2009年11月

2009年11月30日

091130, 日本農業の驚くべき現状


11/26の日経新聞に面白い記事をみた。日本の平均的な農業従事者が如何に貧しく苦しんでいるかという記事だ(農水省の統計データ)

耕地面積が30アール以上の農家の収支分析で、年間の平均的な農業粗収入184万円、経費147万円、差引所得37万円(年間)だという。月割りに換算すると最終所得は毎月たった3万円だという。30ア-ルというと昔流で3反の小規模農家だが、フリーターでもこの数倍の所得を得ていることを思うと、日本の農家はまさに子供の小遣いレベルの所得しか得ていないという哀れさだ。フリーターより恵まれている点は、農家はボロでも住宅を持ち、毎日の食事には困らないという点ぐらいで、全く悲しい話だ。

夫は当然アルバイトで副収入稼ぎに忙しく、妻が早朝から夕方まで、雨の日も風の日も汗を流して農業しているのだろう。勿論週休2日制なんてあり得ない奴隷のような生活だ。唯一いい点は上司や管理職、株主から文句を言われることはなく、その点だけは気分がいいが、所得という点からは全く無茶苦茶に低いレベルだ。これでは農家の嫁不足、後継ぎがいなくなるのは全く当たり前の話だ。

統計は30アール以上だから、平均的な農家の規模はもっと大きく、例えば耕地面積は100アール(=1ヘクタール=10反=1町)程度かも知れないが。これは私の感覚では地方では、まずまずの中堅農家だ。この程度の耕作面積があれば、もう夫婦は年中休みナシで、早朝から夜遅くまで働き続けることだろう。それでも、都会のフリーター程度の所得しか残らないなんて思うと、農水省もよくもここまで放置していたものだと逆に驚いてしまう。何故もっと早く手を打たなかったのだろうと怒り心頭に達する思いだ。

食料は1日たりとも欠かすことのできない、国家の最重要物資でありながら、世界の各国は各々自国の農業政策に苦慮している。米国のような超大規模経営から、日本程度の中小規模経営、更には中国奥地にように超零細規模の農業など、天と地ほどの大きな格差がありながら、各国政府は異なる内容の問題をかかえて頭を痛めているのも事実だ。

日本政府も全く無責任で短期的な政策を続けてきた。状況を複雑にしている理由は、農家や兼業農家が選挙の大票田であったため、自民党議員も場当たり的なバラ撒き政策を積み重ねてきた為だ。その例は民主党の小沢さんも然りであり、今でも国会は放り出して、地方の農家を歩き回り、酒を酌み交わしながら、あのバカげた個別所得補償制度等を提案している。私も農家の3男坊に育っただけで農業の専門家ではないが、農水省や専門家でも結局何もできなかったのだから、ここで思い切って私の勝手な意見を提案したい。

即ち従来は米作を最重要視していたが、時は変わって米余りの時代になった。それに対応して方針を根本的に転換すべきだ。即ち、がんじがらめに農家を土地に縛りつけている農業政策から農民を解放して、農業を完全に自由化することだ。農水省は自己の組織を守り、維持存続する為に全力を尽し続けていることが最大の障害になっていると思う。従ってまず農水省を解体して経済産業省の一部局に格下げし、基本的には産業政策の一環として農業を扱うことに変更してはどうか。

すると何が起こるか? 現在でも部分的に行われている大規模化が,ますます進行するだろう、日経新聞の情報でも農業を専門とする中規模程度の経営農家は年間収益909万円、経費572万円で、農業所得は高卒新人レベルの337万円へと大きく改善されている。更に大規模化を推し進めると当然所得も大きく伸びると思う。そして労働力が必要であれば、近年派遣切りで路頭を迷っている労働者を週休二日制で雇えばよい、

今までの農家政策は完全に票集めの選挙対策としてしか扱かわれていなかったが、今後は産業政策の一環にする訳だ。更に民営化すると経営者は、創意工夫をこらし、植え付け品種も米だけではなく、野菜、果物、花き、観葉植物など、多様な広がりを見せるだろう。当然、大規模経営者は、自分の生産物をユーザーや顧客に直接販売して農協や中間業者に搾取されなくなり、自らの利益率も向上してくるだろう。更に製品の自社ブランドの確立も進めるだろう。

確かに日本には大規模化できない農地も沢山ある。例えば北陸などの段々畑や段々水田などの扱いもある。私なら都会のサラリーマンにその所有権を売って、田植え、稲刈りなどの農繁期は彼らに対応させ、残る農閑期のみ地元の農家が有料で面倒をみる方法もあるだろう。現に一部では実施されており、都会のサラリーマンには非常に好評と聞いている。更に耕作に適さない農地は今後は別荘地として大規模開発することも可能だろう





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2009年11月25日

091125, 核持ち込み秘密条約


日本に核を持ち込むことを認める日米間の秘密条約があったと岡田外相が発表した。秘密条約があったことは既に米国側も認めており、多くの日本国民も多分あったであろうと思っていることで、そんな条約はないと主張していたのは自民党の歴代政権だけだ。新任の外相に任命されてまだ緊張の抜け切らない岡田大臣は、来年早々までにはその内容を公表するとはしゃいでいる。

しかし、外交交渉に秘密事項があっても当然のことだろう。米ソ間の厳しい冷戦時代において日本はマル裸で米国は守らず、緊急時には核兵器を持ち込み得る約束がなかったなんてあり得ない話と思う。ただソ連中国との厳しい対立のもと、日本国民の核アレルギーも考えて秘密条約にしただけだ。ソ連中国だって、日本に米国の核が持ち込まれていないとは思ってはいない筈だ。就任早々でまだ正常な判断が出来ない岡田外相は、年明け早々に秘密条約の存在を公表するだろうが、もう過去の話でどうでもよいこと、問題は今後どうするかだろう。

即ち、持たず作らず持ち込むまずの3原則を維持するかどうするかだ。 新政権は中国や北朝鮮が喜んでいるこの3原則維持を変更するチャンスだと私は思うが、連立政権の社民党は絶対認めないだろう。またオバマ大統領が核の廃絶を言い始めているときに時代錯誤の感もある。民主党政権は結局、現在の3原則は維持することになるだろう。しかし具体的にどう対処するかがだ。米艦船や航空機が日本に立ち寄る度に、現実問題として米国に毎回核兵器を下ろしてから入港して下さい、とこれから言うことが出来るのだろうか? 鳩山首相が、日米は対等だ、度々言明しているが、決して対等ではないと思う。例えば米国は日本を守るが、日本が米国を守ることなんて出来得ないのだから。

しかし聞くところによると、最近米国の核戦略も大いに変わっているという。確かに原子力潜水艦は大量の核ミサイルを積んでいるが、昔と違って近年の潜水艦は、燃料の補給目的で度々軍港に立ち寄る必要は殆どないという。一旦航海に出るともう長い期間、寄港せず、従って核を積んだ潜水艦が横須賀や佐世保に立ち寄る必要性は殆どないらしい。

であれば、日本政府の立場はそれほど難しくないだろう。即ち、確かに秘密条約は存在していた、しかしそれは過去の自民党政権時代のこと。民主党政権に代わってからは、本当に持たず作らず持ち込まずを厳守します!といえば済む筈だ。 中国,北朝鮮も大喜びだろう。岡田外相が、如何にも大きな獲物を釣り上げた如く、国の内外にPRするのは何一つ利益が無く、誠に見っとも無い限りだ。もう少し落ち着いて欲しい。

周知のように、お隣り中国は日本に代わって世界第二の経済大国となり我が国と緊密不可分な関係になっているが、軍事的にも太平洋の制海権を圧倒するほど拡充を進めており、海に囲まれた日本にとって最大の脅威となっている。岡田外相は、過去の秘密条約の発掘にバカ騒ぎしている暇はない筈だ。日本の国益を担う外相として、もっと落ち着いて真面目に仕事をやってほしいものだ。







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2009年11月20日

091120, 再びバスに乗って

年末となり税務署が、年末調整の説明会を開くというのでバスに乗って出かけた。そしてまた驚いた。乗客は本当に高齢者ばかりだったのだ。しかも普通の高齢者ではなくもう超年寄りばかりだ。往復をバスに乗って、100人か150人ぐらいの乗客に出会ったと思うが、殆どが75才代以上の後期高齢者ばかりだ、若い人はたった3−4人しかお目にかからなかった。 実はこの私も高齢者仲間なので、決して威張れる立場ではないが、私はまだ現役で働いている。自分の金で事業を起こし6名を雇用している自負がある。しかし彼らは声高に文句は言うが、社会にぶら下がっているだけだ。帰りにバスに乗ったある婆さんは、席を譲るのを期待してか私に近寄ってきたが、席を立つ気もしなかった。

お年寄りの多くはポリ袋に食糧等を買い込んでぶら下げているが、杖をついたり、びっこをひいたり、更には脚に補強金具をつけている人も何人かおり、もう見るのも哀れな状況だった。しかし多分、口だけは達者で権利を主張しそうな面々ばかりだ。殆どの老人は東京都発行のタダ同然のシルバーパス乗車だが、これも財政豊かな東京都だから出来ることで、それ以外の大都市は難しく、増して地方都市では絶対にできない優遇策だと思った。

このまま国が老齢化して活力を失うと、日本の将来は本当に危ないと内心つくづく心配になった。ダム建設の中止も大事かもしれない。高速道路の無料化もいいかもしれない、沖縄の基地移設もよいだろう,しかしその足元で日本が急速に高齢化しつつあるのに、政府はどう対処しようとするのだろう。働く意思のない老齢人口ばかりになると、誰が彼らを養うことになるのだろう。

新聞情報によると、現在の日本人口1億2769万人は、出生率低下で2100年には1/2の6000万人にまで激減するという。2100年は決して遠い将来ではなく、私達の孫や、今年生まれた赤ん坊たちはまだ生きている程度に近い将来なのだ。このままではもう日本国は消滅するのではないかと本当に不安に思った。

何故、これほどの大問題を政府は放置しているのだろう。確かに、自民党時代には少子化対策担当の大臣として小渕優子が子育支援策や育児休暇取得策、猪口邦子が男女共同参画社会実現とか高邁な方針を示していたが、結局は何もやらなかった。また今回の民主党政権でも高市早苗大臣が少子化対策担当大臣だという、いろいろ立派な方針は示しているが、多分お茶を濁す程度で、結局は何もしないだろうし、その決意もないだろう。

確かに少子化対策の解決は、複雑な社会的条件が重層的に組み合わさり、簡単ではないのは分かる。決定的な施策は無く、いろいろ複合的な支援策が必要だと思う。しかし子育てという非常に手数がかかる重労働を、女性に負わせ続けているのは事実だと思う。その負担軽減に政府が早急に手厚い保護の手を差し伸べる必要がある。

その目的で、確実に参考になるのは、人口減が止まりつつある欧州諸国の社会システムだと思う。是非ヨーロッパ社会の諸政策を勉強して、総合的な施策を急ぐべきだと思う。例えば日本と違ってヨーロッパ社会では、子供の総数の半数は法的に結婚していない女性の婚外子だと聞く。近年日本もその傾向はあるが、まだ社会的に偏見が残っており、子持ちの独身女性の肩身は狭く、苦しい生活を強いられていることを思うと、早急に本格的な施策を急ぐべきだと思った。






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2009年11月18日

091118, 苦しかった時

私は、殆ど毎日ラジオ深夜便を聞いている、朝方3:00から4:00の間に音楽番組の時間があり、例えば昭和40年代のヒット曲など、年代を絞ってその年に流行した懐かしい歌を思い出しながら聞いている。しかし昭和46年から数年間は、私の記憶が何故だか殆どない。当初疑問に思っていたが、最近その訳が分かった。 当時、私の仕事が非常に厳しく、毎日死ぬ思いで会社生活を送っており、とても曲を楽しむ余裕など殆どなかった苦しい数年間であったことを。

そのころ、私はFRP漁船の販売を担当していたが、事業の収支は真っ赤、しかも先行き真っ暗で、兎に角その月、その週を如何に過ごすかに懸命であった。当時新しい企画として、クルマ7に積んで運べる小型の釣り用FRPボートを2-3百隻ほど製造して全国に販売した。当初の出荷は快調で喜んだが、1年近く経過した頃、その小型ボートが沈没したとの情報が入ってきた。水を満杯にしても、必ず一部は浮いているのが小型船の必須条件だが、水底に沈んでしまったという報告だ。

もう全身から血の気が失せる思いであった。早速駆けつけて調査すると、船体に浮力体を固定していたステンレス製留め具が電食によって海水に溶け出して壊れ、浮力体が船体から外れて、ボート船体が沈没してしまったと分かった。

もう頭が真っ白になってしまった。小さなボートが海の沖合で沈没すると、直ちに死亡事故となり、我が舟艇事業部は吹っ飛んでしまうと思った。収支はそっちのけで、大事故を起こす前に、全国に販売済みの顧客を探し出して修繕を始めたが、顧客名簿など殆ど整備されておらず、もう大変な難事業となってしまった。丁度、パロマの瞬間湯沸器が不完全燃焼で一酸化炭素事故を起こして新聞テレビに大きく報道された件と同じことだ。

もう死もの狂いで顧客を探し出しては修理して歩いた苦しい時期だった。 私は会社首脳から早急に舟艇事業の全面撤退を命じられるのを願いながら苦闘した数年間であった。そして終に3年後に我が船艇事業は終止符がうたれた。

また別の時にも、同様に苦しい時期があった。ひとつは私が社長として担当した米国合弁の臨床検査薬事業だ。当初販売していたRIA系診断薬は分析機器が不要で試薬の輸入販売だけであり、円高効果もあって収支が非常に良く、業績は快調であったが、5−6年過ぎたころから、分析機器が必要なNon-RIA系診断薬へ市場が大きく転換し始めた。これはブラウンから液晶テレビへの転換のように、必然的な市場の変化であった。この分析機器は1台1000万円程度で、しかも見込み客の病院にタダで提供する必要があった。当時のわが社は年商15億円と小規模だったが、年商以上の投資を要求され、しかも病院が必ず試薬を購入する約束もない危険な投資だった。

私は余程躊躇したが、米国の親会社は自社製の機器の輸入販売を強硬に要求して、大量の機器購入ノルマを私に命じた、その結果、我が社の収支は直ぐに赤字に転落し、それを理由に5年後には私は社長をクビになってしまった。 しかし親会社からの無理な要求より解放されて、内心では大変嬉しかったのを覚えている。更にその10年後に今度は米国親会社自身も収支が悪化して、他社に買収されてしまった。その当時世界には数百社の診断薬メーカーがあったが、現在は世界の大手診断薬メーカーは10指を切るほどにまで整理淘汰されてしまった。 当時の私は早急に診断薬から全面撤退して、ゾロ医薬品販売とか内視鏡手術器具へと転戦すべきだと思ったが、その前に私が社長をクビになり、逆に大きな安堵感を得た次第であった。

同様に50年前に私が大学を卒業して入社したD社自体もいま大変な苦境に置かれている。入社当時は縮合系合成樹脂の最大手メーカーとして、飛ぶ鳥をも落とす勢いであったが、50余年が経過した今日では、その勢いは跡形もなく消え去り、多くの事業は他社との合弁会社へ移管され、売却されて、私が育った若々しいD社は影も形も消え失せようとしている。

我がD社の創業社長は本当に立派な人格者であったが、やはり進路を誤ったということだろう、創業から3代に渡って同族経営の社長が全て経理出身であった故か、製品の技術的な変化や推移を読むことができなかった。或いはその社長の取り巻き陣が、自己保身の茶坊主ばかりであったことも不運だったといえる。企業にまだ勢いがある間に、新しい分野への転換の模索や検討がなされないまま、没落してゆくのは本当に口惜しい。

人ごとではなく、規模は小さいが今の私の会社も同じことだ。私はどういう戦略をとるべきか、批評家としては簡単だが、実責任者としてはいつも頭を痛め続けている。兎に角、私は固定費を徹底的に絞って経営を軽くし、状況に応じて柔軟に方針変更し、更に時と場合によっては会社の売却や、転売も可能な体制を作り上げることが必要だと思っている次第。






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2009年11月13日

091113, 事業仕訳が面白い

いま民主党は、新宿の体育館を借り切って連日、事業仕訳を行っている。財務省の役人が中立の立場で淡々と説明しているのに対し、担当官庁のお役人は防戦一方で、予算の正当性を懸命に説明する姿は本当にみすぼらしく哀れだ。あれが日本の国家を代表するエリートかと思うと情けなくなってしまう。

民主党の若い女性議員も、年配のおばさんとやり合っていた。高揚感にあふれる女性議員はその予算の意義の不透明さを突くが、年配のおばさんは、やっと国から獲得した高額な予算を何とか守り切ろうと必死で抗弁する。本当に必要な予算なら、地方自治体に移してから受け取ればいいと思うのだが、やあはり猛反対だ。地方自治体に判断を任すとバケの皮が剥がれるから、何としても国から直接予算を付けてほしいらしい。それを見ながら私はある連想をした。厳しい冬を迎えて、今まで国民の生血を吸っていた寄生虫や、暖かな場所に安眠していた昆虫が、ぬいぐるみを剥がされそうになり、懸命に抵抗している姿を思い浮かべてしまった。

自民党時代に族議員と官僚と地方の業者とが堅固に構築した利益分配構造が、次々とバケの皮を剥がされてゆくのだ。最終的な結論が、多数決で簡単に決まってしまうところもなかなか良い。本当にガラス張りの公開の場だから、コネをもつ族議員が口を挟むスキもなく悔しがっているのも痛快だ。自民党の谷川秀善参院幹事長も、事業仕訳は国民には新鮮で面白い!何故自民党政権が出来なかったのかと悔しがっていたが、族議員集団の前政権では決してできなかったドラマだ。

しかしこんなに大げさで劇場的な大論争をやっても、3兆円の削減目標に対して、浮きそうな予算はたった1兆円程度だという。私は90兆円の国家予算のうち、1割から2割の15兆円程度は、天下りの人件費や、それを守る為に構築された利益分配の為の不要な財団のムダ予算だと思うのだが、敵も必死だから、なかなか簡単には明け渡さない。

無駄予算の大もとは、やはり国土交通省、農林水産省、経済産業省、厚生省が4大官庁だという。確かに北海道のクルマが殆ど通らない高速道路とか、全国各地にみられる一般道と並んだ無用な農業専用広域道路とか、意味不明に差別をつけた保育所と幼稚園の問題、慈善や福利を名目に底なしに予算を請求する厚生労働省など、我々素人がみても明らか無駄な予算や重複投資と思える浪費がたくさんある。

具体的な例としても、四国と本州を結ぶ本四大架橋は当初は阪神淡路計画だけだったが、最終的には3本建設されて大赤字をだし続けている。全国の新幹線網建設も同様だ。収支が合う道理がない鹿児島や長崎へ迄も延々と延長し、北海道も工事が進んでいる。これらの地方には飛行機のほうが、余程便利なのは皆知っている筈なのだが、自民党の土木建設族議員が許さなかった。

下水道整備の論争も面白かった。既に人口の多い都市部の下水道網の整備はかなり進み、これからは人口の少ない地方の下水道構築が予算の対象となっているが、人口の疎らな地方に大規模な下水道網を整備するのは非常に金額が張り、投資効率が悪い。代わりに個別住宅に設置する浄化槽の方が、余程投資効率が優れている。にも拘わらず全国下水道網構築計画は着々と予算計上され続けているのだ。元我孫子市長も、国から強制的に大規模な下水道網の構築を押しつけられた事実があったと暴露していた。

これは政権が変わったから始めてできた大改革であり、自民党政権が継続していたら絶対に出来なかった大ドラマだ。自民党時代にも、良識ある自民議員はムダな財団の整理を思っていたそうだが、それを言い出すと、村八部にされたという。 野党になった自民党議員は、これは一般市民による人民裁判で公開処刑だ、許せない、とテレビで叫んでいたが、永年に渡って構築した自分たちの利益分配構造が暴露されて壊されるのが余程悔しいのだろう。なかなか味なことをやってくれる民主党政権に快哉を送りたい。



mh3944 at 11:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2009年11月11日

091111, Walking Shoes

サラリーマンには背広と革靴が必需品だ。背広は段々と素材が改良され軽量てシワにならなくなったが、革靴だけはまだ昔のままで、湿気が籠る最悪の環境のなかで悪臭が発生しやすい、さっそうと着飾った若い女性のロングブーツも同様に臭うのではないかと意地悪い想像をしている。

昔の革靴は全て革製で、最近でも高級品は全て革製だ。しかし近年靴底が軽い硬質ウレタン製が開発されて、中級品の殆どが硬質ウレタン靴底に代わってしまった。しかし年をとった私にはこの硬質ウレタンでもまだ頭に響くので、出来るだけ靴底が軟かいウレレタン靴をいつも探し求めている。

何年か前から Walking Shoesなる靴が売り出さているが、これを試して履いてみるとなかなか歩き心地がいい。名前の通り散歩用かも知れないが、外観も普通のビジネスシューズと殆ど変わらないものもが作られており、私はそれを通勤用に使っているが、歩き心地がやわらかくてよい。全体がウレタンなので、雨にも風にも強く手入れが簡単なのも嬉しい。 靴底もウレタンだが、強度不足を補うため、いろいろ工夫されており、補強材も入っているものもある。

Walking Shoesは上皮もウレタン製だが、皮製に比べて劣っていた通気性も最近はかなり工夫され、加工性の良いウレタンの特性を利用して通気性の確保と、はき心地の改善がいろいろな試みられている。全体重を乗せて繰り返し踏み込まれても踵が擦り減らないように工夫もされている。革製靴に比べてWalking Shoesは私には快適な通勤靴となっている。

私は休日のサイクリングや、ヨットに乗る時に使う運動靴は、布地の中国製だ。運動靴は直ぐ汚れ、摩耗する場合も多いが、なかなかどうして最近の中国製は品質も良く、何よりも価格が圧倒的に安い、あんな立派な運動靴がたったラーメン1杯程度の1,000円で販売されているのだ。しかも半年程度の酷使にも耐える、そして履きつぶすと新品に取り換える。5,000円以上出せばブランド品もあるが、私は余り好きではない。履き心地は中国製と殆ど変らず、単に価格が数倍高いだけだ。従って私はいつも中国製を愛用している。

この点に関して私は心から中国製品に感謝している次第。しかし最近この1,000円靴が少なくなり始め、2000円近くになり心配していた。先日もある靴店の閉店セールでデザインの良い1000円運動靴を見つけたので、大量(7足)買い込んだ。家に持ち帰ると家内はご機嫌斜めだが、これでもブランド靴のたった1-2足分にしかならず、何年間かは安心して履けるので、これから中国元が値上げされても、何の心配もなくなった。

軟質ウレタンはその名前の通り軟質で、クッション性能と耐摩耗性がよく歩いても殆ど音もしない。最近はやりのキャリーバッグのコロは硬質ウレタンが使われており、駅のコンコースを若い女性がハンドルを長く伸ばしガタガタと騒音を立てながら歩いている、ご本人は格好いいと思っているに違いないが、周囲にはたいへん危険で、煩い音に閉口しているのに当人は全く気が付かないようだ。私は頭が悪い女ですと周囲にPRしているのと同じことだ。メーカーも音が全く静かな軟質ウレタンのコロを何故使わないのか、私には不思議でたまらない。





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2009年11月06日

09110906, 口達者が羨ましい

民主党の菅副総理が、官僚は試験ができるだけでバカ者だと、言ったそうだ。意味は分かるがやや言い過ぎの感じもある。菅副総理は口達者だから、つい口が滑ったのだろ。よくある例だ。逆に口下手なのが小沢幹事長。頭は良いのだろうが本当に口下手だ。小沢さんは次を狙っている菅副総理のことを内心では警戒し、多分軽蔑しているだろう。鳩山首相はその中間というところか。

今回の秋の叙勲でトヨタ自動車の張会長と並んで、瑞宝重光賞を受けた東大医学部の多田富雄教授がおられる。有名な免疫学者で千葉大医学部卒だが、その実績を認められて、鉄壁の学閥を誇る東大医学部の教授に招聘された方だ。多田教授は免疫学の業績が世界的で、弁も立ち多才でもあり、更にエッセイストとして人気も高い、しかしこともあろうに脳梗塞に襲われて、言語障害に陥ってしまった。今までの煌々たるキャリアーからは考えられない悲惨な状態だ。

実は私も軽度の吃音の持ち主で大いに口下手だ。吃音は小学校から始まり、中学校、高等学校時代が一番苦しかった。光市の吃音矯正学校にも通い、腹式呼吸でゆっくり話せと指導も受けたが、そんな簡単なことでは吃音は治らない。結局還暦は過ぎた今になってもまだ引きずっている。もう生涯治癒することはないだろう。田中角栄も吃音だったが、それを反骨のバネとして徹底的に努力し政治家として成功した、しかし吃音だけは死ぬまで治らなかった。

私の場合、特に苦しんだのは中学高校の国語の時間だった。先生から指名されて順番に教科書を読むやつだ。殆どの生徒はスラスラ読めるが、私には簡単でなかった。男女共学のなかで、易しい漢字が何故読めないのかと、彼女達から思われるのが、思春期の私にはもう死ぬほど恥ずかしく苦痛だった。しかし逆に英語の時間は楽しかった。殆どの生徒はうまく読めないので、気持が楽になり、私は返って流暢に読めた。その結果英語が好きになり、終に得意科目になってしまった。

サラリーマンになっても吃音は治らず、私は論争が苦手だった。そして疎外感にさいなまされ、すこしづつ自分を孤立に追いやった。その結果、私は大勢の仲間との共同業務は嫌いになり、逆に彼らが避ける難しい仕事に集中するようになった。例えば、合成樹脂メーカーには絶対に不可能と思われた医薬品を病院ドクターへ直接販売する事業も取り上げ、ついに軌道にのせてしまった。

しかし何歳になっても吃音は治らない、その対策として私は口の動きを滑らかにする方法を考えた。即ち英語読本を毎朝10分間ほど大声を出して読むのだ。煩いので家族は大変嫌がったが、私は1年365日を殆ど欠かないでほぼ40年間を読み続けている。これを忘れると、その日の口の動きがスムーズではないので直ぐに分かる。

しかし、この忙しい現代社会においてはやはり口達者が望ましい。有名人がテレビやラジオで対談するのをみて感じるのは、彼らの多くは口下手で話が聞きにくい。比較すると殆どのアナウンサーは発音が明瞭でよく訓練されており、耳触りもよい。私はむかし口先だけのアナウンサーだと見下していたが、どうしてどうして最近は大いに尊敬し始めている次第。







mh3944 at 10:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感