者の向上心と自立精神を破壊し、更に底ナシ沼へ足を突っ込むことになるのではないだろうか?
この日本農業を構造的な危機から脱出させる道は、農業に自由な企業経営を認めて大規模経営と週休2日制を導入し、民間の自由な創意工夫を生かす以外にないと私は確信する。一般の企業と同じ自由な経営を認めれば、革新的なアイデアも次々と生まれるであろう。田舎育ちの私でもあの優雅な田園生活には潜在的な憧れをもっているが、従来の如く奴隷のように土日祭日もなく、朝早くから夜遅くまで働き続ける生活は絶対に嫌である。この点を抜本的に改革できてある程度の所得があれば、農業は素敵な産業になると思う。例えば機械化が全く不能な段々畑は, 本格的な観光用農園として商業化する等いろいろ民間の自由奔放な創意が出てくると思う。
いま派遣切りで住居も仕事もない人が多数いる。政府はこの派遣切り失業者を、年中人手不足で困っている介護分野に導こうとしている。しかし、工場で働いてきた中高年者には、慣れない介護や福祉業務は心労が多くて大苦労だと思う。絶対に自然を満喫できる農業のほうが好まれると私は確信している。例えば酪農などは年間365日を一日も休めないというが、週休2日制でも導入できれば、農業は余程健康的な職場になるであろう。
今回民主党政権に変わり、小気味良い政策を次々と打ち出し始めているが、この機会を利用して、従来の自民党議員→農水省→県庁→農協→零細農家の固定し行き詰まった利権構造を打破して、日本農業に徹底した企業経営を導入すべきだと私は思いを新たにした次第。
私の生まれ育った田舎は一応山村の中心部に位置して、前には広大な平野が広がっていた。今回も秋を迎えた黄金色の懐かしい平野がそこにはあった。しかし、実り豊かな黄金色の稲穂に染まっていたのは、全体の半分にも満たず、残りは枯草の耕作放棄地だった。訳は知らないがある放棄地には低い草がじゅうたんのように生い茂げり、他の放棄地は、黄色のセイタカアワダチソウが背丈を競って一段と高い台地模様を形成していた。
何故、こうなったのだろうかと思いながら暫く眺めていると、幼少時代の友人が通りかかった。あ!正ちゃん? え!克ちゃん?と大笑いで握手し、お互いの白髪頭を眺めあったが、すぐに耕作放棄地の話になった。 なぜ米を作らない?と聞くと、作っても米価が安いので赤字になるだけだとのこと。まさか作らなくても国からお金が出るのでは?と聞くと、まさか!そこまで農協は面倒をみてはくれませんよ、ハハハ!と大笑いされた。
確かに、外国の米価は日本の1/3とか1/2とか聞いたことがある。米国などでは、超大規模な農地に大型コンバインを導入して徹底したコストダウンを図っているという。確かに日本でも小規模だが区画整理が行われて、ある程度までは機械を導入できる体制はできている。しかし農水省は自己の権益を維持し保護するため、日本の農業に本格的な企業経営の導入は頑として認めず、部分的な改革の積み重ねに終わっている。その結果、依然として耕作農地は減り続け、農業従事者は減少と高齢化を重ね、現在では全体の7割が65歳以上だという。もう10年も経つと、殆どの農業従事者は体力も失って耕作不能となり、日本の農業は消滅するかも知れないという。何とも恐ろしい話だ
民主党は個別所得補償制度とかを導入して農家を救うそうだが、これまた何だか変な話だ。詳細な設計はこれかららしいが、農家の所得が予定額に不足したとき、その差額を政府が補償するという、これでは農業経営者の向上心と自立精神を破壊し、更に底ナシ沼へ足を突っ込むことになるのではないだろうか?
この日本農業を構造的な危機から脱出させる道は、農業に自由な企業経営を認めて大規模経営と週休2日制を導入し、民間の自由な創意工夫を生かす以外にないと私は確信する。一般の企業と同じ自由な経営を認めれば、革新的なアイデアも次々と生まれるであろう。田舎育ちの私でもあの優雅な田園生活には潜在的な憧れをもっているが、従来の如く奴隷のように土日祭日もなく、朝早くから夜遅くまで働き続ける生活は絶対に嫌である。この点を抜本的に改革できてある程度の所得があれば、農業は素敵な産業になると思う。例えば機械化が全く不能な段々畑は, 本格的な観光用農園として商業化する等いろいろ民間の自由奔放な創意が出てくると思う。
いま派遣切りで住居も仕事もない人が多数いる。政府はこの派遣切り失業者を、年中人手不足で困っている介護分野に導こうとしている。しかし、工場で働いてきた中高年者には、慣れない介護や福祉業務は心労が多くて大苦労だと思う。絶対に自然を満喫できる農業のほうが好まれると私は確信している。例えば酪農などは年間365日を一日も休めないというが、週休2日制でも導入できれば、農業は余程健康的な職場になるであろう。
今回民主党政権に変わり、小気味良い政策を次々と打ち出し始めているが、この機会を利用して、従来の自民党議員→農水省→県庁→農協→零細農家の固定し行き詰まった利権構造を打破して、日本農業に徹底した企業経営を導入すべきだと私は思いを新たにした次第。
2009年10月13日
091013, 人間魚雷回天を見た
帰郷した機会を利用して、瀬戸内の人間魚雷回天の博物館を訪れた。実物の回天は長さが15m近いが、直径は1m足らずの魚雷管であった。爆薬はその先端の1/5程度、中央には操縦士が一人乗りこむ狭い空間、後ろはエンジンルームがあった。最後尾にはスクリューと縦横の小さなラダーがあり、ワイヤーで操縦士席につながっていた。説明によると、親艦に積まれてある程度、敵艦に近づくと、狭い縦のパイプを通って乗組員1名が回天に登り込み、蓋を閉めて、親艦から切り離すという。後はもう絶対に親艦には帰れず、運よく敵艦に当たって爆発するか、或いは、内部の酸素がなくなって窒息死するのだという。
長さ1m程度の潜望鏡もついていたが、それは操縦には殆ど役立たないしろのであったという。性能的に回天はまだまだ未完成で、故障が多かったので、必ず付き添いの機関士がいたそうだが、それでも親艦を離れてから故障し、そのまま海の底に沈んで水圧で押し潰されてしまうものも多かったらしい。
回天乗組員に選抜された若者たちの勇ましい記念写真が飾ってあり、遺書も展示してあった。私の親戚F家にも軍刀をもった凛々しい軍人姿の一人息子がいたが、どこかの海で亡くなり家系が絶えてしまった。やはりあの時代の日本は、もう誰も止められない狂気の状熊であったのだろう。それは丁度現在に北朝鮮と似ているのではないかと思う。
誰が見ても北朝鮮は軍事力では絶対に米国に勝てず、燃料や物資不足で仮に戦争に突入しても1週間も続かない状態だそうだ。 それにも拘わらず北朝鮮は相変わらず大本営発表を叫び続け、軍事一辺倒で突き進んでいる。
確かにこれは国家の指導部者 即ち金正日の意思であろうが、金正日も、情報不足でどうすれば現在の苦境を抜け出せるか分からないのではないだろうか。多分取り巻きの連中の答申に従って原爆の開発を進め、麻薬製造で外貨を稼ぎ、偽札ドル紙幣を印刷しているのではないかと思うが、なぜここまで将来展望のない袋小路に陥っているのだろう。それは70年以上前に大日本帝国が辿った道とよく似ているのではないかと思う。
当時の日本はABCD包囲ラインで四面楚歌となり、全く抜け出す方策がなかったのは確かだが、今日の北朝鮮は、6ケ国会議等で米中がいろいろと打開策を提案し続けているにも関わらず、いつも裏切り続け、結局本当の和平交渉に進めないでいる。何故なのだろう。私は金正日がそう確信して行っているのではなく、やはり取り巻き連中が自分たちの恵まれた地位や環境を失なうのを恐れ、悪業が国民にばれて処罰されるのが怖くて、一切の不利な情報から目をそむけ、民主国家への脱皮を拒否しているのではないかと思う。
ではドイツのヒットラー時代はどうだったのだろうか。あの聡明そうに見えるドイツ国民でさえも、簡単にヒットラーのアジ演説に惑わされて、ユダヤ人虐殺と、第二次世界大戦に突き進んでしまった。ドイツは周辺のヨーロッパ諸国とは陸続きだから、日本や北朝鮮のように、外部情報から隔離されて、戦争に突き進んだとはとうてい思えない。
多分ゲルマン族は人類のなかで最優秀の民族だというヒットラーの誇張宣伝に自尊心を鼓舞されて、つい流されてしまったのだろう。それは我々大和民族が神国不滅と信じたのと同じことだと思う。 やはり如何に偉そうなことを言っても、結局私も含めて人間は、か弱い精神力しかもっていないのではないかと思う。


長さ1m程度の潜望鏡もついていたが、それは操縦には殆ど役立たないしろのであったという。性能的に回天はまだまだ未完成で、故障が多かったので、必ず付き添いの機関士がいたそうだが、それでも親艦を離れてから故障し、そのまま海の底に沈んで水圧で押し潰されてしまうものも多かったらしい。
回天乗組員に選抜された若者たちの勇ましい記念写真が飾ってあり、遺書も展示してあった。私の親戚F家にも軍刀をもった凛々しい軍人姿の一人息子がいたが、どこかの海で亡くなり家系が絶えてしまった。やはりあの時代の日本は、もう誰も止められない狂気の状熊であったのだろう。それは丁度現在に北朝鮮と似ているのではないかと思う。
誰が見ても北朝鮮は軍事力では絶対に米国に勝てず、燃料や物資不足で仮に戦争に突入しても1週間も続かない状態だそうだ。 それにも拘わらず北朝鮮は相変わらず大本営発表を叫び続け、軍事一辺倒で突き進んでいる。
確かにこれは国家の指導部者 即ち金正日の意思であろうが、金正日も、情報不足でどうすれば現在の苦境を抜け出せるか分からないのではないだろうか。多分取り巻きの連中の答申に従って原爆の開発を進め、麻薬製造で外貨を稼ぎ、偽札ドル紙幣を印刷しているのではないかと思うが、なぜここまで将来展望のない袋小路に陥っているのだろう。それは70年以上前に大日本帝国が辿った道とよく似ているのではないかと思う。
当時の日本はABCD包囲ラインで四面楚歌となり、全く抜け出す方策がなかったのは確かだが、今日の北朝鮮は、6ケ国会議等で米中がいろいろと打開策を提案し続けているにも関わらず、いつも裏切り続け、結局本当の和平交渉に進めないでいる。何故なのだろう。私は金正日がそう確信して行っているのではなく、やはり取り巻き連中が自分たちの恵まれた地位や環境を失なうのを恐れ、悪業が国民にばれて処罰されるのが怖くて、一切の不利な情報から目をそむけ、民主国家への脱皮を拒否しているのではないかと思う。
ではドイツのヒットラー時代はどうだったのだろうか。あの聡明そうに見えるドイツ国民でさえも、簡単にヒットラーのアジ演説に惑わされて、ユダヤ人虐殺と、第二次世界大戦に突き進んでしまった。ドイツは周辺のヨーロッパ諸国とは陸続きだから、日本や北朝鮮のように、外部情報から隔離されて、戦争に突き進んだとはとうてい思えない。
多分ゲルマン族は人類のなかで最優秀の民族だというヒットラーの誇張宣伝に自尊心を鼓舞されて、つい流されてしまったのだろう。それは我々大和民族が神国不滅と信じたのと同じことだと思う。 やはり如何に偉そうなことを言っても、結局私も含めて人間は、か弱い精神力しかもっていないのではないかと思う。
2009年10月07日
091008, 原発反対運動
先日田舎に帰った機会を利用して、いま反対運動が激化している上関原発計画の予定地を覗いてみた。計画が発表されてから既に40年以上経過し、最初は猛烈に反対した上関町周辺の多数の漁業組合も今は殆ど賛成に回わったが、ただひとつ、原発予定地の反対側に立地する祝島の漁協だけが活発な反対運動を続けているという。それに外部からの反対運動家も参加して、陸上と海上の両面から反対運動が燃え続けているという。
丁度、私が行ったこの10月初めは、近くの海岸に並べてある8個の巨大な浮きブイを原発予定地海上に運ぼうと、大型クレーン船がつり上げを試みていたが、祝島から駆け付けた3隻の漁船が間に割込んで妨害を繰り返し、同時に陸上からは、30名前後の活動家もその作業を妨げていた。 1時間余りクレーン船は船体を動かして何とかつり上げ上げようと試みていたが、漁船が岸壁との狭い間に割り込んで危険な状態になり、遂にクレーン船は作業を諦めて沖に撤退し始めた。すると妨害していた小型漁船も同時に引き上げを始めた。見ていると小型漁船の漁師たちは本気のようだが、クレーン船の乗組員は明らかにサラリーマン仕事だと私には見えた。
たぶん陸上の活動家達も夕方には活動をやめて帰宅し、どこかの原発で発電された電気で炊飯器を沸かし、夕食を料理するのだろうと思うと、何だか変な話だなーとも思う。もし彼らが本気なら無責任に原発反対を続けるだけではなく、代替策としてどんなアイデアがあるのかも聞かせてほしいものだ。
先般、鳩山総理は国連でのデビューを飾る演説で、CO2を1990年比25%削減するという強烈なスローガンを打ち出したが、それを実現するための現実的でかつ最も具体的な方策は原子力発電だという。確かに自然エネルギーの太陽光発電や、風力発電は聞こえはいいが、風力発電では常に6-10m程度の安定した風が必要で、1基あたり1000Kwの発電量とすると、1500台以上連続して動かしてやっと原発1基分に相当するという。 まだ日本には全国で500基程度の風力発電塔が設置されているだけで、原発1基の半分にも満たないという。しかも風は自然現象で吹いたり吹かなかったり、大陽は照ったり曇ったりと信頼性に乏しいのが最大の欠陥と言われている。
原発1基は150万KW以上の発電力を出すから、風車1500台以上が夜昼にかかわらずの発電量に相当するすぐれものである。しかも原発は1ケ所に4―5台を建設するから、原発は風力発電塔1万台にも相当する圧倒的な発電量となる。世界的にも、脱炭酸ガスの切り札は原発推進以外にないことが定説になりつつある。しかし日本の反対運動家はなかなか承知しない。
祝島漁協側の言い分は、原発ができると、漁業ができなくなり、生活の基盤を崩されるという。しかし私の見た漁村は既に昔のように漁業だけで生活している人は少ないのではないかとも思えた。祝島漁協の中にも穏健派がいるらしいが、それを口に出した途端、直ちに村八分になり村に住めなくなるのだという。それは丁度、成田空港建設で、土地を奪われた農民が農業ができなくなると騒ぎ続けている半世紀にわたる長い歴史にも似ている。
陸上の反対運動は少々様子が違って、とにかく原発は危険だから反対なのだという。確かにチェルノブイリ原発事故や、先年の東海村原発事故の如く、大事故を起こす可能性がゼロではないのは事実だ。しかし原発を止めて火力発電ばかり頼りCO2を排出し続けると、もう地球規模の大規模な気象変動に襲われて、人類の存続すら怪しくなりつつあるというのも定説となってきた、どちらをとるべきかといえば、まだ技術的に改善ができ、コントロール可能な原発を選ぶべきなのは誰が考えても明らかだと思うのだが。
日本では原子力発電は総発電量のまだ3割だが、フランスでは8割を超えているという。残りも風力とか水力発電で、自然エネルギーによる発電量が9割を超えているらしい、何ともフランスは芸術ばかりではなく、科学面でも素晴らしい先進国だった。
スリーマイル島事件で一時原発建設を止めたアメリカも再び原発設置に動き始めたという。確かにチェルノブイリ大事故で多数の被害者を出したロシアの例もあるが、あれは安全思相が未発達のロシアが、軍事最優先で、プルトニュムを産出し易く安全思想の欠如した黒鉛型原子炉だから起きた事故であり、日本や西欧の安全最重視の軽水炉、加圧型発電機では、その可能性は桁違いに小さいと言われている。しかし、依然として全国各地で激しい原発反対運動が続いている。
無意味な反対闘争を横目に見ながら、私は行言いようのない脱力感に襲われつつ、漁船とクレーン船が争う瀬戸内の海岸を後にした。

丁度、私が行ったこの10月初めは、近くの海岸に並べてある8個の巨大な浮きブイを原発予定地海上に運ぼうと、大型クレーン船がつり上げを試みていたが、祝島から駆け付けた3隻の漁船が間に割込んで妨害を繰り返し、同時に陸上からは、30名前後の活動家もその作業を妨げていた。 1時間余りクレーン船は船体を動かして何とかつり上げ上げようと試みていたが、漁船が岸壁との狭い間に割り込んで危険な状態になり、遂にクレーン船は作業を諦めて沖に撤退し始めた。すると妨害していた小型漁船も同時に引き上げを始めた。見ていると小型漁船の漁師たちは本気のようだが、クレーン船の乗組員は明らかにサラリーマン仕事だと私には見えた。
たぶん陸上の活動家達も夕方には活動をやめて帰宅し、どこかの原発で発電された電気で炊飯器を沸かし、夕食を料理するのだろうと思うと、何だか変な話だなーとも思う。もし彼らが本気なら無責任に原発反対を続けるだけではなく、代替策としてどんなアイデアがあるのかも聞かせてほしいものだ。
先般、鳩山総理は国連でのデビューを飾る演説で、CO2を1990年比25%削減するという強烈なスローガンを打ち出したが、それを実現するための現実的でかつ最も具体的な方策は原子力発電だという。確かに自然エネルギーの太陽光発電や、風力発電は聞こえはいいが、風力発電では常に6-10m程度の安定した風が必要で、1基あたり1000Kwの発電量とすると、1500台以上連続して動かしてやっと原発1基分に相当するという。 まだ日本には全国で500基程度の風力発電塔が設置されているだけで、原発1基の半分にも満たないという。しかも風は自然現象で吹いたり吹かなかったり、大陽は照ったり曇ったりと信頼性に乏しいのが最大の欠陥と言われている。
原発1基は150万KW以上の発電力を出すから、風車1500台以上が夜昼にかかわらずの発電量に相当するすぐれものである。しかも原発は1ケ所に4―5台を建設するから、原発は風力発電塔1万台にも相当する圧倒的な発電量となる。世界的にも、脱炭酸ガスの切り札は原発推進以外にないことが定説になりつつある。しかし日本の反対運動家はなかなか承知しない。
祝島漁協側の言い分は、原発ができると、漁業ができなくなり、生活の基盤を崩されるという。しかし私の見た漁村は既に昔のように漁業だけで生活している人は少ないのではないかとも思えた。祝島漁協の中にも穏健派がいるらしいが、それを口に出した途端、直ちに村八分になり村に住めなくなるのだという。それは丁度、成田空港建設で、土地を奪われた農民が農業ができなくなると騒ぎ続けている半世紀にわたる長い歴史にも似ている。
陸上の反対運動は少々様子が違って、とにかく原発は危険だから反対なのだという。確かにチェルノブイリ原発事故や、先年の東海村原発事故の如く、大事故を起こす可能性がゼロではないのは事実だ。しかし原発を止めて火力発電ばかり頼りCO2を排出し続けると、もう地球規模の大規模な気象変動に襲われて、人類の存続すら怪しくなりつつあるというのも定説となってきた、どちらをとるべきかといえば、まだ技術的に改善ができ、コントロール可能な原発を選ぶべきなのは誰が考えても明らかだと思うのだが。
日本では原子力発電は総発電量のまだ3割だが、フランスでは8割を超えているという。残りも風力とか水力発電で、自然エネルギーによる発電量が9割を超えているらしい、何ともフランスは芸術ばかりではなく、科学面でも素晴らしい先進国だった。
スリーマイル島事件で一時原発建設を止めたアメリカも再び原発設置に動き始めたという。確かにチェルノブイリ大事故で多数の被害者を出したロシアの例もあるが、あれは安全思相が未発達のロシアが、軍事最優先で、プルトニュムを産出し易く安全思想の欠如した黒鉛型原子炉だから起きた事故であり、日本や西欧の安全最重視の軽水炉、加圧型発電機では、その可能性は桁違いに小さいと言われている。しかし、依然として全国各地で激しい原発反対運動が続いている。
無意味な反対闘争を横目に見ながら、私は行言いようのない脱力感に襲われつつ、漁船とクレーン船が争う瀬戸内の海岸を後にした。
2009年10月06日
091006, 久し振りの帰郷
久し振りに山口県の田舎に帰ってきた。姪の長男の結婚披露宴に出席するためだが、私の長兄が病んでいるので、そのお見舞いも兼ねて、元気な間に早く帰りたいと前々から願っていた。自分が育った田舎は全ての寸法が小さくなってはいたが、何もかも懐かしく、なんだかサケが生まれ故郷の河川に帰ってくる心情も分かるような気がした。
田舎では一人住まいの次兄宅に寝泊まりした。近くに住む末妹も顔をのぞかせた。80才になる長兄は脳梗塞を患い、足が不自由だが、頭脳はまだまだ明晰だ。早世した父親に代わって、我々兄弟姉妹の面倒を一人で見て来た兄は、体が不自由でも家主としての責任感が頭から離れないようだ。
姪が新築した家に初めて訪問した。100坪を超す屋敷に平屋建ての豪邸と車3台分の車庫だ。都会では考えられない贅沢さだと思う。親思いの姪は、我々兄弟姉妹4人を招いて夕食会を開いてくれた。特に深い話をする訳でもないが、こうして兄弟姉妹は顔を合わすだけで、目的は殆ど達成した気分になる。やはり血は水より濃いと実感する。長兄は思ったよりも重症だが、体の自由が利かない本人はよほど悔しいだろうと心情を察した。
お土産として私は在京の自分の家族の拡大写真を見せた。何かを口頭で説明すると事実が歪曲されそうなので、家族が何才になり何をしているかだけを簡単に話した。やはり百聞は一見に如かず、写真は現況の全てを物語ってくれる。兄弟姉妹はそれを見るだけで事情を理解してくれた。
次兄の妻は不治の難病で13年前に逝去し一人住まいだ。彼の3人の子供たちは全員結婚して親元を去り、次兄一人が大きな家にひっそり暮らしている、年金生活だから特に困る訳ではないが、何しろ長年の一人暮らしで寂しい様子が分かる。しかし先日子供や孫たち大勢が帰郷して、長居したのは、返って大変難儀したとも話していた。
次兄は仲人の紹介で婿養子として来たが、入籍して始めて婿入り先の貧困状態を知り、大変驚いたという。小さな借家で、親父は朝から夜まで酒浸りで仕事せず、母親が布団綿の打ち換えで、細ぼそと生計をたてていたらしい。それから次兄は猛烈に頑張り、遂に大きな屋敷を買って家と工場も新建したという。
しかし何が幸いするか分からない。相手の女性は才長けて見目麗しい女性であった。次兄も自分には出来過ぎた妻だったと今も話している。最期は難病に苦しんで逝ったが、3人の子どもたちは独立して遠くに家をもっているが、子供たちが新築する際は、各々に蓄えから大金を渡したのだという。更に長い年月の妻の闘病生活にも費用が嵩み、もう貯えは多くないらしい。もし体が不自由になったら、自分は家屋敷を売り払って特養施設に入るつもりだとのこと。なんだか人ごとではないしんみりした夜更けの話になってしまった。
末妹はとても明るくて性格が素直だ、2人の娘に恵まれ、両人とも結婚したが親元から離れず、近くに家庭をもっているので、その子育ての手伝いに大忙しだと嘆いていたが、顔は嬉しそうに笑っていた。 集まった私の4兄弟姉妹のなかでは一番恵まれた環境だろう。しかし彼女も還暦を過ぎて寄る年波には勝てず、最近は腰が曲がり始めていた、やはり人は皆年相応に老けてゆくのだと思った。
披露宴では本家の子供たちにも初めて会った。中学高校の娘2人だがなかなか愛くるしく、これから社会の大波にも出会うだろうが、洋々たる前途を感じて嬉しかった。私の本家も完全に世代が変わりつつある。家系とは代々こうして紡がれて行くものだろう。

田舎では一人住まいの次兄宅に寝泊まりした。近くに住む末妹も顔をのぞかせた。80才になる長兄は脳梗塞を患い、足が不自由だが、頭脳はまだまだ明晰だ。早世した父親に代わって、我々兄弟姉妹の面倒を一人で見て来た兄は、体が不自由でも家主としての責任感が頭から離れないようだ。
姪が新築した家に初めて訪問した。100坪を超す屋敷に平屋建ての豪邸と車3台分の車庫だ。都会では考えられない贅沢さだと思う。親思いの姪は、我々兄弟姉妹4人を招いて夕食会を開いてくれた。特に深い話をする訳でもないが、こうして兄弟姉妹は顔を合わすだけで、目的は殆ど達成した気分になる。やはり血は水より濃いと実感する。長兄は思ったよりも重症だが、体の自由が利かない本人はよほど悔しいだろうと心情を察した。
お土産として私は在京の自分の家族の拡大写真を見せた。何かを口頭で説明すると事実が歪曲されそうなので、家族が何才になり何をしているかだけを簡単に話した。やはり百聞は一見に如かず、写真は現況の全てを物語ってくれる。兄弟姉妹はそれを見るだけで事情を理解してくれた。
次兄の妻は不治の難病で13年前に逝去し一人住まいだ。彼の3人の子供たちは全員結婚して親元を去り、次兄一人が大きな家にひっそり暮らしている、年金生活だから特に困る訳ではないが、何しろ長年の一人暮らしで寂しい様子が分かる。しかし先日子供や孫たち大勢が帰郷して、長居したのは、返って大変難儀したとも話していた。
次兄は仲人の紹介で婿養子として来たが、入籍して始めて婿入り先の貧困状態を知り、大変驚いたという。小さな借家で、親父は朝から夜まで酒浸りで仕事せず、母親が布団綿の打ち換えで、細ぼそと生計をたてていたらしい。それから次兄は猛烈に頑張り、遂に大きな屋敷を買って家と工場も新建したという。
しかし何が幸いするか分からない。相手の女性は才長けて見目麗しい女性であった。次兄も自分には出来過ぎた妻だったと今も話している。最期は難病に苦しんで逝ったが、3人の子どもたちは独立して遠くに家をもっているが、子供たちが新築する際は、各々に蓄えから大金を渡したのだという。更に長い年月の妻の闘病生活にも費用が嵩み、もう貯えは多くないらしい。もし体が不自由になったら、自分は家屋敷を売り払って特養施設に入るつもりだとのこと。なんだか人ごとではないしんみりした夜更けの話になってしまった。
末妹はとても明るくて性格が素直だ、2人の娘に恵まれ、両人とも結婚したが親元から離れず、近くに家庭をもっているので、その子育ての手伝いに大忙しだと嘆いていたが、顔は嬉しそうに笑っていた。 集まった私の4兄弟姉妹のなかでは一番恵まれた環境だろう。しかし彼女も還暦を過ぎて寄る年波には勝てず、最近は腰が曲がり始めていた、やはり人は皆年相応に老けてゆくのだと思った。
披露宴では本家の子供たちにも初めて会った。中学高校の娘2人だがなかなか愛くるしく、これから社会の大波にも出会うだろうが、洋々たる前途を感じて嬉しかった。私の本家も完全に世代が変わりつつある。家系とは代々こうして紡がれて行くものだろう。